〈KING OF KINGS 2016 FINAL〉優勝(翌年も連覇)の直後、2017年1月にリリースした
GADORO のファースト・アルバム『
四畳半 』は衝撃的だった。話題を集めた「クズ」を筆頭に、並ぶのは無防備なまでに孤独で正直な言葉。ポエトリー調のフロウにも驚いたが、よくよく聴けば、相手を食い殺さんばかりの気迫でラップするバトルでの姿に感じた“命がけ”のイメージに合致している。同年11月には早くもセカンド『
花水木 』を発表。前作のヒットで生まれた自信の為せる業か、徐々に胸を張り始めている感触があった。
昨年末に日本コロムビアからのメジャー・デビューを発表。届けられたサード・アルバム『
SUIGARA 』は、さらに開かれた内容を誇る。PENTAXXX.B.F、Yuto.com™、観音クリエイション、
DJ PMX など縁のあるトラックメイカーたちと組み、オン・ビートで韻を重視したラップはもちろん歌っぽいフロウも聴かせている。内容も決意表明ありボーストあり、過去の苦い経験の赤裸々な告白や、内面の吐露も健在だ。
生まれ育った宮崎県児湯郡高鍋町でいまも暮らしながら、“無駄に高いビルとプライド”が建ち並ぶ東京を“最愛の街から超えてみたい”(「Life is go on」)と歌うGADOROは、言葉を選びながら訥々と、しかし饒舌に語ってくれた。
――メジャー・デビューに至った経緯からうかがってもいいですか?
「コロムビアさんからお話があったのは、セカンド・アルバムを出すちょっと前ぐらいですね。メジャー経験がないから、どんなものなのかは知らなかったんですけど、メジャーで俺みたいな音楽してる人も100%いないだろうし(笑)、それも面白いかなって思ったのと、やっぱひとりでも多くに届いてくれたら……って思って、引き受けました」
――葛藤があった?
「ありました。どんな意味とか効果があるのかわからなかったし、メジャーに行くことによってヒップホップじゃなくなるのかな、とも思ったり。例えばセカンドでは“マ○コ”とか言ってましたけど、メジャーじゃやっぱ言えんなったりするんやろうな、とか。でも作り終わってみたら、自分自身から出てくる言葉にそもそも規制されるようなものが少なくなってたのと、ダメだろうなって思ったやつが意外にそのまま通って、思ったほど規制ないんだなって。自分的に面白かったのが、前は“マ○コ”とか言ってる自分すげえヒップホップやな、とか思ってたんですけど、普通に下品だなって(笑)。でも規制を意識したことで、ひねった言い回しが出てきたりするんですよね。例えば女性器を“真っ黒い太陽”(レイニーブルース)って言うとか、“旅行に行けなくたって デートにも行けなくたって 連れてく夜のパワースポット イニシャルはG”(三日月)って言うとか。逆にそういう表現が生まれて、このほうが面白いなって思いました」
――聴いて思ったのは、いい意味で変わっていないなと。メジャーだから派手にする、ポップにするとかじゃなくて、GADOROさんならではのスタイルが保たれていると感じました。
「けっこう変わってるんですけどね。ファースト、セカンドって泣きの歌が多くて、〈背中〉とか〈カタツムリ〉とか〈クズ〉とか、言うたらポエトリーリーディングみたいな、詩をそのまま同じフロウで歌っていく感じの。そしたらまわりの人から“GADOROの曲はいいんだけど、よすぎて聴くほうも覚悟が要る”って言われたんですよ。朝、出勤時にクルマの中でノリで聴くとかじゃダメで、家に帰って正座して聴かんといかん、みたいな。そんな覚悟を持って聴いてくれてたのかと(笑)。俺は流し聴きでいいぐらいに思ってたから、うれしい反面すごいショックでもあったんですよ。だから今回は、誰でもどこでも聴けるように、表現の本質は変えないけど、トラックやフロウではいろいろ挑戦しました」
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――歌っぽいフロウもそのひとつですか?
