ストリートピアノを演奏するYouTube動画や、1作ごとにコンセプトを設けたピアノ・カヴァー・アルバムなど、多彩な活動を展開する朝香智子。最新アルバム『FLYING HIGH』はデビュー作以来5年ぶりに、全曲オリジナルとなった。強く響く演奏と相まって、ストーリーや情景がヴィヴィッドに浮かぶ楽曲の数々に、コンポーザーとしての才気が発揮されている。創作の裏側から音楽家としての背景まで、たっぷりと語ってもらった。
――人生で何度か大きな引っ越しされていますよね。
「大阪の高槻市出身で、そこから中・高・大・大学院と京都に通っていました。結婚を機に30年いた大阪から湘南の藤沢に移住して、9年半過ぎてから、思い立って高知に引っ越しました」
――なぜ高知だったんですか?
「10数年前に一度、友だちと旅行で行ったことがあって、降り立った瞬間、“ここ好き!”と思ったんです。理屈抜きで土地のエネルギーと同調したというか、“いつか絶対に住みたい”と。コロナ禍を経て40歳になって、“これからどうしよう?”というとき、違う場所に行きたい気持ちが募って、“今だ!”と高知に飛んでいきました(笑)」
――ある意味、運命的だった。
「このタイミングしかない感じでした。制作の拠点を全部移して、曲作りやアレンジ、配信は高知でやっています。月の半分は大阪や関東で演奏活動をする生活で、メリハリができました。ずっと演奏していると、作曲のインスピレーションが出てこなかったのが、高知では周りにほかの家もなく、夜遅くまでピアノをバンバン弾いても、何も言われません(笑)。それに、私は都会にいたまま、都会の曲は書けないんです。自然たっぷりの高知で都会を思い出しながら書いたり、都会に来て自然の曲を書いたりもできるようになりました」
――創作には良い環境なんですね。遡ると、京都市立芸大では作曲専攻でした。
「本当はクラシックピアニストになりたかったんですけど、私は小指の骨が両方とも変形していて、長時間練習すると激痛で弾けなくなってしまうんです。だったら、自分で自分が演奏できる曲を書けばいいと思考を変えて、大学では作曲を勉強しました」
――もともとはプレイヤー志向だったわけですか。
「ピアノは大好きでした。でも、小学1年生のときにヤマハの作曲教室に通っていましたし、曲を書くのも楽しくて。小学生時代に小室哲哉さんの大ブームがあって、私もあんなふうに自分の作品をたくさん世に出したい、というのもありました」
――1年前に前作をリリースしたときから、「次はオリジナル曲でフルアルバムを」と話されていて、『FLYING HIGH』が出来上がりました。創作意欲が高まっていたんですか?
「もともと自分のオリジナル作品で勝負するんだと、ギラついていたんですけど(笑)、初めての方が朝香智子のピアノに触れる取っ掛かりを、どう作るか。ミーティングを重ねて、カヴァー曲を演奏することになったんです。たまたまストリートピアノの流れもあって、動画をアップしていました」
――それが好評を博して。
「こういうふうにしたら、皆さんに知ってもらえるんだなと。それで、しばらくカヴァー・アルバムを作りながら、オリジナル作品も収録していったんですが、収録曲数がアルバムごとに増えて(笑)。“ピアノ1本でなく、私の頭の中で鳴っている音をそのまま曲にしたいんです!”と1年半くらい前からずっと言ってて、今回やっと実現しました」
――『FLYING HIGH』というアルバム・タイトルや全体のテイストは、早い段階で決めていたのでしょうか?
「最初は別のタイトルを考えていましたけど、〈Flying High〉という曲が私を応援してくださる方々の中で浸透して、盛り上がるようになってきたので。私も新しい土地に移って、“ここから飛び上がるぞ!”という気持ちを1枚に詰めようと、このタイトルにしました」
――ブックレットのセルフ・ライナーノーツを読むと、曲は最初から着地点を見据えて作っている感じですか?
