石川さゆりが、日本を綴った三部作最終章『粋〜Iki〜』をリリース。江戸時代から伝わる小唄、端唄、俗曲といった大衆音楽をピックアップし、亀田誠治、KREVA、MIYAVIなど現代の音楽シーンをリードするアーティストが参加した新曲も収録。伝統的でありながら新しい、アーティスティックな作品になった。今回、そんな作品に込めた思いと制作の様子を聞いた。
――『粋〜Iki〜』を聴かせていただきました。
「いかがでしたか?」
――格好よくて艶っぽくて。現代的なサウンドから始まり、徐々に江戸の粋に引き込まれ、そしてまた現代に戻っていくような構成で。
「はい。令和に戻りますね」
――88年にリリースされたアルバム『童〜Warashi〜』の時から、昨年のアルバム『民〜Tami〜』、そして今回『粋〜Iki〜』で三部作になるという企画を考えていたそうですが。
「日本の音楽、歌というものをアルバムにまとめたいと思ったのが最初です。私が海外に行った時は、かならずそこでヒットしている音楽や、その国の音楽と呼べるアルバムを買うのですが、逆に海外の方が日本で、日本の音楽を聴きたいと思った時に、何をオススメすればいいんだろう? と思いました。とくに今年はオリンピックイヤーで世界中からお客様がいらっしゃるのに、“自分たちの音楽はこういうものです”と、ちゃんとご紹介できないのは寂しいじゃないですか」
――たしかにそうですね。
「それで、まずは子どもたちにちゃんとよい音楽で童謡・唱歌や音楽の楽しさを伝えたいと思って作ったのが『童〜Warashi〜』。民衆の暮らしの中にある労働歌や生活の歌を集め、民衆の声という意味で『民〜Tami〜』。そしてもう一つ、日本人の独特の世界や男と女の機微を表現した、小唄、端唄、俗曲を『粋〜Iki〜』として作りたいと思いました。ただタイミングも大事ですから、昭和の終わりに『童〜Warashi〜』を出したことも重ね、昨年平成が終わるということも一つのタイミングだと思い『民〜Tami〜』を出しました。そして今年は世界中からみなさんが日本に集まるオリンピックイヤーで、令和という新しい時代でもあります。そんなタイミングで、忘れてはならない日本の音楽や心意気をアルバムにまとめることができたらいいなと思いました」
――たとえばアメリカでは、カントリーやR&Bがその国の音楽で、テイラー・スウィフトももともとカントリーを歌っていたり。日本では、それが小唄や端唄などになるという。
「そうですね。ただそれをそのままコピーしたのでは、今の時代にそぐわなかったり温度差が出てしまうので、そこに令和の新鮮な空気を入れたいと思って。今作も亀田誠治さんにプロデュースで関わっていただき、ミュージシャンやアレンジャーもとても素敵な方がたくさん参加してくださっています」
――なんと言っても注目は、KREVAさん、MIYAVIさんが参加した「火事と喧嘩は江戸の華」ですね。
「KREVAやMIYAVIは、亀田さんのご紹介で、今という時代の空気をいっぱい吸いながら音楽をやっていらっしゃるみなさんですので、そういう風をこの曲には吹かせたいと思いました。この曲はラップで始めたくて、バァ〜ッと一気に曲と歌詞を書いて、これをラップにするにはどうしたらいいか、KREVAにラップしやすい言葉に言い換えてもらったり、みんなでアイディアを出し合いながら作っていきました」
――とても格好よく尖った曲ですが、そんな中で出てくる石川さんが歌うDメロの明るく爽やかな雰囲気が、江戸の粋を表現しているなと思いました。
「今の社会にはたくさんの規制があって、これはダメ、あれはダメと言われるでしょ? でもかつての日本の音楽は、これくらい自由に、自分たちの生活の中からあふれ出るようにして生まれたんだよね、ということも感じていただきたいと思います。だから江戸の粋と言いながら、現代にも通じたウィットに富んでいるし、洒落ているし、勢いもあって。そういうものを楽しんでほしいですね」
――スタジオでのレコーディングはどんな雰囲気でしたか?
