BOYS AND MENの25枚目のシングル「ニューチャレンジャー」は、テレビアニメ『新幹線変形ロボ シンカリオンZ』(テレビ東京系)主題歌である。『シンカリオン』シリーズとのコラボは「進化理論」(テレビ第1期)と「ガッタンゴットンGO!」(劇場版)に続いて3度目。5月からミュージック・ビデオと振付動画が先行公開され、タイトルどおりちびっ子たちのチャレンジ精神にエールを送っている。
カップリングには列車つながりでTHE BLUE HEARTSの「TRAIN-TRAIN」のカヴァーと、1980年代に一世を風靡したニュー・ジャック・スウィングのビートが軽快な「Do-Dah-Dah」を収録。アニソン、ロック、レトロR&Bとヴァリエーション豊かに、はつらつとした歌とダンスでボイメンらしさを全開させたシングルだ。
6月初めのある日、ユニバーサル ミュージックでの取材。メンバーは3チームに分かれ、ステージ衣装に身を包んでインタビューや撮影をこなしていた。我々の質問に答えてくれたのは水野勝、田村侑久、辻本達規の3人。やんちゃと落ち着き、おふざけとまじめを高速往復しながら、終始にぎやかに、かつ力強く話してくれた。
――媒体名にちなんで、みなさんの初めて買ったCDを教えていただけますか?
田村 「僕はYUKIさんの〈Home Sweet Home〉です。最初の『ナルト』の映画(『劇場版 NARUTO -ナルト- 大活劇!雪姫忍法帖だってばよ!!』)の主題歌ですね。小学校5年か6年のときで、『NARUTO』が大好きだったんです」
辻本 「僕は中2のときに買った森山直太朗さんの〈夏の終わり〉です。『熱闘甲子園』のテーマソングで、兄が高3だったので一緒に甲子園を見てて好きになりました」
水野 「僕はケツメイシさんの〈さくら〉かORANGE RANGEさんの〈ミチシルベ〜a road home〜〉」
辻本 「どっちかにしとけって」
水野 「じゃあ〈さくら〉。中学生のときでした。表にはタイトルと桜の写真で、裏に桜金造さんの写真が入ってたんですけど、知らなかったんですよ。“これ誰?”っておかんに見せたら“桜金造だよ”って言われたのを覚えてます」
――そのころ自分たちのCDを出す時代がくることは想像していましたか?
田村 「いや〜、思ってなかったですね、まったく」
辻本 「とくに俺ら、大人になってから入ったからね」
田村 「21から僕はやってるんで」
水野 「後輩なんですよ。僕たちは19、20歳からやってますから」
辻本 「(田村は)脱サラして入ったんで。口の利き方に気をつけろよ」
田村 「社会人経験のないおまえらは黙ってろ」
――(笑)。「ニューチャレンジャー」は子供たちが気に入ってくれそうな元気な曲ですね。ミュージック・ビデオもいつも以上にはつらつとしている気がします。
VIDEO
水野 「CGも使って、ポップに作ろうというイメージのもと作られたんです。ここ数作品ぐらい、ようやくメンバーの意見も反映させてもらえるようになりました」
田村 「そうだね。こういうのやりたい、ああいうのやりたいって」
辻本 「前はある程度決まってて、僕らはそれを全力でやるっていうスタンスだったんです」
――どんな意見を?
