自己のバンドおよびさまざまなグループで音楽活動を展開しているほか、映画音楽など多方面で大活躍中のジャズ・ピアニスト、魚返明未。高校在学中にプロのジャズ・ギタリストとしてのキャリアをスタートさせ、ワールドワイドな演奏活動および、2021年からはシンガー・ソングライターとしても才能を発揮している井上銘。いずれも1991年生まれという同年齢のふたりがデュオ作品『魚返明未&井上銘』を完成させた。時代を反映するデリケートな対話が収録されたアルバムの背景をじっくり聞いた。
――おふたりが出逢ったのはいつですか?
井上 銘「高校2年か3年です。ライヴハウスで出逢った人が東京学芸大学のJAZZ研セッションに連れて行ってくれて、そこで魚返くんと出逢いました」
魚返明未「僕は高校時代、モダン・ジャズ研究部に入っていたのですが、その部活のOBに声をかけていただき、JAZZ研セッションに出入りするようになったんです。でも、銘くんと初めて会った日はほとんどしゃべっていないような……」
井上「あの頃の僕は思春期を引きずっていたから(笑)」
――“思春期を引きずる”ってどういう意味でしょう?
井上「16歳でジャズと出逢い、授業が終われば即、家に帰り、ストイックにギターを練習する、そんな日々を過ごしていたんですが、周囲の人たちにはギターを弾いていることを言っていなかったんですよ。というのも、いきなりプロ・デビューしてみんなを驚かせたくて、ミステリアスな自分を演出していました。そんな自分に酔っていた、それが僕の思春期です(笑)。ところが、セッションで同い年の魚返くんに出逢ったので、妙に照れくさくて、まったくといっていいほど、しゃべれなかったんですよ。しかも、魚返くんは古い曲もたくさん知っているし、自分よりずっと深くジャズを理解している、まるでジャズ博士のような印象でしたから」
魚返「僕のほうこそ、銘くんのギターを聴いてとにかく驚いたことを覚えています。クリーンなトーンでここまでスタンダードを弾ける人を初めて見たし、音が素敵だなと感動しました。あの時、数曲、一緒に演奏したけれど、連絡先は交換しなかったよね。2、3年後に(埼玉県)朝霞台にある“停車場”というジャズ・バーのセッションで再会し、その時は〈アイ・ソウト・アバウト・ユー〉と〈ステラ(・バイ・スターライト)〉を一緒に演奏した覚えがあります。ますますパワー・アップしたギター演奏に圧倒されてね」
井上「その時も僕らは多くを語らなかった(笑)。ふたりとも人見知りなんです」
魚返「いや、僕にしてみれば、同じ年とはいえ、銘くんのほうが音楽活動のスタートが早かったので“プロの人が来た!”と背筋が伸びていたんだよ。気安く声をかけられなかった」
――おふたりの距離が近くなったきっかけは?
魚返「井上銘グループでピアノを弾いていた泉川(貴広)さんがアメリカに行くことになった時だよね」
井上「そう。後任のピアノを魚返くんにお願いしたんです。ベースの若井(俊也)くんやドラムの柵木(雄斗)くんにも相談してオファーしました」
――その後、おふたりは井上銘グループの活動だけでなく、デュオでもライヴを精力的に行なうようになったんですね。
魚返「もう5年ぐらいになります」
井上「きっかけは“ホットハウス”という東京・高田馬場にあったジャズ・ライヴハウスのママの思い付きです。“ふたりでやってみない?”と言ってくれて、そこから定期的にデュオ・ライヴをするようになりました。ギターとピアノのデュオは一般的に難しいと言われていますが、魚返くんとの時間でそういう気持ちになったことはほぼないですね。もちろん、カルテットでも演奏しているからだと思いますが、それ以上に彼は寛容ですから」
――寛容?
井上「魚返くんはどんな和音を弾いても、たとえ、それが失敗だったとしてもつねに前向きに受け止めてくれるので、僕はすごく居心地がいいんですよ。ただ、今回のレコーディング前のリハーサルで試し録りをした時に、はじめてピアノ&ギターの難しさがわかりました。“ムズッ!”となり軌道修正をし、そのうえでレコーディング本番を迎えられてよかったです」
魚返明未
――収録曲は9曲中8曲が魚返さんのオリジナルで、1曲が井上さんのオリジナルですね。
魚返「じつは、2018年に魚返明未トリオのアルバム『はしごを抱きしめる』をリリースし、作曲者としての達成感がありました。じゃあ、次はどうしようと考えた時に、銘くんとデュオで演奏するオリジナル曲を書きたいと思ったんです。そして一曲できるごとにライヴで演奏していました。そうやって書き溜めた曲の多くを今回のアルバムに入れています」
井上「魚返くんの曲はコンセプチュアルだし統一感もあります。心に潜んだ影も含めて、そのままシュッと本来の自分に浸らせてくれる雰囲気がどの曲にもあり、そこが僕は好きなんですよ。そういう意味でも僕が携わったアルバムの中で、とくに音楽的なコンセプトが定まっている作品じゃないかな」
――コロナ禍になってから書いた曲もあるんですよね?
