異能のマルチ弦楽器奏者であり、シンガー・ソングライター、と呼びたい。
高田 漣 。多彩なセッション活動はもとより、
pupa や
細野晴臣 バンドでの、ヴェテランと新世代とを橋渡ししているかのような演奏ぶりも印象的な人だが、ソロ名義としては4年ぶりとなる『
ナイトライダーズ・ブルース 』も、単にオーセンティック、ルーツ志向的であるに留まらない、音楽の“過去と未来”とを想像力でつないでみせる歌、そして音世界を聞かせている。ロートルな聴き手には「
ライ・クーダー へのオマージュ?」と思えたジャケット・ヴィジュアルも、どっこいそう一筋縄ではいかないようで……。
「僕が当初デザイナーさんにお願いしたのは、“地色を赤、文字を黒にしてほしい”というのと、“タイトルはカタカナ表記にしてほしい”ということだったんです。電車のアイディアは、実はデザイナーさんから出てきたもの。デモ・テープを聴いてもらった段階で、“こんな感じじゃないの?”って」
――ライ・クーダーではなかった(笑)。
「今回のサウンド自体、ブルースやルーツ・ミュージックにちゃんと向き合いたいと思っていた反面、それをあまり渋く聞かせたくはない、という気持ちがあって。ジャケットも、
ジョン・スペンサー&ブルース・エクスプロージョン の『
アクメ 』をイメージしていたんです。
G・ラヴ とか
ソウル・コフィン とか、自分にとっての現代的な感じにしたかった。“現代的”といっても90年代、すでに20数年前になるんですけど(笑)」
――いずれにしても、インパクト大ですけど。
「デザイン会議した時、“ブルースやルーツ・ミュージックって、電車を使ったジャケットが案外多いね”という話が出てはいたんです。まさかこんなレトロ・フューチャーな電車が出てくるとは思ってなかったので、最初はびっくりしたけど。今はしっくり来てます。CDサイズでも、インパクトがあるし」
――奇しくも“90年代”というキーワードが出ましたが、同じく90年代が黄金期だったヒップホップを漣さんがどう受け止めていたのか、じつは興味があったんです。
「けっこう聴いてました。
ビースティ・ボーイズ とか、好きだったし。ヒップホップではなかったけど、大学時代、打ち込みのバンドをやっていたんです。土井君っていう、今は
D.O.I. 名義で大活躍してるR&B系の大御所。彼がトラックをつくって、僕がルーツな部分を持っていったり、コード進行を考えたりしていた。G・ラヴもそうだけど、ビースティにしても、“あれ? こいつら、生で演奏できるんだ。なんだ、パンク・バンドやってたのか”って。自分がルーツ系の側から見ていたことが、向こうも逆方向から見ていたことがわかったりしてね。言われてみれば、楽しく音楽を聴いてましたね、90年代って」
――というのも、今回のアルバムって、韻を踏んでる歌詞がすごく多いですよね。踏み方こそ日本語的ですけど。そういう歌をつくって歌っている人にとって、ヒップホップはどう映っていたのかな、と。“イヤ”という人も少なくなかったので。
「ヒップホップの人たちがどう思っていたのかはわからないけど、僕のイメージとしては“ブルースの一環”。黒人音楽の次の形に思えていた。そこに断絶はなかったですね」
――先祖返り的な側面がありますよね。
「90年代って、だ〜〜〜〜〜っとCD化が進んだ時期だったから、自分の音楽の棚も一気に広がった。僕自身、ビースティも買うけど、一方で
ダン・ヒックス が再発されたらそっちも買うとかね。そこに天秤はなかった。単純に、おもしろければ買う。今回のアルバムも、内容はルーツ色が強いんですけど、音圧はむしろ90年代を意識していました。距離感というのかな。あまり渋くなり過ぎて、おやっさんばかりライヴに来ていただくのもいかがなものかな、と(笑)。若い女の子にも来てもらえたほうが、それは楽しいですから。そういう間口の広さみたいなものは、意識してます」
「この曲、基本的にブルース形式だから転調はしていきますけど、もっと渋い“ブルースの音”で録ると、それでしかなくなっちゃう。2017年に出す意味は、考えてましたね。なんていうか、“なんだこれ?”って遠くにいる人が吸い寄せられてくるように、焼き鳥屋の煙の匂いじゃないですけど(笑)、若い子も、年齢いってる方たちも、どちらの好奇心にも訴求するような。ある種“玉虫色”なサウンドづくりは意識しています」
――漣さんが弾いてらっしゃる楽器の特性として、とかく“オーセンティック”であることが求められがちだとは思うんですけど、ライ・クーダーにしてからが、初期のアルバムにはハリウッドの書き割り的なところがありましたよね。
「そうですそうです」
