デビュー20周年! 川本真琴にプロインタビュアー吉田 豪が迫る!

川本真琴   2016/12/13掲載
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 「愛の才能」でのデビューから20周年を迎えた川本真琴が、11月23日(水)にリリースした初のセルフ・カヴァー・アルバム『ふとしたことです』。「愛の才能」「1/2」といったシングル曲やアルバム収録の隠れた名曲をピアノ弾き語りをメインとしたシンプルな構成でセルフ・カヴァー、さらに書き下ろしの新曲も収録した一枚となっています。

 澤部 渡(スカート)らとともに結成した川本真琴 with ゴロニャンずとしてもアルバムを発表するなどアニバーサリーイヤーにふさわしい精力的に活動を展開、“多少のめんどくさいこと”も乗り越えた彼女に、プロインタビュアーの吉田 豪が迫る。「CDジャーナル」12月号収録の記事を、好評につきCDジャーナルWEBでも特別に掲載します。
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――いちおう川本さんの全キャリアを追ってきてる人間なんですけど、今回のセルフ・カヴァー集『ふとしたことです』はホントよかったですよ。
 「ありがとうございます」
――昔の曲を歌い直してみて、あらためてご自分でどう思いましたか?
 「そうですね。よくやってるな」
――よくやってるな(笑)。
 「って思いました、並べてみると」
――よくやってるっていうのは何なんですか?メジャー時代とか、いろいろ大変だったと思うんですけど。
 「いい作品が残せてるかなって」
――ソニー時代の、やたらBPMが早くて言葉数の多い曲は精神状態が関係してる部分もあったのかなって勝手に思ってたんですよ。いまはもっと落ち着いた感じの曲になってるから。
 「逆に、あの頃はあまり精神状態が反映されてないかもしれないです。企画がしっかりしてるというか。暗いときだから暗い曲になるとかって昔のほうがなかったです。最近のほうがすごいあります」
――もっと自分を反映させたいなって思うことはあったんですか?
 「ありましたね」
――大人と戦ったりしてました?
 「けっこう喧嘩してましたね。もっと自分っぽくやりたいみたいな」
――戦った結果は?
 「たぶんちょっとは自分の方向になってはいたと思うんですけど、やっぱり企画の力のほうが大きかったんで」
――歌詞はどれくらい自分の部分が出てるんですか?
 「……半分ぐらいかなあ」
――もともとレベッカとかガールズ・バンドみたいな音楽性だったわけですよね。
 「そうなんです。もっと女の子っぽいかんじの曲でした。でも、ソニーの頃は“中性的な女の子”っていうのがわりとテーマであったので」
――中性的な女の子がテーマだからショートカットになったんですか?
 「そこまでは言われなかったかなあ。少しは縛りはありましたけど。逆にあんまり髪を短くしすぎないようにとか。でも当時24歳ぐらいですからね」
――オリジナル曲でデビューするって話はなかったんですか?
 「最初はオリジナル曲でデビューするはずだったんですけど、ディレクターさんが変わって、その時に企画も変わって、岡村(靖幸)さん作曲でって話になりました」
――デビュー曲「愛の才能」での岡村さんの起用には自分の希望も入ってたらしいですけど。
 「そうですね。私とくにオリジナルでデビューをしたいっていう自分的計画はなかったんで、それでもいいかなと思って。“誰がいい?”って言われて、好きだった岡村さんって言ってお願いしてもらいました」
――その結果、いきなりバカ売れして。
 「作品を客観的に聴いて売れるだろうなって思いましたね、なんとなく」
――心境としてはどういう感じだったんですか?ちゃんとしたプロジェクトで、ちゃんとした曲がきて、売れちゃうのって。ふわふわした感じ?
 「いや、わりと大人っぽい感じでした(笑)。もっと自分を出したいなっていう気持ちはありましたけど。自分のキャラと違うものが先行して出ちゃってるんで、はたしてそれがみんな好きなのかなとも思って。モテキャラって、一般的にはみんな好きだろうなって思いますけど、ほんとに好きかどうかわからないなって。もっと自分を出していったほうが愛されるアーティストになれる気がしてましたね」
――多少無理してる部分があったんですか?
