アイヌ語で“蝶”を意味するマレウレウは、アイヌの伝統歌“ウポポ”を現代に蘇らせる4人組の女性ヴォーカル・グループだ。彼女たちのライヴはとにかく楽しい。メンバーが手拍子を取りつつ、多彩なリズムパターンの“ウコウク=輪唱”を展開。繰り返されるフレーズは素朴だが、4つの声の重ね方やアクセントのとり方が独特で(西欧音楽の小節感覚とはまるで異なる)、なんともいえずに心地よい。繊細なウネリに身を委ねていると、身体の中に天然のトランス感が満ちてくる。一方でMCは親しみやすくてざっくばらん。伝統を“神秘的だが近付きがたいもの”ではなく、純粋な歓びに満ちた音楽として継承、再生しようという気持ちが伝わってくる。
最新作『cikapuni』は、そんな彼女たちの“原点”と“現在”とを同時に感じられるアルバムだ。トンコリ奏者OKIのプロデュースのもと、2010年にリリースした1stミニ・アルバム『MAREWREW』の収録6曲を再録音。活動拠点でもある旭川の“チカプニ(近文)コタン”で歌い継がれる曲を中心に、ボーナス・トラックとして4つの新レパートリーが追加されている。6年を経てリテイクされたウコウクはどんな進化を見せているのか。旭川出身のレクポとマユンキキ姉妹、2人の親戚で近文の「川村カネトアイヌ記念館」を運営する川村久恵(ヒサエ)、道東の阿寒湖畔出身のリムリムというメンバー4人に、話をうかがった。
――新作『cikapuni』では、2010年にリリースされた1stミニ・アルバム『MAREWREW』の収録6曲がすべて新録され、さらにボーナス・トラックが4曲加わっています。なぜ今回、同じ楽曲を再レコーディングしようと思ったんですか?
レクポ 「私たちのなかでは、けっこう自然な流れだったんですよ。マレウレウはずっと、アイヌ伝統の“ウポポ(歌)”を自分たちなりの解釈で歌ってきましたが、ライヴを通じて熟成する部分って、やっぱり大きいんです。たとえば節回しにしても、自分が歌ってていちばん気持ちいいように自然にこなれていきますし」
マユンキキ 「声質や音域も、みんな6年前とは違ってるしね」
ヒサエ 「そう。それぞれの人生経験がいい感じで声に滲んできた(笑)。あと私たちのレパートリーは“ウコウク”と呼ばれる輪唱が中心なので。4人のうち誰から歌い始めるかとか、それぞれが輪唱に入る微妙なタイミングによって、声の重なり具合も少しずつ変化するんですね。それでトータルの印象がかなり変わってくる。そういうのも、ライヴを重ねるなかで変わってきているので」
――たしかに。シンプルな構造なのに聴き比べるとまったく印象が違うので、びっくりしました。初々しく清新な『MAREWREW』に対して『cikapuni』は全体にグルーヴがゆったりしていて……。1曲ごとの時間も微妙に長くなってますね。
マユンキキ 「そうなんです。ウコウクの場合、歌い始めを担当した人が切り上げるタイミングも決めるんですけど。歌ってるうちに、つい気持ちよくなっちゃうのね(笑)」
レクポ 「同じフレーズを繰り返しながら、1曲のなかで気分を盛り上げるポイントを作れるようになったのも大きいと思いますね。4人で一緒に、大きなウネリみたいなものを感じとれるようになった。コーラスの重心もどっしりして、安定感も増したし。それで1曲あたりの尺が伸びがちだったのかもしれません」
――プロデュースとスタジオワークは『MAREWREW』と同じくOKIさんが担当されてますが、旧ヴァージョンに比べると音像もかなりクリアになった気がします。エフェクトは極力少なくして、4人の声をストレートに聞かせる作りになっていて……。
ヒサエ 「前はコーラスがこなれてなかったから、リヴァーブで補ってくれたんだと思います。今回は“これならまぁ、商品として及第だろう”って認めてくれた部分もあるんじゃないかしら(笑)。そもそも前のヴァージョンを録音した頃は、まだメンバーがこの4人に固定されたばかりで。自分たちがウコウクを楽しむ余裕もなかった。最初はデモっぽい感じで録った音源で、リリースする予定はなかったんです」
――あ、そうなんですか?