――しかもそのフィクションぽさって、音楽にとっての“お色気”につながるとも思うんです。
「おっしゃる通りで、ライの初期2作みたいに、ルーツ・ミュージックをやってはいるけど、それをどう現代化するか。当時だったらそれがロック・テイストだったわけですけど、現代の中でどうアップ・トゥ・デートしていくかという視点には、すごく影響を受けてきました。2年前(2015年)、父親の作品を取り上げた『
コーヒーブルース〜高田渡を歌う〜 』をつくった時、色々試した経験も大きいですね。題材が題材だったので、今回ほど踏み込めなかったにしても」
――あまり茶化すわけにはいきませんものね(笑)。
「それでも、たとえば父の曲で言うと〈銭がなけりゃ〉は
ウディ・ガスリー の〈ドレミ〉が下敷き。で、〈ドレミ〉と言えば、ライもカヴァーしてたなとか、ある種のパズルみたいに、音を崩したり組み上げたりしていたんです。そういう作業をした経験が、今回のレコーディングに、すごく活きてます」
――アルバム・タイトルに“ブルース”とあって、しかもこういう字体でしょ。日本で言うところの“ブルース”のニュアンスも出ている。
「この“ブルース”のフォントは、
青江三奈 さんの〈伊勢佐木町ブルース〉がお手本なんです(笑)。“ブルーズ”じゃだめ。
ピーター・バラカン さんには叱られるかもしれないけど(笑)。日本語で歌う以上、日本人的な咀嚼。いい意味での“誤解”が含まれてる感じでつくりたかった。昔、海外のヒット曲を日本の作詞家がけっこう適当な日本語詞に訳していて、でもそこがおもしろかったみたいなこと、ありましたよね。そういう世界観というのは、自分の中でも好きなものとして、いまだにある」
――今回、ティンパン 参加の曲も2曲収録されていますが、たとえば細野さんとそういう話をされたりはしますか? 「洋楽との向き合い方、日本語でカヴァーする時の言葉の使い方とか乗せ方は、近くにいるから影響は受けてると思います。いかにも“訳しました〜”って感じの訳じゃなくて、ず〜っと昔からこうして歌われていたように聞こえる。そう錯覚させるようなね。そこは自分も意識してますね」
――「ハニートラップ」に“所謂”と出てくるくだりで、そういう感覚をおぼえました(笑)。
「そうですか(笑)。ははは。なるべく他の人が使わない言葉をうまく使えたらいいなあ、というのがあって。それこそ
松本 隆 さんが詞を書いて、
大滝詠一 さんや細野さんが歌にしていた
はっぴいえんど からの影響もあるし。このビートにこの言葉は絶対乗らない。そう言われるだろうところをうまく乗せたい。そういう欲は、いつもありますね」
――英語の場合脚韻は踏みやすいし、意味の情報量も詰め込みやすい。ある意味楽な言語だと思うんです。一方、日本語って同音異義語がたくさんあって、音節ぐるみで語呂を合わせていくところがありますよね。そういう、英語とは違う日本語の可能性を感じる部分が、聴いていてたくさんありました。
「高田渡トリビュートをやっていた中で、あのアルバムに収録されていた曲って、本来歌うために書かれたわけではない“詩”をいかに曲にするか。父のそういう試みを洗い直す作業だったと思うんです。それはそれでやってて楽しかったんですけど、今回その反動として、歌われる前提で書いた詞をどうリズムに乗せるか、どうやってストーリーと折り合いをつけていくかということを、すごく気にしていた。そこは新鮮でした」
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――ティンパン参加の「Sleepwalk」は、漣さんが選曲されたんですか。
「そうなんですけど、昔(
鈴木)茂 さんと一緒にやったことがある曲なんです。年長者に対する気遣いっていうか、あまりむずかしい曲だと大変なので(笑)。というのは半分冗談で、皆さんがなんとなくご存知で、かつ演奏のよさが活きる曲がいいと思った。こういうふつうのハチロク・ビートって、簡単そうに思えてじつはむずかしい。でも、シンプルなビートを叩く(
林)立夫 さんって、ほんとにいいんだよなとか。細野さん、粋なフレーズを入れてくるんだよなとか。
矢野顕子 さんとの共演ステージを観ながら考えていたことが、みごとはまった感じでした」
――お三方のレンジの広さが伝わってくる。私には、ある種ラテン音楽的にも聞こえました。
「うんうん。もっと渋くなるかな? それともオリジナルの
サント&ジョニー みたいにしようかなとか、いろいろ考えてはいたんですけど、結果ティンパンじゃないとできない音になった。僕自身、ティンパン・サウンドの手のひらに乗って演奏している感じでした」
――共演は楽しいものですか? それともいまだに緊張する?
