『アフター6ジャンクション』や『南波一海のアイドル三十六房』、『吉田豪&南波一海の“このアイドルが見たい”』などでとりあげられるなど、巷で噂になりつつあるソロ・アイドル、文坂なの(あやさか・なの)がついにファースト・アルバム『だけど、わたし、アイドル』を発表した。大阪を拠点に活動するフリーランス・セルフ・プロデュースとして唯一無二の存在感を放つ彼女にたっぷり話を聞いた。
――まずは、文坂さんがどんな人かを聞かせてください。
「フリーランスでセルフ・プロデュースでアイドルをしています。昭和のアイドルさんや80年代のカルチャーが好きで、その影響を受けて育ってきたので、自分も懐かしさもあり新しくもあるような曲を歌っています」
――もともとどんなきっかけで昭和の音楽に惹かれたんですか。
「生まれは平成なんですけど、よく“両親の影響で”とかあるじゃないですか。私はそうじゃなかったんです。幼稚園の頃からテレビでやってる懐メロ特集を見るのが好きで、自然と好きになっていました。だから、きっかけというきっかけがなかったんです」
――もちろん、リアルタイムで流行ってるものにも触れていたわけですよね。
「AKB48さんがすごく流行ってて。もともとアイドルが好きだったので、ジャンル問わず、声優アイドルさん、グループ・アイドルさんも聴いていました。でも、なぜか自分が一番惹かれたのが昭和のアイドルさんだったんです」
――いろいろ調べるのも好きなタイプですか。
「調べるのもすごく好きです。中学のときに、まだケータイを持たせてもらえてなくて、家のリビングのパソコンで調べまくっていました(笑)。あと、近所のリサイクルショップや古本屋さんに行って、昔のCDや雑誌を買って集めたりしていました」
――古いカルチャーは、周りにはあまり知ってる人がいない自分だけの趣味って感じでしたか。
「そうですね。ひとりで興奮して(笑)。友だちとカラオケ行っても、私はテレサ・テンさん〈つぐない〉を歌ってました(笑)。テレサ・テンさんは唯一親の影響です。ドライブのときに、お父さんの車でよくかかってたんです」
――80年代のアイドルだと誰が一番好きですか。
「中森明菜さんが大好きです。もちろん松田聖子さんも好きですけど。でも、アイドルってキラキラ明るいイメージだったけど、明菜さんを初めて見たときにちょっと影のある感じにすごく惹かれたんです。自分的にそうした影のあるアイドルさんに惹かれることが多くて、山口百恵さんも好きですし、Winkさんも好きですね」
――切なさが入る感じに惹かれると。
「そうです。なので、自分の曲も悲しい感じが多いんです。昭和の時代って切なさがわりと多いですよね」
――確かにそうですね。では、学生の頃からアイドルになるまでの話を振り返って聞かせてもらえますか。
「中学のときにアイドルにのめり込んだんですけど、ちょうど学校に行けなくなった時期で、それもあって余計に惹かれたのはあります。モヤモヤする日常の逃げ道というか、唯一の光という感じでした。小学生の頃はアイドルはただ好きって存在でしたが、その頃にアイドルへの憧れが芽生えました」
――お話しさせてもらってる感じでは、文坂さんは明るいタイプかなと思ったんですが。
「いやー、そうでもなくて(笑)。普段は家からまったく出ない、こもりがちなタイプです。ひとりの世界に入り込んで、なにか作ったり考えるのが好きなんだと思います」
――実際にアイドル活動を始めたのはどんなきっかけがあったんですか。
「高校生のときに、アイドルになりたいなと漠然と思うようになって調べたら、オーディションを受けて事務所に入るというのがわかって、そこからいろんなオーディションに応募したんです。有名なところも受けてみたけどダメだったんです。どうしよう?って思っていたときに、地下アイドルさんの存在を知って。高校を卒業してからメイドカフェで働いてたら、お店の女の子が週末にアイドル活動をしてると言ってたので詳しく聞いたんです。そしたらライヴハウスのオーナーさんを紹介してくれて挨拶しに行ったんです。“私もライヴに出たいです”って言ったら、“じゃあ、次のライヴ出ますか?”って聞かれて“出たいです!”って返事をして1ヵ月後くらいにステージに立てることになって」
――意外とスムーズだったと。
「そうなんですよ。とにかくいっぱい練習して、全部カヴァー曲で15分か20分くらいのステージをやったんです」
――初めてステージに立ったときの感想は?