水野 「出来上がったのをラッシュで見て“もっとこうしよう”とか“こうしたかったね”みたいな。完成してOKじゃなくて、よりよくするためにどうするかっていう意見が自然と出るんで、そういう意味ではまじめなグループだと思います」
辻本 「田村が振り間違えてるから、“●秒のところ、田村のカット何かに差し替えられますか?”とか」
田村 「ただの粗探しじゃん! そんなことしてるのおまえだけだよ」
辻本 「振りの細かいミスってメンバーしかわかんないから、ギリギリの段階で僕らが見つけて、納品前日ぐらいに言わせてもらうんです」
水野 「言わなかったらそのまま出ちゃうからね」
田村 「いやいや、いっぱい撮ったなかでたまたま俺が間違えてただけじゃん。ほかにも間違えてるやついっぱいいるから」
水野 「〈GO!! 世侍塾 GO!!〉とかは間違ったのが使われてます(笑)」
辻本 「当時(2016年)はまだ僕らは公開前には見れなかったんです。田村は間違えてても言わないんですよ(笑)。間違えたまま公開されることを防ぐためにも、みんなでチェックするようにしてます」
――田村さん言われ放題ですね。
田村 「まぁ、あとで……はい」
――あとでどうするんですか(笑)。
水野 「事実だから何も言えないんですよ」
田村 「みんな間違えるけどたまたま僕のが使われてただけだし、細かいミスを見つけただけで、そんなたいした間違いじゃないんですよ」
――でも、グループ全体として向上するためには大事ですよね。
辻本 「現場でみんな言うもんね。“ごめん! いまのちょっとミスっちゃいました”って。(田村を指さして)全然言わないけど(笑)」
田村 「俺も言ってるって! おまえがやったら絶対ボコボコに言ってやるからな」
辻本 「その緊張感がいい作品を作り出すんだよ」
――それぞれが気に入っているところはどこですか?
田村 「僕は初めて聴いたとき、子供たちは絶対に気に入ってくれるだろうし、『シンカリオン』にもすごく合ってると思いました。歌い出しの“ガーン!ガーン!ガーン!進化すんだ!”のパートとか、すごくキャッチーだから、みんな口ずさんじゃうだろうなって」
――ご自分が歌う“進め!進め!声上げて”のパートはどうですか?
田村 「あそこはどうかな……(笑)。おもしろ要素ではあると思うけど」
辻本 「子供の声では出ない高さだからね」
田村 「地声が低いんで低音パートはだいたい僕です。逆に高音がまったく出ないんで、サビにはほとんどいないですけど(笑)」
――水野さんはどうですか?
水野 「ボイメンにはアップテンポで前向きな曲が多いんですけど、『シンカリオン』の世界観と融合して、この曲ならではのハイブリッドなよさが生まれてると思います。“出発進行”とか“発車のベルが鳴り響く今”とか、電車にかけた部分が好きですね。あと、“チャレンジャー”ということで、子供たちにいろいろ挑戦してほしい、夢を持ってほしいっていうメッセージも込めてるんです。僕ら、これから“全国ヒーロー化計画”というのを打ち出していくんですけど、コロナ禍で夢を見る機会が少なくなってる気がするので、夢見ることの大切さをアピールしつつ、僕らが子供のころ抱いてた夢をいまの子供たちに伝えていく楽曲でもあるのかなと思います」
――すばらしい答えですね。さすがリーダー。
水野 「ただの低音野郎とは違います」
田村 「おいおいおいおい(笑)」
――辻本さんはどうですか?
辻本 「僕らいつもまっすぐな歌詞が多いんですけど、『シンカリオン』の力を借りて、普通だったらなかなか言えないようなことも言えるところが魅力かなと思います。“夢見てる僕たち 最高さ”みたいな」
水野 「ちょっと恥ずかしいもんね」
辻本 「そうそう。『シンカリオン』なしでは歌えない曲っていうか。だからこのコラボレーションは僕たちにとっても大きいんです」
――僕もその“夢見てる僕たち 最高さ”という一節が好きです。自分を強く肯定しているところがいいなと。みなさんは自己肯定できていますか?