「とても楽しかったです。みなさん自分たちが普段から親しんでいる空間とは違う、“こんな世界があるんだ!”というものを楽しんでくださっていたと思います。きっと自分たちがもともと持っている日本人のDNAの中に、“まだこんなに格好いいものがあったんだ!”というところを面白がってくださったのではないかと。KREVAなんか、江戸の粋を一生懸命に勉強してきてくれて、江戸東京博物館を見学しに行ったそうです。“この間、行ってきました”“何があった?”なんていう話をしながら、一緒にラップを作っていくのは、とても楽しかったです」
――MIYAVIさんは?
「MIYAVIは、“僕も一緒に歌っていいですか?”と言って、ギターだけじゃなく歌にも急遽参加してくださって。スタジオでプレイする姿は美しい立ち姿でしたし、みなさんもご存じのとおり、足元にはたくさんの器材があって、“これはギターの音じゃないわよね〜”と言いながらいろんな音を出して、これを入れましょう、あれを入れましょうと、アイディアをたくさん出してくれたんです。それによって、作品にどんどん厚みが生まれていくのがとても心地よかったです」
――「深川」では、亀田さん、KREVAさんのほかに、ドラムの川村“カースケ”智康さん、ギターに西川進さんが参加しています。
「これはバンドのノリでやろうということで、せーのでバンドと一緒に歌いました。息の通い合いと言うのでしょうか、そういうものが録音からも心地よく聴こえてきます。ここで歌っている私に、この楽器がこう反応して入ってきているというものを、随所から感じていただけると思います」
――まさしくセッションですね。
「そうです」
――江戸端唄の「さのさ」や明治中期の「しげく逢ふのは」など、歌詞は今で言うラブソングのようなものが多いと思いました。
「ラブソングではあるけど、もっとアヴァンギャルドでぶっ飛んでいたんだなと思います。純粋に、人が人を愛して思いきり遊んでいた。ある意味で、とてもいい時代だったのかなと思います。そういう心意気は日本人のDNAにあるはずです」
――都々逸(どどいつ)も入っていますが、こういうものはどのように勉強をされたのですか?
「以前からお勉強をしてみたいと思っていたので、実際に芸姑さんのところで見せていただいたりしながら、お勉強させていただきました。そもそも都々逸というのは、アドリブの文化なんです。お座敷で芸者さんとお客人が言葉の投げ合いをして遊んだもので、芸者さんがポーンと都々逸で言葉を投げると、お客さんが都々逸で投げ返すんですね。日本人ってこんなにもオシャレで贅沢な遊びをしていたのかと、あらためて驚きました」
――フリースタイルのラップ・バトルや、ジャズのインプロヴィゼーションのようですね。
「本当にそういう感じで、まったく決まりがありません。都々逸の詩は何番までとか、どんな都々逸があるかとか、そんなものは何もなくて。どう歌ってもいいから、人によっても違いますし、そこが面白いところでもありますね。それに柳家三亀松さんという都々逸の名人によるものが録音されて残っているものもありますが、基本的にはお座敷でその時に生まれその時に消えていったものがほとんどです。なので〈まっくろけ節〉の曲間に入っている都々逸は、作詩家のなかにし礼さんが新作の都々逸を作ってくださったのですが、きっと大変だったろうと思います」
――「猫じゃ猫じゃ」は、江戸端唄なのですが、まるでソウル・ミュージックのようなコーラスが入って聴き応えがありました。
「これはベースだけで歌ってみたいと思って、最初は一本茂樹さんのベースでスタートし、坂本昌之さんのピアノ、鶴谷智生さんのパーカッション、そしてベイビー・ブーさんのコーラスが入ってきます。歌詞が面白くて、お妾さんが浮気をしているところに旦那さんが入ってきて、“猫がいたのよ”と嘘を付いてごまかすという歌です」
――石川さんの“ニャオン”という可愛らしい猫の鳴きマネも入っています。
「じつはアドリブです。なのでレコーディングは、最初に一本さんと私だけでスタジオに入って同時に録りました。私の“ニャー”というアドリブに合わせて、一本さんも猫の鳴き声のような音を出してくださって。こういうのはやはり同時でないと録れないものですね」
――三味線と歌だけの「青柳」は、ピリッと張り詰めた空気感で、これも三味線との一発録りですか?