レクポ 「はい(笑)。もともとマレウレウは2002年、OKIさんが『ノーワンズ・ランド』というアルバムを作った際、コーラスで参加したのが最初なんですね。でもその後は、メンバーに子供が生まれたり、外国に渡ったりして。当時からずっと活動しているのは、私だけ。この4人が揃うまでには、けっこう時間がかかってるんです」
マユンキキ 「私と(姉の)レクポちゃんは旭川出身で。そこに道東出身のリムリムが、まず“アイヌ文化に興味があります”って加わってくれた。最後に、親戚のヒサエちゃん(*)が加入して……いまのメンバーが揃ったのが、9年前だったっけ?」
* レクポ、マユンキキの叔母にあたる
ヒサエ 「うん、そうだね。2007年」
――その頃からOKIさんのコーラスという位置づけから、独立したヴォーカル・グループとしての活動が広がっていくわけですね。
レクポ 「そうなんです。理由はよくわからないんだけど、たぶん性格も、声の相性もばっちりだったんでしょうね。それまでは基本3人で歌っていたのが4人になり、コーラスの重ね方やリズムのヴァリエーションが一気に広がりましたし。なにより、伝統に対してどこかかしこまった気持ちがあったのが、“ウコウクって、音楽としてこんなに面白かったんだ”と素直に思えた。すごく大きな変化でしたね」
マユンキキ 「で、それからしばらしくて、“じゃあとりあえず1回録ってみましょうか”くらいの軽い気持ちで、OKIさんのスタジオでレコーディングしてみたら、これがまた気持ちよかったんですね。“あれ、これってけっこういけてない?”って(笑)。その音源は私のパソコンでCD-Rに焼いて、当初はライヴ会場で手売りしてました。100枚くらいかな」
ヒサエ 「みんなして手分けして、パッケージの糊付けまですべて手作りでやってね(笑)。ミニ・アルバム『MAREWREW』はその音源を、数年後に正式なCDとしてプレスし直したものなんですよ。いわば、この4人のいちばん初期の輪唱が入っている。もちろん、それはそれで愛着が深いんだけど、どの収録曲もライヴでは定番と言っていい大事な曲ばかりなので……」
レクポ 「この数年でますますいい感じに熟成されたマレウレウで、もう一度レコーディングしてみたかったのね(笑)。マユンが最初にお話ししたみたいに、私たちの声質そのものも年齢を経て変わってきているし。当初の声と聴き比べていただけるのも、きっと面白いんじゃないかなと」
ヒサエ 「もう一つ、『MAREWREW』の収録曲は基本、自分たちにとって馴染み深い旭川のウコウクなんですね。一方、2012年にリリースした『もっといて、ひっそりね。』ではエリアを広げて、釧路、十勝から樺太まで北海道全域のウコウクを取りあげました。楽曲によってはOKIさんのトンコリにも入ってもらって、アルバムとしても遊び心のある仕上がりになっています。それもあって、次はもう一度基本に戻って、ルーツであるウコウクのアルバムを作ろうという気持ちもありました。じゃあせっかくなら、新しい曲も加えて録り直しちゃおうと」
――それでボーナス・トラックとして、旭川の伝統的ウコウクを4曲加えたわけですね。今回の『cikapuni(チカプニ)』というタイトルも、旭川にあるアイヌの古いコタン(集落)名だとか。
マユンキキ 「ええ。日本語の地名では近文(ちかぶみ)。レクポちゃんと私はそこの生まれです」
――リムリムさんは4人のなかで唯一、旭川ではなく道東出身で。
リムリム 「はい、阿寒湖の近くです。小さい頃はけっこう、身近にアイヌ文化があったんですけど、釧路の高校に通うようになってからは少しずつ疎遠になって……。でも卒業して札幌に出て、また伝統に触れたいと思うようになりました。そんな折、たまたまOKIさんのライヴを観る機会がありまして。“私もアイヌの歌が歌いたいです”って、自分から参加させてもらいました」
――子供の頃に触れていた阿寒のウポポと旭川のウポポって、けっこう違うんですか?
