日本の音楽のガラパゴス化(要は日本の音楽の鎖国状態)の危機が一部で叫ばれて久しいが、1991年生まれの福岡出身のビートメイカー、
CRAM の話を聞いていると、ビート・ミュージック・シーンにそんな心配はないのだと思う。そこにグルーヴィーなビートさえあればいいのだ。
福岡からトロントを経由して現在、東京在住のCRAMは、これまでに
Bandcamp や
SoundCloud 、あるいはフィジカルで数多くの作品を発表してきた。そこには、ビートメイカーやラッパーとの共作も含まれる。そして先日、
ISSUGI のオファーを受け、東京のヒップホップ・レーベル「
Dogear Records 」からソロ・アルバム『
The Lord 』をリリースした。
スケートボードが路面を擦る音や人々の会話や喧噪、そしてクラクションの音などがふんだんに用いられた、街の息吹が感じられるビートで紡ぐ全22曲36分間のストーリー。鳴りはローファイで、アタックは強烈。それらはCRAMの意志の強さの表れのようだ。
――『The Lord』の22曲を通して聴いて印象的だったのは、スケボーが路面を擦る音、人々の会話や喧噪、クラクションの音、そういう街の音がとても効果的に使われていて、立体感がありますよね。最後の「SOUND OF URBAN TORONTO」もそうですね。ストーリーをビートで紡いでいるんだと思いました。
「そうですね。〈SOUND OF URBAN TORONTO〉の最後にトロントの地下鉄で流れる“ドアの前を開けてください”っていうアナウンスで、地下鉄を降りてアルバムが終わるんです。このストーリー仕立てのスタイルは2、3年前ぐらいからやってます。なぜかと言うと、普通のビート・アルバムだと飽きちゃうからなんです。ビートが大好きな僕でもビート・アルバムって聴いてて飽きちゃったりすることがあるんです。大好きなビートメイカーだったとしてもそういうことがある。だから、聴いている人を飽きさせない方法を考えた。映画みたいなアルバムを作りたくて、たくさんSEを入れたり、スケボーの音を入れたり、ラッパーの人に参加してもらったりしてますね。あと、DJミックスみたいに聴かせられればいいなって思って作りました。
J・ディラ の『
ドーナッツ 』とか、
ノレッジ の『
ハッド・ドリームス 』とかも曲間がないですよね」
――スケボーの映像は例えば何を観るんですか?
「シュプリームの『CHERRY』ってヴィデオが大好きなんです。スケボーのシーンを変えたような映像で、2、3年前に作っていた作品はそこからアイディアをもらったりしました。そうやって作ったビート・アルバムは、映画やスケボーのヴィデオを観ているような感じで聴かせられるなって気づいて、その手法はその後も使ってます。夜にYouTubeでスケボーの映像をよく観るんですけど、使えそうな音はすぐにBOSSのSP(サンプラー)に入れておきます。探して見つかるものじゃないんですよね。だから見つけたときにちゃんと保存しておくんです。スケボーの映像に関してはシュプリーム周りからディグって、そこに関連したスケーターの映像を観たりしてますね」
――トロントもスケボーは盛んだった?
「めちゃめちゃ盛んでしたね。オーリーができない人も普通にスケボーやっていたり、スーツの人がローラーブレードに乗ってたり、そういう環境で1年ぐらい生活したのも大きいですね。いまでもすげえわくわくしたのをおぼえてます」
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――なるほど。1曲目の「MY LORD GAVE ME A WING」がゴスペルというか聖歌隊のコーラスで始まるのも印象的ですよね。
「ちょうどその曲を作っているときに
ケンドリック・ラマー をよく聴いてたんです。ケンドリックの音楽にもキリスト教の要素があって、そういう歌が入ってきたりしますよね。だから、あの部分はケンドリックに影響を受けましたね」
――サンプリング・ソースが種々雑多でもありますよね。70年代のソウルもあれば、80年代のブギー・ファンクもあるし、90年代のR&Bのサンプリングだと思われるものもありますね。
「ただ、特別そういうのを意識しているわけではないんですよね。YouTubeの関連動画でひたすらディグって、いいなって思ったら保存して作るときに聴き直して使えそうだったらサンプリングします。YouTubeからも、レコードからも、Spotifyからもサンプリングしますね。ビートを作り始めたころは、レコードからサンプリングしてたんですけど、“こういう方法はなし”って決めない方がいいと思うんです。そうすると作るビートの幅が狭まってしまうし、ヒップホップは最後はカッコよかったら許される音楽だと思うんですよ」
――ところで、ヒップホップの世界に入っていったり、ビートを作り始めたのはいつからですか?