「それが……緊張しすぎて正直記憶がなくて(笑)。キャッチフレーズとか振り付けとかいろいろ考えてたのに、ステージ立ったら全部飛んじゃったんです。ひたすら歌って、終わった瞬間に大号泣でした(笑)。でも、そこで不思議と嫌な思いにはならなかったんです。また出たいって思ってたら、オーナーさんが“次も出てください”って言ってくれて。次のライヴを見てくれたイベンターさんが“僕のライヴも出てください”って言ってくれたり、それがどんどん広がっていきました」
――よかったですね。
「ハイ(笑)。そのときは“エスパーなのたん”という名義で活動してました。想像していたアイドル・デビューとはちょっと違う形でしたけど、私はステージに立った2016年の4月10日がデビュー日だと思っているので、4月10日を周年にしています」
――エスパーなのたん時代はどんな感じでやってたんですか。
「大阪の日本橋のソロ・アイドル界隈で活動していました。盛り上がる系のライヴに出ることが多かったので、私も盛り上がるカヴァーやオリジナル曲をやりつつ、でも昭和のアイドルさんの曲はかならずセットリストに入れてました。明菜さん、聖子さんの曲、〈セカンド・ラブ〉とか〈赤いスイートピー〉とかいろいろ歌ってました。昔の曲をやってる人がそんなにいなくて、逆にそれがよかったのかなって思います」
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――特徴になりますよね。話が飛びますけど、古い曲を聞いて作家のクレジットを調べたりする人ですか。「この人が曲書いてるからこの曲いいぞ」って思ったりします?
「めちゃします。まさに、いまの活動もそれに近いんですよ。いろんなアイドルさんの曲を聴くのが好きで、“この曲めちゃいいな”と思うと作曲家さんを調べるんです。自分の曲を作ってもらうときに、その方に自分でアポ取ってお願いするんです。なので、いままで曲を作ってくださった方はもともと面識がない方ばかりなんです」
――作家さんとのやりとりも自分でやってると。
「どこの誰かもわからないような人から連絡きても怪しいじゃないですか(笑)。なので“こういう活動をしているものなんですが、曲の依頼を受け付けておりますでしょうか?”と丁寧に失礼のないようにメールするんです。結構有名な方に作っていただいてるんですけど、ほんとにみなさん優しくてありがたいです」
――ずっとソロで活動されてますが、グループでやってみたいと思ったことはありますか。
「グループに誘われたこともあるんですけど、なかなか運がなかったんです。活動準備中に話が流れるっていうのが2回くらい続いて、私はひとりでやる運命かなと思いました。もともとソロ・アイドルさんが好きだし、ひとりでがんばろうという感じです」
――2020年4月に現在の文坂なのに改名しましたが、それはどんな思いがあったんですか。
「前の名前のときも楽しくやってたんですけど、ただ盛り上がる曲をやるとかじゃなく、自分が好きな音楽をやりたいなと考えて、それで自分の好きな昭和の80年代っぽい音楽に寄せたものをやってみようと思ったんです。あと、エスパーなのたんだと、マジックとか、超能力を使う人なのかと思われがちで(笑)。スプーン曲げとかするわけじゃなく、私は普通に歌うだけだったので(笑)」
――名前とキャラが合ってなかったと。
「そうですね。これを機にガラッと変えようと。まず、漢字の名字がほしいなと思ったんです。あと、なのたんって名前で“なのちゃん”って呼ばれるのは好きだったので残しました」
――心機一転という意味もあったと思いますが、ただ時期的にはコロナ禍とモロに被ってますね。
「そうなんですよ!改名したのが2020年4月でちょうど緊急事態宣言と被ってて、4月10日に文坂なのとしての初ワンマンとミニ・アルバムの発売があったんです。もちろんワンマンはできず、ミニ・アルバムも出したけど通販だけ。それまで週に2〜3本ライヴに出てたのが一切なくなって、家からは出られないし、どうすればいいのかなって感じでした」
――どうやって乗り越えたんですか。
「配信を始めたんです。ツイキャスでいっぱい配信して収益化をがんばりました。あと通販でCDやチェキを販売して、そのお金でファースト・シングルの制作費を貯めました」
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――そうした苦難を経て、2021年1月にファースト・シングル「愛わずらい」をリリースしました。この曲がきっかけでメディアの人たちにも注目をされましたよね。
「〈愛わずらい〉は佐々木喫茶さんが作ってくださった曲で、ラジオの『アフター6ジャンクション』で宇多丸さんが紹介してくださったり、『南波一海のアイドル三十六房』で南波さんが紹介してくださったんです。その影響がほんとに大きかったですね。ライヴに「『アトロク』聞いて来ました」「三十六房で知りました」という人がたくさん来てくれるようになったんです。喫茶さんに頼んでよかったですし、文坂なのとしても、こういう昭和チックな路線で間違ってないな、この路線で突き進んでいこうって決心がついたんです。〈愛わずらい〉は、人生の大きな分岐点になりました」
――佐々木喫茶さんに楽曲をお願いしたきっかけは?