辻本 「僕はできますね」
水野 「僕はいい意味で肯定できるようになりました。昔はもっと尖ってたというか、“なんであいつわかんねえんだよ”みたいに他人と比較して、優劣をつけて肯定する感じでしたけど、いまは“あいつのあれはいいな。でも俺は俺でこういうよさがあるな”っていうふうに、他人は他人でリスペクトし、自分は自分で肯定できるようになりましたね」
――どうして変わってきたんでしょうか。
水野 「メンバーがいろいろ言ってくれたのもありますし、単純に年齢もあると思います。あと、グループにとって何が必要なのかをすごく考えるようになったことも。昔ももちろん考えてましたけど、とにかく仕事がなくてまずは自分をなんとかしないといけないから、自分本位っていうか主観的だったと思うんですよね。それはみんなも同じで、いまは仕事も増えて、物事を客観的に見て俯瞰できるようになったのかなって。他のメンバーの仕事を見て“これは俺はできないけど、こいつはできる。すげえな”って尊敬できるようになったし。そういう経験を積むなかで変わってきたのかなって思います」
辻本 「昔はみんなで同じ仕事してたしな」
水野 「そう。比較のしようがないっていうか、同じことをずっとやるしかなかった」
辻本 「ソロで違う職種の仕事をやり出したのは関係あるかもしれないですね」
――そうするとグループを外から見られるようになりますもんね。
水野 「と同時に、自分が代表で行くんでプレッシャーもあるじゃないですか。ほかのメンバーがソロでやってるのを見ると、同じ気持ちだってわかるんですよ。“あいつも大変だけど、グループを代表して頑張ってる。すげえな”って」
田村 「ソロの仕事って客観的に見れるんで、純粋に“応援してあげたいな”っていう気持ちになるんですよ。そういうことが積み重なっての現在だと思います。僕も勝と一緒で、それぞれの個性の強みを認めたうえで自己肯定できますね。“俺はなんでもできる”とは思えないですけど」
――さすが10周年、大人ですね。
田村 「メンバーの入れ替わりがうちはいっさいないんです。やめた人はいますけど。もはや家族みたいな存在で、どんなことがあっても気にしないみたいなところもあると思いますね。本物の家族より長く一緒にいるんで」
――そのお話で思い出したんですが、今日の取材の下準備で目を通した記事にアンケートが載っていて、「メンバーの誰かを彼女にするなら?」という問いに「家族に手は出せない」みたいに答えていた人がいましたね。
水野 「それ俺かもしれないですね(笑)。絶対選ばないようにしてるんで」
辻本 「いや選べよ!」
田村 「俺を選べよ!」
水野 「絶対イヤです! 田村と結婚したら大変だよ、いろいろ」
田村 「待て待て」
辻本 「俺もイヤだ。受け止めきれないもん」
田村 「今日のスタンスむかつくわー」
――いつもこうして田村さんがいじられているんですか?
田村 「いじられっていうか……」
辻本 「ポンコツなんですよ」
田村 「辻本もポンコツだよ。さっきも(取材が)始まる10分前に急ぎ出して、“間に合うかな? ウンコしちゃった”とか言ってさ(笑)」
――(笑)。さっきチラッと出た“全国ヒーロー化計画”について、もう少し詳しくうかがってもいいですか?
田村 「コロナ禍でいろんなことが制限されて、仕事のあり方が変わったり、お店や会社が苦しくなったり、人との交流が減ったり、僕らでいえばエンタメを発信しにくくなったりと、いろいろありますけど、いちばんかわいそうなのは子供たちだと思うんです。そもそも外に遊びに行けないし。そんなときだからこそ、“誰もが誰かのヒーロー”ということで、僕らが子供たちに夢を見ることの大切さを伝えて、その子たちがまた別の人たちのヒーローになってくれたら……。〈ニューチャレンジャー〉を通して夢を与え合っていこう、一緒に盛り上げていこうっていう企画なんです」
