アーノンクール、
クレーメル、
アバド、
小澤征爾……世界の巨匠と数々の共演を重ね、ソリストとしてはもちろん、室内楽やオーケストラの分野でも活躍しているハープ奏者の
吉野直子。その歩みのスタート地点となったイスラエル国際ハープ・コンクールでの優勝から30周年を迎えた2015年、2枚の新しいアルバムが録音され、同年末から今年初めにかけてリリースされた。
デビュー30周年という節目の年に自身のレーベルを立ち上げ、一大プロジェクトをスタートさせた吉野。だが、そこに気負いはまったくない。彼女の紡ぎ出す音楽同様、すべてが自然な流れの中で結実していったようだ。
『ハープ協奏曲集』
『ハープ・リサイタル 〜その多彩な響きと音楽』
――まずは、フランスのAparteレーベルからリリースされた『ハープ協奏曲集』のことからお伺いします。今回共演したロベルト・フォレス・ヴェセス指揮オーヴェルニュ室内管弦楽団について、吉野さんは「赤い糸で結ばれたような出会いは、今まで経験したことのない本当に特別なもの」とコメントされていますが(アルバムのブックレット記載)、どんなところにビビッときたのでしょう?
「彼らとの最初の共演は、2013年5月の日本での
ラ・フォル・ジュルネで、曲目は〈アランフェス協奏曲〉などでした。リハーサルの時間があまり取れない中、“みんなでいい音楽をやろう!”というオーケストラの熱意がすごく伝わってきたんですよね。指揮のロベルトさんもリハーサル終了後に、私と2人だけの打合せの時間を作ってくださったり。その結果、本番も楽しく演奏することができて、とても強く印象に残っていました。そして彼らも私のことを憶えていてくれて、翌年の夏にオーヴェルニュに呼んでくださり、一緒にコンサート・ツアーをしました。そこからアルバムの録音へと発展していきました」
――まさに運命に導かれるように、録音へとつながっていったのですね。アルバムに収録されたフレッシュな演奏からも、息がぴったり合っている様子が伝わってきます。オーケストラというより、吉野さんも含めた一つのアンサンブルのような。
「そうなんです。オーケストラの一人ひとりがお互いの音をよく聴き合って、繊細で美しい音色を作り上げていく。ハープの微妙な音色の変化にも、とても細かく反応してくれて、コミュニケーションが本当にうまく取れました」
――「アランフェス協奏曲」はギター版がオリジナルですが、ハープ版はまた違った魅力がありますね。
「ハープ版はロドリーゴ自身が編曲したもので、ハープでの演奏に適していない数ヵ所を除けば、楽譜はギター版とほとんど同じです。それでも楽器が変われば、だいぶ違って聞こえますよね。ハープのほうが音が柔らかくて、響きも丸いのでは、と思います。ギターの鋭い響きの代わりに、ハープ版では、より拡がりのある豊かな響きと明るい音色が特徴ではないかと思います。どうすればハープをいちばん綺麗に響かせることができるか、ハープらしさを出すことができるのかを考えながら、演奏しました」
――では次に、ご自身のレーベルからリリースされた『ハープ・リサイタル 〜その多彩な響きと音楽』について。ディスコグラフィを確認して驚いたのですが、ソロ・アルバムは1998年の録音以来なのですね。
「私も驚きました(笑)。デュオやコンチェルトなどの録音はしていたのですが、ソロはたまたま機会がなくて……気がついたらこんなに時間が経っていたという感じです。でも、今と20年近く前とでは演奏もずいぶん変わってきていますし、CDを買ってくださる方にはやはり、“今の自分”を聴いていただきたいと思うようになって、そう考えたとき、今の自分がいちばんやりたいことを、無理なく自由に表現できる形として、自主レーベルが良いのでは、という結論になりました」
