大井 健 コロナ被害からの再起 / みずからの新たな挑戦から生まれたクラシック・アルバム

大井健   2021/06/11掲載
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 ピアニストの大井健が3rdアルバム『reBUILD』をリリースした。過去2作『Piano Love』と『Piano Love II』はクラシックを軸にしたヒーリング・アルバムというテイストだったが、今回は(自作の導入曲を除いて)全曲がクラシック。原則として原曲どおり、アレンジなしの正統的なクラシック・スタイルでの演奏だ。もっとも本人に話を聞くと、意識的に方向転換したというような意図はなく、「クラシックをまだよく知らない方たちをクラシックの森に案内するのが自分の仕事」とぶれることはない。
New Album
大井 健
『reBUILD』

KICC-1566
――ニューアルバム『reBUILD』のコンセプトを教えてください。
「2015年のメジャー・デビュー以来、『Piano Love』、『Piano Love II』、そして映像でも『Piano Love The Movie』を出してきて、今回はそれとは違ったものを出したいと考えていました。そこへ昨年からの新型コロナウイルス感染症の蔓延。僕自身いろいろと活動に影響を受けましたし、エンタテインメント業界全体も本当に大きな打撃を受けてしまいました。なので、スクラップ&ビルドじゃないですけれども、一度壊滅的な被害を受けた状態から立ち上がろうじゃないか。そんな意味を込めて、この『reBUILD』を作りました。“再構築”“再建築”。みんなで一緒に立ち上がろうと意味を込めるとともに、自分自身も新たに挑戦をしていきたいということです」
――全曲クラシック作品。協奏曲の室内楽編曲以外は、アレンジなしのクラシック・スタイルの演奏です。
「クラシック・アルバムを出したいという憧れはずっとありました。それがまず理由のひとつ。あとは、ファンの皆さんと交流するなかで、もっとクラシックの曲を聴きたいという声がたくさんあったこと。この2点が大きかったですね。最初はクラシックの楽曲が半分ぐらいかなと考えていたんですけれども、むしろクラシックだけに振りきったほうが、アルバムとしてのカラーが出るんじゃないか。一度、オール・クラシックで出してみようじゃないかと。コンサートでもいつも半分ぐらいはクラシックを弾いているので、そこに光を当てたということでしょうか。ずっと弾いているクラシックを“リビルド”したという企画です。僕のクラシックへの愛が、多くの人に波及してくれればと思います」
――小学生時代、クラシック・レコード雑誌の発売を毎月心待ちにしていた、“クラシックおたく”の少年だったそうですね。自身のなかで、クラシック音楽はどんな存在ですか。
「生活の一部ですよね。自分の一部。いつも流れていますし、ずっと弾いているので。
僕の原体験は中学生の時。イギリスの学校で寮生活をしていて、いつもクラシックばかり聴いていたら、クラスメイトたちが怪訝そうな顔をするんです。みんなポップスやロックを聴いているのに、“お前なんなんだ?”と。でも僕は逆に、なんでみんなこの良さがわからないんだろうと、いろいろ説明したり、これならかっこいいと感じてくれるはずだという曲を勧めてみたり、そんな布教活動のようなことをしていました」
――プロの演奏家は幼い頃からレッスンに明け暮れて育つせいか、マニアックにCDを聴いていたという人は案外少ないですよね。
「僕はわりとおおらかに音楽を学んできたので(笑)。
昔からそんな体験もあったので、“クラシックって素敵なんだよ、かっこいいんだよ”ということを知ってもらうような活動が合っているなと思って、クラシックとクロスオーバーの境い目で、もう10年以上活動を続けています。クラシックだけのコンサートだと、どうしてもなじみづらいという人も多いので、少しはみ出したところからクラシックに入っていただくというイメージです。僕の演奏がきっかけでクラシックを聴くようになった、オーケストラのコンサートに通うようになったという方がたくさんいらっしゃるのはうれしいですね」
大井 健
――アルバムの聴きどころを教えてください。
「今回、自分でもかなり面白いんじゃないかと思っているのが、ラヴェルのピアノ協奏曲(第2楽章)。そしてラフマニノフの〈パガニーニの主題による狂詩曲〉(第18変奏)です。ピアノ協奏曲、協奏的な作品のオーケストラ・パートを、思いきって弦楽四重奏にアレンジしてみました(弦楽四重奏はレグルス・カルテット)。もちろん原曲のオーケストラの響きはすごくゴージャスで素晴らしいのですが、それをミニマムにカルテットにしたときにどんな響きが生まれるのか。たとえばショパンだと、ピアノ協奏曲のカルテット・ヴァージョンはけっこう演奏されますよね。そういったイメージで、どんなことが起きるのか。
正直、そんなことをして、怒られるんじゃないかという怖さもありましたけどね(笑)。おそらく学生時代の僕だったら、ラヴェルをアレンジするなんて許せなかったと思います。ダメだ! 何を考えてるんだ! って。原典主義みたいな。いろんな経験を経て、ちょっと柔軟になりました。
ラヴェルなんて、原曲は最初木管楽器で入ってくるところを弦で弾き始めますから、もっと違和感があるんじゃないかとも思っていました。でもこれがなかなか面白く出来上がったんです。オーケストラ伴奏より、カルテット編成のほうが、ピアノの重厚感が前に出やすいというのもあります。これはこれでどうでしょうかと、ひとつ提示ができたのでうれしいですね。
あとはショパンのノクターン第13番。ちょっとマニアックで重めの曲なんですけど、子供の頃からすごく好きで、いつか録音できたらと思っていました。じつはショパンのノクターンのなかで僕がいちばん最初に弾いた、思い入れのある曲なんです。