 「無理っていうか、もっと自分が出てたほうが長続きするだろうなって」
――長続きですか。
 「そう。あの感じでやってたら短いだろうなって。ずっとこれで長くはやれない気がしてました。やっぱり男性のファンの方が多くて、でも実際は自分はかわいこちゃんではないので、むしろかわいこちゃんじゃない部分を出していかないと女の子はついてこない、共感とかされないなって思って」
――そう思いながらもシングルが次々と売れて、アルバムも100万枚売れちゃいました。本人としては、さあどうしようって感じ?
 「ずっと、どうしようかなって思ってました」
――当時、川本さんが出るテレビを見てもハラハラしてましたけどね、トーク部分とか。
 「あはは、そうですよね(笑)。トークは何が何だかわからない感じで。歌の部分をちゃんとやっていればいいかなって、あとはあんまり考えてなかったです(笑)」
――バラエティのテンションとか大変でした?
 「楽しんでましたけどね」
――『HEY!HEY!HEY!』のやりとりをひさしぶりに見て爆笑しましたよ。全部一言で返していて、ダウンタウン松本さんが「君は返しが早すぎる!」ってイライラしだすっていう(笑)。
 「そうでした(笑)?自分では乗り切れてるつもりだったんですけど」
――ぜんぜん乗り切れてませんでしたよ(笑)。
 「楽しんでたんですよ、いちおう。逆にいまやろうとしてもできないですね。恥ずかしいというか……。あのときはああいうテンションだったんでしょうね」
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――そもそもアルバムが100万枚売れる実感ってどういうものなんですか?
 「アルバムができた段階でこれは絶対いいなっていうのがありました。でも、わかんないですよ、100万って数は。当時もいまも。なんか賞を取ったんですよ(※第39回日本レコード大賞優秀アルバム賞受賞)。あれはうれしかったですね。こんなことってあるんだって」
――それぐらいあっさりした感じだったんですね。
 「昔からエンタテインメントと遠い人間だったんです。テレビもあまり見てないほうだし。だから賞をもらって客観的に喜んでました」
――大きな会社がちゃんとしたプロジェクトやればこんなことになるんだなって。
 「お母さんが喜ぶって感じでした(笑)。でも、立派だなあ自分と思ってましたけど」
――その頃が新宿御苑で孤独だった時代なんですか?
 「そうそう、孤独ではありましたね。孤独だったので、うれしさとかリアル感がなくて。すごいことが起こるんですけど、実際の生活の、つらいとかのほうが先立つじゃないですか。いまになって見れば、賞ってすごいなあと思うんですけど、実際は毎日暗い気持ちでした」
――1日100円ですごしてたのはもっと前?
 「それはもっと前です。上京してからデビュー半年前ぐらいかな。1日100円でしたね。すごかったですよ」
――その頃はひもじいけど暗い気持ちではなかった。
 「なんで暗くなかったんですかね。やっぱり自分を出すってことって大切なんですよ。自分の言葉でしゃべって、自分はこういうひとですっていうのを出してくっていう。そういうのができていたときなので、100円で1日暮らさなきゃいけなくてもそんなにつらくはなかったです」
――その後は商業的な成功をおさめても、だんだん寂しい感じになっていった。
 「キャラがかけ離れていっちゃって。自分のことを誰も見てくれないっていう状況というか……」
――本当の自分を?
 「みんなが見ているのは、私の作っているものを見ているって感じでつらくて」
――でも、大人の世界だからすごいスピードで動いていくわけですよね。
 「結局ソニーいたのは何年だろう。4、5年ぐらいだったかな?途中から私が開き直ってきて、無茶なこといいだして、違う方向性にどんどんいったんですけど」
――戦って勝てるようになってきたということですか?
 「うまく言えるようになってきたんじゃないですかね」
――説得がうまくなった。
 「会社のほうも、次にどうしていいのかわからなくなってたから、川本にまかせてみようって思ったのかもしれない」
――何かきっかけはあったんですか?体調不良がきっかけになったとか?
 「体調不良になってから……ある程度みんな気を使うようになってくれました(笑)」
――ちなみに体調不良ってどんな感じだったんですか?