「これはもともとできると自負してたことですね。ヒップホップを知らなかったころからよく即興で歌ってて、他の人はできなかったから、すげえなとか言われてて。ファースト、セカンドのときは自分のリアルを表現するにはポエトリーリーディングみたいなスタイルしかなかったんですけど、せっかくできるんだからやってみないともったいないな、と思って。“GADORO、いつも単調だな”と思ってる人もいると思うんですけど、こういうこともできるんだよって知らせたかったし、自分でもしたかったんです。最初の2枚はいま聴いてみると重い曲が多いんですよ。それはいい意味でも。そういう人生だったし、そういう曲が好きだったし。けど今回は、例えば重いトラックに乗せたらそれこそすげえ重くなるようなヴァースを、あえて明るいトラックで歌ったりしました。過去の面倒とか困難も、いまは笑い話になるよな、みたいなノリですね」
――冒頭の「チャレンジャー feat. J-REXXX」は決意表明みたいな歌ですよね。“中指を立てた裏側の4本の指が今も俺を睨んでる”という表現がGADOROさんらしいと思いました。
「中指はそれだけの覚悟がないと立てちゃダメだし、それをわかった上で、あえて立てていかないとなって。決意表明っていうのはほんとその通りで、ハングリーさとか尖ったものが削れてどんどん丸くなっていくアーティストを見てると、寂しくなるんですよね。自分は絶対にそうはなりたくないっていうか、一生チャレンジャーでいたいと思ってて、それでいいよな、って自分自身に問いかけるような意味で作った曲です」
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――ハングリーであり続けるのって難しいですよね。
「ハングリー精神って恨み、ひがみ、ねたみ、そねみから生まれるんですよね。俺もすげえ報われちょる人とか見たら殺したくなるぐらいだったし。でも、音楽があればそういう感情を力に変えられる。それがハングリーやと思うんです。地元にはひねくれたやつがいっぱいいて、そのひがみやねたみを力にしてハングリーに化けるか、陰で悪口言って終わらせるかって、すげえ差だと思うんです」
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Lamp Eye の「証言」の一節をサンプリングした「RED ZONE」はいわゆるボースト・ソングで、ちょっと新鮮です。
「いろいろな意味で振り切ったっていうか、バグってる曲って感じですね(笑)。深い意味はないんですけど、読んで字のごとく、RED ZONEに突入しようって思って書きました」
――“このマイクも俺が握りゃ銃刀法違反”とか。
「面白いから、って感覚です。3ヴァース目とか途中歌ってないんですけど(“真似しちゃダメ小節の無駄使い”の前)、歌えよって思います(笑)」
――さっき少し話に出た「レイニーブルース」と「三日月」は過去の恋愛を歌っている?
「〈レイニーブルース〉は浮気された女の曲ですね」
――「三日月」には幸せそうな描写もありますが……。
「サビで切なくなってますね。別れちゃってるんで。結局、意地を張って何も言えんまま、みたいな。いちばんひどかった時期に支えてくれちょった女性なんで、思い入れも深くて、すぐ書けました」
――「オトノ葉 feat. アサキ」はラップ・ミュージックへのラブ・ソングみたいに聞こえました。
「まさにそうです。初めてのフロウを試したりしました。
アサキ さんは渋谷の駅前の路上でライヴしてる動画を見て好きになったんですよ。リリックも独特だし、声はかわいいけどすげえぶっといし、初めて聴いた感覚で。以来、個人的にファンだったんです。〈チャレンジャー〉に客演してくれた
J-REXXX さんも同じですね」
――「I'm sorry」は亡くなったお友達のことを歌った曲ですか?