「喫茶さんは、KOTOちゃんとかいろんなアイドルさんに曲を提供されててずっと好きで聴いてたんです。80年代っぽい曲を作っていたので、いつかお願いしたいなと思ってました。それで、文坂なののファースト・シングルを出すときに、喫茶さんにもメールしたんです。改名したばかりで誰やねんって状態ではあったんですけど(笑)、いままで出した音源をドロップボックスにまとめて“初めまして、こういうものです”って送りました。そしたら奇跡的にお返事いただけたんですよ」
――どういう曲にしたいかは伝えたんですか。
「ハイ。喫茶さんの曲には盛り上がる系が多いんですけど、逆に“アイドル的な盛り上がりがない曲をお願いしたいです”って伝えたんです。そう言われたのが初めてだったみたいで、わからないですけど、それが珍しくて作っていただけたのかもしれないです」
――まさに喫茶さんとの出会いで運命の扉が開いたと。
「ほんとにそうです。ありがたいです」
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――そこからライヴとリリースを重ねてきた文坂さんですが、ついにファースト・アルバム『だけど、わたし、アイドル』を1月31日にリリースしました。
「これまで文坂なのとしてシングルを5枚、EPを2枚出してきて、満を辞してのアルバム・リリースという感じなんです。喫茶さんの3曲が全部入っていたり、これまでの楽曲のまとめでもありつつ、新曲が3曲、あとライヴのSEも入ってます。ジャケットも昭和のレコード風にしたり、かなりこだわって作りました」
――アルバム全体的なサウンドで感じるのは、決して昭和の曲の再現ではなく、80年代をモチーフにしたいまのシンセポップ的な解釈の音楽だなと思いました。
「そうですね。あくまで“懐かしいけど新しい”をテーマにしてるので、こういう音楽になりました」
――なるほど。では、アルバムに収録された新曲について触れていきましょう。まず、アルバム・タイトルにもなっている「だけど、わたし、アイドル」について聞かせてください。
「この曲は、きなみうみさんが作ってくださったんです。きなみさんは東京女子流さんに提供されてる曲で知って、調べたら素敵な曲をたくさん作ってらしたんです。曲をお願いしたくて連絡したら、私のことを知ってくださってて、SNSもフォローしてくれていたんです。私は、作曲家さんと打ち合わせするときは、とくに初めての人とはどういう曲にするか細かくお話しするんです。でもきなみさんは“文坂さんに楽曲提供するならこういう曲がいいなっていうのが僕の中にあるので、1回聴いてもらっていいですか?”と言ってくれたんです。それで送っていただいたのが、〈だけど、わたし、アイドル〉だったんです。めちゃめちゃよくて“ぜひ歌わせてほしいです”とお返事しました」
――パーフェクトな楽曲だったと。
「じつはその時点では、アルバムを作るかシングルにするか悩んでいたんですけど、この曲を聴いて“アルバムにしよう”“この曲を表題曲にしよう”と思ったんです。曲名も、アルバム・タイトルにもぴったりだなと思いました」
――歌詞は、恋愛の切なさとアイドルという今しかできないものへの熱い気持ちが込められていますね。
「ストーリー的には、アイドルの子と恋人がいて、私はアイドルだからさよならしなきゃいけないという曲なんです。アルバムには前向きな明るい恋愛ソングも入ってるんですけど、アルバムの最後にあえて〈だけど、わたし、アイドル〉を持ってきたんです。ちょっと素直じゃない感じが、文坂なのっぽいなと思いました」
――切なさと強い意志みたいな部分も感じられますね。では、あと2曲の新曲にも触れていきましょう。
「〈妄想ワンルームワンダーランド〉は、昭和っぽい音も入ってるけどこのアルバムの中で一番最近っぽいサウンドの曲です。キラキラで文坂なの史上最高にかわいい曲です(笑)。〈やさしいひと〉はジャンル的にはシティポップ系のミドルテンポの楽曲で、作曲が江並哲志さん、歌詞はLASTorderさんに作っていただいたんです。ラストさんは〈さよならクリエーター〉や〈新都市遊泳シルエット〉を書いていただいたり、〈輝きin my love〉では歌詞を一緒に書かせていただいたり。私、ラストさんの歌詞がすごく好きで、〈やさしいひと〉のデモ音源を聴いた瞬間に歌詞をラストさんに頼みたいと思いました。そしたらめちゃめちゃ切なく仕上げてくださって。すごく大好きな曲です。歌ってると泣きそうになるんですよ、救いのない感じがして(笑)」