水野 「その第1弾が“Zダンス”です。ラッキィ池田さんが子供も踊れるように振りをつけてくださって、YouTubeに90秒の振付動画を上げてるんです。後輩グループが“踊ってみた”をアップしたり、ファンの子も踊ってくれたり、電車の車掌さんが踊ってくれたりと、ちょっとずつ広がりが出てきたかなって」
VIDEO
――ヒーローへの第一歩としてのZダンスですね。
水野 「他にもいろいろ企画があがっていて、子供たちが喜んでくれそうなことをどんどんやっていくつもりです。僕たちここ数年ずっと『NHK紅白歌合戦』出場を目標に掲げてますけど、ただ出たいってだけじゃなく、なぜ出たいのかが大事だと思うんです。そのために全国ヒーロー化計画をやってるところもあって、夢を見づらくなってる状況だからこそ僕らが率先して夢を見て、かなえた姿を見せたい。ボイメンとの約束を守って頑張った子が年末のテレビで僕らを見たら、“夢って本当にかなうんだな”って思えるじゃないですか。そうなればどんだけ大きなエネルギーを与えてあげられるだろうって。“僕らも頑張るから、みんなも大変だけど頑張っていこうね”っていう思いを込めてます」
――すばらしい。Zダンスが「恋するフォーチュンクッキー」みたいに全国に広まるといいですね。
田村 「子供たちだけじゃなくて、大人も“踊ってみた”してくれたら楽しいですよね」
水野 「動きは簡単ですけど、本気で踊るとめちゃくちゃきついんですよ」
田村 「この動き(“ガーン!ガーン!ガーン!”のくだり)、腕飛びそうになるもんな」
辻本 「なかなか体を動かす機会がないですけど、これは家でもできるし振りも簡単だから、いいエクササイズになると思います」
水野 「こないだライヴで4回ぐらいやったんですけど、4回目はかなりしんどかったです。ぜひやってみてください」
――はい。1番の途中で力尽きそうですが(笑)。コロナ禍という状況を踏まえてのボイメンからのメッセージでもあるんですね。
水野 「ちょうど10周年のタイミングだったので、僕らにとってはすごく大事な節目の年に、アリーナ・ツアーも海外でMVを撮る計画もぜーんぶ潰れちゃったのは正直ショックでした。でも、だからこそ前向きになれたとも言えるかもしれないです。実際メンバーもコロナ感染しましたし……田村はかかってないですけど」
辻本 「かかってるんじゃないですか? ダンマリ決め込んでるだけで」
田村 「かかってないから(笑)」
――大事なお話を聞かせてくださってありがとうございます。話を戻しますと、ボイメンと『シンカリオン』はとても相性がいい気がします。というのも、名古屋って東京と比べて新幹線との距離が近いですよね。
水野 「めっちゃ近いですね」
辻本 「岐阜はもっと近いですよ。堤防に立ってると、感覚的にはここからそこのピアノぐらいの距離(3メートルくらい)をブワーッ! と」
田村 「その近さだったら事故起きまくりだぞ(笑)。盛ったやろ」
水野 「盛ってないよ。俺の小学校も同じくらいだったもん(笑)」
水野 「校舎のガラスが震えてました。新幹線が通るからってことで、小中学校の教室にエアコンがついてましたから」
――それだけ身近だと『シンカリオン』にも親近感がありますよね。
辻本 「めっちゃうれしいです。それに僕ら、誰よりも新幹線に乗ってるグループですし」
田村 「それは間違いない」
水野 「マイルがあったらむっちゃ貯まってるよな」
――週何回ぐらいのペースで乗っていますか?
辻本 「コロナで減りましたけど、多いときは週平均8回とか」
田村 「朝から東京に行って一本仕事して、名古屋に戻ってまた仕事して、終わったら今度は大阪に移動して、夜また東京に前乗りするみたいなこともあるもんね」
――ひゃー! 飛行機よりも新幹線?