「えっ、なんでわかるんですか? その通りです。女性の方なんですけど、俺がラップを始めて間もないころに作った〈未来〉って曲をすごい気に入っていつも聴いててくれて。白血病で“治してライヴ見に行くね”って言ってくれちょったんですけど、そのまま亡くなってしまって。同級生でいちばん性格がいい子だったんですよ。“どうして君のような人が散り、どうしてあのような人が生きる くだらない、分からない、やっぱり神様はいない”って歌ってますけど、ほんとにそうだなと思って書きました」
――「下を向いて歩こう」は、これまでGADOROさんが自称してきた“クズ”とか“カス”といった立場からのマニフェストに聞こえました。
「まさにそういう気持ちで書きました。1、2ヴァース目でカスだった過去を歌って、3ヴァース目からやっと食えるようになって、4ヴァース目で決意表明してますね。“彼女の魔法カードキャッシュカード 発動すれば助かる気がしていた俺はただのカスだな”って、晒け出してますね。俺はクズとかカスって、ほんとは言いたくないけど晒け出す意味で使ってるんですよ。でも最近、いろんな人が現れて、クズって言葉がブランド化されてる気がしてて、俺はこれを最後にもう言いたくないんです(笑)。あの人たちは吹っ切れてるじゃないですか。俺はクズだぜ、かっけえだろ、ってクズを誇り出してて、あ、そうなったんだ、そっか、と。だったらもう俺は言わない、クズやカスから卒業してこそリアルだ、って」
――すばらしい(拍手)。
「まだ全然ですけどね。でも同じ曲で歌ってますけど、“どうせ地獄行き”になるのかなって(笑)」
――悲観的なヴィジョンは以前から言及していますよね。どうせ長くは続かないから、その間に稼いで楽しみたい、とか。
「二人の自分がおるんですよね。目標がガーンとある自分と、怯えて勇気を振り絞ってる自分と。どっちかっていうといまは“登りつめてやる”“大きな舞台に立ってやる”っていう自分が勝ってますけど、もうひとりの自分は“そんなことできんの? 東京進出もしないままで”とか“そうやって歌うことでなに保険かけちょるんか”とか言ってきて、常に葛藤がありますね。でも最後は落ちぶれてホームレスになってもいいとも思ってるんです。そしたらまたクズに戻って歌うのかもしれんけど(笑)、それはそれで面白いかなって。それぐらい大好きだし、賭けてますね、音楽に」
――「Life is go on」は、そんな不安も野望もあるいまの自分から将来の自分への手紙みたいに聞こえます。“東京は無駄に高いビルとプライド 最愛の街から超えてみたい”というくだりにしびれました。
「俺の好きなところを好きでいてくれてうれしいです(笑)。東京は何もかも高いじゃないですか。田舎もんからすると、クソッ、見下してんなぁと思って。でも地元に根を張ったまま戦ってそいつらを跪かせることができたら、かっこいいなって思うんですよ」
――韻を踏んでリズミカルに聴かせることと、ポエトリー的なフロウで言葉の内容を聴かせることの両方に長けているのがGADOROさんの特徴だなと思いました。
「やっぱりけっこう歌詞を重視してたんで。ポエトリーやったら言いたいことがそのままぶち込めるんですけど、今回みたいにポエトリーじゃないのが多くなるとフロウを意識するしかなくて、これを言いたいって思ってもはまらんから言えなかったりするんですよね。そこが大変でした。昔は全小節パンチラインにするつもりで書いてましたけど、それだと聴いてるほうも忙しいなと思って(笑)、ケツにボンと置いて、あとはフリースタイルに近いラフな感覚で書いたりしてみましたね。分散させたというか」
――「相棒」はバックDJとお客さんへのメッセージですよね。
「1ヴァース目をみっくん(DJ MIXNIST)、2ヴァース目をDJ HITOSHIに宛てました。3ヴァース目がお客さんです。何度も困らせてきたんで、バックDJもお客さんも。ライヴとかも、事前に決めたセトリと絶対に違うことするんですよ、俺が(笑)。それでDJを毎回焦らせたりとか、喧嘩もたくさんしてきたし。それでもついてきてくれてるんで、感謝の気持ちを綴りたいなと思って」
――「最期の詩」は“これはカタツムリからの4ヴァース目”と歌っている通り、おばあちゃんに捧げた曲ですけど、このテーマでもう一度歌おうと思ったのは?
「そもそも〈カタツムリ〉のときに7ヴァースぐれえ書けるんじゃないかって思ってて、無理やり3ヴァースに短縮してたんですよね。ばあちゃんの歌しつこいって思う人もいるかもしれないんですけど、俺のルーツなんで。何がなんでも書きたいと思って、いろんな思い出を詰め込みましたね」
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――“貴方から受け継いだ根性と言語”とか“自分に嘘だけはつくんじゃないと hip hopを教えてくれた第一人者”とありますけど、おばあちゃんから学んだ大事なことは?
