――まず、MUDくんの音楽的な原点から教えてください。
「親父が音楽が好きで、家に音楽が常にあったんで、環境的に音楽に囲まれてましたね、子供の頃から」
――お父さんはバンドとかをやってたんですか?
「そうですね。今もですがソウル / ファンク・バンドでギターをやっていて。だからソウルやファンクは自分から聴こうと思ってなくても、かかってるから自然に体に入ってるっていう。家にギターがいっぱいあったんで、自分もギターを遊びでやってましたね。小学生ぐらいから」
――その頃はどんな曲を弾いてたんですか?
「
LIMP BIZKIT とか弾いてましたね。だけど、ヒップホップがいちばん好きだったんで、ギターでどうこうしようとか全然思ってなかったですね。むしろ、バンドなんかやりたくねえし、ギターじゃなくてターンテーブルがあればいいのに、って(笑)」
――ではヒップホップとの出会いは?
「小学校4〜5年の頃に、MTVとかで
50 Cent のMVを見て、格好いいな、って興味を持ち始めて、そこから掘り出した感じですね。だからポップスは興味なかったですね」
――ヒップホップにピンときたポイントは?
「まずはファッションでしたね。だから格好から入っていって」
――当時だとガンガンにオーバー・サイズの時期だったと思いますが。
「自分もそうだったですね。小学校の時は3XLのシャツとか着て、パンツも超ダボダボ。上履きで裾踏んでコケたり(笑)」
――松の廊下だ(笑)。友達も一緒に聴いていたんですか?
「最初は自分だけだったんですけど、周りにものめり込んでいくやつが増えていって。あと、
エミネム が今の
ジャスティン・ビーバー ぐらいアイドルだった時期なんで、女の子も下敷きに切り抜きを挟んだり。そこから入った奴も多いんじゃないですかね」
――女の子と仲良くなるために(笑)。YOUNG JUJUくんも女の子をデートに誘うのに『8 Mile 』を選んだって言ってたんで、そういう時代だったともいえますね。 ――DJやダンサーではなく、ラッパーを選んだのは?
「まず映像で憧れたんで、MVで一番目立ってるのはラッパーだし、自然とああなりたいと思ったんだと思います」
――日本語ラップも聴いていましたか?
「全然聴いてなかったですね。ヒップホップはUSのものだと思ってたんで、日本語のラップがあるってこと自体、認識もなくて」
「全然通ってないです。知ってて〈楽園ベイベー〉ぐらいでしたね。でも、ラップとして認識もしてないぐらいで。中学に入っても、
Dr.Dre の『
2001 』とか、
2PAC 、50 Cent、MOBB DEEP、
METHOD MAN ……って、やっぱりUSのヒップホップが中心でしたね。で、Dreから
ICE CUBE 、エミネムから
Xzibit みたいに広がっていった感じで。周りではウェスト・コースト・ヒップホップも流行ってたんで、聴くものは西系も多かったと思います」
――MUDくんの出身である町田は、神奈川とも隣接してるので、勝手なイメージですが、ウェッサイの文化圏というイメージもあって。
「結構ウェッサイのリスナーが多かったし、西っぽいテイストが町田にはあると思います」
――ではラップを実際に始めたのは?
