――最初はバトルDJになりたかったそうですね。どのようなきっかけでバトルDJに関心を持つように?
「テレビで
RIP SLYMEを観たのがきっかけだったと思う。YouTubeでDMCのルーティンやジャグリングの動画を見て、どんどんのめり込んでいったんです。人前でやり始めたのは渋谷のesってクラブ。俺がスクラッチとかジャグリングにハマってるのをヒップホップ好きの幼馴染が知って、“ライヴをやりたいからDJをやってくれ”と言われたんですよ」
――川崎じゃなかったんですね。
「そうすね。高校生の時最初に遊びに行ったクラブが渋谷のVUENOSで。渋谷で遊び方を知って、自分たちでも川崎でイヴェントをやるようになりました」
――当時から川崎のラッパーやDJとは繋がりがあった?
「いや、仲間内だけでやってたんで、全然繋がりがなくて。それは今も変わらないんですよ。今回のアルバムでやってもらったSTICKYさんが初めて繋がった川崎のラッパーで」
――今回のアルバムの裏ジャケに写っている写真はJさんの地元で撮影したものらしいですね。
「そうすね。自分が住んでるところの近くに写真のような工業地帯が広がってて。排気ガスで人が住めないぐらいの場所で、今は工業地帯と住宅地のギリギリのところに住んでます。あまり東京に住みたいと思わないんですよ。俺の知ってる東京の人って意識が高いというか(笑)、東京にいると疲れる。地元の人たちはそんなに肩に力も入ってないし、ゆったりできる」
――トラックメイキングとラップはどっちを先に始めたんですか?
「ラップだったと思います。ライヴDJをやってた自分のクルーのラップがみんなかっこ良くなくて、俺のほうができるんじゃない?と思ってラップを始めました」
――トラックメイキングはどういう流れで始めたんですか。
「ラップをしようと思うと、自分たちでインストのトラックを探してこないといけないわけじゃないですか。でも、それだったら作ったほうが早いんじゃないかと思って。でも、最初は間違ってサンプリングできないソフトを買っちゃったんです。手弾きで作らなくちゃいけなかったので、最初からサンプリングソースを耳コピして自分で弾いてました」
「そうですね。仲間以外からもオファーをもらうようになって、自分も日本語ラップをちゃんと聴くようになりました。ただ、自分から面識のない人にトラックを渡して自分を売り込んでいこうとか、どんどん繋がっていこうという感覚はまったくなくて」
――2015年にはレディ、アグリー・ダックという韓国のラッパー2人と「Asia」という曲を作ってますよね。
「レディがメッセージを送ってきたんですよ。自分たちの音楽を聴いてくれたみたいで、彼らの動画を送ってくれて。それがメチャクチャ格好よかった。レディもアグリー・ダックも日本のヒップホップをすごくディグってて興味を持ってくれていて、自然に実現しました」
――アジアのラッパー同士の交流が最近すごく増えてますが、そのことについてはどう思います?
「自分もコラボしてみて日本の事を客観的に見るいいきっかけになったし面白いですね。中でも韓国のヒップホップはすごくクォリティが高くて、ラップもうまい。音も超いいから、ウチらも頑張らないといけないすね」
――で、新作『HIKARI』についてなんですが、制作にあたって具体的なイメージはあったんですか。
「いや、テーマは特になかった。ファーストを作り終わった後、すぐにセカンドを作り始めたんですよ。その頃やってたのは全曲殺伐としていて破壊力のある感じだったんだけど、なかなかリリックを書けなくて。攻撃的なことを書こうと思っても、そこまで何かに怒ってるわけでもないし(笑)」
――わはは。
「それで煮詰まっちゃって。それまでのものは全部ボツにして、去年の頭ぐらいから制作を再開しました」
――前作と比べるとトラックも変わりましたよね。一言でいえば、よりエモーショナルに、よりダイナミックになってる。
「機材が変わったんですよ。前は(Rolandのサンプリング・ワークステーション)MV-8800を使ってたんですけど、ひとつの作業に結構時間がかかっちゃって。PCに変えてみたら、何でもワンクリックで済むようになった。あと、前はトラックを全部作り込んでからじゃないとラップを書かなかったんだけど、今は簡単なループができたらすぐにラップを書くようになった。ラップを書いてみると、トラックのほうも必要以上の音を足さなくてもいいことが分かるときもあって。そのぶん、トラックもラップもシンプルになったと思う」
――音数が少なくなって、そのぶん全体のメリハリがついてるんですね。
「そうですね。今回はあまり無駄な音を入れたくなくて。昔はラップもずいぶん被せを入れてたんだけど、今回は一本が多いんです。マイクを変えたことで、声の録り音がよくなった。無駄に(ラップを)被せる必要がなくなったんですよ」
「自分のビートは完成するまでにずっと聴き続けているので、新鮮な感覚がなくなっちゃって、どうしても初期衝動でリリックを書けない。本当はそういう衝動に任せて書きたいので、今回は外部のトラックメイカーにもお願いしました」
――Jさんの中ではラッパー / トラックメイカーどちらの意識のほうが強いんですか。
「どっちが強いということはないんですよ。今意識としてはホント同じぐらい。やっぱりマイク変えたことが大きいんですよ。自分の気持ちが上がっていて、“もっとラップしたいな”と思うようになったので」
――ちなみに、なんていうマイク?