「三味線の豊藤美さんと2人でスタジオに入って、その場で同時に録りました。こういうスタジオの空気感は良いもので、お互いを慮(おもんばか)ると言うか。相手を思いながら、自分も主張する。そういう空間は、本当に心地よいものです。なのでそういうレコーディングをする時は、ブースは別れるんですけど、ガラスで仕切られていて相手の顔が見えるスタジオを選ぶようにしています」
――「東雲節」は、途中でビッグバンド・ジャズの展開になります。
「神津善行さんと大貫祐一朗さんが、編曲してくださって。遊郭の女性のストライキを歌ったもので、“遊郭を辞めたはいいけど結局ごみ拾いをしているわ”といったことを歌った、すごい歌詞なんです。そんなことって、今は歌にはならないじゃないですか。それをこの時代はポーンと笑い飛ばすかのように、歌い飛ばしてみんな過ごしたんだなって。そう思うと、その時代のエネルギーやパワーみたいなものを感じますね」
――「都々逸」にしても「猫じゃ猫じゃ」にしても、どれもユーモアを含んでいて。粋にはユーモアも必要。
「そうだと思います。ユーモアもあるし、それにまず格好よくないといけませんよね。武士は食わねど高楊枝という言葉がありますけど、日本人は本来そういう志を持った人たちなんです」
――やせ我慢してしまう。
「日本人の粋はきっとやせ我慢ですよ(笑)」
――きっと多くの候補曲から選曲されたと思いますが、その際にこだわったポイントはどういうところですか?
「音楽的にどう変化できるか、そしてみなさんに楽しんでいただけるか。そのうえで、時代的な言葉や背景がしっかりあるものを選びました」
――日本の伝統音楽ならではの難しさは何でしたか?
「難しさで言ったら、すべて難しいです。小唄などは普段の生活の中で聴く機会がないですからね。でも私たちの先人たちは、何を探してなぜこういう歌を作り、どういう思いでいたのか。それを突き詰めながら音楽を作っていくのはとても楽しいことで、都々逸にかぎらず、このアルバムのためにたくさんのお稽古をさせていただきました。たとえば小唄も、お師匠さんについてお稽古していただきました。そうやって正統なものをちゃんと自分の中に落としたうえで、みなさんに届けるためにどうすればいいかを考えます。基本がなければ、たんなるモノマネになってしまいますから。また難しさとは違いますが、インテンポではない“間合い”が、じつに日本的であることも特徴です。たとえばトーントーンと溜めがあってという、デジタルでは計れない独特のリズムの取り方があり、これは海外にはないものなので、これこそ私たちの文化だなと思います。聴く機会もあまりないので、こういうアルバムを通して知っていただけたら嬉しいです」
――あとジャケット写真も素敵ですね。シルエットだけで表現されていて。
「ビジュアル・プランナーの箭内道彦さんが考えてくださいました。シルエットなんですけど、髪もちゃんと日本髪を結っていて。着物も芸者さんが着るお引きずりで、私物からいくつかコーディネイトして、どれがいいか箭内さんと相談して選びました。と言っても、着物はまったく写ってないし、顔も影になっていますけど。そんな贅沢もまた、日本の粋な世界かなと思います。『童〜Warashi〜』のジャケットは、琴や三味線の糸の中から出てくる音をイメージしていて。『民〜Tami〜』のジャケットの表は丸い太鼓の写真ですが、裏にはたくさん丸があって、これは何かわかりますか? これも日本のもので、笛なんです。笛を縦にして後ろから撮っていて。見る角度で、こんなにもオシャレになるんです」
――ああ、なるほど。
「つまり、糸(弦)が奏でる音、太鼓や笛が奏でる音、そして今作はヴォーカリスト、人の発する声を表しています。こういうジャケット写真からも日本の音が聴こえることをコンセプトにしています」
――音にもアートワークにも、日本人独特の感性が、『粋〜Iki〜』には詰まっている。
「はい。日本のみなさんはもちろん、海外のみなさんが聴いた時に、“日本の音楽ってこんなに格好いいんだ”と感じていただけたら嬉しいです。“日本に行ったら、こんなにアヴァンギャルドで格好いい音楽と出会えたんだよ”と、そんなお声が聞けるようになれば嬉しいですね」
取材・文/榑林史章
撮影/片野智浩