MARONASTY / KAZUHIRO IMAI
――最初の質問はベーシックに。いつごろから絵を描き始めたんですか? 改まって訊いていきます(笑)。
「描き始めたっていう意識がないくらいの頃から描いてるね。子供の頃から。ゴレンジャーを描いたのはよく覚えてる。ゴレンジャーわかる? コスチュームの胸に線が入ってて、赤は1本、青は2本……って増えていくんだけど、5本まで描かなあかんからどんどん胴が長くなっていくん。それで“なんでこんな胴長なんだろ、俺ヘタやな”って思った」
――イマイさんの中で、絵を描くことと音楽がつながったのはいつですか? やはりフライヤーから?
「パンクを聴きだしたときに絵のことはあんまり関係なかった。かっこいいパンクになりたいなってところで、革ジャンに絵を描きだしたのかな。紙に書くよりも難しいし、色も乗らないし、“失敗してもいいわ”って勢いでいつも描いてた。この画集にも、着てる友達の写真を載せてるけど、ジーンズの右足と左足にデビルマンと
日野日出志の地獄変を描いたり。革ジャンとかに描いたり、入れ墨を彫ったりしてたのは1984-5年ごろから。ヤスエ(SxOxB)はじめ同世代の街のパンクスと知り合ったんもこのころかな。段々と大阪、神戸、滋賀、奈良と仲間が増えてコメット(HARDCORE KITCHEN)とも知り合った」
――ヤスエさんとの付き合いは高校生の頃からなんですね。
「高校生なりにタトゥー・マシンも自作して。その時バンドも一緒にやってた奈良の友達がいて、S.M.Tってバンドもやってたんやけどそいつに教えてもらった。これは関西全域で発展した感じなのかな。最初は割りばしに針を付けるだけだったんだけど、そのうちモーターを付けたり、髭剃りを加工したり……。ここまで来たら割りばしはいらんのやけど、なぜか割りばしはずっと残ってん(笑)。京都、大阪、神戸で15人くらいは彫ったんちゃうんかなあ。今みたいに携帯のカメラがないから写真とかも撮ってないしな。服も写真があんまり残ってないんだけど、画集に載せてる白雪姫の絵の革ジャンは偶然ネットで見つけた。バイクのエンジンを画像検索してる時に発見してびっくりした。これ、30年くらい前に、持ち主が家出少女を家に泊めたらそのまんまパクられて(笑)、流れ流れて今は四国のバンドの人が大事にしてくれてるみたい。俺が描いたことも知らんやろうし、コンタクトはとってない(笑)」
TRASH WORKS 1982 TO 2015 THIS IS NOT ART,THIS IS LIFE
――パンク・ファッションとして、絵があったということですね。
「初めてハードコアパンクのライヴに行った時に、たまたまBONES(京都初のハードコアパンク・バンド)のメンバーがいて、吉田くん、関くん(SxOxB)、フンニャラくん(ASTRO ZOMBIES / ex-
CITY INDIAN)の鋲ジャン見て“あの人らについてったらライヴハウスにたどり着ける”って後をつけていって(笑)」
―― BONESの方と知り合ったことがSELTIC FROST(京都で活動していたハードコアパンク・バンド)のフライヤーを描くことにつながったんですか?
「SELTIC FROSTにはその時一緒にバンドやってたヤスエも参加してるし、先輩らと知り合う前に同世代の仲間らと出会ってるね。俺ら最年少やったから、子供だと思われてたんやろ。それは、今でも(笑)。BONES先輩にも解散間際のころにやっと“絵うまいな”って褒めてもらったなあ」
――イマイさんが描いたデビルマンをPUSHEADが見て、描いた作品があるんですよね。 「俺らのを見て描いたのが初めてなのかは知らないし、以前に描いてるかもしれないけど。2回目にPUSHEADが来日した時……俺らが16歳くらいかな。皆で会いに行ったら、俺らの仲間が皆服に描いてたデビルマンの絵を見てか、その夜フンニャラくんの家でPUSHEADがデビルマンを描いたんだよね。話は聞いてたけど最近はじめて見て、めちゃめちゃ完成度高くて、ちゃんとガイコツになっていて(笑)」
――ASTRO ZOMBIESの事務所に飾ってありましたね。
「PUSHEADのデビルマンは、90年代にココバットのジャケットで描いてたのが初見やったし。……そういえば昔、京都のDEADENDで『CLEANSE THE BACTERIA』の発売前の広告を見て、この絵を描いてる人がPUSHEADだってつながったんかな。もう知ってたかも知れんけど、家のレコードあさったら何枚もPUSHEADの作品があることに気が付いて、この人は分かってこういう作品を描いてる人なんやって思ったな。俺は、Marc Rude(
BATTALION OF SAINTS、
MISFITSなどのアートワークで知られる)とPUSHEADの絵を見てから一生懸命描きだしたんちゃうかな」
――影響を受けたってことですね?