「うーん……全部じゃないかなぁ。いつも堂々としてて、親戚やご近所にも頼りにされてて、男前な人やったんですよね。すげえなっていまも思うのは、70歳ぐらいでチャリの後ろに小学生の俺を乗せて2ケツしてくれてて、体力すごくないすか。あと空気入れって最初は楽だけど、パンパンになってくると固くなるじゃないですか。ばあちゃんはその状態からでもシュッて2回目で入れるんですよね。俺、いまだに2回目ではできないですよ。ばあちゃんウソやろ?みたいな。そういう力強いイメージもあって、憧れでもありました」
――ラップを始めたきっかけが
般若 さんの曲を聴いて衝撃を受けたことだったそうですが、どんなところが刺さったんでしょうか。
「歌詞がほんと衝撃的でした。“血と汗が俺のブリンブリンだ”(関係あんの?)とか“中身が無えのやっぱ好きじゃねー”(その男、東京につき)とか。いまは普通にみんな言うことですけど、当時は唯一無二で、すげえ食らいましたね。〈UMB 2008〉で、他のMCたちはセコンドを連れてきてるのに、般若さんだけ黒のジャージ着てひとりで来てて。その一匹狼な感じが自分自身と重なる部分があって、“この人は孤独に戦ってるんだ。すげえな”って。俺もずっと孤独やったですけど、それでも縮こまって媚を売ったりせずにいられたのは、般若さんの音楽のおかげもあったと思います」
――そしてラップを始めて、これに賭けよう、でかくなろうと思うようになったのは?
「バトルをしてたときには正直そういう気持ちはなかったですね。まだアルバムも出してなかったし。それまで仕事とかずっとしてなかったんですけど、なんでかわからんけど本気になれる唯一のものがラップだったんです。だからこれを一生懸命やってみようって。先のことを考えるようになったのは、ファースト・アルバムを出したあたりだと思います」
――ほんとに最近ですね。
「最初KOKで優勝した後、
DJ YANATAKE さんのラジオに出演オファーが来て、断ってしまいましたから。しゃべるのがイヤで(笑)。ステージ以外のことは何も考えてなかったですね。この人に嫌われたらどうしようとか、まったく。『フリースタイルダンジョン』の収録のときも、終わった後みんなでサイファーするってスタッフさんから言われて“あ、わかりました”って言ってたんですけど、帰ろうとしたんですよ(笑)。そしたら走って追いかけてきて、汗だくで“帰ったらダメですよ!”“電車が早くて……”“まだ夕方じゃないですか!”。それで連れ戻されてサイファーに出て、自分の出番で8小節ぐらいラップして、帰っていく姿が映像に残ってます(笑)。ほんとにそんな感じでしたね。でもやっぱり、“しゃべれないから出ない”とか“俺は音楽だけだ”とか“馴れ合いは嫌い”とか言ってたけど、もしかしたら俺、逃げてるだけなのかな? と思って。アルバムが出てから、もっと上に行きたい、もっといろんな人に聴いてもらいたいって考えるようになって、そういうことにもどんどん挑戦しようって気持ちになってきました。言うたら成長したのかなって思いますね。地方のライヴでまったく話さなかった人ともお酒を飲んで話せるようになってきて、馴れ合いじゃなく仲よくなって、一緒に曲を作ったり。なんかすげえうれしかったです」
――「友達」(『花水木』収録)にはその気持ちを書いていますよね。
「ほんとあんな感じです。友達なんかいらない、ひとりでいいやって思ってたけど、ほんとはほしかったんだなって。その思いを表現した曲です」
――かつて人付き合いを避けて孤独を選んでいた理由は何だったんでしょうか。
「んー、何だったのかな……中学校のとき野球部で、俺が自己中だったからだと思うんですけど孤立してたんですよ。キャッチボールする相手もおらんから、ひとりで壁当てしてて。意味がわからんから、一匹狼を気取ってずっとそのままにしてたんです。いっとき経ったら心を開いてくれるやつも出てきて、仲よくなってくれたって思うんですけど、結局ボスキャラみたいなやつに文句言われてまた離れていく。そういうことがあったからかな。中学時代はずっと仲悪い人ばっかで、ひととの仲よくなり方を3年間覚えられんかったから、高校に入っても心の開き方とかがわからんくて、そのまま」
――中学時代に学び損なったことをいま学び直しているような感じ?
「そうですね」
――当時の野球と現在のヒップホップがGADOROさんにとって同じ位置づけかどうかはわかりませんが、自分が本気で打ち込んでいることで仲間ができるって、すばらしいことですね。
「うれしいです。最近になって覚えたことで」
――残念ながらそろそろ時間なのですが、聴いてくれる人に伝えたいことはありますか?
「もし買って損したら、住所を教えてください」
――それぐらいの自信作ということですね(笑)。
取材・文 / 高岡洋詞(2019年2月)