「ちゃんと始めたのは高校に入ってから。ラップって英語でするものだっていうイメージがあったから、日本語で書きたくなかったし、やりたくなかったんですよね、中学の時は。でも英語が出来る訳じゃないから、ラップもリリックも英語で出来ないしっていう、葛藤がめっちゃあって。だから、中学の時はインストを探して、そのインストに、オリジナル曲のラップを覚えて、なぞってラップするっていう感じでした」
――カラオケというか。
「モノマネですよね。だけど高校に入ったら、学校のそこらじゅうにラッパーがいて。それで、俺も見せつけてやろう、って飛び込んだら、BANKROLLとかがいて、みんな日本語でちゃんとやってて、日本語でこんなに格好良くできるんだ、って衝撃を受けたんですよね。それでBANKROLLにあこがれて、本格的にラップを始めた感じですね」
――BANKROLLは本当に大きいんですね。
「デカいですね。昔からラップやヒップホップを体現できてる人たちっていうか。当時からとにかくレベルが高かったし、YUSHIくんとか、超キレキレにラップが上手くて。それで俺もラップうまくなりてえ、って思わされたし、ホントに特別な存在でしたね」
――MUDくんは高校からKANDYTOWNのメンツも多く通っていた学校に進まれたんですね。
「自分の成績的に入れる学校がなくて(笑)。というか高校に行く気もなかったし、高校ってなんなの?っていうぐらいで」
――哲学だな(笑)。
「ホントに勉強してなかったんで。だけど、英語だけはとにかく頑張ってたんで、先生から、英語だけでもいいから、学校内でいい成績を取れれば、高校に推薦できるから頑張れって言われたんですよね。アンタにはそれか定時制しか道がないって言われて、じゃあ頑張ってみようかなと」
――そこが運命の分かれ道だったんですね。別のインタビューでKANDYTOWNに話を聞いた時には、MUDくんは入学の時にロカウェアにティンバーのブーツだったから、ひと目でヒップホップを聴いてる奴だって分かったって、同じ高校のメンバーが話してて。
「私服の学校だったんで。それで一学年上だったBANKROLLの連中や、一学年下だったYABASTAの連中とも繋がるようになって。それでみんなでリリック書いたり、曲とか作るようになったし、その影響で日本語ラップも聴き始めましたね。90sの、
キングギドラ とか
LAMP EYE の〈証言〉とか」
――でもMUDくんはどちらのグループにも所属はしてないんですよね。
「そうですね。KANDYだと、自分とNEETZ、DJ Minnesotahが真ん中の世代で。一緒に曲を作ったりはしてたんですけど、基本的にはソロで動いてましたね。同じ学年にもラップをやってるのは、ちょっとはいたんですけど、みんな辞めちゃったり」
――例えばNEETZくんと組もうとかは思わなかったんですか?
「NEETZは同じ学校じゃなかったんで」
――ではNEETZくんと出会ったのは?
「
菊丸 と俺が高校で出会って、一緒に〈B-BOY PARK〉に行ったらNEETZに会ったんですよ。NEETZは幼稚園だけ同じ付属に通ってて、NEETZも菊丸もサッカーをやってたんで、サッカー組はNEETZのことをずっと知ってて。それで、菊丸からNEETZを紹介されたんですよね。高1のとき。菊丸が2010年の〈B-BOY PARK MC BATTLE U-20〉で優勝する前ですね」
――ソロで動いてる時はどんなイヴェントに出てたんですか?
「自分たちの学校の中にシーンがあったんで、学生の中だけでイヴェントを開けるんですよ。そこにはBANKROLLだったり、YABASTAも途中から出るようになったり、学校の中の他のクルーが出たり、MCバトルで1年と3年が勝負したり。そこに俺もソロで出たりしてたんで、そういうイヴェントが根っこにあったと思いますね」
――“MUD a.k.a. Megatron”名義でのEP『Third Eye』や、KANDYTOWNでのリリースを経て、1stソロ・アルバム『Make U Dirty』をリリースされますが、制作の経緯は?
「きっかけとしては、KANDYのアルバム『
KANDYTOWN 』を出した時に、そこで使わなかったNEETZのビートがあったんで、それで自分のソロ曲を作ろうと思ったんですね。何曲か作った上で、NEETZに“こんな感じでアルバム作ろうと思うんだけど”って話したら、“だったら全部俺のビートでやらない?”って。その話をJUJUにも相談したら、自然に俺とNEETZの意見をまとめてくれる役割をJUJUがやってくれたんですよね。そのままP-VINEにも繋げてくれて」
――MUDくんとNEETZくんの間の交通整理役だけじゃなくて、レーベルとの折衝もする、いわばA&R的な立場でも、今作にJUJUくんが関わったんですね。以前、JUJUくんにインタビューした際にも、そういった裏方的な動きをしたいと話していたんで、それがこの作品で実現するようになったんだなって。
「自然にやってくれたんでありがたかったですね」
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――今回はNEETZくんのフル・プロデュースという形ですが、制作的にはどのように進めたんですか?
