新作『SWEET SERENITY』を聴いてこう思った。まるで
ジョン・レノンから
ポール・マッカートニーへの転身じゃないか、と。自分をさらけ出した内省的な曲が多かった前作
『鈴木祥子』とは趣を異にする、明るくはじけた作品への転換、というわけだが。
「明るくしたいなっていうのは何となくあったんですが、内容までは決めずにスタートしたんです。前のアルバムは、裸のまま外に出るっていう感じだったけど、今回はけっこうデコレーションに気を配りました」
色合いの変化には、京都での2年半の生活が大きかったようだ。
「京都で出会った人はみんなマイペースで、自分の生活と自分自身を大事にしながらニュートラルに生きている。自分は何かが欠けてるからそれを埋めないとこの世の中で生きていけない、っていう切実な部分がわたしにはあったんだけど、無理やり音楽や人間関係や人生をコントロールしようとしてみても意味がないんだ、ということを学びましたね。身を任せて、偶然に起こることは必ずしも偶然じゃなく起きてるから、そこから何か学ぶものがあったら学べばいいし、感じることがあったら感じればいい。コントロールできない流れもこの世にはあるから、そこには逆らわない。でも、べつに無抵抗でただ流されるっていうことじゃなくて、大きな流れに身を委ねるほうが楽だし、肯定的な気持ちになれる。我を張らないほうがいいって。
この新作も、自分がコントロールしようとして、“ぜったいに20周年記念アルバムを作らなきゃ!”と思っていてこういう流れになったわけではないんですよ。もう偶然にすべてを任せるっていう。偶然の必然性みたいなところに」
そうして生まれた新作は、ポップ職人としての顔をはっきりと見せた傑作となった。ロック、カントリー、ゴスペル、バロック……なんでもござれの曲調の幅広さは、鈴木祥子のアレンジ能力の高さをも伝えている。たとえば
山本精一が参加した「ELECTRIC FINGERZ」などは、エロい歌詞も含めて最高のおバカロックだろう。
「以前は自分のことを歌うことが歌だと思っていたんですけど、自分の要素はちょっと見え隠れしていれば、あとはキャラクターになりきって歌うことだってありなんだと。前より視野がちょっと広くなった感じがしますね。京都も大きかったけど、やっぱり年齢じゃないですかね(笑)」
新作には「まだ30代の女」という曲もあるが、30代から40代になっての大きな変化といえば……。
「30代は良くも悪くもテンションがすごく高くて、“音楽がないと自分の存在が成り立たない”とか“このライヴにすべてを賭ける”みたいな熱血系のテンションがあったんです(笑)。でも40代になってからは、見切るというか、諦念を覚えるというか……。あるとき比叡山の延暦寺に行ったんですが、そのときにふと“大事なことって少ないもんなんだな”と思ったんですよ。捨てていくってべつに悲しいことじゃなくて、ここで捨てたらまた新しいものが手に入るということ。こだわりがなくなったんですね」
揺れているけどブレがまったくない――曲作り・演奏・アレンジなど本職の音楽に関わることだけでなく、たとえば文章にしても会話にしても考え方にしてもそうだが、“鈴木祥子”と相対していると、そう思わされることが多い。明快で明解。新作『SWEET SERENITY』を聴いて、その思いをまた強くしたが、ひさびさのアルバム作りを終え、彼女はいま、こんなことも考えている。
「音楽って本来は、自分の中に過剰になってあふれる感情や気持ちがあって、ぶつけようがないから声が出てしまった、みたいなものだったんじゃないかな。最初は叫びだったかもしれないし、わけのわからない奇声だったかもしれない。それがだんだん形式として洗練され、歌や音楽になっていったと思うんですよ。でも、形式を与える前はもっと自由だったはずですよね。もっとシンプルでプリミティヴ。で、“この気持ちはもうどこにもぶつけようがない、ああ!”って言って出た声が歌だとしたら、そこまで強い動機や歌う理由みたいなものがいまの自分にはあるのかとか、そういうことを最近よく考えます。自分の中で音楽は可能なのかなっていうことですね。技術的には可能だし、“こういう曲を書こう”と思えば書ける。そういうスキルは20年間で培ってきたので。でも、ひょっとしたら、何かべつの動機から発せられる音楽もあるかもしれないなって。アルバムを作り終えてしばらく経ったっていうこともあるとは思うけど、いま新たに自分の中でそういう問い直しが始まっているように思います」
取材・文/藤本国彦(2008年8月)
デビュー20周年によせて〜
20年もやると思ってませんでした、でもやってるだろうなとも思ってました。“デビュー20周年”についてどう思うか? ときかれたら、たぶんこういうところが本音かと思います。もともと歌手をめざしていたわけでもなく、あのスポットライトの下に立ちたい! 立ってやる! と思ったこともなく、どういうめぐりあわせか歌手、ということになり、人様の前で自作の歌をうたうことになり、やめようかなとか自分、間違ってるのかなとか迷いつつ、いや、やってみよう、ぜったい間違ってない、と確信したりもして、そんな繰り返しで気がついたら20年です。しかしこれは音楽だけでなく、どんな仕事にも共通することなのかもしれません。
そんな具合なので、なにかを強く強くねがうとか、あるイメージをもってそこにつき進む、という行為とは正直言って無縁の20年間でした。むしろそういう ことは“格好悪い”と思っていたフシさえあります。一生懸命、何がなんでも、というふうにみえるのは恥ずかしいという、ありがちな“東京モンの自意識過剰”なのでしょうか。それは同時に“夢みてかなわないこと”へのおそれでもあったとおもいます。
しかし私はいま、夢をえがこう、と思います。不労所得で暮らしたい、でも、世界が平和になるように、でも、スティーヴ・ペリーとデュエットヴォーカルできたら死んでもいい、でも、もう何でもいいのです、子供のようにきらきらの目になってわくわく、ドキドキするようなことが、この世の中にはあまりにも少なすぎます。だから自力でつくりだすのです。自前で調達するのです。誰に遠慮も要りません。DON'T STOP BELIEVIN'なのです。
いま、さかんに将来への不安、ということが言われます。不安定な時代、不安定な雇用、不安になるのが当然、というような風潮のなかで、夢を描くなんてムズカシイことのように思ってしまう、思わされてしまう。
しかし――、たとえば20年やってきたことは、あと20年やってても不思議じゃない。そしてそれがいままでの20年よりさらに楽しくなったってなにも不思議じゃないのです――それを決めるのはほかの誰かじゃない、世の中の風潮でも常識でもない。いま、ここに居るじぶん、なのではないでしょうか。
鈴木祥子。
【SYOKO SUZUKI 20th anniversary LIVE “SWEET SERENITY”】
2008.9.21(SUN) 渋谷C.C.Lemonホール
open 17:00/start 17:30
ticket:全席指定・税込6,500円
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小倉博和(electric&acoustic guitar)
山本隆二(keyboards)
井上富雄(bass)
鎌田清(drums)
※詳しくはオフィシャル・サイト(
http://syokosuzuki.sakura.ne.jp/)まで。