――ここでも切なさ爆発だと(笑)。
「アルバムの曲順でいうと、次が〈ため息さえも〉なんですが、〈やさしいひと〉とこの2曲は作った人も出した時期も全然違うんですが、なんか対照的な曲だなと思ってるんです。〈ため息さえも〉は、離れ離れにいるカップルが、あなたとなら寂しくてもつらくても乗り越えられるという前向きな曲なんですけど、〈やさしいひと〉は、こんなにつらい思いをするなら出会わなきゃよかった、好きになりたくなかったという真逆な曲なんです。それで、どっちを前に持ってくるかすっごく悩んだんです。確かに〈ため息さえも〉から〈やさしいひと〉のほうが文坂なのっぽいけど、あまりに救いがなさすぎるなと思って〈ため息さえも〉をあとに持ってきました。ですけど、アルバムの一番最後が〈だけど、わたし、アイドル〉なので、結局恋人とはさよならしちゃうっていう(笑)。でもほんと、曲順はすごく悩みました」
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――曲順のこだわりを聞かせてください。
「一番は、文坂なのらしさを考えました。とにかく悩んで、いろんな流れを考えてプレイリストを25個くらい作ったんです(笑)。考えに考え抜いてこの曲順になったんです。だから、アルバムを通して聴いて欲しいなって思います」
――アルバムはやっぱり作品ですし、アーティスト側の提示する曲順ってすごく大事ですよね。
「そうなんですよ。曲順もですし、曲間の秒数もこだわりました。マスタリングも立ち合わせていただいたんです」
――それはすごいですね。
「やっぱりセルフでやってるからこそ、こだわりがどんどん強くなっていきます。アルバムのジャケットのデザインや歌詞カードのレイアウトも毎回自分でやってるんですけど、“ここをこうしたい”というのがどんどん増えてきちゃって。歌詞カードもいままではシングルで4ページでしたけど、今回14ページだったのでめちゃめちゃ大変でした(笑)。最近は配信だけのアイドルさんも多いですけど、私はやっぱり手に残るものを出したいという思いがあるんです。すごいこだわったので、ぜひCDを手に取ってほしいです」
――そんな文坂さんですが、今後やってみたいことを希望願望込みで聞かせてください。
「レコードを出したいです。今回のアルバムは、ジャケットや帯もレコード風にしましたし、CDのレーベル側もレコードの溝を再現したプリントで触るとボコボコしてるんです。特殊印刷でめっちゃこだわりました(笑)。なので、いつか本物のレコードにできたらめちゃうれしいですね」
――それは夢がありますね。
「私、やりたいことがいっぱいあって尽きないんですよ。次の曲も作り始めてたりするし、こだわりもどんどん増していくし(笑)。うれしい悩みですけど」
――では、6月15日に青山RizMで行われる東京での初ワンマンライヴへの意気込みをお願いします。
「東京での初めてのワンマンで、青山RizMさんがすごくきれいなライヴハウスで、照明もきれいなんです。去年、大阪の心斎橋のルイードさんでワンマンをやったんですが、それを超えるライヴにしたいです。やっぱりワンマンライヴって、2時間くらいただひとりで歌うだけじゃダメだなって思うんですよ。カヴァーとか新曲発表とか、盛りだくさんでやりたいなと思ってます。来た人全員が“文坂なの大好き!”となってもらえる自信はあります。楽しい夜にしますので、ぜひたくさん来ていただけたらと思ってます!」
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取材・文/土屋恵介
文坂なのソロコンサート〜だけど、わたし、アイドル〜 2024年6月15日(土)東京 青山RizM