「
FREEZ さん(福岡の親不孝通りを代表するラッパー / DJ)がやっていた福岡のBASEってクラブに、同じ年のPOCKYっていうラッパーと初めて出演させてもらったんです。18歳ぐらいのことで、まだビートは作っていなくて、僕はDJとして出ました。そのとき誘ってくれたのが、ISSUGIさんとも仲の良いDJの
SHOE さんという方でした。当時は、90年代のヒップホップがメインでかかってたと思うんですけど、その中でSHOEさんや
DJ GQ さんはわりと新しいものをかけてました。2009年ぐらいですね」
――その後、DJではなく、ビートメイカーの道を進んだのはなぜですか?
「自分の作ったビートでフロアを盛り上げたかったんですよね。で、どの機材を買うか迷っていたときに、『Wax Poetics』に載ってた
MF・ドゥーム がSPを持っている写真を見たんです。
マッドリブ もそのサンプラーを使っている、みたいな話も書いてあって。“カッケー!”って思ってすぐに買いましたね。当時はビートメイカーの多くはMPCを使っていたので、人と違う機材で作りたかったのが大きいです。オークションで8,000円で買ったんですけど、いまは2、3万円ぐらいになってるんですよね」
――福岡市には
DARAHA BEATS というヒップホップやクラブ・ミュージック・シーンにおける重要なレコード屋がありますよね。やっぱりまずはDARAHA BEATSに作品を置いたりするところからですか?
「そうですね。原田さん(DARAHA BEATSの店主)がすごく世話してくれました。ISSUGIさんと知り合ったのも原田さんがISSUGIさんに僕の電話番号を教えてくれたからです。DARAHA BEATSはめっちゃ重要ですし、すごく感謝してます。原田さんに“作ったんで置きに行っていいですかー?”って。それで売れたらお金もらえるので、“やったー!”って(笑)」
――ははは。その後、トロントに行くわけですね。
「はい。大学卒業してから1年間お金を貯めて、ワーキングホリデイで行きました。カナダに
エラクエント (Elaquent)っていうBUDAさん(
BUDAMUNK )とも知り合いのビートメイカーがいて、彼に会いに行こうって。それと英語の勉強もしたかったんで」
――CRAMくんがトロントに行ったころは、少しずつビート・ミュージックが注目を集めて、認知されてきた時代でもありますよね。ビートメイカーが主役になることがそれまでよりも一般化してきた時代だと思います。そういう時代の変化はどう感じてましたか?
「トロントにはビートメイカーもたくさんいましたね。SoundCloudで住んでいる場所をトロントにしていたんです。で、それがきっかけでCYってトロント在住のビートメイカーとすごく仲良くなった。CYもヒップホップの中でもコンプがパツパツにかかったビートが好きだったからすぐに仲良くなりましたね。向こうからすると、日本から来たヤツがそういう音楽を作っていたから興味を持ってくれたのもあると思います。作り方もぜんぜん違う。こっちが当たり前の作り方も彼からすると驚きだったようです。僕が彼に背中を向けてビートを作っていると、“うおおーー”って後ろから叫び声が聞こえてきたりしましたね(笑)。そういう人たちとクラブというよりバーに集まって音を鳴らしてました。向こうの人は、僕が日本から来たと知ると、“BUDAMUNKを知っているか?”ってほぼ必ず訊いてきました。会う人、会う人、みんながそれを言ってくるんですよ。で、僕が“話したことあるよ”って自慢気に言うと(笑)、“おぉぉぉー”みたいな驚きの反応をされました」
――そうなんですね! 当時はBUDAMUNKのどの作品が聴かれてましたか?
「たぶん、その当時みんなが聴いてたのは『Buda Session:The Mixtape』(2009年)だと思いますね」
――今回のCRAMくんのアルバムには海外の人も含めラッパーが参加しています。その人たちについて聞かせてもらいたいんですけど、まず
デクスター・フィズ (DEXTER FIZZ)はどのようなラッパーですか?