魚返「〈かなしい青空〉〈隔たり〉〈静かな影〉の3曲です。それ以外はコロナ禍以前に書きました」
――曲ができた時に細かいアレンジもイメージできているのでしょうか?
魚返「ギターはこういう音色でこの音域かな、といった程度のことは考えますが、基本的に余白を残した状態の譜面を銘くんに渡しています。それをどのように彼が解釈するか、いつも楽しみにしているんですよ」
井上「魚返くんはコードの付け方が本当に絶妙ですし共感できます。たとえば、メロディに対して一般的なコードを付ける場合とあえてコードを変える場合がありますが、そのどちらにも属さないコードを自然に選んでいる。そこに魚返くんのメッセージやセンスを感じますし、弾き甲斐もある。たとえば、〈サイクリングロード〉なんて、この編成じゃなければできない緻密さがあると思うんだけど」
魚返「そうだね。2019年に書いた曲だけど、以来、いちばん演奏しているよね。曲ができた時、銘くんとすぐに演奏したくて、下北沢のスタジオに入ったじゃない?」
井上「そうだった。魚返くんが僕とふたりで演奏するために書いてくれた最初の曲で、それがあまりにも良すぎるんだもの、がんばったよ(笑)。11分以上の曲だから演奏する前は、“さあ、これから長い旅が始まるぞ”と覚悟を決めて臨むんだけど、いざ演奏が始まるといろいろな感情が沸いてきて、それこそ心も旅ができるんです」
井上 銘
――井上さんのオリジナル曲「丘の彼方」はレコーディング直前に書いたとか?
井上「このアルバムは本来“魚返くんの楽曲を残そう”というところからスタートしているので、僕の曲は入れなくてもいいぐらいの気持ちでした。ところが、魚返くんから発注がありまして」
魚返「せめて1曲だけでも銘くんのオリジナルを入れたかったし、できれば、ほかで発表していない曲を書き下ろしてほしかったんです。自分の曲だけがずっと続くアルバムだと僕ばかりがしゃべっているような感じで居心地が悪いんですよ。それで銘くんに発注しました(笑)」
井上「(笑)。この曲は近所の丘でぼけーっとしていた時、突然、メロディが降って来たので、忘れないように頭の中で再生しながら帰り、魚返くんの楽曲が持つ世界観に導かれるように家で完成させました。イントロだけはレコーディングの時に足しましたけれど、こんなふうにメロディが降ってくることがたまにあるんです」
魚返「僕の曲にはないポジティヴで爽やかな感触なので(笑)、自分の曲を演奏する時よりも深刻にならず、純粋に演奏自体を楽しめます。銘くんの弾きたいギターのパターンが明確な曲ですし、ひとりのプレイヤーとして、ふたりで演奏する楽しさを味わえるんです」
――アルバムが完成した今の気持ちを教えていください。
魚返「聴いてくれた方の抱えている傷が少しでも和らいでくれたらいいなあと思っています。僕たちも寂しさや孤独感を癒すために演奏しているところはありますしね」
井上「自分のアルバムをプライベートで聴くことはあまりないのですが、この作品はイヤなことがあった帰り道や疲れた時によく聴いています。僕が演奏している感じがせずに聴けるんですよ、不思議ですね(笑)。それと、“魚返くんと演っている”ことを大事にしてきたから、その音楽をこうやって形に残せてとても嬉しいです」
魚返「たしかにそうだね。だからアルバム・タイトルも『魚返明未&井上銘』にしたし。春にはアルバム発売記念ライヴを予定していますので、生演奏もぜひ聴いていただきたいです」
井上「アルバムを聴くだけでは伝えきれない、ステージ上の魚返くんを多くの方に見ていただきたいな。独特の間やテンポ感、ちょっと自虐的なMCも最高ですから!」
魚返「(笑)」
取材・文/菅野 聖
Photo by 垂水佳菜
「Ami Ogaeri×May Inoue Live at KIWA TENNOZ」〉2022年4月15日(金)東京 KIWA TENNOZ(東京都品川区東品川2-1-3)
開場 18:15 / 開演 19:00(入替なし / 休憩あり)
チケット料金:6,000円(税込)
https://www.oasis-kiwa.com/