アーツカウンシル東京の“伝統芸能普及公演”として2017年2月16日に
「ケルティック能 鷹姫」が上演される。アイルランドの国民的詩人イェイツが100年あまり前に能の影響を受けて作った詩劇「鷹の井戸」をもとに、50年前に初演された新作能「鷹姫」を、人間国宝の観世流梅若玄祥とアイルランドの
アヌーナの顔合わせで行なう豪華イベントだ。演出も担当するシテ方の梅若玄祥とアヌーナの音楽ディレクター、マイケル・マクグリンのお2人に、「鷹姫」のおもしろさや公演に向けての抱負を語っていただいた。
――これまで能以外のいろんなアーティストと共演されてきましたが、今回の共演はどんなところがちがうのでしょう。
梅若 「これまでは役者同士とかバレリーナとの共演が多かったんですが、今回のような音楽とのコラボレーションは初めてです。能では謡が舞台を支配するんですが、アヌーナの音楽が役者たちをどう支配するのか楽しみです。能の謡や舞は削ぎ落とされたものです。アヌーナの音楽も削ぎ落とされたもので、その点は能と同じ世界に棲めるものだと思っています。それをいかに変化あるものに感じさせられるのかどうか、いい結果が出ることはまちがいないと思っています」
――こういうふうにしてほしいという注文を出されたのでしょうか。
梅若 「それは一切しません。気遣いすぎると中途半端なものになるので、おたがい得意とするところを感覚の中で表現すればいい。そこは自由世界だと」
――マイケルさんは今回の公演のために新しい曲を作られるんですね。
マイケル 「
ドビュッシーがガムランに影響を受けて音楽を作ったように、イェイツも色合いとして能的なものを使った。その詩劇にもとづいて作られた音楽もあるのですが、イェイツの能に対する理解はかぎられたものだったので、今回はぼくなりの理解を加えて作ろうと思っています。アイルランドぽいものや能ぽいものを作るんじゃなく、2人でまったく新しいものを作りたいですね。能におけるメロディの役割は気持ちを表現し、増幅することなので、アヌーナの音楽もナレーションではなく、気持ちを増幅するのが仕事かなと思っています」
――はじめて能を見たときは、どんな印象を持ちましたか。
マイケル 「とにかくすごいとしか言いようがなかった。昔から自分には聞こえていたけど、西洋の音楽には欠けているものがこれだと思いました。ぼくが曲を作るときは、音楽が頭の中で鳴っているというのではなく、形が見えるという感じで、音楽を夏の熱風とか、激しい嵐とか、そういう感じでとらえているんです。音楽を聴覚だけでとらえたくはありません。そのとらえ方は、能の音楽に対しても、文化に深く根ざした音楽なら何であっても、変わりません」
梅若玄祥 / アヌーナ
――能の演目では水や井戸が象徴的に使われます。「鷹姫」の不老不死の水についてはどんなふうにお考えですか。
梅若 「たとえば『井筒』では、井戸の水は、水鏡のように自分を映し出すものであると同時に、他人のことを思い浮かべるものでもある、というふうに二重三重の見方をするわけですが、『鷹姫』の水は、湧かないところから発想して、幻覚かどうかわからないけど、湧いたように見えるときもある水です。人間は想像したことを現実にそうだと思ってしまうことがよくありますね。そういう意味では、実は当たり前のことを言ってるとも言えます」
――「鷹姫」の不老不死の水のイメージは能の「養老」にも通じますね。
梅若 「ひとつの人生みたいなものだと思うんですよ。輪廻というかね。老人と若者は、われわれの問い方では、同一人物だと。若者が自分の老いた姿を見てしまっているというか、見えてしまっているということだと思うんです。そういうとらえ方でぼくはいままでやってきた。とはいえ、いろんな問い方があっていいと思うのです。不思議だと思うのもいいし、現実としてとるのもいい。老人が、そこに自分のいまの姿を重ねて見るのもいい。ただ単純に水が湧かないということであってもいいんですよ(笑)。子供が見て、あのお爺ちゃん、水が湧くのを待っているけど、いつまで待ってるんだろうね、というのがその子の心の隅に残れば、それで成功だと」
――この水は不可能なものに対する渇望の象徴のようにも思えます。
梅若 「手に入れられないものを欲する、その欲望みたいなものが泉なのかもしれない」
マイケル 「アイルランド神話には、信じれば叶うという感覚もあります。アイルランドの神話では水はいろんなところに登場します。イェイツは聖なる魔法の創造物として井戸をとらえていました。『鷹姫』の水について考えれば考えるほど、よどんだ水ではなく、清らかに流れている聖なる水のイメージが湧いてきます。その感じを表現するのがアヌーナの役割かなという気がします」
――川の水のようなイメージということでしょうか。
マイケル 「舞台で水をどう表現するのか、現世に出てくるのがいいのか、異界がいいのか、ステージを取り囲むような表現がいいのか、考えています。個人的にはぼくは古代人の考え方を信じているんです。グレイト・ソングと言うんですが、われわれを取り囲んで流水のように響いている音があって、その歌にアクセスする機会があると、水に見えたり他のものに見えたりする。海水とか淡水とかではなく、インスピレーションの源を象徴的に水と呼んでいるんですね。『鷹姫』の愚かな老人と若者には自分たちの世界をすでに水が取り囲んでいるのに、それが見えない。井戸があるけれど、水はその中にあるんじゃなくて、実は自分たちの回りに、どこにでもあると」
梅若 「そのとおりですね」
――今回は能のシテ方と狂言方が同じ舞台で共演します。
梅若 「たぶんめったにないことですね。正式にこの形ではじめたのは、2015年にわたしがやった『冥府行〜ネキア』が最初ではないでしょうか」
――能の世界のしきたりを破るのは難しいのでしょうね。
梅若 「ちょっと演出を変えるだけでも大変だったんです。50年前に『鷹姫』を初演した観世寿夫は、若いころから名人と言われていましたが、新しい演出を考えたら、父親たちの世代から猛反発されて、できなかった。その時代にこういう新作能を作るのは大変なことだったんです。初演の『鷹姫』ときはまだ地謡がいました。2回目か3回目でコロスだけにした。ぼくはそれを見たんですが、若い役者にとっては、衝撃的でした」
――使う面はもう決っているんでしょうか。
梅若 「“逆髪”というちょっと狂気を帯びた面にするか、“泥眼”という目に金泥が塗ってある面にするか、決めかねています。“逆髪”は室町時代、“泥岩”は江戸時代初期のものです。父はいつも“いいものを使え。若いうちは若い芸にあったものを使え”と言ってました。いい面を使うとちがうんですよ」
上演時には、ステージに能舞台を作り、草月流のオブジェを配し、後方の高低差のあるところでアヌーナがうたう演出になるとのこと。未知づくめの試みに満ちた『鷹姫』への期待が高まる。
2017年2月16日(木)
東京 渋谷 Bunkamuraオーチャードホール開場 18:00 / 開演 19:00
S 6,000円 / A 5,000円 / 学生 4,000円(税込)
※未就学児入場不可※お問い合わせ: プランクトン 03-3498-2881