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――子供の頃から自然の音や鳥の声などを真似てピアノで弾いていたそうですが、そういう遊びをするようになったきっかけというのは?
「生まれつき絶対音感があったのが影響していると思います。雨が降ると屋根にポタポタ落ちる音がドレミで聞こえて、雨が歌ってると思ってたんですよ。それで親に“雨が歌ってるね”って言ったら“面白いこと言う子だね”みたいな反応で。でも、私には本当に歌ってるように聞こえてくるから、“雨がこんな歌を歌ってるよ”って真似して歌ったり。あとは、“鳥がこんな歌を歌ってるよ”って鳥の声を真似して弾いて、自分もピアノで返事をしたり、風の音を真似して弾いたりとか。そんな遊びをしていました。それが特殊っていうか、普通じゃないんだなっていうのは、自分では分かっていなかったです。その当時は」
――ピアノは小さいころから習っていたんですか?
「一応習ってはいたんですけど、そんなに得意でなかったし、なんとなく続けてましたね。ちゃんと音楽を作ろうと思って書き始めたのは、中学に入るちょっと前とか。わりと大きくなってからですね」
――ポップスやアニメ音楽に親しんだりとかは?
「そういうのを真似してよく弾いたりしてました。ポピュラー・ミュージックに限らずCMだったりアニメ音楽だったり、幼い頃に今でいうEテレの番組で流れてるフレーズを全部真似して弾いて、弟や友達に教えたりとか。特殊な環境では全くなく、ごく普通の家庭生活の中から聞こえて来る色んな音から、自然と刺激を受けて育った感じです」
――芸大の作曲科を選んだのは、演奏よりも作曲するほうが好きだったからですか?
「弾くよりも書くほうが自由で楽しくて。進路をちゃんと考えなきゃいけなくなった頃、習っていた先生に“音楽の道に進むんだったら芸大を目指したほうがいいだろう”という話を聞いて、その辺りから受験を意識した音楽の勉強を始めたんです」
――大学ではどのような活動を?
「大学に入って、素晴らしい演奏や創作の才能をもった友人達に出会いつつも、ここは良くも悪くもクラシック音楽の伝統的なアカデミアの世界だなって気づいたんですね。作曲科の学生は現代音楽と呼ばれるアカデミック路線の作品を書く人が大多数で、自分はそれには合わない。そんな時、ライヴハウスで出会うような、譜面も読めないしドレミも分からないんだけど、一発音を発するだけで何かもの凄い世界を感じさせたり、エネルギーを持った音楽をやってる人たちが沢山いて。彼らに純粋に憧れを持っちゃったんです。自分は理論をがっちり学んだがゆえに見えなくなってる何かがあるんじゃないか?音符とか学術的なことでは補えない大事なものが音楽にはあるんじゃないかなって。それで、そういう人たちと曲を作ったりライブをし始めたんです。そのあたりから音楽プロデューサーの篠崎恵子さんに会うんですけど」
――篠崎さんとはどういう経緯で?
「初めて会ったのは吉祥寺のSTAR PINE'S CAFEで、
DE DE MOUSE 君のライヴで会いました。その後、篠崎さんが一時期プロデュースしていた女性アーティストに曲を書いたりして。私がソロアルバムを作ろうと思ったときにも最初に相談して、様々なミュージシャンを紹介していただいたり、アドバイスを受けるようになりました」
――シンガー・ソングライターよりもプロデューサー志向があったのですね。
「私自身は歌を歌うよりは、曲を作って誰かに歌ってもらうという、あくまでも裏方的なほうが好きで、そういう意味では元々プロデューサー志向ですね」
――大学卒業後はどういう活動を?
「大学院に在籍しつつ、引き続きライヴハウス界隈のミュージシャンと触れ合いながら自分の感性で作品を作って行く作業をやりつつ、仕事方面では
佐橋俊彦 さんという作曲家のアシスタントをさせて頂き、アニメやドラマや映画音楽等の下積みをやり始めました。この2つは、当時の私は同じ音楽でも全く別の領域に感じていたんですが、あとになって繋がってきます」
――ソロ・アルバムを作ろうと思ったのは、何かきっかけがあったのですか?
