日本のシンガー・ソングライターの草分けの一人、小坂忠。ティン・パン・アレーのメンバーたちと作り上げた『
HORO』は、日本のロック史に残る名盤だ。今回、『HORO』以降に発表した2枚のアルバムが、ボーナス・トラックを加えた2枚組仕様のデラックス・エディションとしてリリースされた。ファースト・アルバム『ありがとう』をプロデュースしたミッキー・カーチスとふたたび組んでハワイで録音した『
CHEW KOSAKA SINGS』。そして、ティン・パン・アレーと共演した『HORO』の続編的作品『
モーニング』。小坂はどんな想いでこの2作を生み出したのか。当時を振り返ってもらった。
――今回、デラックス・エディションでリリースされる『CHEW KOSAKA SINGS』『モーニング』は、アルファからトリオへ移籍して発表された作品です。移籍に関しては何か理由があったのでしょうか。
「アルファにいた時からミッキー・カーチスとの関係が強かったんです。僕が結婚した時に、ミッキーと一緒に新婚旅行に行ったくらい個人的に仲が良かった(笑)。そのミッキーが立ち上がったばかりのトリオに移って、声をかけてくれたんです。ちょうど、その時、いろいろあって環境を変えたいと思ったので、誘いに乗ったんですよ」
――いろいろ、というと?
「前作の『HORO』のツアーで疲れちゃったんです。40ヵ所以上回ったのも大変だったけど、回っているうちに一緒にやってたメンバーが聴く音楽がどんどん変わっていった。ある者はスライ&ザ・ファミリー・ストーンみたいなファンクを聴いたり、ある者はジャコ・パストリアスみたいなジャズを聴いたり……」
――70年代半ばは音楽が大きく変わった時期でしたよね。
「そうなんです。まわりのみんなが、それぞれバラバラの方向に向かい出した。それについていくのに疲れたんです。コミュニケーションをとるのも大変になってきて」
――それで、『CHEW KOSAKA SINGS』の時はバンド・メンバーが一新されたわけですね。人選はアルバムをプロデュースしたミッキーさんがやられたのですか?
「そう、ミッキー人脈がほとんどです。ちょうど(鈴木)茂のハックルバックが解散したので、僕が(ハックルバックのメンバーだった)トン(林敏明)を呼んで」
――ミッキーさんが集めたミュージシャンはGS関係が多いですが、一緒にやられてみていかがでした?
「大変でした(笑)。『HORO』で一緒にやったティン・パン・アレーのメンバーは、音楽的にも人間的にもお互いのことをよくわかっているから、コミュニケーションがすごく速い。聴いている音楽も、共通しているものが多いしね。だけど、ミッキーが集めてくれたミュージシャンはそういう感じじゃないから、まず集まったメンバーでできることを考えなければいけない。それが大変でした」
――ハワイでレコーディングしようと思われたのはどうしてですか?
「『HORO』のツアーや移籍のバタバタで疲れてたから、ゆっくりしたいと思ったんです(笑)。コンドミニアムを1ヵ月借りて、家族も一緒に向こうで生活しながらレコーディングしました。毎日スタジオに入るというわけでもなく、ちょっと公園を散歩したりとか、そういうのんびりとした生活のなかでアルバムを作ったんです。曲作りもハワイに行ってからやりました」
――そういったリラックスした雰囲気がアルバムに反映されていますね。
「そうですね。せっかくハワイで録音するんだから、ハワイらしさというか、現地の空気みたいなものがアルバムに出ればいいな、とは思っていました」
――1曲目の「ミュージック」からレゲエで、トロピカルなムードが漂っています。当時、レゲエはよく聴かれていたんですか?
