東京のヒップホップと一口に言ってもさまざまだが、Cracks Brothersの待望のフル・アルバム『03』もまた東京の最深部のシーンで熟成された音楽だ。そのことはこのインタビューを読んでもらえれば伝わるだろう。Cracks Brothersは、SPERB、FEBB AS YOUNG MASON、C.J.CAL、DJ SCARFACEから成る。インタビュー中で3人のメンバーが語っているように、本作の制作は、今年2月に急逝したFEBBが中心的役割を果たした。アルバムは、C.J.CALが語る通りシャープで洒落ている。同時に力強い。Cracks Brothersとは一体どんなグループなのだろうか?
――Cracks Brothersはまず最初にどう始まったんですか?
DJ SCARFACE 「SPERBのソロ・アルバム『REPLACEMENT KILLA EP』(2011年)にレーベル名としてCracks Brothersが出たのが最初ですね。その頃まだ十代だったFEBBはクラブとかにも出入りしていて、TETRAD THE GANG OF FOURのパーティによく顔を出していた。同時期に中野のheavysick ZEROでイベントもオーガナイズしていて、そこにSPERBがゲストで呼ばれたんですよね。その時にFEBBがSPERBのバックDJをやったりして。FEBBがまだFla$hbackSをやる前ですね」
DJ SCARFACE 「FEBBに出会った時は、彼はオーガナイザーでDJだった。ラップは練習していたとは思うんですけど、まだ人前ではやっていなかったんですよ。そんなFEBBに、SPERBが“FEBBは良い意味で生意気ところがあってラッパーに向いてるんじゃないか”って言ったんです。だから、FEBBがラップを始めるきっかけを与えたのはSPERBだったと思いますね。もちろんそれがなくてもFEBBはラップを始めていたとは思うけど、FEBBはSPERBのこと大好きだったと思います。FEBBって、自分がいま一番イケてると思うところに行く人だから」
DJ SCARFACE 「去年の7月ぐらいからですね。FEBBがSPERBにアルバムを作りたいと言っていたのもきっかけにあるんですけど、MANTLEさんが最近出したアナログ『MANTLE EP5“CORE OF THE UNDERGROUND XIII”』にROBERTA CRACK(NIPPS)と一緒にCracks Brothersがフィーチャリングされた〈BEAM ME UP SCHOTTY〉って曲があるんです。その曲のレコーディングで久しぶりにみんなで集まったのもきっかけでしたね」
――それは間違いなく代表ですね(笑)。アルバムに関して言うと、トラックのヴァリエーションが豊富で面白いですよね。「U OUGHTA FUCKIN KNOW」のようなちょっとロックっぽいサンプリングを基調としたトラックがあったり、「DANCE IN AN ANGEL」みたいなアーバンでメロウな曲もあります。全体の流れ、構成も考え抜かれていると感じました。
DJ SCARFACE 「そうですね。アルバムとして飛ばさずに聴けるようになっているはずです。そこはSPERBが決めました」
DJ SCARFACE 「FEBBが亡くなってしまったのはホント制作の途中だったんで。特別なアルバムになってしまいました。一度はもうアルバムどころの話じゃないだろうってなったんです。でも、FEBBが引っ張るぐらいの勢いで始まったことだし、FEBBがやりたかったことだから形にしよう、と。周りからもやった方がいいよって言われましたしね」