――アルバムの制作にはいつ頃から取り掛かったのですか?
鈴木慶一(以下慶一) 「1枚目のアルバムが出たのって、2013年?」
KERA 「の11月6日ですね」
慶一 「その日にレコーディングし出したんだ」
――間髪入れずに新作に着手したのは、次のテーマみたいなものが見つかったからですか?
KERA 「勢いがついたってのがあったと思います。へんてこりんなものができちゃう面白さ」
慶一 「きっかけとなる曲は、カヴァーの〈君も出世ができる〉かな」
KERA 「レコーディングの2〜3日目に唐突にね。“これどうですか?”って僕が提案しました」
慶一 「俺、2013年まではその映画、観たことなくて。DVDを買って観たら、面白かったね」
KERA 「僕は、ロードショーの時は赤ん坊なんですけど、(親に連れられて)観に行ってるみたいなんですよ。東宝の社運をかけた日本初の本格ミュージカル映画なんですけど、大コケした伝説の対策映画です」
慶一 「撮る前に
監督が何ヶ月かブロードウェイに視察に行ったんだよね」
KERA 「そうそう。主演のフランキー堺よりも
植木 等がワンシーン・ゲストで出た時に受けちゃったっていう、かわいそうな作品です。ずうっと心にひっかかっていて。でも、他所(よそ)でこんな曲やる機会ないじゃないですか?それで、この曲ともう1曲をきっかけに、高度成長期の日本っていう背景をモチーフにやりたいと」
慶一 「64年ならまかせてくれ。私は東京オリンピックを観た(笑)」
――60年代の日本を再発掘していくという行為は、既に90年代にDJ的な視点で行なわれてきましたよね。主にモダニズムの視点から。今観ると、このファッションやインテリアや音楽がオシャレだよね、みたいな。
KERA 「ですね。渋谷系の頃からありましたよね」
――でも、ここでの昭和をとらえる角度はそれとは……
KERA 「まったく違いますよね。のっけに慶一さんが提出してきた歌詞がともかく強烈で、ガツンとやられた。慶一さんの書く詞って僕より生々しくて生活感があって、でもなんかちょっと地面から浮いてるような不条理さもある。思いもよらない詞が次々と出てきて、度肝をぬかれたんですよ」
慶一 「歌詞書く時は(できあがったものを一番最初に)KERAが見るわけじゃん、当然。(KERAは)劇作家だから、こちらもちょっと気合が入る(笑)。“これでどうだ!”みたいな感じはあるね」
――実体験もネタとしてかなり盛り込まれているのですか?
慶一 「まず1964年をワーッて検索するわけだよね。知ってることもある。知らないこともある。忘れてたこともあり色々なことを思い出す。それでその周辺をあさっていくと、思いもよらないものが見つかったりする。今回ちょっと現代音楽的なのも入ってるけど、63〜4年とかにあったような音楽かもしれないね」
KERA 「そうかも。あの頃は映画音楽も仰々しかったしね。前衛的な音楽も多かった。
武満 徹とか。小説で言うと
安部公房とか、あの辺の薄気味悪さがアルバム全体に感じられるんですよ」
慶一 「
大江健三郎の小説
『性的人間』(1963年)の不快な快感というか。ヒッピー登場以前だからね。ラブ&ピースじゃないから(笑)」
KERA 「渋谷系以降取り上げられているオシャレな昭和感っていうのは、アイコン並べればある程度の雰囲気を、なんとなく成立させられちゃうじゃないですか。そうじゃない、もっと根深い闇を感じますよね。面白いなと思って、すごく刺激されたんですよ。“そうか、高度成長期の闇の部分ね、今回は。”と勝手に解釈した。ともかく、僕がまごまごしている間に慶一さんのほうから続々と詞ができてきて、この曲にこんな歌詞がのるかって逐一驚いた(笑)。繰り返しが一切ない歌詞とかね」