「聴いてました。そういえば毎週金曜日になると、ホノルル動物園の前の公園にミュージシャンが集まって、パーカッションのセッションをしていたんです。そこで〈アイ・ショット・ザ・シェリフ〉とかをやってましたね。そこにはアフリカ系ミュージシャンとラテン系ミュージシャンがいて、やっぱりノリが違うわけ。でも、30分くらい一緒にやっているとひとつになっていく。それがかっこいいんですよね。レコーディングの間に、そういうのを楽しんだりしていました」
――「シェリー」や「イエロー・バード」のようにアメリカン・ポップスのカヴァーを歌われているのも本作の特徴です。シンガー・ソングライターから、シンガーへと立ち位置が移り変わってきているような印象を受けました。
「ファースト・ソロ・アルバムの『ありがとう』を出した時から、自分のヴォーカル・スタイルをずっと探していて。バンドをやっていた頃は、いろんな人のスタイルをマネしてたんですけど、ソロになってから自分のスタイルを作りたいと思っていたんです。それで『HORO』を作った時に、ようやく自分のスタイルが定まったんで、“ソングライター”より“シンガー”に軸足を置きたいと思うようになりました」
――次の『モーニング』は、よりシンガー色が強まっていますね。曲作りはいろんな方に依頼されて、小坂さんは歌うことに専念されています。
「『CHEW KOSAKA SINGS』でシンガーに軸足をおいてやっていくことに決めたので、このアルバムでは歌うことにエネルギーを注ごうと思っていました。そして、『CHEW KOSAKA SINGS』ではできなかった、いろんなサウンドをやってみたかったので、ティン・パン・アレーのメンバー(細野晴臣、鈴木茂、林立夫、佐藤博)とまた一緒にやったんです。彼らとならツーカーだし、それぞれにいろんなアイディアを出してくれるので安心してサウンド面を任せることができるんです。自分のなかで『モーニング』は『HORO』の続編、みたいなイメージがあって。だから〈ボン・ボヤージ波止場〉を、もう一度歌ったんです」
――「ボン・ボヤージ波止場」はここでも細野さんがアレンジを手がけていますが、『HORO』のヴァージョンとは少し雰囲気が違いますね。こちらの方がほのかに明るいというか。
「そうですね。『HORO』の〈ボン・ボヤージ波止場〉はミッドナイトな港だけど、『モーニング』のほうは朝方。これから何か始まりそうな感じです。“朝”はこのアルバムのコンセプトでした。それはみんなに話をしていて、だから南佳孝も〈早起きの青い街〉っていう曲を書いてくれたんです」
――“朝”をコンセプトにしたのはどうしてですか?
「『HORO』のツアーの後に娘が大やけどをして、それがきっかけで教会に行くようになり、クリスチャンになったんです。そして、クリスチャンになって僕の生活に大きな変化が生まれた。それまでは完全に夜型だったけど、教会に行くようになって朝型になったんです。教会の礼拝って午前中なんですよ。教会は僕のペースにあわせてくれないから(笑)、ライフスタイルがガラッと変わって僕の人生に朝がやってきた。それで『モーニング』というタイトルにしたんです」
――曲を書いた皆さんは、そういうコンセプトを意識されていたんですね。ひさしぶりになじみのメンバーとレコーディングされていかがでした?
「彼らはそれぞれ自分のアイディアを持っている。しかも、出てくるフレーズは、もともと存在していたように曲にぴったりのフレーズなんです。そういうことができるミュージシャンは、ほかにはそういない。それぞれのミュージシャンが出してくれた良さを、細野くんがうまくまとめてできた作品だと思います。それともうひとつは、このアルバムは作ったばかりのプライベート・スタジオを使ったので、時間的な制約がないなかで、ゆとりを持ってレコーディングできた。いちばんホッとするメンバーと良い環境を作ることができた作品でしたね」
――収録された曲は、ドゥー・ワップ、レゲエ、ニューオーリンズ、ロックなど、いろんな要素が混ざっていてバラエティに富んでいますね。そんななか、小坂さんは一人多重録音でア・カペラ・ナンバー「一人じゃないよ」を作られています。
「これはプライベート・スタジオだからこそできた曲ですね。みんな帰った後も一人で明け方までやってた。ミキシングも全部自分でやって、頭がこんがらがりそうになったけど楽しかったですね」
――アルバムを締めくくるラスト・ナンバーは、ジャパニーズ・スタンダードともいえる 「上を向いて歩こう」のカヴァーです。「シンガー」小坂忠を印象づける名演ですね。
「クリスチャンになったことで、これまで想像しなかった音楽の道が開けたんです。たとえば刑務所に慰問に行ったりとか、そういう活動を通じて、音楽には人に希望や慰めを与える力があるということを知ったんです。それを知った時、音楽に携われてよかったと心から思いました。そういう慰問に行った時は、みんなが知っている歌を歌ったほうがいいじゃないですか」
――それで「上を向いて歩こう」を歌われたんですね。当時はすでにそうした慰問活動をされていたんですか?