 「1ヵ月ぐらいつらい時期があって。家から出れないぐらいの。ホントあのときはつらかったんです。音楽を作るとか絶対に無理って状態。どういうふうに生きてたのかわからない精神状態だったんですよ。もとに戻れるのかなって思いましたね」
――いつ頃のことですか?
 「〈桜〉を出したあとですね。〈桜〉を作ってるときに体調悪くて、つねに胃薬を飲んでたんですよ。胃薬を飲んで、胃潰瘍になって、みたいな。で、どーんと悪くなってしばらく休みました。思ったより早くよくなったんですけど」
――それは単純に休めたのが大きかったんですか?
 「大きかったし、実家に帰ったのもあったし。環境が変わって、自分が出せるようになるじゃないですか」
――その時どんなことを考えてたんですか?音楽をやめようかとか悩んだりしました?
 「悩めないんですよ、つらすぎて。考えるって、まだまともな状態なんだと思います」
――そのあと、レーベルをやめようと思ったいちばん大きな理由は何だったんですか?
 「まず会社自体が変わってきたんですよ。部署の変更とか。で、直のディレクターさんがやめるってことになって、だったらじゃあ私もいてもアレかなあって思ってやめた感じですかね」
――あまり先のこと考えずやめたんですか?
 「インディーズをうっすら考えてましたね」
――ほかのメジャーに移籍するとかじゃなくて。
 「その頃ってインディーズっていう文化がいい感じに盛り上がって見えたんんですよ。それもいい機会だと思って、自主制作っていう方向にいってみようかなって」
――活動のペースが、それぐらいからかなりマイペースになっていったと思うんですけど。
 「自主制作もどういうふうにやっていったらいいのかわからなくて。いまのマイベスト!レコードに入るまではどうしていいかわからなくて、曲だけ作っていたんです」
――あの頃、活動が続くかどうかもわからない感じでしたよね。
 「基本的にどういうふうにCDを出していいのかわからなくて、どうしようかなって。それで8年間ぐらい(笑)」
――それで8年(笑)。ミホミホマコトというユニットだったり、タイガーフェイクファ名義だったり、何か出しても単発だったじゃないですか。その8年はどんな感じだったんですか?
 「雲をつかむような8年かなあ……。流通のこととか何も知らないし、知り合いもほとんどいないし。担当さんがいないだけで止まっていたんです。誰かいたらすぐ作れたはずなんですけど」
――精神的には楽にはなってたんですか?
 「つらい感じはありましたね。ぼーっとしてて何したらいいのかなって」
――具体的には何をしてたんですか?
 「フリーターみたいな感じ(笑)。曲は作ってましたけどね」
――“川本真琴“って名前を使えなくなったりとか、何か縛りがあったわけでもなくて?
 「何にもないです。縛りがあるんじゃないかって世の中で言われてるんですけど、まったくなくて。むしろがんばってくださいって応援してくれていて。自分の問題です。ただ、その8年間で、曲作りの土台みたいなのを作れたんですよ。自分はここがスタンダードだみたいなところが。時間かけられてよかったなって気がします」
――本当にマイペースなひとですよね。
 「私ですか?そう見えます?」
――流通わかんないなってボンヤリ思いながら8年ぐらいってすごいですよ。
 「たぶんミュージシャンを目指してる高校生って同じ状態だと思うんですけど、なんかやりたいけど、どう出していいのかわからないみたいな。そういう状態がデビューしたあとだったていうことなんです」
――メジャーで結果出したひとがもう1回そこで迷うのって、めずらしいパターンですよね。
 「でも、1個1個つかんでいった感はあって。誰かに簡単に教えてもらって、はいできましたっいうふうにやんなかったぞっていう。自分で歩いてきた感はあるかな」
――どれぐらいで、これはいけるかなってなってきたんですか?
 「いまの担当さんに会ってからはどんどん出すようになっていきました。ライヴもどんどんやるようになって」
――時期でいうと?
 「サード・アルバム(『音楽の世界へようこそ』)を出してから。出すまでが長かったんです。出すまで8年間……曲もこれでいいのかなってずっと考えてたんで。こういうの出していいのかなって。ひとりでやってたから考え込んじゃって。ひとが聞いて役に立つもののかな?って」
――役に立つ?その発想なんですか?