慶一 「やってる瞬間は勢いつくんだよね。で、(他の作品制作やライヴにとりかかって)しばらくやってないと、忘れちゃう。ようするにアルバムを作ってるんだけども、自分の遥か過去の作品を聴いてそこそこ勢いあるじゃんと思うのと同じ感覚だね。で、もう1回アルバム用に作っていく。だからこのアルバムは、一気に全部作ったわけじゃない。点点点と。それが功を奏したかな」
KERA 「途中でかなりブランクがあって、またレコーディングを再開した時に、ゴンちゃん(
ゴンドウトモヒコ)からゴソッと(それまで作った曲のデータが)送られてきて、“わあ、俺たちこんな奇妙な曲作ってたのか!”って。忘れてるんですよ、本当に。もちろんすぐ思い出すわけだけど、それでも新鮮なんですよね。制作過程の中でこんなに新鮮な気持ちを抱くことって、めったになくて」
慶一 「KERAはその間に芝居を作っていたりするし、(有頂天やシンセサイザーズでの)音楽活動も入れたらすごい量だからね。そのすごい量のあいたところでNo Lie-Senseをやる。そうすると、妙な勢いがつくんだよな」
――その勢いで、他ではできないことがどんどん取り入れられていくと。
KERA 「計算はさほどしていないんですよ。でも久しぶりにオケを聴いたりすると、独自性がすごいよね。間違いなくここにしかない音楽ですよこれは」
慶一 「それで歌詞がかぶったりするね。かぶるというより意図的にKERAの歌詞を抜き取って(歌詞の中のキャラクターに)高橋、山下ときたかと。すごいなこれは。てことは、“自分の書く詞にも、この高橋と山下使っていい?”って(笑)」
KERA 「(歌詞に山下と高橋というキャラクターが出てくる)〈塔と戯れる男2人〉っていう曲を僕が最初に書いて、それを聴いた慶一さんが〈オペラ 山下高橋(悲しき靴音 いや、ゆゆしき死の音)〉を書いて」
慶一 「山下と高橋が2人で歌うのにしようと。相手の出方によって色々なものが生まれていき、変わっていくんだよ」
KERA 「作曲の段階からそうですね。大体僕の方が遅いので、慶一さんの曲を並べて聴きながら、アルバムのバランス的に何が足りないか、他にどんな要素があると面白いかを考えながら自分の曲を作る」
慶一 「私はそういうこと考えずにとにかく作ってる感じ。それでKERAにそういう風に(俯瞰で)観てもらう」
KERA 「僕もそのほうがやりやすいかな」
――そういう作り方が、最終的にNo Lie-Senseとしての独自性につながっていくわけですね。
KERA 「No Lie-Senseとして、参照すべきものとそうじゃないものっていうのは、話し合わなくてもおのずと選択されていってるような気がしますね。すでに他人が大々的にやってることって、今さらNo Lie-Senseがなぞる必要がないし。個人的にムード歌謡みたいのをやりたかったとか、そういうのはありますけどね。エレキのアレンジに琉球音階取り入れてみたかったとか。でも、それも自分が他でやってるユニットやバンドでは絶対できないことですから」
慶一 「他のバンドじゃあ、〈君も出世ができる〉はカヴァーしないよね、きっと」
KERA 「しないですね。物理的にはできないことはないけど、例えば有頂天でやったらきっとロック的になっちゃう。これをロックでやるのって、今は面白いと思えない」
――高度経済成長には当然、影の部分もあったわけですが、このアルバムではそういったネガティヴな部分がたくさん盛り込まれています。公害が社会問題として表面化してくるのは、この時期よりももっと後ですか?