「していました。そういえばスウェーデンの刑務所に慰問に行ったことがあって。そこは凶悪犯ばかりが集まっているようなところだったんです。そこで歌っていたら、タコ入道みたいなゴツい男が来て“リクエストしていいか?”って言うんですよ。“いいよ”って言ったら“〈スキヤキ〉(〈上を向いて歩こう〉の海外でのタイトル)を歌ってくれ”って。それで歌ってあげたら、タコ入道がポロポロ泣き出して“俺は船乗りだった。世界中を旅して神戸にも行ったことがあるんだ”って話してくれてね。歌にはそれくらい力があるんですよ」
――そんなことがあったんですか。船乗りっていうのが「ボン・ボヤージ波止場」を連想させて感慨深いですね。ボーナス・トラックについても伺いたいのですが、『CHEW KOSAKA SINGS』には1977年9月17日にヤクルトホールで行なわれたライヴ音源が収録されています。バンド・メンバーは、YMO結成前夜の坂本龍一さんと高橋幸宏さん。ラストショーから徳武弘文、村上律が参加したユニークな顔ぶれですね。そして、曲のアレンジを手がけているのは高橋幸宏さんのお兄さん、高橋信之さんです。
「信之さんとはフィンガーズ時代からの付き合いなんです。彼がいろんなCM音楽を制作した時には、よく歌を頼まれたりしていました。このバンド・メンバーも、そういうCM音楽の時に信之さんが一緒にやってたメンツじゃないかな」
――なるほど。かまやつひろしさんがゲスト参加されていて、2人でジェイムス・テイラーの話をしていたりするのも興味深いです。
「かまやつさんとも付き合いが長くて。スパイダースの頃からだからね。かまやつさんはいつも新しい音楽に興味を持ってて、“このコードはどうやって弾くの?”とか、そういうことをよく訊いてきたんです」
――『モーニング』のボーナス・トラックには、TVドラマ『気まぐれ天使』のサントラに収録されたヴォーカル曲と、初CD化になるCMソングが収録されています。『気まぐれ天使』の収録曲は、大野雄二さんが作曲されていますが、小坂さんの初期の作品を思わせるような曲ですね。
「この頃の歌の仕事は『ありがとう』の頃のイメージで依頼されることが多くて大変でしたね。そういうイメージがついてたから」
――ヤクルトホールのライヴで初期の曲を演奏した時に「懐かしい曲」と言われていました。当時は初期のフォーキーなイメージに縛られることに抵抗があったんですね。
「ありましたね。僕の音楽の始まりってラジオなんですよ。当時アメリカの進駐軍放送(FEN)をよく聞いていたんです。ラジオから流れてくる音楽ってすごく幅広いじゃないですか。僕の場合、音楽を聴く姿勢ってそういう感じなんです。ラテンもあれば、ジャズもゴスペルもカントリーもある。ジャンルをひとつにするんじゃなくて、ラジオみたいに幅広く聴きたい」
――その点、CMソングでは、いろんなタイプの曲を歌われていますね。
「そういうところは楽しかったですね。ただ、シーンが切り替わるのにあわせて曲を変えたりする必要もあって、そういう作業は大変でした。僕は歌う時に、言葉の発音がはっきりしてるでしょ? これはCMで鍛えられたんですよ。クライアントが“もっとはっきり商品名を”って言うから(笑)」
――今回収録されたCMソングのなかでとくに印象に残っているものはありますか?
「カネボウ〈サンデュー〉とかダイエー〈UCLA Tシャツ〉、このあたりは好きですね。まず映像があって、そのイメージから曲を作っていくんだけど、ラジオみたいな幅広い音楽感覚があったからこそできたことだと思います」
――今回リイリューされたトリオ時代の作品を振り返ってみて、どんな感想をもたれましたか。
「僕の個人的なヒストリーで言うと、GSからエイプリル・フールまでのバンドの時代。それからソロになって『ありがとう』から『HORO』までの時代。そして、『HORO』以降と3つの時代に分けられる。トリオ時代は『HORO』でできたものを広げていく過程でしたね」
――初期のフォーク・シンガーのイメージを脱却して、シンガーとしての可能性を模索している時期だったんですね。
「もともとフォークを追求しようと思っていたわけじゃなく、自分の音楽を探していただけだからね。今は“ミクタム”っていうゴスペルのレーベルから作品を発表してるんだけど、ゴスペルっていうと、みんなブラック・ゴスペルを思い浮かべる。だけど、ゴスペルっていうのは音楽のジャンルじゃなく、“何を表現しているのか?”っていうのがいちばん大事な部分なんです。だから、カントリー・ゴスペルとか、いろんなジャンルのゴスペルも存在する。そんななかで、僕は僕のゴスペルを表現しようとしているんです。そういう気持ちは当時からずっと変わらないですね」
取材・文/村尾泰郎