「緊張はしなかったです。それだけご一緒する機会が多いということもあるのかもしれないけど、僕、細野さんの娘さんと同世代なんです。言わば子ども世代、それどころか細野バンドなんか、(
伊藤)大地 くんみたいに、さらに下の世代のミュージシャンたちと一緒にやってらっしゃるんですよね。垣根がない。細野バンドのライヴアレンジなんか、こう言ってはなんですけど、“無”からの旅立ちですからね(笑)。細野さんが持ってきたデモ音源を聴いて、その場で譜面書いて、“さてどうしよう”って、ああでもないこうでもないってやっていく。今回僕のアルバムに参加してくれているドラムの大地くんや、ベースの
伊賀(航 )くんは、まさにそれを一緒にやってるメンバー。よく話してるんですけど、今度のアルバムって、ある意味“細野ゼミ”の中間報告だねって」
――もう1曲、ティンパンが参加している「文違い」は、後半がインスト。実質2曲のように聞こえます。
「あの曲はもともと、ティンパンとやるかどうか、分からない状態でつくっていた。94年頃のサウンドをイメージする上で、もうひとつ念頭にあったのが
ジム・オルーク だったんです。ジムさんとも何度もご一緒しているし。だからもともとは、後半だんだん壊れていって、スティール・ギターがぐわ〜〜〜、みたいな展開を考えていたんですが、ティンパンと一緒に演奏してみたら、シカゴだったはずがLAに行っちゃった(笑)。いい意味で、発注先を間違えました(爆笑)。でも、まさに僕が聴きたかった茂さんのスライド・ギターが聴けたし、結果的にお願いして良かったと思ってます。ほんとは、前のパートが2分ちょっと、後半が3分くらいあって、曲調もあれだけ違うでしょ。ギャラも2曲分お支払いしないといけないところなんですが(笑)、1曲ということで、かんべんしていただいてます。なので、ティンパンはつごう3曲聴けます(笑)」
――歌詞についてもう一点言うと、ジャイヴやファンクに合うノヴェルティ的な表現だけじゃなく、「ハレノヒ」のような叙情的な作品に取り組んでらっしゃることも、印象的でした。
「とにかく今回、言葉に対して自由になれた。さっきお話した高田渡トリビュートでの経験が大きいと思うんですが、どんな言葉でどんなメロディであっても、振り分けさえすれば、言葉ってちゃんと乗るんだなと。逆に言えば、歌えない言葉なんてない。もちろん内容の問題はありますけど、そう思ったとたん、いろんなものが急に書けるようになった。〈ハレノヒ〉と〈ラッシュアワー〉だけは、先に曲があったんです。でも、この2曲に関しても、詞と同時、あるいは先に詞があったのと同じような感じで書くことができたのは、発見でした」
――音で語呂合わせすると、ともすればコミカルになりがちですよね。そこをあえてコミカルにしないことも含めて、日本語に“踏み込んでる”印象がありました。
「人から見たら滑稽に見えるかもしれないけど、その時その人は必死。そういう瞬間のほうに、僕はブルースを感じるんです」
――悲喜こもごも、ということですね。
「そうそう。そこに漂う哀愁に興味があるんです。今回歌ってる内容も、とどのつまりはバカらしいし滑稽。なんだけど、その瞬間瞬間は、一所懸命悩んでたりもがいてたりするんですよ」
――先ほど話題に出た「ドレミ」なんて、じつは悲惨な歌ですよね。でも「ドレミ」という音の響きを含めて、“笑おう”という表現になっている。
「まさにそうですね」
――作者であるウディ・ガスリーの、“負けてたまるか”という気概も反映されてるんだと思うんですけど。
「悲しい内容なら曲調はなるべく明るく。明るい曲調だったら、その中に少し悲しさを……というのは、なんとなくイメージしてるところですね、昔から」
――最後に、本筋からはずれる質問をひとつ。漣さんのトレードマークであるスティール・ギターって、アコースティック楽器であると同時に、サイケデリックな側面を持ってますよね。演奏する当事者として、そのあたりをどう捉えてらっしゃいますか。
「じつは、僕が最初にスティール・ギターってものの存在に気がついたのは、
デイヴ・ギルモア の演奏だったんですよ」
――なんと(驚)。
「
小林克也 さんがやってらした深夜番組だと思うんですけど、