田村 「ぜったい新幹線のほうが早いです」
辻本 「飛行機は空港までが遠いんで」
田村 「(名古屋から)品川まで1時間40分くらいだし、大阪までは50分くらいですから」
――名古屋は真ん中だから、どっちにも行きやすいんですね。
水野 「大阪から帰るときはちょっと緊張します。名古屋で乗り過ごすと、新横浜まで行っちゃうんで」
辻本 「やったことある?」
田村 「俺はない」
水野 「俺はあるよ」
辻本 「もう地獄ですよ」
水野 「4時間ぐらいロスするよね。最悪。僕のときは一日潰れました」
辻本 「僕は関西でライヴなのに東京に行っちゃって(笑)、ライヴに出れなかったことがあります」
田村 「右と左を間違えたら地獄ですよ。辻本は絶対にやっちゃいけないミスをするんです」
辻本 「乗って扉が閉まった瞬間に気づいたけど、どうしようもないんですよね。2分後に気づいて4時間戻れないみたいな。あれはほんっと地獄。緊急停止ボタン押したかったです(笑)」
――もうボイメンの旗揚げから11年目に入っているんですよね。11年続いたのは偉大です。最初の3〜4年は大変だったそうですけど。
田村 「いまでこそ笑い話ですけどね」
辻本 「とか言ってますけど、こいついっちばん大変だった最初の1年はいないですからね。あのなんの実りもなかった1年」
水野 「不毛な1年ね」
田村 「俺が入ったときもまあまあ実りなかったぞ」
――在籍者すべて足すと100人ぐらいになるそうですが、いまの9人はどうして残れたと思いますか?
田村 「社長愛ですね」
水野 「社長と夢を叶えたいっていうのはあったよね。あとは根拠のない自信とか、“ここで負けられない”っていう根性とか」
辻本 「根性はあった」
水野 「昨日ちょうど勝俣(州和)さんと収録してて、ボイメンの話をしてくれたんですよ。(ビート)たけしさんがおっしゃってたそうなんですけど、“ほかに行くとこがないから頑張るやつは、磨くとそうとう光る”って。“ボイメンはまさにそれだから、おまえらいいグループだよ”って言ってくれました」
田村 「うれしい!」
水野 「洗脳じゃないけど、“俺らはここでしかやっていけない。だからここで夢をかなえるんだ”っていうプライドみたいなのが強いのかもしれないです」
辻本 「ほかの道を探そうとしなかったんですよ。普通は楽したいじゃないですか。“あっちのほうが楽に売れるんじゃね?”とか“大手のほうがいいんじゃね?”とか」
――とくに若いときは選択肢が多いですもんね。友達もどんどん進路を決めていったりとか。脇目も振らずに頑張ってこられたのは立派だと思いますよ。
水野 「いい意味でアホなんじゃないですかね。お金もらえなかったら普通やめますもん」
田村 「3年間もらえなかったもんね」
辻本 「俺らは4年間だから(笑)」
田村 「いいやん、おまえら実家暮らしだったし」
辻本 「俺はひとり暮らししてたよ」
――ひとり暮らしでギャラなし……アルバイトをしていたんですか?
辻本 「アルバイトはできなかったですね。仕事はないけど稽古ガンガン入れられるし、大学に通って部活もやってたんで。奨学金でなんとかしました。自分で返さなあかんやつですけど」
――えらい!
辻本 「なんで、“いまどきの若い子”っていうくくりにされると、なめてもらっちゃ困りますよ、って思いますね(笑)。レールもなくお先真っ暗なところでスタートして、悪いけどそこらのおじさん連中よりもがむしゃらにやってきたっていう自負はあります」
――そのがむしゃらさのおかげでいまがあるんだと思います。
辻本 「物怖じしたり緊張する場面はたくさんあるけど、そこを乗り越えてきたからこそ頑張れるというか、怖くても一歩踏み出せるっていうのはあるかもしれないです」
――すばらしいガッツです。最後にぜひ言っておきたいことがありましたら。
水野 「パワー・プッシュしたいのはやっぱりZダンスと、僕らがめっちゃこだわって作ったミュージック・ビデオです。いっぱい見て、いっぱい踊ってほしい。その2点ですね」
田村 「あとメンバー個人でSNSやってるんで、僕はそこも推したいです」
辻本 「それはべつによくね?」
田村 「俺はボイメンの広報部長だから。フォロワーが少ないと“ボイメンたいしたことねえな”って思われるじゃん(笑)」
辻本 「いまここで言ったからってそんな伸びんでしょ」
田村 「いやいや。こういうのは積み重ねだよ」
――積み重ねは大事ですよね。「ニューチャレンジャー」MVとZダンス、そしてメンバーのSNSにみなさん注目しましょう!
取材・文/高岡洋詞