慶一 「公害はですね、この時期ですよ。まさに」
KERA 「この時期なんだ。でも当初はまだ政治家やマスコミはそれをあんまり直視してませんでしたよね」
慶一 「公害はモロにあびてますから。俺、1964年に中学に入学したんだけど、その年ぐらいから工場の煙が校庭に入って来て、3m先が見えなくなるんだよ。で、とにかく害があるというのはその時期に分かってきて」
KERA 「でもオリンピックの時期だから、それをあんまり問題化するとまずい」
慶一 「それでオリンピックが終わった後に問題化してきた」
KERA 「あれはまったく子供向けじゃなかったですもんね」
――そういうトラウマを、このアルバムは当時を知らない人たちにも植え付けるようなところがありますよね。
KERA 「他の取材で慶一さんが“子供の頃観た映画がトラウマになった”って言ってて」
慶一 「
『二十四時間の情事』とかね。それで自分のトラウマを言葉にして、他人のトラウマにさせる。トラウマの伝染(笑)。ひどいなあ」
KERA 「だから、はるかにたち悪いと思いますよ、2ndのほうが」
――KERAさんのソロ・アルバムでも成長期に向かう東京が描かれた曲をとりあげていましたよね。 KERA 「〈復興の歌〉とか〈東京の屋根の下〉とかね。でもこれに比べると、あの2曲なんて平和なもんですよね(笑)」
慶一 「奇しくも私は12月に
ソロを出し、KERAは1月にソロを出し、そして4月にNo Lie-Senseが出る」
――慶一さんのソロ・アルバムにも昭和が出てきていましたよね。
慶一 「歌詞はその前にNo Lie-Senseの歌詞を作ってるんで、当然インフルエンスとして出るよね。ここまで演劇的と言っていいのか、昭和的と言っていいのか分からないけど、ソロではここまでハチャメチャ感はないと思う」
――しかもNo Lie-Senseのこのアルバムは、ハチャメチャなんだけど、明るくはないんですよね。
慶一 「ハチャメチャな明るさに行くと、たぶん
青島幸男さんとか(
クレージーキャッツ)のところにいくんではなかろうか。それよりは……」
KERA 「危険だよね。危険な感じ」
慶一 「(クレージーキャッツの)ハチャメチャはポップエリアの中のハチャメチャなんだよね。よくできてる」
――こっちはポップエリアというよりは、現代音楽の人たちがハチャメチャなことをやってる感じというか。
KERA 「現代音楽の人たちもそうだけど、
岡本太郎とかさ、あのへんの前衛芸術家たちが夜な夜な集まって酔ってケンカしてたりとか。そういうアナーキーなイメージはあるかもね。あとほら、東京オリンピックでも、選手たちのような、脚光を浴びる表方じゃなくて、利権に目がくらんだ土建屋とか、水面下で暗躍したうさん臭い人たちとか。彼らによって色々餌食になってった人たちとかさ。直接的にそういう人たちを歌ってるわけじゃないけど、そういうダークサイドのほうが作品としても興味がある世界だし」
慶一 「血を売買するとか、売春をするとかさ。(曲には)そういう匂いもどこかにあると思うんですよ。死体洗いのバイトの話が出てくるのは大江健三郎の小説だっけ?」
KERA 「大江健三郎の
『死者の奢り』ですね。主人公が水槽の中の解剖用の死体を洗うバイトをしてる」
――大江健三郎とか安部公房とか、あの頃の文学の匂いがこのアルバムには確かにしますよね。
KERA 「でもこれ、できてみて言ってることだけどね(笑)。「今回、大江健三郎でいきましょう」なんて、一言も言ってない(笑)」
慶一 「〈オペラ 山下高橋〉はモロに現代音楽の影響だね。前の日に観たオペラを「これいいなあ」って思って、作っちゃった」
――アヴァンギャルドな人たちが実験的な芸術活動を繰り広げていた、60年代の草月ホールの雰囲気を出そうとしたわけではなく?
慶一 「ない(笑)」
KERA 「でもたしかにそういう風にも聴けますよね」
慶一 「そういう音楽も耳に入ってたんだろうな。(
黛 敏郎が司会をしていた頃の)『題名のない音楽会』とかで」
――そういう記憶の断片が複雑に入り混じったことで、さらに変テコな作品が出来上がってしまったわけですね。
慶一 「高度成長と言いながら、戦後20年のあいだのネガティヴなものをどんどんブチ込んである(笑)」
KERA 「No Lie-Senseの1枚目は、1曲目が慶一さんがいの一番に作ってきた〈けっけらけ〉っていうキャッチーな曲で、あとお互いのバンドの過去の曲をカヴァーしたりとか、変テコさが分かりやすかったんですよ。ポップな歌詞にしようという意味も、今思えば少なからずあった。でも今回、そういうのは皆無だから(笑)。もっと得体のしれない、つかみどころのないものになっている。聴けば聴くほど心の潜在的な部分に訴えてくる作品になったと思いますね」