「メリーランド州っていうNYからちょっと外れたところに住んでいるラッパーで、彼ともSoundCloudで知り合いました。で、一緒に曲を作るようになってアルバムを出すことになった(『
TRANSMITTING 1990 WAVES 』2015年)。デクスターは一昨年、日本に来てそのとき初めて会って。デクスターはめっちゃラップが巧いんですよ。だから僕が“ラップでお前はイケるやろ”って言ったんですけど、“いや、俺ぐらいのラップの巧さのヤツは1万人ぐらいいる。いまはラップの巧さは当たり前だ。売れるためには、さらに、背が高いとか顔がカッコイイとかスケボーが上手だとかもうひとつフィーチャーされる要素が必要なんだ”って言ってて。厳しい世界だなって思いましたね」
――
ILL-SUGI (Nasty Ill Brother S.U.G.I)のラップはひさびさに聴いた気がします。
「ビート作品はたくさん出してるけど、ラップしている作品はあまりないじゃないですか。ラップもカッコイイことを知ってたからお願いしました。僕が福岡の同じ年の
Reidam ってラッパーのバックDJで東京に来たときに出演したのがILL-SUGIくんが主催する〈Slow Lights〉(中野heavysick zeroで定期開催されているヒップホップのパーティ。現在はCRAMもレギュラーで出演)ってパーティだったんです。そこで出会いましたね」
――
仙人掌 がラップするビートはどこかで聴いたことがあって、ここまで出かかってるんですけど……。
「ISSUGIさんのリミックス(〈TIME feat. KID FRESINO, 5lack〉)に使ってました。マッドリブもよくやりますけど、リミックスのビートに他のラッパーがまた乗せるっていうのが好きでやりました」
「リッチモンドの
ミュータント・アカデミー (Mutant Academy)っていう3人組のグループのメンバーだったんですけど、コンセプト・ジャクソンは最近そのグループから抜けましたね。僕はもうひとりのメンバーでビートメイカーの
tuamie をSoundCloudで知って、フライ・アナキンにたどりついた。実は最初はラッパーはひとりも参加していなかったんですよ。ただ、ISSUGIさんにアルバムのデータを渡したときに“ラッパーを入れても良くない?”ってアドバイスされたんです。それで、僕は英語ができるから海外のラッパーに頼んでみようって思い立ったんです。20組ぐらいのアーティストにメールしましたね。
アンダーソン・パーク にもメールしました(笑)。でも、そんな中でいちばん一緒にやりたかったのがフライ・アナキンとコンセプト・ジャクソンだった。そのいちばんやりたかった2人からOKの返事がもらえたんです。ぶち上がりましたね!」
――話を聞いていると、SoundCloudは活動するにあたって絶対に欠かせないものなんですね。
「そうですね。SoundCloudは絶対なくならないでほしいです。この前BUDAさんと話していて、たぶんある時期のMySpaceがいまのSoundCloudみたいな役割だったんだろうなって思いました。SoundCloudは実験的なビートも気軽にアップできるし、リミックスもアップできる。みんながインスタで写真をぱっとアップするような感覚というか、SNSなんでそんな感じなんですよ。で、そこでビートメイカー同士や、ラッパーとの交流が生まれる。SoundCloudで実験して、ガチな作品はSpotifyとかで配信することもできる。ビートメイカーにとってSoundCloudは超重要ですね」
――なるほど。そして、タイトル曲「THE LORD」にはISSUGI、
BES 、
KOJOE が参加してます。
「最初はISSUGIさんだけにお願いしようと思っていたんです。まさかBESさんやKOJOEさんにもやってもらえるとは思ってなかったです。ISSUGIさんのおかげです。
SWANKY SWIPE (BESが所属するグループ)の『
Bunks Marmalade 』(2006年)は高校のころに聴いてましたから。地元の福岡のキャップ屋の悪いオニイチャンがいたんですけど(笑)、僕はあまりヒップホップを知らなかったから、その人に“日本のヒップホップで一番カッコイイのはなんですか?”って訊いたら、“SWANKY SWIPEだよ”って教えてもらって(笑)。もう、BESさんは声からして他の人と違ったじゃないですか。その上、怖い(笑)。でも、すげえーってなるヒップホップだったんですよね。NYのディップセットを聴いて、怖いけどわくわくする感覚と同じだったんです。あのアルバムでビートを作ってる、いまNYに住んでるアメリカ人のマリク(Malik)のビートもカッコイイですよね。マリクが日本にちょっと前に来てて、そのとき友達になりました。で、最近クラブに行ったら、NYに住んでいた日本人に話しかけられたんです。その人はNYでマリクと話したことがあるらしくて、“日本人でヤバいのはISSUGIとCRAMだ”って言ってくれてたそうです。嬉しかったですね(笑)」
――すでにフィジカルや配信で多くの作品をリリースしてきてますけど、今後はどんな展開を考えていますか?
「これからも聴いた人がわくわくするビートや作品が作りたいですね。任天堂のゲームが発表されたときにアメリカ人でも“うおぉぉー、マジでやべー!”って興奮するし、ケンドリックやJ・コールのアルバムが出るって知ったら日本人の僕もめっちゃぶち上がる。僕はこの2人のラッパーが本当に大好きなんで。自分の作品も聴く人にとってそういう作品であってほしいですね」
取材・文 / 二木 信(2018年10月)