来る5月18日に愛知・名古屋のアートスペース「
spazio rita 」でのイベント上映が決定したドキュメンタリー映画「
STANDARD 」(2018年)は、東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所での事故をきっかけとして、首都圏から全国へと広がった社会運動を“普通の青年”である、
平野太一 が監督となって記録した作品だ。主にインターネット上で多くの議論を繰り返しながら計画されたデモや抗議の映像と、その参加者たちのインタビューで構成されたこの映画について、ひとりの観客として受け取った想いを監督にぶつけ、話を訊いた。
――「STANDARD」はどんなテーマを持って制作をスタートさせたんですか?
「当初は、運動のアーカイヴとしての要素が強かったと思います。ネットやツイッターを介したものだったから初動、展開ともスピードが速かった。そしてログとして流れてしまうので、経緯がわかりづらいこともありましたし。みんなで『
UNITED IN ANGER -ACT UPの歴史- 』(以下、『ACT UP』)というドキュメンタリー映画を観たことも大きかったですね」
――3.11以降における脱・反原発運動、
TwitNoNukes の一連の動きをまとめるということですね。なぜ平野さんがまとめ役になったんでしょうか?
「この運動は、“同意していない人”も否定しないものだと今は思っているんですが、動いている側にとって"そういうことではないのに"と感じるような、明らかにリアルとは異なることを第三者が語る機会が徐々に増えて、ここは自分たちでまとめるべきだと思った結果です」
――私自身はデモや抗議に参加すると、場に存在する正義感と、ただただそれに押し流されてしまいそうな自分が怖くなるんです。だから映画では3.11以降の原発事故からの時間軸の描き方がすごく印象的でした。感情を排して、起こったことを整理して“記録”していることが結果、良い表現になっていましたね。
「最初はもっと事実だけを並べた、さらに淡々としたものにしようとしていたんですが、それだと作っている人の顔が見えないって指摘を受けたこともあって、そこからはなるべく多く僕個人としての視点も入れていったつもりです(笑)」
――2018年の初回上映と、2019年4月の上映で都合二回拝見して、現在のヴァージョンはより平野さんの存在、視点を感じるようになりましたが、何を具体的に変えたんでしょうか?
「今でも2時間弱あるんですけど、単純に時間の長さ。ちょっとバランスが悪いところ、音やナレーションについては意見をもらいながら修正しました。当初はイラク派兵についても触れていたんですが、カットしました。もちろん、脱原発の起点にはイラク派兵への抗議がありますが、劇中で、インタビューさせて頂いたラッパーの
ECD さんが話してくださっていたので」
――全体像として、運動を通しての平野さんの想いが描かれた映画としての印象が残るのに、改めて観ると、それを物語る具体的なシーンやエピソードは意外とぼやかされていますね。
「あまりはっきりとは描いてないですね。入れようとはしていたんですが、全体の話の筋から離れてしまうことは避けました」
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――さきほどお話に出た「ACT UP」について教えていただけますか?
「80年代後半、エイズ渦の時代のアメリカ政府に対する抗議の記録です。当時は治療法も確立されておらず、政府の無策は運動に関わっている人たちにとっては現実的に生死の問題でした。メンバーがニューヨークのグランド・セントラル駅で“MONEY FOR AIDS, NOT FOR WAR”と書かれた巨大なフラッグを風船に付けて掲げたり、デモの後でアフター・パーティをしているところも収められています」
――エイズに関わる抗議運動はセクシャル・マイノリティだけではなくいわゆるクラブ・キッズの人たちも参加しているし、おそらくそれ以前のゲイ・ライツの運動とも連動しますね。あの映画は「STANDARD」に記録された運動にとって、フラッグを実際の抗議でも踏襲していたりと、大きな意味を持っていますね。
「僕もゲイなんですが、『STANDARD』について“これはゲイ映画だ”という言葉をかけてくれた方がいて、初回の上映以降はその部分についても膨らませています。『ACT UP』は、一緒に映画を作ったAKIRA THE HUSTLERさんに教えてもらったもの、ですね。アキラさんはダムタイプに参加したり、エイズのコミュニティセンターを作ってこられた方で、“(『ACT UP』が制作された)あの頃と今はすごく似ている”とおっしゃっていて、当時は東日本大震災の被害がどこまで広がっていくのかもわからなかったし、生死がかかっているという意味では一緒で、リンクしてますよね」
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――インタビュイーの方々はどうやって選びましたか?
「路上でよく見かけた人たちから訊こうと思って選びました。友人もいますが、話をしたことがない人に声をかけました。実現しなかったのはSEALDs。メンバーだった奥田(愛基)くんは2012年の時に官邸前に来てくれていたらしくて。SEALDsは、TwitNoNukesとはまた違う方向から反応してくれた結果だから、その視点も取り入れたかったんですけど」
――インタビュイーの方が同性愛者であることをカムアウトするシーンがありました。本作を観た多くの方にとっては意味のあるものだと感じるのかもしれません。その一方で、性指向は誰にとってもパーソナルなことなのに、なぜセクシャル・マイノリティだけが性的なことを公に対してつまびらかにしなくちゃいけないんだろう?と感じました。
「セクシャリティがその人の社会的な存在のコアになることは結構あって、アイデンティティに同性愛者だということが含まれる人も多くいるはずです。僕も10代の頃はどこかにそれがあった。言って良かった部分は、セクシャリティが自分にはあまり関係ないというか、人格の全てではないと考えるようになりました」
――なるほど。たとえば、同性愛者=ファッショナブルでアーティな人だっていうイメージも偏見のひとつじゃないかと思います。着飾ったり、表現することは、抑圧から解放されるひとつの方法だから、アーティな人も多いけど、そうではない人も多々いる。ヘテロでシス女性の私にも当然抑圧があって、“自分を解放しよう”と行動できる。行動するべきはセクシャル・マイノリティだけではありませんね。さまざまな誤解を払拭するような泥臭い姿も「STANDARD」には描かれていました。さらには、エンディングで流れる「OVER THE RAINBOW」を聴いて、“これは青春映画だ”という印象がとても強くなった。オリジナルである、映画『オズの魔法使い』を“自分を解放しよう、行動しよう”というメッセージ性のあるものと私が思っているだけかもしれませんが(笑)。
「〈OVER THE RAINBOW〉は、ゲイだということを公言した活動家のハーヴェイ・ミルクを
ガス・ヴァン・サント 監督が描いた映画『
ミルク 』(2008年)で使われていて、接点であり引用です。ハーヴェイ・ミルクは最後、凶弾に倒れるんですけど。この曲は、“追い求めていくことと打ち砕かれてしまうこと”というようなニュアンスが僕にとってはありました」
――この映画を誰に観て欲しいですか?