ピンク・フロイド の特集をやっていて、そこでデイヴ・ギルモアがいきなりスティール・ギターを弾き出した。“なんだこれ?”と思ったのが最初だったんです。ある種のサイケデリックっていうか、一種飛び道具的な捉え方だった。自分でも弾き始めていくうちに、
ブライアン・イーノ を通じて
ダニエル・ラノア のスティールを知ったりとかね。弦楽器奏者にとってのシンセサイザーみたいなイメージがありました」
――その喩えはおもしろいですね。
「ただ、その一方で、うちの
親父 がウェスタン・スウィングがすごく好きだった。あるいは
スパイク・ジョーンズ の背後に、かならず
スピーディー・ウェスト のスティールが入ってたり。そういう演奏も聴いていたんです。スティール・ギターにのめり込んでいくうちに、本道であるそっちのほうへと、興味が湧いていったんです。一時期
サンディー さんのバックをやっていたご縁で、スラッキー・ギターの
山内雄喜 さんに出会ってからは、山内さんの場合はハワイだけど、“漣ちゃんはこういうのも好きだよね”って、ウェスタン・スウィングのレコードをたくさん聴かせてもらって。そこからはもう、どっぷり……。だから、演奏家としてはロック的なものもやるんですけど、自分の好みでスティール・ギターを弾く時は、今回やってる〈Take It Away, Leon〉みたいなオーセンティックな曲、それどころかみんなに忘れられてるような曲をやりたいと思う。ロックンロールが生まれる前に、みんなが聴いてるようなものを演奏したくなるんです。ロック的なアプローチは僕以外にもやる人がたくさんいるので、自分としてはスティール・ギター本来の使い方があったり、スティール・ギターが使われてる音楽の楽しさというのを、うまく提示できたらいいな、と思っています」
――アメリカの若いミュージシャンで、エルヴィス登場以前のスティール・ギターにこだわっている人って、いるんですか。
「僕が知ってるかぎり、一人はいます(笑)」
――やっぱり“再発見”なんですね。
「スティール・ギターが生まれたことって、じつはエレクトリック・ギター誕生にもつながっている。フレッド・タヴァレスっていう、元は花形スティール奏者だった人がフェンダー社に入ったことで、ストラトキャスターが生まれたわけですから。結果誕生したロックンロールによって、スティール・ギターが使われる音楽って駆逐されていったんですけど(苦笑)、そのつなぎ目、ぎりぎりのミッシング・リンクにすごく興味がある。音楽をつくる側というより、研究する側としての視点ですけど」
――おもしろいですね。“駆逐された”とはいえ、たとえばロック・バンドがスライド・ギターに傾倒していったのにも、ある種の“先祖返り”的な側面があったのかもしれないし。
「ポップスの世界にだけ身を置いていたら、弾くことのない楽器だとは思うんですよ。実際、自分でもスティール・ギターを忘れかけていた時代があるし。そういう気持ちを思い起こさせてくれたのが細野さん。細野晴臣バンドで、“漣くん、あっちのスタイルのスティールで弾いて”って言われて、昔はまってたその時代の音源を聴き直した。きっかけは明らかですね。一方で細野さんのバンドをやっていてすごく思うのは、ああいう戦前のブギウギとかを、若い子たちがすごく新鮮なものとして受け取っているということなんです。それが自分にとって、すごくいい刺激になってもいる。今回のアルバムをつくるにあたっての原動力にもなったんですよね。僕にとって、ルーツ・ミュージックと向き合うことは、過去への問いかけにどうしてもなりがちだけど、今の若い子たちがそれを聴いたら、全然違う風に聴くのかもしれない。そういう期待感みたいなものがある。だから、あえて音は現代的に……って言っても20年以上前なんですど(笑)。でも、そういう思いがあいまって、自分の中のある種の若返り、青春時代に気持ちが戻ったようなところが、あったのかもしれませんね」
取材・文 / 真保みゆき(2017年9月)
2017年12月24日(日) 東京 青山 CAY 出演: 高田 漣(vo, g) / 伊藤大地(ds) / 伊賀 航(b) / 野村卓史(key) 開場 17:30 / 開演 18:00自由席 4,500円 / 立ち見 3,900円 ※お問い合わせ: CAY 03-3498-7840(平日12:00〜20:00)