“TOKAI DOPENESS”“NEO TOKAI”などとも呼ばれる東海地区のシーンのトップランナーとして今や全国区の注目を集めるラッパー、
Campanella 。昨年末には名古屋の仲間たちとの
SLUM RC としてアルバム
『WHO WANNA RAP』 をリリースしてその勢いを見せつけたところだが、いよいよ自身のニュー・アルバム
『PEASTA』 も完成。多くの個性派がシノギを削る東海地区においてオリジナリティ溢れるフロウとリリックで頭角を現してきた彼だけあって、その世界観はかなりディープ。RAMZAおよび
Free Babyronia という十代からの盟友トラックメイカー2人と作り上げたこのアルバムの話を中心に、じっくりと話を伺った。
――ご出身は愛知県の小牧市ですよね。
「そうですね。名古屋から車で40分ぐらいの場所で、名古屋に働きに出る人たちのベッドタウンって感じのところで」
――ヒップホップを聴き始めたのは?
「小学校高学年ぐらいの頃に
Dragon Ash が流行ってたんですよ。中1ぐらいで
RIP SLYME を聴くようになって、そのあたりが入り口ですね。その頃からぼんやりとリリックを書いたりはしてましたね。別に誰かに見せるわけでもなく」
――その思いが決定的になったのが、高校1年のとき、名古屋の野外イヴェントで観たTOKONA-X だったと。 「TOKONA-Xのことはその前から知ってたんですよ。でも、ナマで見た容姿とか雰囲気がすごく格好よくて」
――TOKONA-Xを知ってから東京のラッパーのCDは全部売っちゃったらしいですね(笑)。
「そうなんですよ(笑)。後から売って後悔したし、買い直したりもしたんですけど(笑)。それぐらい衝撃的だったんでしょうね。当時の名古屋の人たちはみんな“名古屋のヒップホップが一番格好いい”っていう感じだった。ラッパーやDJじゃなくても名古屋の人たちはみんなそう言ってたし、高校1年だったから影響を受けた部分もありますよね」
――名古屋ってハードコアやレゲエの層も厚くて、しかもそれぞれのシーンがイカついですよね。タフじゃないと続かない場所っていうイメージがあるんですよ。
「確かに昔はそうだったと思う。でも、高校の頃見ていた名古屋の第一線の人たちのヒリヒリ感は今じゃだいぶなくなってきていると思うし、変わってきてるとは思いますね」
――ただ、そのヒリヒリ感がCampanellaさんのクラブの原風景にもなっている、と。
「そうですね。もちろん自分が若かったからということもあると思うんですけど、昔の名古屋のクラブは怖かったんですよ。いろんな話も聞いたし……ただ、当時の人たちも自分たちのやりたいことを表現したらああいうものになっていたと思うんですね。同世代でも90年代のシーンとは違うものをやろうという意識もまったくないし、普通にやってるだけというか」
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――実際にラップを始めたのはいくつぐらい?
「16、7ぐらいですね。先輩に紹介してもらって、WALLというクラブの平日にやらせてもらったのが最初のライヴ。同じ地元のRAMZAやFree Babyroniaと一緒に始めたんですよ。彼らも最初はラップをやってて」
――多くの人が言ってるのは、名古屋のシーンの変化において重要な意味を持っていたのが〈METHOD MOTEL〉(名古屋市・栄のクラブCIPHER THE UNDERGROUNDで不定期に開催されているイヴェント)だったと。
「そうすね、METHOD MOTELで知り合った人も多いし。そのなかに
YUKSTA-ILL も所属しているTYRANTっていう三重のラップ・グループがいて、彼らがいろんなきっかけを作ったんですよ。20代前半の頃にTYRANTのライヴを観たんですけど、すごく格好よかった。俺にとってはTOKONA-Xが最初の衝撃だとしたら、二回目の衝撃がTYRANT。TYRANTの背中を見ながら活動してきたところもあって」
――2011年にはフリー・ミックス・アルバム『Detox』で注目を集めますよね。想定内だった?
「予想してなかったすね。あの頃がミックステープ全盛期だったと思うんですよ。(
C.O.S.A. との共演作である)『COSAPANELLA』と同時期に作ってたんですけど、『Detox』のほうはフリーで出してみようと。半年ぐらいはそう話題にならなかったんですよ。でも、T.R.E.A.M界隈の人たちがネットで評価してくれて、そこから広がっていって。そこも含めて予想外でしたね。それ以降、東京でもライヴをやるようになって」
「名古屋のアーティストが東京のレーベル(WDsounds)からリリースするって、名古屋だけで活動してるとあまりないことじゃないですか。なので、普段なかなか会えない東京の人たちにも協力してもらって、全体的に華やかな作品にしようと」
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――では、今回のアルバム『PEASTA』でやろうとしたものは?
「前回がそういう作品だったんで、今回はRAMZAやFree Babyroniaという近いところとやってみたいなというのはありました」
――今回はRAMZAさんやとFree Babyroniaさんのカラーが出てて、すごくディープな作品ですよね。
「別にそういう方向にしようと話し合ったわけじゃないんですけどね。もらったトラックに合わせてラップしたらこういうものになった」
――じゃあ、“こういうトラックを作ってくれ”とオーダーしたわけではない?