 「せっかく世に出すものだったら役に立つものじゃないと、私が生きてる意味がないんじゃないかと思って」
――それは元気になるとかであったり?
 「元気になるでもいいし、明るい気持ちになるとか。あとたとえば、お金に汚いひとがいたら、私の曲を聞いてハッとするとか」
――ダハハハ!俺はまちがってたんじゃないか?って気付くような曲(笑)。
 「人間中心じゃなくて、動物とか植物とかに目を向けてみようとか。そういうことで私が役に立てるといいなってすごく思ってて。世の中っていうか地球の役に立てないかなって」
――地球の役に!
 「それで2年間ぐらい悩んでました。ほとんどできてたんですけど、いろんな観点で考えたんですよ。こういうひとから見たらどうかなとか」
――いま振り返ってみると、考えすぎてたかなとか思います?
 「あんなに考えることはなかったなとは思いますね(笑)」
――いまも役に立つ歌を作らなきゃっていう思いはあるんですか?
 「あります。いまはどっちかというと、世の中が悪くなっちゃうようなものは作らないってことにしてるんです。よくなるものを作るっていうより、悪くなることはしないって。自分の願いでもあったりするんですけど。あまりにも人間中心すぎると思うので、そういう作品になってないか注意して作ってます」
――人間中心ではなく、動物とか植物とかに目を向けて?
 「そうです。あとたとえば、道路って人間中心に作られたものじゃないですか。それで、動物危険みたいなマークとかあるけど、動物が危険なんじゃなくて、もともと人間が勝手に作った道路が間違ってることなんだと思うんです。みんな間違ってるって思ったら暮らせないから、間違ってるって思わないんですけど、でも間違ってるってちゃんと思ったほうがいいと思うんです。人間は最初から何かを犠牲にして成り立ってることを知ったほうがいいと思います」
――そういうことを、どう歌詞におりこんでいくかと考えて。
 「だから、いまはその逆になっちゃうことを避けるという感じです。ひとの役に立つって難しいんですよ。誰かの役に立っても、誰かの役には立たないかもしれないじゃないですか。いいことをしようってのは難しいことなので、自分の願いに反することは入れないようにしようって思ってます。レコーディングもみんなに無理してほしくない。ソニーでやってたときは朝までやってたり、体調をくずしたり、離婚するひともいたり。やっぱりみんなが無理なくできている音楽のほうがいいものだろうなと」
――マイペースなのにはそういう理由があるわけですね。
 「マイペースはもとからですけどね(笑)。ちょっとぼんやりしてるところがあると思います。ふふ」
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――ボクは2011年の『フェアリー・チューンズ』ぐらいから、戻ってきてくれたって実感が出てきました。
 「担当さんがいて、そういう流れはやってくれるんで、私は作品だけ作ればよくなったのがその頃ですね」
――スカートの澤部(渡)さんとか住所不定無職のひとたちと絡んで、澤部さんとはバンド活動もするようになって。
 「澤部さんけっこう話にでるなあ。なんでだろう。有名なんですか?」
――有名ですよ!知らないんですか(笑)?
 「へーそうなんだ」
――あんまりよくわからないで仕事を始めたんですか(笑)?
 「1回実家に帰って、東京きたときに初めて見たバンドが澤部さんだったんで尊敬してます!今日ずっと取材を受けてて、インタビュアーさんが澤部さんの名前をよく出すんで有名なんだって思って」
――ボクとはチャゲ&飛鳥について話す仲間なんですけどね。今日も着ているチャゲアスのジャンパーを本気でうらやましがってくれたのが澤部さんです。
 「あーそうなんですね(興味なさそうに)」
――一緒に写真とっていいですか、って写真とられました。
 「好きですもんね(興味なさそうに)」
――2013年には峯岸みなみさんに曲を提供して(「君に恋をした」)、それが素晴らしすぎてラジオでも流しましたよ。
 「ありがとうございます。あれ、けっこういい時期に書いた曲です」
――いい時期っていうのは何なんですか?精神的に?
 「なんか……ノってるときです(笑)」
――8年間の悶々とした時期を経て、すべてがうまくまわりだした感じはしますか?