――今回の収録曲の中で、トゥルニエの「朝に」、リスト / ルニエ編の「愛の夢」第3番、ルニエの「いたずら子鬼の踊り」は、デビュー・アルバム(1987年録音)にも入っていましたが、やはり今の演奏とはだいぶ違いますか? 「そうですね、音楽の根本の部分は変わっていないと思いますが、昔は若さと元気でバーッと勢いよく弾いていたところも、今では、“ここの、この音の色をもうちょっと出したいな”とか、“この部分にもっと光を当てたいな”などと、より深く味わって弾くようになったのではないかと思います。同じ曲をコンサートで何回も演奏するうちに、新たに発見する部分があったり、より愛着が湧いてきたりもします。今回は、デビュー・アルバムに限らず、過去に録音した曲もすべて含めた中から、自分があらためて大切にしていきたい作品を選んだ結果、5曲が再録音となりました。ハープのさまざまな“顔”を聴いていただけるプログラムになったと思います」
photo ©Akira Muto
――ハープのために書かれた曲だけでなく、もとはピアノの曲なども収録されていますが、ルニエが編曲した「愛の夢」以外はすべて、オリジナルの楽譜のままハープで演奏されたそうですね。
「
ドビュッシーの〈月の光〉や
ブラームスの〈間奏曲〉作品118-2は、もともと大好きな曲であるうえに、同じ楽譜を別の楽器で演奏することによって、オリジナルとはまた別の“良さ”が出るのでは、と思います。今回のアルバムでは、そういう発見をぜひ伝えたいと思いました。それとは反対に、ほかの楽器のために書かれた曲を、“好きだから”や“素晴らしい曲だから”などと言って、ただ闇雲にハープで演奏しても、ハープで弾く意味が見出せない場合もあります。“オリジナルのほうが良かった”と言われてしまっては面白くないので、やはりハープで弾く意味のある曲、ハープによって新たな魅力が引き出されるような曲を選んで弾いていきたいと思っています」
――アンリエット・ルニエ(1875〜1956年)の曲が3曲収録されており、このアルバムの核になっていますね。吉野さんは孫弟子にあたるとのことですが、ルニエとはどういう人物だったのでしょう。
「ルニエは、リリー・ラスキーヌと同時代に生きた、フランスの天才女性ハープ奏者で、非常に優れた作曲の能力の持ち主でもありました。ハープという楽器の可能性を拡げるような、ドラマティックでスケールの大きな作品を数多く書いて、ハープの新しい世界を見せてくれた、まさにパイオニア的存在です。ルニエの作品は技術的に難しいのですが、彼女自身がハープを知りつくしているために、けっして無理のある難しさではないところが素晴らしいと思います。ドラマティックな作風とは反対に思えますが、本人は非常に小柄で、信心深いカトリック信者だったそうです。アルバムの最後に入れた〈黙想〉には、そんな彼女の祈るような気持ちがよく表われています」
――30年にわたって世界の第一線で活躍されてきた吉野さん、ずばりハープ奏者に必要な能力とは、どんなことだと思いますか?
「どの楽器にも共通することかもしませんが、いちばん大切なのは、自分が出している音を客観的に聴ける耳を持つことだと思います。自分の音がちゃんときれいに響いているかどうか、そして音楽的な理にかなっているか、などということです。そして、ソロ、室内楽、オーケストラの中など、ハープ奏者の置かれている立場によって、その能力を上手に使い分けることでしょうか。とくにオーケストラの中でのハープの立ち位置は、ちょっと特別だと感じます。分類としては弦楽器なのでしょうが、同時にどこにも属していないというか、作品によってさまざまな役割を持たされるのです。作曲家によってハープの使い方が違うので、ときには打楽器みたいにリズムを示したり、管楽器のメロディーを美しく伴奏したり、あるいは音一つだけで作品全体の色をパッと変える役目をしたり……。このように、自分が今ハープ奏者として、何を求められているかをイメージする能力がとても大切だと思います。求められるものが毎回違うのは大変ですが、とても楽しくもあります」
――今後、5年間にわたる録音とコンサートのプロジェクトを通して、私たち聴き手はハープのいろいろな顔を知り、より身近な楽器になっていくのでしょうね。とても楽しみです。
「自分が今までやってきたことのまとめでもあるのですが、同時に新たな一歩でもあると思っています。今後もプロジェクトの中で、新たな作品との出会いや、これまで弾いてきた作品について新たな“気付き”があると思うので、私も楽しみにしています」