ザ・スターリンでのレコード・デビューから最近のアコースティックな曲までの、遠藤ミチロウの軌跡を綴ったボックス・セットが出た。ベスト&レアな曲を3枚のCDと1枚のDVDに収め、1980〜2006年のほぼすべての時期の活動を年代順にフォローしている。
パンクのイメージの強い人だが、本人選曲の今回のボックス・セットを体感すれば、ミチロウがいろいろなことをやってきたかがわかる。CDごとに全然違う世界になっているのも興味深い。「“パンクはもうやりたくねー!”ってなって、まるで対極のファンキーな方にいって。今度は“バンドはやりたくねー!”ってなって、アコースティック・ソロに。自分のいろんな活動の中で迎えた大きな転換期が、今回のボックス・セットはディスクごとにきれいに収まっています。煮詰まって煮詰まってスタイルから全部変えたい、みたいな。わりと極端に走るタイプなんで(笑)」
ザ・スターリン時代のスキャンダラスなステージングも、極端に走った一例である。「デビュー・ライヴが全然ウケなくて、客席まで飛び出て歌っても全然ウケなくて、それでライヴ・ハウスの生ゴミをぶちまけたんですよ。客は怒って帰っちゃったんですけど、その噂を人々が聞きつけたらしくて次のライヴで客が増えたんです。“嫌われることをすると客が増えるんだ”と思ってエスカレートして(笑)。(DVD収録の)ニュー・イヤー・ロック・フェスティバルの時は、人の楽屋からおせち料理をかっぱらってきてステージでぶちまけたり」
ザ・スターリン解散後のミチロウは、種々雑多な曲を次から次へと放ってファンを驚かせ続けた。もちろん自分でやりたいことをやっていたが、思うようにいかない時もあった。「自分で楽器を弾いてなかったから、メンバーの音楽性に左右されちゃうのね。90年代の頭は、そのもどかしさが曲に反映されていました」
そういうこともあってスターリンは解散し、まもなくアコースティック・ギター弾き語りでソロ・ライヴを開始。NOTALIN'SやM.J.Qなどのバンドも含め、前にも増して精力的な活動を展開しているが、この15年間はほぼアコースティック・オンリーである。「基本的にエレキっぽいギターとかベースは使わないっていうふうに、いちおう自分の中ではストイックに限定したんですよ。その中で何ができるか、みたいな」
70年代から現在までノンストップで歌い続けてきたことを再認識させられるボックス・セットだが、いろいろやっても歌に対するミチロウの根本的な姿勢は変わってない。
「パンクとかいう以前に、“ラヴ・ソングを歌いたいから”っていうのが原点なんですよ。(70年代に)一番最初にアコースティック・ギターを持って曲を作って歌ったのは、女の子にふられたからなんですよね。でもぼくの場合は虚構でもいいんですよ。私小説とは考えてないから。その歌自体にリアリティがあれば」
92年に米国アリゾナで撮られたパッケージの写真や『飢餓々々帰郷』というタイトルにも象徴される、毒々しい詩情が溢れ出た作品だ。
取材・文/行川和彦(2007年3月収録)