「コミックのかっこよさでもない、一枚の絵としての説得力があるから影響を受けたんだろうね。Marc Rudeの点描は、こんなん絶対やるの無理やって思うやん、でもやってみたら出来た(笑)。パンク・バンドが3つコード覚えたら始めるみたいなとこあるやん、そんな感じ。ペン持てるから描いちゃったみたいな(笑)。その後、1986年ごろになるのかな、高校やめて部屋にこもってずっとガイコツの絵を描いていて。親は心配して、悪霊が憑いたんじゃないかって本気でお払いに連れていかれた(笑)。俺は心配しすぎやろって(笑)、これはいいネタになるって面白がってた。婆さん20人くらいに囲まれて火を焚いたりスゴかったで(笑)」
――画集の序盤に載せている写真ひとつひとつに物語がありますね。
「この頃はすべて勘で一番いい方法を見つけて、なんとかやってた。もともとパンクが好きで。今もそれだけなんやろうなあ。無用の用とでもいうか、後からなんらかの役割を担ってしまったようなものなんやろうな」
――“無用の用”というと?
「俺の実家は元々骨董屋なんやけど、浮世絵って昭和の初めころに伊万里とかのお皿を包む紙として使っていて。外人さんがその包み紙に気が付いて、価値を見出してアートになった……無価値とされてるモノに価値を見出すみたいな、そんな感じやろか。次の世代の人たちが転がしてくれたら、ライヴのフライヤーは浮世絵になる可能性はあるかもしれないね(笑)。SxOxBも最初は逆輸入的な評価があったと思う。当時速すぎで何が起こってるかわからない人も多かったんじゃないかな。どこに価値を見出すかは、世代によって変わっていくもんなんやろうし」
――HARDCORE KITCHENからこの画集をリリースした経緯について教えてください。
「主宰のコメットが前から友達やし、ずっと出そうっていうてくれてたから。レーベルの立ち上げ時期に絵も描いたし、お互いにいろんなアイディアがある中でタイミングがうまくあって出版できて、ありがたいことだと思ってる。こういうものに興味がある人が手に取りやすいレコード屋さんに、ZINEの延長線上で並んでいることがいいと思って。マロちゃんのTREMATODAのきっかけは?」
――TREMATODAは、イマイさんやヨッシーさん(yossie THRASHGRAPHICS from SAVAGE SUPPORT)、タカクラさん(TKKR THE ART DEMON)の活動がほとんど発信されていないことをなんとかしたかったんです。音楽、パンク・シーンとリンクしてイラストやアートワークを手がけているアーティストの母体になれれば。まず各々がどんなことをやっているかを皆さんに見てもらえればと思って、最初にZINEをリリースしました。これはライヴ企画みたいなもので、いくつかまとまったら場所を借りて展示出来たらいいなと思っています。
「俺らはマロちゃんに協力というか、対バンみたいなモンやね。それぞれのやり方や、やりたいこともあるし、タカクラくんはZENTERPRISEを主宰しているし、ヨッシーも独自の方法を追求してる、これはマロちゃんのわがままやな(笑)」
――はい(笑)。TREMATODAをきっかけにバンドの人に見てもらえたり、海外にも発信していければ。次にリリースするZINEは僕がキュレーションをして、最初のメンバー以外の作品を集めています。イマイさんは、作品として一番数が多いものはアルバムのジャケットだと思うんですけど。
「自分とこのアルバムもやってるし、そうね、SxOxBxの1stは、バンド自体の圧倒的な力、服装やアートのセンス、時代の空気感、も含めて世界的に評価されて、確かにすごい数が売れたと思う。このことは絵を描き続けている力のひとつになっているし、あれが売れてなかったら漫画家になってたかも。今でもなりたいけど(笑)」
――何か心がけていることはありますか。
「あせると線が荒くなるから、一休さんじゃないけど“あせらない、あせらない。一休み、一休み”ってところかな。最近ではSKULL SKATESに提供した絵はものすごく集中して描けたのを覚えてる。……といっても俺、全部ベッドで寝ながら描いてるけどね(笑)。胸への圧迫感は半端ないけど、机がないから」
――モチーフにちゃんと意味がありますよね。
「ちゃんとルーツや原本を調べてたりすることも好きだから、例えばバフォメットは伴うアイコンやモチーフを揃えて描いてる。キャラクターとして描いているわけではなくて、原本に意味がある場合はその意味を含めて成立させたい、ファンタジーにならないようには気を使ってる」
――絵を描くこととバンド、どちらが楽しいですか?
「セットになってるからなあ。どっちも楽しいね。どちらも継続して淡々とやっていこうとおもってます。まわりの状況はいろいろ変わるけど、画集を見てのとおりずっと一緒やもん。テクニカルな、技術でねじ伏せるみたいな絵もギターも俺は目指してない。まだまだ至らんと思うから、より良きを目指すけど、POPARTのようなデフォルメをしていくことだよね。パンクでいうSHORT, SHARP, SHOCKというのと繋がってる。自由に自分が納得できるモノを作っていける生活、それもこの画集のタイトル“THIS IS NOT ART,THIS IS LIFE”につながっているのかな」
取材 / MARONASTY, 構成 / 服部真由子(2015年10月)