「ある女性ヴォーカリストと私とで、私が曲を作りピアノを弾いたりトラックを使い、彼女が詩を書いて歌うユニットの形で活動をしていたですが、それがトラブルがあって破綻しちゃったんです。で、私がショックを受けてた時に篠崎さんが“別にユニットでなくても、一曲一曲を誰かに歌ってもらえばいいんじゃない?”って言ってくださって。じゃあ、今まで作りためた中から選んた曲をそれぞれのイメージに合う人に歌ってもらって、ソロ作品集にしようと思ったんです」
――それが1stアルバムの『WORLD'S END VILLAGE -世界の果ての村-』になるわけですね。ヴォーカリストやプレイヤーはどのようにキャスティングしていったのですか?
「様々なライブに足を運んだり、こんなイメージの歌い手はいないか?と色んな友人知人に尋ね回ったり、ネットで探したり、そうするうちに人が人を呼ぶ感じで自然と色んな候補が集まってきました。1st制作当時の2008年頃はMySpaceが流行っていて、様々な国の人が自分の音楽を発信していて、そこで見つけたジュリア・マルセルっていうポーランドの歌手の歌声を聴いて、彼女しかいない!と思い私からメッセージを送りました。その後データのやり取りによる制作を経て、レコーディング時には日本に来てもらって一緒にスタジオに入りました。遠隔レコーディングで作っているのは2ndからなんですよね」
――未知瑠という名前は本名ですか?
「本名です。旧姓は飯田で、ユニットをやってた時も“飯田未知瑠と誰か”っていう表記だったんですけど、ソロで出すとなった時にちょうど結婚して名字が変わるタイミングだったこともあり、単なる“未知瑠”にしました。この1stアルバムの時点でひとつの私の集大成的なものができたと思いますし、反響も色々ありました。そうして(未知瑠というアーティスト像が)できた感じです」
――1stは“World's End Village / 世界の果ての村”を舞台にしたコンセプチュアルなストーリー仕立てのものになっていますね。これは最初にストーリーを考えてから曲を書いていったのですか?
「私にとっては全くストーリー仕立てと意図してなかったんです。7曲中4、5曲くらいは元々あった曲なんですよ、ユニット時代に作った曲だったり。1曲目の〈世界の果ての村 / 始まりの祭礼〉や7曲目の〈レテ<忘却の河>〉は別の仕事のプロジェクトで作ったものを篠崎さんが“入れよう”って言うので入れたんです。それを全部通して聴くとストーリーというかひとつの大きな世界になっていて、私自身驚きました。その辺は篠崎さんのプロデュースの力ですね」
――ということは、歌詞もすべてイメージを伝えて書いてもらったというわけではない?
「2曲目の〈鉛の兵隊〉はアンデルセン童話の『鉛の兵隊』をモチーフにしてくださいって言って書いてもらいましたね。それ以外は、ザックリとしたイメージの枠組みだけバンッと伝えて、後はお任せで書いてもらっています」
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――ファンタジーの世界を構築していくのが好きなのかなと思っていたのですが。
「そうですね。今よりも、1stアルバムを作っていた時のほうがダーク・ファンタジーに寄っていた気がします。女性ヴォーカルがとにかく好きだったんです、当時」
――曲ごとにそれぞれのイメージに合ったヴォーカルを起用するのではなく、自分で歌おうとは思わなかった?
「なかったですね。私の声より魅力的な歌い手は世界には沢山いて、私はもの凄い声フェチなので(笑)、“自分は歌う人じゃない”と思ってました。(自分の声を加工して使ったりとかは)実はちょいちょいやってはいるんですけど、わざわざ分かるようにはしていないです。効果音みたいなもの(笑)」
――1stアルバムがトータル・コンセプト・アルバムになったのは、外間隆史 さんによるジャケット・イラストなどのアートワークによるところも大きいと思いますが。 「出来上がった音源を外間さんに渡して、そこからアルバム『WORLD'S END VILLAGE -世界の果ての村-』というアルバム・タイトルと、ジャケットの絵が導き出されたんです。音楽の中から見えたものを外間さんがヴィジュアル化して下さいました」
――ジャケットの女性は優しいようでいて、銃も持っていて……。
「攻撃性を秘めている、みたいな。本当によく絵で表してくださってますよね。私自身気づかなかった自分の攻撃性を外間さんが表してくれた。この女性は世界の果ての村の守り神的存在だって外間さんはおっしゃってました」
――村の守り神であったその女性が、最新2ndアルバムの『空話集 アレゴリア・インフィニータ』では村から外の世界へと出て行ってしまいますよね。
「はい。ざっくりまとめてしまうのはどうかと思うのですが(敢えてまとめると)、この守り神であった少女がタブーを犯し身ごもり、村から追放され、そして旅をしながら成長し、生命の岬に至り子を産むっていう物語がこの2ndになります」
――そのストーリーは、制作前からできていた?