「今まで、NEETZのトラックで一番曲を書いてきてるんで、連携が一番とりやすいっていうのはありますね。〈South Side〉はスゴくスローな曲なんですけど、それはそういう曲が欲しいって彼にオーダーして作ってもらった曲だし。逆にNEETZ側からも、サンプリングを使わないで全部打ち込みで作ったトラックを提案されたりとか、“こういう曲も作るんだ”って、新しい発見が多かったというか。それが自分にとって刺激になったし、更に“じゃあこういうトラックは?”ってまた別の角度からのオーダーも出来たんで。投げられた球に対してどう返すかっていうチャレンジもあったり、お互いに手が広がった感じがありますね」
――「Dallaz」もオーダーですか? KANDYはウェスト・コーストよりもイースト・コーストに親和性があると感じてたんで、こういったG-FUNKテイストはかなり意外でもあって。
「今でもウェスト・サイドが好きですし、そういう曲が作りたかったのもあって、自分から“G-FUNKなトラックを作ってよ”とは言ったんですけど、ここまでG-FUNKなトラックが上がってくるとは思ってなくて、一回ボツったんですよ。超ゴリゴリのG-FUNKのトラックメイカーからこのトラックが来たらアガると思うんですけど、JUJUも俺も予想を超えたトラックだったんでビビって(笑)。実際、ちょっとNEETZっぽくないとも感じたし、それで最初は別のトラックで〈Dallaz〉を作ってたんですけど、なんかしっくりハマらなかったんですよね。それで、ボツにしてたこのビートで改めて作り直してみたらすんなりハマったんで、この形で」
――ラップはビートに対してスクエアに乗るというか、スゴくクリアな聴感がありますね。
「とにかくフロウを大事にしてますね。それこそ、昔からラキムのフロウが格好いいと思ってたんで、韻とフロウをしっかりと組み合わせることが大事だなって。良いフロウが思いついたら、そこに言葉を当てはめたり。フロウを優先してますね」
――「Chevy」でのMUDくんのヴォーカライズも新しい感触があって。
「あれはメロウなビートがNEETZから送られてきて、“これは歌うしかなくね?”みたいな。自分歌うのが好きなんですよ。カラオケとか超好きだし(笑)」
――ハッハッハ。それは任せるけど(笑)。
「アコースティックで語り弾きとかも最近はチャレンジしたりしてて。でも、ヒップホップ・ビートに歌を合わせることはやってこなかったんですけど、今回のトラックだったら出来そうだなと思って、チャレンジしてみて」
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――フロウの延長の歌というよりは、完全に歌の方向性ですね。それはKANDYの中では見えなかった部分でもあるんで、興味深かったです。
「やれるけど、やってなかったってだけなんで、今回はやってみようかなと。NEETZもいるし、JUJUもいるんで、あんまり変だったらNGを出してくれるっていう安心感もあったんですよね。それに時間もあったんで、意見交換を3人でしっかりして、内容を煮詰めることができたんですよね。だから、例えばフックにオートチューンを乗せようとか、被せをどう組み立てようみたいなアイディアや構成も、細かい部分まで3人で話し合うことが出来て」
――オートチューンはKANDYでは使われなかったんで、その部分も意外でした。
「それはJUJUのアイディアでしたね」
「そうかも知れないですね」
――GOTTZくんとの「Chasing Summer」もバウンスするようなラップの乗り方が印象的で。
「トラックを聴いた時にパッと思いついた感じですね。GOTTZは最近トラップにハマってて、自分もそういうのが最近は好きなんで、一緒にハネた感じでやりたいって」
――KANDYは“90sっぽい”と評価される場合も多いけど、オートチューンやG-FUNK、トラップなど、ちょっと違う雰囲気がこのアルバムにはありますね。
「俺だけじゃなくて、みんな最近の新譜超好きですからね。だから、みんな新しいとこに行くんじゃないですかね。テイストとしてはオールドスクールや90sが根本にあると思うんだけど、そこからどういう新しい音楽が作れるかっていうことはみんな考えてると思うし、これからはそれが形になるかも。自分としても、ソロとして動きながら、色んなトラックメイカーやラッパーとコラボして、視野を広げていきたいですね」
取材・文 / 高木“JET”晋一郎(2017年7月)撮影 /
中野賢太