「メロディか降ってきてピアノを弾いているうちに、“この曲はこんなイメージ”となることが多いです。〈Blue Sky Traveller〉と〈GRATEFUL DAYS〉は本当にハッと降ってきて、“書き留めなきゃ!”とレコーダーを回しながら、ワーッと弾いていました。タイトルは後付けですけど、聴いてみたら〈Blue Sky Traveller〉は、私の飛行機旅が増えた中で出てきたものだなと思いました」
――確かに、飛行機の窓から外を見ているような気分になります。
「青い空と白い雲の間をフワーッと飛んでいるイメージがありました。〈GRATEFUL DAYS〉に関しては、感謝を表す曲を作りたいと思っていて。このタイミングで降ってきたメロディを聴いて、“これは“ありがとう”と言ってる”と思って、タイトルを付けました」
――「Flying High」は最初から、空高く飛ぶ曲を作ろうと思ったのでしょうか?
「“高知に行っちゃえ!”となる直前で、現状を変えたい気持ちにあふれていました。コロナでずっと生で音を届けられない中、溜まりに溜まっていたフラストレーションをパーンと破裂させたい!ライヴでみんながワーッと跳び上がっている光景が見たい!というところから生まれた作品です」
――この曲は♪タン、タタン……のフレーズで空へ上昇していって、オチサビからは水平飛行に入って、遠くまで飛んでいくような感じがします。
「そうですね。“行くぞ!”みたいなメロディにしようと思いました」
――「なみのり☆ラパン」では、セルフライナーで書かれているように、調子良くサーフィンをしていたのが、波にのまれたりするのが浮かびます。歌詞がないのにストーリーを描けるのはすごいと思います。
「〈なみのり☆ラパン〉はアニメのように擬人化したうさぎちゃんのお話を、自分の中で作った感じでした。海のイメージに合うように、ベンチャーズっぽいギターでコードをかき鳴らすのを、ピアノで再現したらどうなるだろうかと」
――そうやってイメージを音にしていくわけですか。
「どこかで聴いた懐かしいフレーズが大量にある中で、あそことあそこをミックスしたらどうなるだろうとか、普段から考えています。そのまま使うと問題ですけど、自分の中で足し引きとか計算したら新しいサウンドになるのではと、常に頭の中で音を鳴らしていて。鳴らしすぎて雑音になってしまうときもありますけど(笑)、鳴っているものを出して形にするとスッキリします」
――曲が浮かばなくて苦しむのでなく、頭の中に鳴っているものを出さないのが苦しい感じですか?
「締切が迫っているのに曲が出てこなくて、焦ることもよくあります。でも、“どうしよう”と極限まで自分を追い込むと、降ってきたりもします。さっきお話した〈Blue Sky Traveller〉と〈GRATEFUL DAYS〉も、あと数曲入れたいけど時間がない……となっていたとき、降りてきてくれました」
――ちなみに、煮詰まったときにすることはありますか?
「音楽とまったく関係ないことをします。ずーっとアニメを観たり、延々と歩き続けたり。ピアノに触らない、制作環境にいないような。あえて全然違うところから、自分に刺激を与えようと、普段なら食べない激辛料理を食べたり(笑)」
――今回は難産だった曲はありました?
「カッコイイ曲にしたかった〈STALCOM〉が、最初遅いテンポだったんです。アルバムに入れるクオリティにはなっているけど、疾走感に欠けていて、これでいいのか、レコーディングの前日まで悩みました。スタジオに入ってドラム、ベースと合わせていたとき、“テンポを一気に上げていい?”とやってみたら、曲が急に化けてくれたんです。“これこれ!この感じがほしかった!”という。大好きな某アニメみたいなサイバーでクールさを表現できました」
――最初に出たように、朝香さんの頭の中では曲を作った段階で、バンドの音も鳴っているんですね?