「これは私自身の物語でもあると言えるんです……経緯を言うと、2011年に私自身が出産をしたのですが、妊娠の最中に3.11の震災があり、そして受け入れがたい事態が次々と起き、本当に色んなことを思い考えました。 混沌として先の見えない、何が正しいかも分かり得ないこの国で、今新しい命を生み出そうとしている。正直に言うと希望よりも恐れる気持ちが当時ありました。自問自答し続ける苦しい日々で……本当小心者ですね。 だけど、そんな私の気持ちなんか全く関係なく、お腹にいる命からはものすごくポジティヴな生命力が発せられてきて、そのエネルギーに大変驚かされたんです。まるで胎内から指令が来る感じ。“ちゃんと生きろ!しっかり栄養を送れ!めそめそ考えるな!”ってね。私の不安や苦しみなんて全くおかまい無し(笑)。お腹の命から、根源的というか原始的な生命力を感じて、私という個が抱く不安なんて長い命の連鎖からしたら何てちっぽけなんだろう、って思わざるを得なくて。 そんな話を外間さんにしていたら、ある時、テキストが送られてきたんです。それが小説みたいになっていて。それを読むと、1stのジャケットの少女が守り神としてここにいるまでの経緯や、旅に出るきっかけ、その道のりや戦い、新しい命の存在などが小説のようなストーリーとなって描かれていて。それを読んだ時、瞬間的に頭に音楽が浮かび上がり、色んなシーンの音楽が次々に聞こえてきました。 だからこのストーリーは外間さんが考えたストーリーでありつつも、私のリアルともリンクしているんですね。CDのブックレットには敢えてそのことは書いてないんですけど、日本語の訳詞を読んでもらうと何となく分かると思います。2曲目の〈渚〉ではタブーを冒して身ごもるシーン、3曲目の〈胎児のワルツ〉ではお腹の中の胎児が歌ってるシーン、で、荒れ地へと旅に出て色々感じたり迷ったりしながら、お腹の中の子はどんどん育っていき、7曲目の〈岬〉に至り出産する」
――送られてきた物語のシーンの音楽が聞こえたというのは?
「ストーリーから瞬間的に音が聞こえてくるということは、私はよくあります。外間さんが書いたストーリーの世界観や、それぞれのシーンから聞こえる音、それらを1つ1つ楽曲として具現化して行って出来たのが2nd。なので、2ndはある種のサウンドトラック的なアルバムになりました。そこが一番、1stとは違うところですね」
――サウンドトラック的といえば、近年はドラマ等のサウンドトラックも手掛けられていますが、その場合も同じ作曲方法で?
「そうですね。最近、映像音楽を作らせて頂く機会も増えきてるんですけど、音楽を作る時点でまだ全く映像が無い事も実は多いんです。台本や企画書や絵コンテを見ておいて、打ち合わせで監督がどんな切り口、トーン、空気感、等をイメージしているのか?等を聞いていると“あ、聞こえてきた!”という瞬間があります。作曲するときは、そのシーンにどういう音が聞こえるか、耳をそばだてながら探って行く感じ。そうして聞こえてくる音を自分の言葉で具現化していく作業が、私にとっての作曲のような気がします。ゼロから意気込んで曲を作ってるんじゃなくて、何か別の要素から聞こえてくる音を具体化しているだけ、とも言える(笑)」
――自分の思いを自分の言葉で歌うシンガー・ソングライターのようなタイプではないわけですね。
「たしかに、“伝えたい自分の思いを歌う”というのとは私は違うかな。物語や脚本や絵などの外部刺激からインスパイアされた発想を、私を媒介として音楽に変換しているという感じ」
――創作活動には、降ってきたアイデアを形にしていくという面がありますよね。大仰に言えば、ある種、巫女的というか。そういう“アイデアが天から降ってくる”感覚と、未知瑠さんの“別の要素から聞こえてくる音を具体化する”という行為は、近いものなのでしょうか? それとも、まったく異なるものなのでしょうか?