「リリックのなかでも言ってるんですけど、Pelusoというマイクですごく気に入ってます」
――KID FRESINO、仙人掌、5LACK、YOUNG JUJUという近い人たちだけでなく、鋼田テフロンさんやSTICKYさんなど、ちょっと意外な方々もフィーチャーされてますね。
「
BACHLOGIC(鋼田テフロン)さんに歌ってもらった〈BABE〉は、最初自分でフックを書いてたんですよ。でも、どうもおもしろい感じにならなくて。ビートの雰囲気と垢抜けたメロディーが合うんじゃないかと思って声をかけたらバッチリでした。もともと俺自身めちゃくちゃファンだったので、参加してもらえてよかった」
――さっきも話に出たSTICKYさんは?
「
SCARSの2006年のアルバム(
『THE ALBUM』)には俺もめちゃくちゃヤラれたし、なかでもSTICKYさんのラップが一番好きだったんすよ。(STICKYをフィーチャーした)〈ORANGE〉では俺のヴァースは明るいことも言ってるけど、STICKYさんのヴァースは正反対。光と影という面が出てて、自分でもすごく気に入ってます。今回のゲストでSTICKYさんだけ面識がなくて」
――あ、そうなんですか。
「連絡先も知らなかったから人づてに聞いて、自分で電話しました。川崎でも地元が近くて、隣の中学校だったという」
――あと、もうひとつ“おっ!”と思ったのが、やっぱりFla$hBackS名義の「2024」。こないだ出たFEBBのビート・アルバム『Beats&Supply』に入ってた「HONEY」もFla$hBackSの新作に入るとのことですけど……。 「いや、あいつ(FEBB)が勝手にそう言ってるだけなんですよ(笑)。作ってないってことはないんですけど……」
――そうなんだ(笑)。じゃあ、「2024」をFla$hBackSの名義で作ろうと思ったのはどうして?
「そのトラックができたとき、自分でブチ上がってしまって、いつのまにかKID FRESINOとFEBBに送ってたんです(笑)。そうしたら2人からヴァースが帰ってきて、気付いたらできてた(笑)。3つの磁石が勝手にくっつくみたいに曲ができたんです。KID FRESINOはバンドでやってるし、FEBBもトラップでやってるけど、昔の感覚は変わらない。そこが分かって嬉しかったですね」
――今のJさんの活動において、Fla$hBackSってどういう存在なんですか。
「家みたいな感じですね。自分にとってのルーツ」
「そうなんですよ。最近、スクラッチをガッツリやってる曲って案外少ないと思うんですけど、最近ヒップホップを聴き出したような人達にもスクラッチの格好よさを伝えたくて。3曲やってもらったんですけど、自分にとって理想のスクラッチをやってくれるのがDJ SCRATCH NICEで。自分でもすごく気に入ってますね」
――ジャケットは台湾で撮影したんですよね。
「そうすね。アルバムを作るうえで台湾や香港の電飾のイメージがどこかにあって。アジアの“雑で汚いけどかっこいい”感じを取り入れたくて」
――確かにこのジャケットの色合いってあんまり日本にはないですよね。台湾とかタイのようなアジア感がある。
「だいたいこんな真緑のライトを自分の店に置こうと思わないですよね(笑)。ちょっとブッ飛んでる」
――「BABE」のヴィデオクリップは香港で撮影したらしいですね。
「そうなんですよ。監督のmmmさん(スタジオ石)が“香港でやりたい”と偶然にも提案してくれて。自分のジャケットのイメージとそこが自然とリンクして嬉しかったですね」
――最近、中国や台湾からもおもしろいラッパーがどんどん出てきてるし、彼らとJさんのコラボレーションも聴いてみたいです。
「俺もやってみたいです。今はどの国のラッパーもどんどん上手くなってるし、アメリカと引けを取らないレヴェルになってきてると思うんですよ。自分もそういうところに通用するものを作っていきたいっす」
取材・文 / 大石 始(2017年2月)