「鳴っています。それをピアノ1本で演奏するのが、いつもつらいくらい。今回ピアノだけで入れた作品も、自分の中ではドラム、ベース、パーカッションなどの音も聴こえていて。でも、全部をボリューミーにすると、お腹いっぱいになってしまいますから」
――朝香さんがピアノ1本で弾いていても、いつもビートを感じます。
「左利きなので左手がすごく強くて、ベースラインがしっかり出せることに数年前に気づきました。バンド時代に鍛えてもらったビート感も、自分なりにすごく生きているなと思います」
――基本、タッチが強いんですよね?
「音だけ聴いたら女性に思えないとよく言われます(笑)。“男性が弾いているのかと思った”と」
――クラシック寄りの弾き方ではないようで。
「クラシック寄りの軽いタッチもできます。でも、バンドでやってきたあと、ソロ・シンガーさんのサポートにピアノ1本で入ることが多くなって、ドラム、ベース、ギターも全部、ピアノで完結しないといけない。強く弾かないと、シンガーさんがグッといこうとしているのに、ピアノが音量負けしてしまう。そういう中で、どんどん強くなっていったようです」
――単純に腕の力も強いんですか?
「握力は全然ないです(笑)。荷物もすぐ落とすし、腕相撲もステンと負けてしまう(笑)。ピアノの鍵盤を鳴らす強さに特化した手なんだと思います」
――「Flying High」の出だしや「Blue Sky Traveller」での光がキラキラ反射するような音は、独自の技法を駆使しているんですか?
「私がピアニストとしてやっていくうえで、どんなに頑張っても男性にパワー負けしてしまうことに悩んでいた時期がありました。音のレンジをどう広げるか考えて、それなら小さい音量での表現を増やすしかない。小さく鋭く、柔らかく、かわいらしく。そんな表現が増えるほど、全体の幅も広がる。今出たキラキラも、音に陰影を付けるにはどうしたらいいか、水面がきらめくのをずっと眺めていたこともあります。水がキランとなるときもあれば、鈍く光るときもある。ピアノをどう弾けば、その感じになるのか、研究していました」
――そんなふうになる弾き方を見つけたのでしょうか?
「自分の中で落としどころを作りました。言葉ではうまく言えないのですが、音に鍵盤を押し込むとか、表面をパーンと弾くとか、そういうことを常に意識しながら練習もしました」
――ご自分でアレンジしつつ、演奏の難度が高くなった曲はありますか?
「〈Bird Song〉は難しかったです。最初は降ってきたメロディを鼻歌で書き留めて、聴き直したら、鳥が鳴いているなと思いました。スズメ、トンビ、コジュケイ……。鳴き声を繋げて、こんなメロディラインになったのかと。良い曲ができましたけど、鳥の鳴き声って自然の中では、ランダムに聞こえますよね。勢いで弾いたものを楽譜に起こしてレコーディングしたら、鳥がわざとらしく鳴いているみたいになってしまって。どうしたら自由にさえずり合っている感じになるのか。やればやるほど自然さが失われていくから、すごく悩んで、この1曲だけで、まさかの2日かかりました。ほかの曲は全部、数時間で終わっているのに」
――結果、本当に鳥のさえずりに感じられるように仕上がって。
「ある一定の規則だけ主軸に置いて、各箇所は気の向くまま、楽譜に縛られずフリーに。そんなふうに弾いていたら、勢いは失わず自由な感じが出ました。ライヴでは、音源の再現がいちばん難しい曲になっています(笑)」
――「なみのり☆ラパン」はジェイコブ・コーラーさん、ヒビキpianoさん、みやけんさんと、それぞれ持ち味が違うピアニストと競演しています。
「全員でレコーディングして、すごく楽しかったです。私はずっと下でリズムをキープしながら、上でワチャワチャしているのを見ていて。ヒビキさんには“ここ8小節はアドリブでよろしく”と、スッカラカンの楽譜を渡してムチャ振りしたり(笑)。みんな立って録って、伸び伸びと演奏してくださいました」
――ちなみに、朝香さんはサーフィンをするんですか?