「当初は、デモと、デモに参加している人たちってどうなの?って感じる人に観てもらいたかった。上映に関してはなかなかそういう展開は出来ていませんね。自分たちはこうだったってことに拒否反応を起こされたとしても、観てもらいたい」
――それは“あなたはどうですか?”という問いかけでもある。
「そうです。その結果、拒否されて受け入れられなくても構わないです。ただ、観てもらって、反応してもらいたい。そして“これは何だったんだろうな”という想いもありますね」
――答えは見つかりましたか?
「出てないですね。でもそこを掘り下げていこうとはしています。良い方向にいっているのか、悪い方向にいっているのかも、はっきりいってわからないです。わからないことの方が多い、そういう感じです」
――本作にはヘイト・デモに対するカウンターの様子も記録されています。何かを発言する、意思表示することを第三者がジャッジして暴力的な言動で抑え込んだら、いつか自分も自由に発言できなくなるのではないかとも思います。その一方で、実際に暴力に訴えないカウンターのみなさんの我慢と覚悟は、すごい。……私は感情的にならない自信はありません。現場にいたときは、どんな気持ちだったんでしょうか?
「場所が新大久保だったっていうこと、実際に在日コリアンの方の商店の看板を蹴飛ばす映像を観たことや、友人の運動をサポートするという側面もあった。しんどいですね、とりあえず。止められて先回りするためにすっごい走るし(笑)……。嫌なことですが、衝突を起こす必要があった。首相官邸前と、在日コリアンが多く住む街、向かう先が異なるだけで“嫌がらせ”という意味では同質なのかもしれないけれども、構造は絶対的に違う。もちろん、一緒じゃないかっていう視点を持っている人は少なからずいる。数年前ならそういう意見を耳にしたら、僕は怒った。ああいう場でカーっとなってる自分、はっきりいっちゃうと良くないです。危うさがないとは言えません。それでも、当時そういう側面があったとしても、間違ったことをしたとは思っていません」
――常に個人として発言、行動していますね。最近であれば国会議員への抗議はセクシャル・マイノリティだけの問題ではありません。政治家が国民を生産性で計るなんてことはおかしい。
「僕はゲイとして抗議をしているわけではなく、国会議員が言うことではない、それだけです。経緯としては、“抗議します”という僕の発言に東京レインボープライドを主宰していた方の一人が支持してくれて広がった一方で、LGBTQの権利のために活動する団体として支持することはまた違うんじゃないかという議論が生まれた。属性に発言が制限されることは不自由だな、と思います。当事者って誰のことなんだろう?とか、属性と個人であることのギャップってことは考えるようになりました。自分がそう発言したいのか、したくないのかっていうことははっきりさせなきゃいけない。自分も“ちょっと言いすぎじゃない?”ってこともあるし、間違えることもあります。軌道修正していくことは大事だし、常に考えています」
――とはいえ、冷静でいられない時の平野さんには人を巻き込む力があって、そこも魅力だと思います。不器用だとしても真摯に向き合っている。
「正直、先日の高円寺の抗議も行きたくなかったけど、近くでやってるんだよなあって思ったら行かなきゃいけないなと。あとで動画を観て、こんなにちゃんと対話していた人がいたことに感動しました。僕はちょっと冷静じゃないところもありました(笑)」
――最後に、「STANDARD」ではご自身のオリジナル楽曲も使っていましたよね。以前に平野さんがDJで
プリファブ・スプラウト をかけていた覚えがあるんですが、どんな音楽に影響を受けてますか?
――それは映画を観てもらった人に対する想いと一緒で、言葉にできないところに向き合いたい? 自分が何を聴いてきたか語れるからこそ、アートなんだということ?
「ただ消費してしまっていることがないのかって言われたら、もちろん自分もそういう部分はあるんだけど。今は印象だけで売り買いされているものも多いですよね、投げかけられているものに対して共感だけがあるというか。音楽のもつ力や現象に対して、鈍感にはなりたくないですね」
取材・文 / 服部真由子(2019年4月)
TwitNoNukes presents 映画「STANDARD」上映会 www.instagram.com/p/Bw_GSbVjCFo/ 2019年5月18日(土) 愛知 名古屋 spazio rita
上映: 「STANDARD」(2018年 / 115分) Talk: 平野太一×NoMercyKxR Music: KING舘 / Kuro(enjoy&relax) / ToYo / NoMercyKxR 開場 17:30 / 開演 18:30
前売 1,500円 / 当日 1,800円(税込 / 別途ドリンク代) ※お問い合わせ: NoMercyKxR Twitter(
@NoMercyKxR )