――このお三方の中で一番P-VINEからのリリースが早いのはダースさんなんですね。
――そんないきなり!
ダース 「僕らも驚いたんだけど、タギさんは“曲あるんでしょ? じゃあ出せるじゃん”って。それでアパッチ田中さんのスタジオ、アパッチラボで〈有刺鉄線〉と〈その男凶暴につき〉をRECすることになったんだけど、アパッチさんの一言目が“練習してきたんだろうな? うちは3回以上取り直したら怒るよ”ってまずカマされて(笑)。で、まずアナログを切って、そのままアルバムの制作まで行ったんだけど、そこに収録された〈今そこにある危機〉っていうウ○コの曲があるんだけど、それを
RHYMESTERが気に入ってくれて、
MUMMY-Dさんから“この曲を聴いてたら、バカ過ぎて運転してて事故りそうになった。死んだらどうしてくれるんだ! そして
真田人のビートボックスが下手すぎる!”っていうアドバイスを頂くという(笑)。
DJ YASさんもミックス・テープに入れてくれたり、その意味ではP-VINEから出したことで、シーンにエントリーするキッカケになったと思う」
上野 「MICADELICはかなり作品出してたっすよね」
ダース 「半年後には
『FUNK JUNK増刊号』も出したり。ヒップホップ・ブームの流れもあったのか、どんどんリリースさせてくれて。しかも制作費は出すからお前らで全部やれってスタンスで、いきなり200万が口座に振り込まれたり」
上野 「どうりでポンポン出してたわけだ」
ダース 「その後は、後に音楽ライターになる一ノ木裕之さんがA&Rになって、MC JOEさんと僕のユニット、
CROWN28で『CROWN28』(02年)を出したら信じられないほど売れなかった。300枚ぐらいしか売れてないんじゃないかな(笑)。その後、
LLクールJ太郎の
『プッチRADIO』(03年)を出したら、制作費があんまりかかってないのにプチ・ヒットして、そこで挽回したみたいだけど」
――今回のミックスにも収録されてますが、CROWN28の「スキンヘッドバンガアァ(feat.THE SKINHEADDERS,TA-ROCK,CO8,CYPRESSUENO)」が上野くんの最初のオフィシャルREC物だったという。フロウがぜんぜん違うよね。
上野 「嫁が聴いても気づいてなかった(笑)」
上野 「このミックスで遂に陽の目を見たという(笑)。悩みましたよ……」
ダース 「当時、宇都宮で開催されてた〈申し訳ないと〉にも、
ミッツィー申し訳さんがCROWN28を呼んでくれたんだけど、その時に一緒にブッキングされてたのが、とある歌姫で、その取り巻きからホントに“シッシッ!”って野良犬のように追い払われて」
上野 「歌姫が一つしか無い楽屋を占拠……というか“籠城”してたのもいい思い出で。そんな思い出のアルバム……ってどんなアルバムだって感じだけど」
ダース 「でもエンジニアは9sari作品を手がける我らが
I-DeAだから。“マスク・ド・エンジニア”って名前で、マスク被って中ジャケに載ってるから」
漢 「黒歴史だな(笑)。当時、I-DeAと佐藤さんは一緒に働いてたんだっけ?」
ダース 「そうかも。佐藤さんは当時、P-VINEの倉庫番で」
漢 「そこで一緒に働いてたのがI-DeAだったんだよね。そこから佐藤さんは制作の部署に移って、制作物のエンジニアはI-DeAが手がけるようになって」
漢 「いや、その前に佐藤さんの下についてたヒップホップ・ファンの人にライヴで声をかけられて、それで00年ぐらいに佐藤さんと引き会うことになって。『HOMEBREWER'S VOL.1』はそれから一年ぐらい後」
上野 「新宿MARSでやったリリパを見に行ってますもん。“裏B-BOY PARK”っていう括りでやってて。確か、初めて韻踏合組合が関東でライヴするっていう触れ込みだったのかな」
ダース 「
OHYAがあの顔で“歌舞伎町怖いですわ〜”って言ってて」
漢 「韻踏の連中の見た目の方がよっぽど怖いって(笑)。それまでも意識する存在ではいたけど、その時が初顔合わせで。でも普通に仲良くなっていったね」
ダース 「その時オープン・マイクがあって僕も出たと思う」
上野 「俺も出た(笑)。たしか
Romancrewも関東で初お披露目だったんじゃないかな。俺もプロを目指してたから、年下だったとは言え、〈B-BOY PARK〉にも、このイヴェントにも出演者として呼ばれないのは悔しかった」
漢 「あの中にいたんだ」
漢 「それぐらいか。お前が恵比寿みるくで俺に触れるようになるのは。体とか、後ろから」
上野 「痴漢じゃないんだから(笑)。でも〈Harvest〉とか、漢くんやMSCとイヴェントで一緒になるようになって、繋がっていくのもそれぐらいのタイミングですね」
――ダースさんは佐藤さんと知り合ったのは?