リムリム 「全然違いますね。たとえば踊り歌にしても、私の地元ではコール&レスポンスっぽい掛け合いが基本で。ウコウクはほとんど歌われてませんでした。今回の『cikapuni』もまさにそうですが、同じフレーズが延々回っていく曲は、同じアイヌの歌でもまるで異質のものに聞こえて。最初は言葉も聞きとれないし、付いていくのが必死で(笑)」
マユンキキ 「旭川は、道内でもかなり輪唱が盛んな地域なんですよ。ほかの地域では、あったとしてもせいぜい2人。旭川みたいに3声、4声のウコウクはないんじゃないかなぁ」
レクポ 「でも、旭川出身者のなかにリムリムが混じってることで、豊かになってる部分もあるんですよ。たとえばオープニングの〈sonkayno〉。この曲はもともとウコウクではなく、踊り唄を輪唱形式に変えたもので。私とマユン、ヒサエちゃんが同じフレーズを繰り返すなか、リムリムだけ道東の唱法でまったく違う旋律を歌ってるんです。そうすると、一人だけ迷子がウロウロしているような、不思議な感じが生まれるのね(笑)。歌い出しは私なんですが、最後にリムリムのきれいな声だけをなるべく長く聴いてもらえるよう、コーラスの切り上げ方も昔のヴァージョンとは違うように工夫してみました」
マユンキキ 「そうやって、伝統的なウポポを自分たちで変えちゃうパターンもけっこう多いですね」
ヒサエ 「私たちのレパートリーは基本、研究者のかたがフィールドレコーディングされたものや、身近なアイヌのコミュニティ内に残っていた古い録音から見つけてきたものなんです。ただ、そのままの形で再現しようとは思ってなくて……。たとえ同じ録音を聴いても、4人の感性を通して再現すると自然に違いが生まれるし。伝統の形は尊重しつつも、やっぱり自分たちが歌って楽しく、かっこいいものにしたい。そのへんは活動を通じて、どんどんフレキシブルになってると思います」
――リムリムさん自身はこの9年で、どこがいちばん変わったと思われます?
リムリム 「うーん、単純ですけど、輪唱してもほかの人に引っ張られなくなったかな(笑)。最初はつい誰かの歌に引っ張られて、一緒に歌っちゃってたけど。いまはとくに意識しなくても、ポジションをキープできるようになりました。むしろウコウク全体のなかに溶け込んで、迷子になってる感覚が楽しいかもしれません」
ヒサエ 「すごい、無我の境地だね(笑)」
マユンキキ 「あとリムリムは、低い方の声も出るようになったよね。たとえば4曲目の〈arian〉は旭川と道東のウコウクを3つ繋げたもので。私が歌いだし担当なんですけど。今回は、自分がいちばん気持ちよく歌えるところまでキーを下げています」
レクポ 「そうそう、思い出した。『MAREWREW』では、リムリムがまだ低い音域を歌いづらくて。すべてのキーを少し上げたんだったね」
マユンキキ 「今回はそれぞれ音域も広がってるので。みんな、自分のいちばん歌いやすいキーで歌えてるよね。ちなみにこの〈arian〉は、前のアルバムをリリースした後で、うちのひいお爺ちゃんが好きだったってことを偶然知ったんですよ。それで初レコーディングのときよりも、さらに個人的な思い入れが増していたので。今回、自分が歌い出しを担当できたのは嬉しかったですね」
レクポ 「この曲は最初の歌い出しがマユンで、次は私、さらにリムリムへ歌い出し担当が変わっていくのも面白かったな。輪唱の最後尾にいる人が次のアタマを引き取るんですけど、その受け渡しも昔に比べると、ずっとスムーズになりました」
ヒサエ 「そういう成長も、聴き比べてもらえると嬉しいですね」