 「正常に動いてるなって感じですかね。いいこともあり、そんなにいいことばっかりでもなく。でも、それぐらいがいいのかな。こわいじゃないですか、すべてがうまくいっちゃうと」
――不安になってくる?
 「ちょっとミスがあるぐらいのほうが正常な感じがする」
――なんですかね、それは。
 「人間でも、全部がいい人間ってこわいじゃないですか。ミスあるぐらいが人間っていうか。企画とかも全部がうまくいってなくてもいいのかなって思う。たとえばインディーズってプロモーションがあまりできないんです。プレッシャーもないし、楽っていう部分もあるけど、プロモーションができないとか、全部が全部うまくはいかない。でも、自分がここがいいなっていうのが見つけられたらいいなって。私いまそういうところにちょうどいれてるんでよかったです」
――今回はメジャーからのリリースだから、今日みたいにプロモーションもあって。インタビューを受けるのは好きなんですか?
 「インタビューとかテレビとか楽しくやってます」
――最近は、澤部さんとかと組んでいるゴロニャンずってバンドは一生続けるって(ツイート)してましたね。
 「あれは……担当さんに、もっと売れるように協力しろって言われて(笑)」
――ダハハハ!そんな理由(笑)。
 「で、反省して書いたんです(笑)」
――私こんなにやる気あるますよって?
 「そうです。やる気見せたんです、ふふ」
――一生続ける気はある?
 「…………やりますやります」
――ちょっと間がありましたけど(笑)。
 「無茶してやってもアレなんで、あんまりがっつかない程度にやろうかなと」
――いろんなユニットが単発で終わってるイメージがあったんで、これはちゃんとやる気なんだなって。
 「そうですか?あー、そうですね。たくさんやったほうが面白いじゃないですか。いろいろ出会いがあったら、これからもユニットやってみたいし」
――好奇心のひとですよね。最近、女優やってみたりとか。
 「短編映画ですね(※20周年を記念してYouTubeに短編映画をアップしている)。あれは自主的にやってるんですけど。再生回数がどんどん少なくなってきてて……誰も見てないみたいな(笑)」
――それでもやりたい?
 「制作が楽しかったです」
――根本(宗子/脚本)さんとやりたかったんですか?
 「はい。女子押しというか、女の子はこうあるべしみたいな考え方が強いひととやりたくて。そういうひとが好きなんです。短編映画はもっと広がるかなって感じてたんですけど(笑)。たぶん10年後に貴重になってるやつだと思います」
――後々に再評価されるやつ。
 「ちょっと早かった(笑)。3年後ぐらいに私のマネをするひとがでてきて、主流になりつつあるぐらいの感じになるかな」
――自主映画を作って、YouTubeにあげようとは、なかなかならないですもんね。
 「ただでは作れないですからね(笑)。ドラマ、どうでしたか?」
――演技が徐々にうまくなっていってますよね。
 「まじですか(笑)」
――最初どうなるかと思いましたけど。
 「だんだんわかってきて。でもこれ、なんかの役に立つんですかね?」
――ボクに聞いてもわからないですよ!
 「立つはずなんです、10年後ぐらいに。ここから女優への道はなかなか難しいかもしれないですね」
――ほんとマイペースですよね。女優挑戦がこれぐらいの年齢って珍しいですよ。
 「そうですか?42歳ぐらいで女優っていっぱいいますよね?」
――いますけど、ここからスタートするひとはそんなにいないです(笑)。
 「しかも自分で作っちゃうしね。……女優って呼んでもらってもいいですか?」
――なんですかそれ(笑)。とりあえず楽しくやれてそうですね。
 「難しい問題はとくにないです。まあでも私、ひとを信用しないタイプなんで……」
――そんなに信用してないんですか?
 「しないところありますね。だからこの先、ひとを信用する瞬間ってのが出てくるのかなって思ったりはします」
――前にも「人間を好きになってみたい」って言ってましたよね。
 「そんなこと言ってました(笑)?」
――ベースに人間不信があるんですか?
 「不信っていうか、そんなに人間って立派なもんじゃないなって思う気持ちはあるんで。自分も含めて」
――ちなみに、以前のインタビューで2015年の抱負をなんて言ったか覚えてます?