そういった意味ではまさに再構築で、今回は、そうやって昔から愛奏していた作品にあらためてもう一度取り組んでみようという試みでもあります。たとえばベートーヴェンの〈月光〉は、自分がクラシックを好きなるきっかけになった曲です。小学生の頃、擦り切れるまで聴いたカセットテープに入っていて、それがベートーヴェンの音楽であることも、〈月光〉という作品だとも知らないままに覚えてしまった思い出があります」
――アルバム冒頭、自作の「Intro」からつながるバッハの平均律の1曲目が、かなり速いテンポなのが印象的でした。
「そうなんです。なぜかというと、対になっているフーガを入れなかったからなんです。ペアで入れると、フーガのモティーフに合わせてプレリュードの速さも決まってくると思いますけど、プレリュード自体を、爽やかなそよ風のような感じで聴かせたかったので。速いのと遅いのと中庸のと、何パターンか録ったんですよ。それを全部聴き比べて、速いテンポのものを採用しました。バッハは速度の変化に耐えうる作品だと思います」
――構成的にはフランス音楽の割合が多いのも特徴的ですね。
「たまたまなんです。でもおそらく、昨年コロナの直前に10日間ほどパリに行ったせいだと思います。本当だったらパリでコンサートをやる計画で、その準備のためだったんですけど、パリの音楽家たちと交流を深めていたのが生きているんじゃないかと。パリにかぶれて帰ってきたっていうか(大笑)。でも、あのあとすぐに行けなくなってしまったので、行っておいてよかったです」
――荒々しく激しい作品よりも、やさしく美しい音楽ばかりが選ばれていますね。
「そうですね。それがデビュー以来一貫している自分のテイストです。もともとこういう音楽が好きなんですよ。小さい頃、まだカセットテープやMDで、そういうコンピレーションをよく作ってました。メランコリックとかトランキロとか耽美とか。そういう音楽に、昔から憧れてるんですよね」
――昨年末に出版したフォトブック『Piano man』(集英社)では、ピアノ名曲70曲をおすすめのピアニストともに紹介したガイドも書いていますね。かなりマニアックかつ本格的な内容で興味深いのですが、演奏に、そこで紹介しているような名ピアニストたちの影響はあるのですか?
フォトブック
「うーん。どうだろう……。子供の頃はCDの演奏をコピーするのが好きで、この人みたいに弾いてみようとか、モノマネ芸みたいことをよくやっていたんですけど。今は考えてないですね。ポリーニもツィマーマンも、端正なようでいて巨大な個性の塊です。自分がどう演奏するか、自分の色というものを出すことを心がけていますね」
――あるジャズ・ミュージシャンから、「クラシックのプレイヤーはどうしてコピーしないんだ?」と不思議そうに聞かれたことがあるのですが、その意見はどう思いますか。
「ああ、なるほど。たぶんジャズとクラシックだと、“コピー”の概念がちょっと違いますよね。クラシックにはスコアがあって、むしろ僕らは最初からコピーをしているので。そういう意味ではコピーありきの文化です。それをさらにテイストまでコピーするということになっちゃうと、意味が違ってくる」
――そのとおりですね。でも、もしビル・エヴァンスと同じように弾けたら、それでメシを食っていけるじゃないかという意見でした(笑)。
「たしかに(笑)。ビル・エヴァンスはいいですよね。恐ろしくなるぐらい病的で繊細」
――クラシックと同じように、ジャズなどほかのジャンルも聴くのですか。
「ピアノが好きなので、ピアノのジャンルであればなんでも。でもしいて言うならジャズですかね。自分のコンサートで、曲と曲のあいだにインプロヴィゼーションを入れることがあるんですけど、その調性関係とかモティーフの取り方とか、そういうのはジャズのミュージシャンたちのアイディアを参考にしています。
ダイバーシティというか、音楽はやりたい人がやりたいようにやればいいと思っているんです。誰かがアイディアを出すことで、それを元に次のアイディアが出てくる。だから音楽家、演奏家はアイディアを出しつつづけるべきだと思っています」
――クラシックは、そのアイディアを、作曲家が完成したスコアのなかに盛り込まなければならないのが難しいですね。それが“解釈”と呼ばれるわけです。
「そうなんです。大変です(笑)。しかも100年前からの演奏の音源が残っていて、どんどん増える一方なわけで、それらと比較されてしまうわけですから。厳しいと思います。だからこそ、曲のアレンジだとか、曲のセレクト、そんなアイディアをどんどん出さなければならない時代なのだとも思います。
どう聴いてもらったらお客さんがいちばん楽しんでくれるか。たとえばもし自分がベートーヴェンの後期ソナタを弾くのだったら、第32番の第2楽章や第30番の終楽章だけをまずは聴いてもらうかもしれません。あるいは、たった一夜だけ、後期ソナタのみを弾くコンサートを開くとか。いろいろな可能性があると思うんですね。
僕の仕事は、クラシックをまだよく知らない方たちをクラシックの森に案内することなので、今はいろんなアイディアを出しながらそれをやっているところです」
――ありがとうございます。最後にアルバムのおすすめメッセージをお願いします。
「クラシックを弾いてほしいというたくさんの声にお応えできるアルバムになったと思います。一般的なコンピレーション・アルバムよりは、メランコリックなテイストの曲を多めにしたり、フランスものが多かったり、そしてコンチェルトをアレンジしたりと、自分ならではの選曲になっていますので、ぜひこれを聴いて好きな曲を見つけていただければと思います。
もちろんクラシック・マニアの皆さんにも聴いていただけるとうれしいです。このラヴェルどうでしょう? マニアの皆様のご意見をお待ちしていますね(笑)」
取材・文/宮本 明
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