「巫女的って言ってしまうと……なんか怪しげですが(笑)、でも、うん、ある意味その方向なんですが、もっと私にとっては巫女とかよりも身近でリアリティーのある感じ。だって人ってみんな想像力があるからこそ、人の話を聞いて状況を思い浮かべたり、小説を読んで登場人物の心情やシーンを想像したり、物語の背景や伏線に思いを巡らせたり、するわけですよね?それに近いって言えば伝わるでしょうか。その“音楽ヴァージョン”とお考え頂けたらと」
――前のアルバムは色々な音楽が複雑に混ざり合っていましたが、今回はシンプルに整理された曲が多い印象を受けました。それは、聴こえてきたのがそういう音だったからなのでしょうか?
「はい、そうだと思います。前作から通じる混沌としたエネルギーがありつつも、幾つかの曲ではより削ぎ落とされたシンプルな構成になりました。1stはどの曲も濃密で、アルバムとして重過ぎるという反省点がありまして。当時の私の集大成と言ってしまえば、それはそれで良いのかもしれませんが。でも、この反省を生かしたいという思いもあり、2ndではもう少し俯瞰してアルバムの世界を見わたし、1曲1曲の在り方を考えてバランスをとることを心がけました。色々な要素を間引いて、シンプルにしていったんですね。よく言えば大人になったというか。そこも1stと2ndの大きく違う部分です」
――ヴォーカルには前作に続いてジュリア・マルセルが参加していますが、他にも実に国際色豊かな面々が参加していますよね。1曲目の「ウタの森」の……このサーミ人の方の名前はなんと発音するんですか?
「トールゲール・ヴァツィックだと思います。サーミ人という民族は、日本で言うとアイヌのような位置づけなんですって。ノルウェーの北方の先住民族で、神秘的な儀式や音楽が残っているんですね。サーミのヴォイスって独特の発声法で、ホーミーにも似た不思議なヴォイス。サーミの歌がヨイクと呼ばれますが、そのヴォイスや楽器を1曲目に採り入れています」
――5曲目の「粗目糖」のルーベン・ゲルソンは?
「オランダのバス歌手です。太っちょな小人のオペラ歌手がチョロチョロッて出て来て、悩みの中にいる主人公をあざ笑うかのようにシニカルに歌って去っていく、という(笑)。そういう、物語をひっかきまわす小悪魔的なトリックスターのイメージを出したくて。そうであればあるほど、本物のバス歌手がいいなと思って探してると、ヨーロッパのオペラシーンで活躍している芸大時代の友人の紹介でルーベンと出会いました。私はいつも色んな歌い手や演奏家を探していて、色んな人にそれを言ってると、不思議と必要な時にちゃんと出会えるんです」
――最後の「ハッシュ」はロック調の激しい曲で、アルバムの中では異色ですね。
「2ndはストーリーが最初にあって音楽が出来たのである種のサウンドトラックのような作り方をしていて、例えば1つの映画だとしたら、8曲目の〈浮民の市場〉までが本編。そして最後の〈ハッシュ〉はエンドロールになります。実際に外間さんが書いた物語では、実はここまででまだ3分の1ぐらいまでのところ(笑)なんです。次の世界を予感させるようなエンディング曲として、9曲目の〈ハッシュ〉を作りました」
――ということは、次回作はこの続編になる?
「外間さんから届いた物語はまだこの後も続いているので、やってみたいなとは思います」
――このストーリーはどこにも発表していないんですか?
「発表していないです。ブックレットに載せるとか、電子書籍みたいな感じで発表するのはどうかとも思ったんですけど、そうすると聴く人の物語を限定しちゃうかなって。ある意味すごくプライベートな私の物語でもあり、それを前面には出すことはせずに(取材等でこうしてほんの少しお話しするのは1つの裏話として良いかな思うんですけど)行こうと。あんまり限定してしまうとエゴの強いものになるかなと思って。それよりは、リスナーに自由に想像して楽しんで頂けたらいいんじゃないかな」