「それが9年半も湘南に住みながら、ついぞやりませんでした。泳げるんですけど。水泳は10年以上習っていたし、水球も1年間やっていましたから。だけど、海の中の生き物にビビッていて(笑)。プールだったら大丈夫なんですけど、海だと何があるかわからない。変な生物に刺されるかもしれないし、波にさらわれるかも。そんな心配が先立って、海は見る専門でした」
――では、サーフィンのノリはイメージから生まれたものですか?
「鎌倉の七里ヶ浜に行くと、やってらっしゃる方がたくさんいるんです。私は週1回、光明寺でライヴをしていて、車で海沿いを走っていたから、サーフィンの絵面はスムーズに頭に描けました。海で波の音を聴くのも好きなんです。頭の中にいっぱい音が鳴ってしまって抜けないときは、海にザーッという波を聴きに行って、クリーンアップします」
――音楽と関係ない趣味はありますか?
「パズルとか1人で黙々とやることが好きです。ナンクロも大好きだし、ジグソーパズルも2000ピース、3000ピースを平気でやっちゃいます。あと、去年はとうとうガンプラに手を出してしまって(笑)。リアルグレード、マスターグレードの細かいので、ファーストガンダム、ウイングガンダムなど何体かガンガン作りました。周りから“色までやると沼だから”と言われて、そこで思い留まっています」
――ちなみに、先ほど煮詰まったときの話に出たアニメでは、どんな作品を観るんですか?
「異世界転生ものが多いです。『リゼロ(Re:ゼロから始める異世界生活)』とか『異世界食堂』とか。たぶん、ここではないどこかに行きたい願望が強いんです(笑)。Amazonプライムで“異世界”と検索して出てきたものを、片っ端から観ることもあって。あと、王道ですけど『キングダム』は大好き。漫画で新刊が数巻たまってきたら一気に購入して、1巻から全部読み返すマラソンを何回もしています」
――69巻まで出ていますが。
「たぶん7〜8周はしました(笑)」
――「Still on My Way」のライナーでは“悔しくて眠れない日なんてしょっちゅうだけど、諦められないなら突き進むしかないんだ!”など、ロックなことが書かれていました。
「根がロックなんです。もっと頑張りたいのに、体が思うように動いてくれなくて、つらいときもあります。めちゃくちゃ頑張っても、思ったような結果に繋がらないことがほとんど。すごく気合を入れた動画の視聴回数が全然伸びなかったり、上げるたびに登録者数が減るって何?となったり。そういうときは“くそーッ!”となりますし、小さいことが積み重なって“うわーっ!”となったりもします。だけど、現状を打破するには突き進むしかないと、自分を応援するためにこの曲を書きました」
――突き進んだ先に見据えているものはありますか?
「自分のオリジナル作品で会場が揺れるのを見てみたいです。バンド上がりなので、ライヴでみんながワーッとなるのが嬉しいんですよね。一度、日本武道館で演奏したことがあって。私がメインではなかったんですけど、ステージに上から歓声や振動が降り注いでくる感じがすごかったんです!これを自分の作品で味わえたら、どんなに幸せか。たぶん私は“もう思い残すことはない”となると思います。それを叶えるために、私の音を近くで聴いてもらいたくて。何かきっかけがあれば音を届けに、車を飛ばしてあちこちに駆けつけています」
――気が早いですが、次のアルバムの構想があったりしますか?
「またコンセプト的なカヴァー・アルバムの中に自分の作品をインサートするスタイルに戻ると思いますけど、テーマは決まってないですね。アニメ、プラネタリウム、ロックとやってきて、また違うジャンルは何があるか。映画音楽かもしれないし、クラシックを自分なりにアレンジするかもしれません」
――今回オリジナル曲について熱く語っていただきましたが、毎回新しいことをしていくんですね。
「新しいことをしたがりなんです(笑)。朝香智子の引き出しがどれだけあるか、楽しんでいただけたら。そこが私がほかのプレイヤーさん、アーティストさんと違っていて、型にハマらないところを目指してたいです。無限に引き出せるように、どんどんインプットしていきたいと思います」
取材・文/斉藤貴志
撮影/品田裕美