マユンキキ 「できたら新しいボーナス・トラックだけをダウンロードしたりしないでね(笑)。ぜひ、アルバム1枚を通して聴いてもらいたいです」
――ちなみに『cikapuni』を聴いていると、アンビエント・ミュージックみたいに曲の輪郭が少しずつ錯覚に陥るんですが、基本は4人とも同じフレーズを繰り返してるんですよね。
レクポ 「そう、〈かえるのうた〉と同じ(笑)。でも同じフレーズといっても4人とも声質も声域も、節回しも違いますし。4人がどの順番で歌うかによっても、声の重なり方は変わってくるでしょう。4声じゃなくあえて3声で歌うと、また違う味わいが生まれることもありますし。そこが作っていて面白いんですよね。今回再録音したウコウクでも『MAREWREW』と歌い順を変えたものがけっこうありますよ」
ヒサエ 「あと伝統的なアイヌの唱法には、“ヴルルル……”って唸り声みたいな低音から一気に裏声に移行するものもあるので。そういうヴォイスが複数重なると、ウコウク全体の輪郭がより曖昧に感じられるみたいですね。誰かの声を注意して追いかけてても、いつのまにか誰も歌ってないフレーズが聞こえてきたり」
マユンキキ 「そう! 声の重なりと滲みが、空耳を連れてくるの。たとえばアルバム最後に入れたボーナス・トラックの〈Cupkito〉とか、人によっては“♪オーサカ、オーサカ”って聞こえるみたいなんですよね。誰もそんなこと歌ってないのに。そういう空耳が増えれば増えるほど、歌ってる私たちは気持ちよくなるの(笑)」
――ははは。「cupkito」は微妙な色合いに変化する4人の声色と、どっしりしたリズムとが圧巻でした。
マユンキキ 「わぁ、嬉しい! これは旭川に伝わるウコウクで、レクポちゃんと私のひいお婆さんが“北海道でいちばんいい歌だ”と言っていた、お気に入りの唄なんです。歌い出しの“チュッ”っていうところで、声がきゅっと上がるでしょう。で、“キートー”と繋がるところがグルーヴ感が、私的にはすごく気持ちよくて(笑)。そのウネリを出そうと意識して歌ってるうちに、はたして自分が歌ってるのか歌ってないのか、だんだんわからなくなってくるというか……」
ヒサエ 「やっぱり無我の境地だ(笑)」
マユンキキ 「最初は3人の声にも注意して歌ってるんだけど、その境目も自然に消えていって(笑)。そういう、ちょっとトランスっぽいウコウクが、たぶんレコーディングされてる気がします。“神秘的”とか高尚で近寄りがたい伝統音楽というのとは全然違う、純粋に気持のいい音楽」
ヒサエ 「今回の『cikapuni』みたいにしっかり伝統と向き合ったアルバムこそ、どんどんイメージを裏切っていきたいという気持ちはありますね。だから、リスナーのかたが、リテイクしたヴァージョンが『MAREWREW』とまったく違って聞こえると感じてくださるのはすごく嬉しい。そうやって“マレウレウ、次は一体どんな成長を見せてくれるんだろう”と。つねに期待してもらえる存在でありたいなと」
レクポ 「10年後にまた同じウコウクをレコーディングしたら、きっと違う響きが生まれると思うんですよ。そうやって定期的に録音を残すことで、だんだんお婆ちゃんになっていく声の変化を、自分たちで楽しみたいって気持ちもすごく強くて(笑)。最終的には、私たちが憧れ、お手本にしてきた古い録音……昔のアイヌのお婆さんのウコウクみたいに、グルーヴ感と艶やかな声質を兼ね備えた境地に近付けてたらいいなと。そういうことを本気で考えられるのも、この4人だからこそだと思うんです」