 「2015年ですか?覚えてないです」
――“自分にとって無理のない仕事をする&結婚”って
 「まじで?……なんでしょうねそれ(笑)」
――ボクに聞かないでくださいよ。
 「2016年はぜんぜん無理してました。忙しかった」
――聞けるかどうかわからないですけど、2016年は多少めんどくさいこともあったわけじゃないですか。
 「そうですね(笑)」
――それによってプラスになることありました?
 「うーん、マイナスにしかなってないですかね?」
――よく芸能界ではあるじゃないですか。スキャンダルかと思ったら新曲なり映画なりのプロモーションでもありました、みたいなのが。
 「そういう意味では、スキャンダルより自分が勝てる、自分の音楽が勝てるって思ってますね。当時、意味不明に売名とかって言われて。売名って言われちゃったら何も言えなくなっちゃいますけど。でも、“私勝てる”って思ってました。だって結局、実力じゃないですか。ネットで悪口を言うのなんて簡単なんですけど、技術っていうのは長い時間かけて培われるもので、たった一言二言の悪口で消されたりしないよなって」
――精神的なダメージはなかったんですか?
 「当時はめちゃくちゃありましたよ!その話をしたら、いますぐタバコすいたい気持ちになりますけど(笑)。飲みに行ってからにしましょうかみたいな(笑)」
――どこかで腹をくくれたわけですかね。
 「その時はつらい思いっていうか、メディアって同じことばっかりをよくも毎日言うな、退屈にならないのかなって思ったり、あと必ず批判をするひとが出てくるんですよ。何かをいえば必ず批判してくるひとが。それもギリギリのひとなんだろうなって思いますよね。そうじゃないとわざわざひとの悪口を言ったりとか批判しようなんて思わないと思うんですけど、そういうひといっぱいいるんだなって思ったし」
――あんな規模のニュースになると、批判するひと一も気に増えますからね。
 「あんなに盛り上がる話でもない気がしますけどね。いまとなっては。実際、最後は、私は名前だけ出るけどなんだかよくわからないみたいになってましたし。でも実際は……皆さんどう思ってるんですかね、あのニュースのこと。とにかく私が頭にくるのはストーカーだと言われたことで」
――最初の報じられ方がおかしな感じだったから。
 「それをネタにいまだにネットに書き込むひとがいるじゃないですか。ストーカーなんてできるはずないですもん。東京に住んでないのに。いまでも茶化して書くひとがいて、すごい迷惑。だって、そういう話ぜんぜん知らないひとがぱっと見ることもあるわけじゃないですか。それは腹が立つことですよね」
――ちょうど作品とかで忙しかった時期だったのはよかったのかもしれないですけどね。
 「それも結局売名とか言われちゃって。今回のアルバムもゴロニャンずもシングルも去年から決まってる話で、みんなが思ってるほどそんな簡単に企画なんて進むわけないじゃんって思うんですけど」
――お疲れ様でしたとしか言えないです(笑)。そんなことありながらもいい作品ができたと思いますよ。
 「そうですね(笑)」
――不思議な20年ですよね。
 「なんで今年こんなにいろいろ重なったのか……」
――あのタイミングの新曲のタイトルが「ホラーすぎる彼女です」っていうのも絶妙すぎました。
 「ぜんぜん関係ないんですけどね。もともと毒がある女の子が好きなので。オタク系のつもりで書いたんですけど、違う方向にとられちゃって」
――まあでも、騒動に負けないだけの曲だったのは確実ですよ。
 「何て言われてもいいんですけど、まちがったこと言われるのがやですけど……でも、まあいいやって思って(笑)」
――負けるわけはないですよ。
 「ぶっちゃけ私が勝ちます!」
――それはホントに思います。
 「ただ、なんだかんだいって、小心者でだめなところもいっぱいあって、ひとに言えないよくないところもいっぱいあります。ということだけ言っておきます(笑)」
――だからこそマイナスじゃないことをやっていきたいっていう。
 「そう願ってやってます」
――真面目なひとなのはわかりましたよ。
 「ふふ。でも、ふざけたところもあるんですよ(笑)」
取材・文 / 吉田 豪(2016年11月)
写真 / 川島小鳥
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