「言っても作ってくれないんですよ(笑)。彼らはもともとラップ・トラックだけを作るトラックメイカーじゃないですからね。RAMZAの家でいろんなトラックを聴かせてもらって、俺が乗せたいものに乗せる。今回はそれぐらいシンプルな作り方だったんです。彼らとも長い付き合いなんで、今は常に一緒にいるわけじゃないし、彼らが普段どんなトラックを作ってるのかも全然知らなくて」
――今回のビートって結構ブッ飛んでるものも多いじゃないですか。「KILLEME」とか。
「凄いっすよね、〈KILLEME〉のトラック(笑)。でも、俺はそんなにブッ飛んでるとは思わないんすよ。昔から彼らのトラックを聴いてるからかもしれないけど。他のラッパーがビートを聴いてリリックを書くのと感覚的には同じだし、“このビートすげえからこういうラップを書こう”とか、そういうことは考えないすね」
――ラップを乗せにくそうなトラックもあるように思うんですけど、そういう感覚もない?
「ないすね。基本的にはラップが乗らないトラックってないと思うんすよ。ラッパーってそういうものだと思うし、周りはそういうヤツらばっかり」
――そこもやっぱり名古屋の強さという気もしちゃうんですよ。
「まあ、そうですよね。“どんなビートでも乗せてやる”って意地になってる部分はあると思うし、RAMZAとFree Babyroniaに関しては“ぜってえラッパーには寄せねえぞ”っていう意識もあると思う(笑)」
――今回はゲストもかなり絞りこまれていて、C.O.S.A.さんとNERO IMAIさんだけですね。
「近いところで完結しようということがありましたからね。でも、単純に考えてみても日本で一緒にやりたいラッパーはこの2人になると思います。C.O.S.A.は18ぐらいのときに初めて会ったんだけど、最初に出会った頃から自分たちの世代のなかでもひとつ抜け出たヤツだったんですよ。俺も“負けねえぞ”と思ってやってたんだけど、あいつは途中でビートばっかり作ってラップを休んでた時期があって。だから、全国区の存在になった今の状況は別に不思議じゃないんですよ。C.O.S.A.は昔からヤバかったから」
――C.O.S.A.さんは知立市でがんばってるわけですけど、彼の活動スタンスから刺激を受けることもあるんじゃないですか。
「そこはどっちでもいいと思ってて。俺、ラップをやるんだったら東京に行ったほうがいいと思ってるし、C.O.S.A.もただ知立が好きなだけなんじゃないかな。俺が東京に引っ越さないのも単に自分の町が好きで、住みやすいっていうだけで。地元を上げようとはそんなに思ってないすね」
――あ、そうなんですか?
「C.O.S.A.は分かんないすけど、俺の場合はそうです。音楽をやるうえで一番いい環境であれば、俺はローカルにこだわる理由はそんなにないと思ってるし」
――ローカルに住むことが意地になっちゃうと本末転倒ですもんね。
「そうそう、それは絶対に一番格好悪いと思いますね。どこかに移ったって地元を捨てるわけじゃないじゃないですか」
――では、今回のアルバム・タイトルに『PEASTA』という小牧市の商業施設の名前をつけたのはどういう思いから?
「ネットには商業施設って書いてありますけど、そんな大それたものじゃなくて(笑)。サイゼリアとかドラッグストアが入ってる小さなモールで、昔は寿司屋や焼肉屋、マクドナルドも入ってたんだけど全部ツブれちゃって。一時期は名古屋に住んでたんですけど、地元に戻ったタイミングでもあったし、RAMZAたちとも昔からPEASTAでツルんでたから、やっぱりタイトルは『PEASTA』だろうと」
――そういう意味じゃ、原点回帰的なアルバムでもあるわけですよね。
「そういう部分もありますけど、ただ、“原点が一番ヤバかった”ということですよね。もちろん地元以外にもヤバイ人たちはたくさんいるけど、このタイミングで一枚作るんだったらRAMZAとFree Babyroniaとやったほうが一番ヤバイんじゃないかなと」
――あと、リリックからは葛藤してる部分が色濃く出てる気がしたんですね。抜け出すことができず、もがいてる感じというか。
「物事に対して素直にリリックを書くと、普通に生きているなかで誰もがブチあたるだろう問題がそのまま出てくるんだと思いますね。今回に関しては無理をしてリリックを書いてないし、自然に書いていったらこういうものになった。俺が暗い人間なのかもしれないけど(笑)、人間ってそういうものじゃないですかね? 日々悩むし、日々葛藤があるから、それがそのまま出たんだと思う。……このアルバムが出来上がったとき、自分としてはすごくハッピーな作品ができたと思ったんですよ。でも、みんなから“もがいてる”って言われて(笑)。なんでなんだろ? 自分のなかではどの葛藤も解決してることだし、すごく前向きなアルバムだと思ってるんだけど」
――解決するまでのモヤモヤも全部詰め込まれてるからかもしれませんね。
「確かにそうかも。ただ、葛藤といっても生きてれば誰もが持つようなものであって、そんなに大それたものでもないんですけどね」
――今回はCampanellaさん自身のレーベル、MADE DAY MAIDERからのリリースですけど、このレーベル名は2011年から主催してるパーティの名前でもありますよね。
「アルバムを出すにあたって“レーベル名があったほうがいいですよ”ってことで、“じゃあ、とりあえずMADE DAY MAIDER”でって(笑)。それぐらいの感じですよ。MDM(MADE DAY MAIDER)はCLUB JB'Sってところで仲のいい人たちと続けてるパーティで、それぞれやってることも違う連中が集まってるんですけど、考え方が比較的近いんですよ」
――実験の場っていう感じ?
「いやいや、遊び場って感じすかね。考え方が近いから遊んでても楽しいし、もっと遊びたいんすけどね」