日本人の父とハンガリー人の母のもとに生まれた金子三勇士。6歳で単身ハンガリーに渡り、ハンガリーで徹底した音楽教育を受ける。ハンガリー国立リスト音楽院大学(特別才能育成コース)を2006年に全課程取得すると日本に帰国し、東京音楽大学付属高等学校に編入。以降は東京音楽大学、同大学大学院で学び、現在はマルチな才能を発揮した多方面での活躍を見せる。5月に最新盤『
リスト・リサイタル 』をリリースしたが、収録曲にはデビュー・アルバムと同じくピアノ・ソナタ ロ短調が収められていることが注目される。金子の日本デビュー8年目となる今年は日本・ハンガリー外交関係開設150周年という記念すべき年となる。ハンガリーと日本にルーツを持つ金子にとっては非常に大切なタイミングでリリースされたこのアルバムには、さまざまな想いが込められている。
――なぜ今回、あらためてピアノ・ソナタ ロ短調を収録しようと思ったのでしょうか?
「CDデビューや日本のデビュー・リサイタルで初めて弾いて以来、この曲は自分にとって特別な作品なのです。一生付き合っていきたいですね。定期的に演奏して、そのたびに新たな気持ちで取り組んでいくつもりです」
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リスト はもちろん、あらゆるピアノ作品のなかでも重要な作品ですが、なぜここまで強い思い入れがあるのでしょうか?
「初めてこの曲を知ったのはハンガリーで、あるリサイタルを聴いた12歳の時でした。立ち上がれないほどの衝撃を受けたんです。すぐにでも弾いてみたかったですが、恩師から“これを弾くには少なくとも18歳になってからでないと”と言われ、ずっと弾ける日を待ち望んできたんです。今回にかぎらず、録音も重ねていきたいと思っています。これは最初から決めていました」
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――ピアノ・ソナタ ロ短調を核にさまざまなリストの作品が収められていますが、どのように選曲されたのでしょうか?
「日本とハンガリーにとって特別な年にCDを出すことになり、ハンガリーの作曲家を取り上げることはすぐに決まりました。いろいろと迷ったのですが、リストという作曲家はよく演奏されるわりには本質がまだきちんと多くの人に伝わっていないと感じることが多くて……。そこで、“ヴィルトゥオーゾ”や“華やかさ”だけではない、多彩な彼の一面を伝えられるようなものを作りたいと思い、選曲を進めていきました」
――CDがソナタで開始することにとても驚きました。
「順番は迷いましたが、やはりいちばん聴いていただきたい作品ですし、レコード会社のかたとも相談し、最終的にこれで行きましょう、ということになりました。そしてソナタのなかにありつつも、表れてはすぐに消えてしまう抒情性を、次の〈コンソレーション(慰め)第3番〉で受け止めるようにして、ソナタの世界観を壊さず、またリストのあらゆる側面を皆さんにお伝えできるようなプログラミングを考えていきました」
――「泉のほとりで」(『巡礼の年』第1年: スイスから第4曲)は、同じ『巡礼の年』のなかの曲で水をテーマとする「エステ荘の噴水」と比べると、なかなか演奏されませんね。
「そうなんです。じつは私は〈エステ荘の噴水〉より〈泉のほとり〉が好きなんですが、あまり演奏されませんよね。この曲ではリストのイメージする水や光の世界がとても美しく描かれています。しかも幸せに満ちたリストの人間像も見えてきますね。きっとこの頃のリストは幸せだったはず……。こういう部分も皆さんにお伝えしたかったんです」
――超絶技巧が凝らされた「メフィスト・ワルツ第1番〈村の居酒屋での踊り〉」ですが、技巧を超えた“何か”が金子さんの演奏から聞こえてきます。
「ようやく自分のなかで納得する解釈ができました。この作品に張り巡らされた超絶技巧は、あくまでも表現するための“手段”でしかありません。華やかなピアニズムは“魅せる”ためのものと思われがちで、リストが若い頃はたしかにそういった場面もあったようですが、この時期は完全にドラマ性の表現のために使われています。文学をもとに書かれたこの作品の表現に、彼がどの部分に何を感じ、反映したのかを探るため、ニコラウス・レーナウのテキストをかなり読み直しました」
――そういった作品への取り組みはピアノ・ソナタ ロ短調でも活かされていますよね。
「そうですね。この曲では部分練習をやめました。どうしても難しい箇所を取り出してから全体の流れに戻しても、どこかチグハグになってしまうんです。全体の流れ、積み重ねをきちんと理解し表現するために、通して練習、そして収録も通しで行ないました。あらゆる要素が少しずつ変容しながら展開する楽曲ですから、こうでないと本質が見えてこないんです」
――リストという人物、作品への尊敬があるからこそのアプローチですね!
「リストの作品には彼の生き方、哲学が表れています。それをみなさんにお伝えできるように取り組んできたつもりです。ぜひそれを感じていただけたら嬉しいです」
――今年はやはりリストを中心とした演奏活動がおもになるのでしょうか?
「もちろんリストにも触れていきますが、ちょうど日本はポーランドとも国交樹立100周年を迎えました。7月には“ショパン VS リスト”と題したリサイタルで、
ショパン の第2番のソナタとリストのロ短調を演奏します。二人の生き方が表れた大作をぜひ聴き比べていただきたいです。またこの一年間はほかのハンガリー作品である
バルトーク や
コダーイ はもちろん、
レオ・ヴェイネル というあまり知られていないハンガリーの作曲家の作品も演奏していきます」
NHK『リサイタル・パッシオ』の司会や、劇場版『蜜蜂と遠雷』でのマサル・カルロス・レヴィ・アナトール役のピアノ演奏を担当するなど、多方面での活躍もさらに目覚ましい金子。音楽に真摯に立ち向かうその姿勢は、今後のクラシック音楽界に明るい話題を次々と呼び込んでくれそうだ。
取材・文 / 長井進之介(2019年4月)