漢 「そういう奇縁があるんだ。すんげえよく書いてくれたでしょ?」
ダース 「すんげえよく書いてくれた(笑)。その後に会って、“家に日本語ラップの資料が山ほどあるから遊びに来なよ。HILL THE IQの〈放火魔〉のノベルティのマッチもあるよ?”っていうお誘いを受け(笑)」
上野 「そこで食いつくのはクレイジーな人同士でしょ(笑)」
漢 「とにかく日本語ラップに取り憑かれた男だから」
上野 「RAGING RACINGのMVを持ってたのも驚いた。“これ持ってるのは俺しかいないよ?”って嬉しそうに見せてきて(笑)」
ダース 「あの人の日本語ラップMV上映会は朝まで続くからね。寝落ちして起きてもまだやってる。ってことは1人でも見てたのかっていう(笑)。僕は04年にDa.Me. Recordsを自分で始めて、ディストリビューションをULTRA-VYBEに任せてたんで、佐藤さんと仕事としては関わってないんだけど、いろいろ裏方的な部分でお互いに相談したり、“こういうのをやろうと思ってるんだけど”ってデモを聴かされたり」
漢 「モルモットだね(笑)」
ダース 「“ちょっとドライブにいこうよ!”って車で来て、何も説明なしにデモを聴かされるっていう。“スゴいの見つけた!”って
GOKU GREENのデモとか、“スゴいのが出来た……”って
マイクアキラとか(笑)」
――上野くんは佐藤さんとの関わりは?
上野 「『HOMEBREWER'S VOL.2』から始まり、サ上とロ吉で制作した
『ヨコハマジョーカー E.P』(04年)や
『ドリーム』(07年)は佐藤さんに制作を超手伝ってもらったのに、結局は自主リリースっていう。ひどい話ですよ」
漢 「そのパターンね。だいぶ恨み買ってるわ(笑)」
上野 「しかも『HOMEBREWER'S VOL.2』に入ってた〈女喰ってブギ〉を、勝手にリミックスとして『ヨコハマジョーカー E.P』に入れてスゲえ怒られるっていう(笑)。で、2ndフルの
『WONDER WHEEL』(09年)でやっと一緒にアルバムを作ることになって。あと、佐藤さんとも結構合コンしましたよ」
漢 「俺もしたよ」
ダース 「僕も」
――どういう関係なのか(笑)。
ダース 「“女の子にどういうメール出したら良いと思う?”とか相談されたり(笑)」
漢 「永遠の少年だね」
――MSCの関連作は全部佐藤さんですか?
漢 「全部全部。佐藤さんしか携わってない。それから俺らも数々のスターをP-VINEに送り込んでるから。恩着せがましく捉えないでほしいけど、
鬼とかSCARS、
KEMUI、
BESとか、佐藤さんに繋げたのは俺達だったと思う」
――制作側として作品に対するオーダーはありましたか?
漢 「基本的には好きなものを作っていいっていうスタンスだったね」
上野 「俺らもそうだった。だから予算獲得と制作進行はやってくれたけど、内容は任せてくれて」
漢 「だからあれだけの作品が作れたのかな。内容も自由なものが多かったし」
ダース 「倉庫番時代に、なんでこれが売れないんだ! なんでこれが作れないんだ!みたいに、溜め込んだ思いをA&Rになって晴らしてたんじゃないかな」
漢 「利益ってことは抜きにしても、シーンに対する役割として果たしたことは本当に大きかったんじゃないかな」
――そしてP-VINEを辞めた後は、レーベル「BLACK SWAN」を立ち上げますね。
漢 「BLACK SWANの立ち上げ以前から、佐藤さんとI-DeAで一緒にレーベルを始めようとしてたんだよね。その話を聞いてたから、レーベルを始めた時には提携しましょう、って話もお互いにしてて。結局、BLACK SWANは佐藤さんが1人で始めることになるんだけど、立ち上げ当初から正直無理してる感じも伝わってきてたから、一緒に動きませんかって声をかけたんだけど、最初はやんわり断られて。それから一年ぐらい経って、西早稲田に9sari officeを立ち上げるタイミングでもう一回声をかけて、そこから9sariとBLACK SWANで一緒に動くことになったんだけど、その矢先に事故に遭ってしまって」
ダース 「それでBLACK SWANは僕が引き継いで、レーベル運営は続けていて」
――なるほど。そして今回のミックスに収録された作品は、半分以上は佐藤さんが手がけられた仕事になってますね。かつ、以前に上野くんがリリースしたFILEレコード諸作のミックス『LEGEND オブ FILE MIX』(10年)は90年代が中心になっていましたが、今作は00年代の作品が中心になっていて。 上野 「やっぱり00年台はもう自分がプレイヤー側になってたんで、P-VINEからリリースしたかった。そういう憧れのレーベルではありましたね。今回のミックスも、収録した曲は、キング・ギドラみたいな大先輩から、餓鬼レンジャーや
LIBRO、
ILLMARIACHI、MICADELICみたいな少し上の先輩もいるし、
STERUSSみたいな同じクルーの連中も、
SIMI LABや
HOOLIGANZっていう神奈川勢もいて。だから、リスナーとしてもリアル・タイムで見たり聴いてきた、繋がってきた曲でまとまってますね。だけど、入れたくても連絡取れないラッパーやグループがいたのは残念でした」
――P-VINE側にも伺いたいんですが、ミニマムな環境で制作が出来ることによって、流通だけを流通会社に委託する形や、フリーダウンロードといった形が多くなっていますが、P-VINEは現在も“制作”という部分も手がけることについて教えてください。
P-VINE 担当 「自分たちで完結して、流通だけを任せるのが多い中で、P-VINEと一緒に作りたいって言ってくれるアーティストがいるのは嬉しいし、それが途絶えずに続いてるのが大きいですね。かつそういうアーティストが、何を聴いてたかっていうと、ギドラやMSC、SCARSっていう先人が残してくれた作品なんですよね。その蓄積で信頼してもらえる部分は大きいと思うし、それが途絶えないようにしたいなって」
上野 「ちなみに漢くん、このミックス聴いてくれました?」
漢 「まだ楽しみにとっておいてる」
ダース 「聴いてないときの最高の切り返しだな、それ(笑)」
漢 「リスナーと同じタイミングで聴くよ」
上野 「もうリリースされてるから(笑)」
取材・文 / 高木“JET”晋一郎(2016年10月)