JAPAN-狂撃-SPECIALに影響を与えた“昭和50年代”カルチャー
本来アメリカ人の俗称だった“ヤンキー”がわが国で不良を指すようになったのは1970年代の大阪が発端で、1980年代以降全国的に広まったと言われている。語源についても難波のアメリカ村にたむろする若者発祥説、河内弁の語尾“やんけ”からの派生説などさまざまだが、特に注目したいのはその独特なファッション。“甚平&女物の網サンダル”に代表されるハズシの美学は“くるうパーマ” “ジャパトラ”といった
JAPAN-狂撃-SPECIAL(以下、狂撃)の強烈なビジュアルに多大な影響を与えている。ここではパンク+ヤンキー=“パンキー”を標榜する彼らのルーツとなった80年代文化(昨今の80'sリバイバルとは異なり、ニュアンス的には昭和50年代文化)について触れていこう。
まず、彼らのサウンドの根底にあるのは1980年代初頭のUKハードコア・パンク。メンバーもバイブルと語る
『UK/DK』(83年)は、
エクスプロイテッドや
カオスUKらのライヴ・シーンを収めた貴重なドキュメンタリー。日本でも84年にバップから国内版がビデオ発売され、当時のシーンに大きな衝撃を与えた。
日本のバンドではハードコアかつ抜群のポップ・センスを誇る
ラフィン・ノーズを筆頭に、国鉄のナッパ服姿で社会への不満を叫んだ
アナーキー(狂撃の2ndシングル
「朝日」のジャケットには“亜無亜危異”のステッカーがさりげなく貼ってある)、“暴威”名義で活動していた初期
BOΦWYからの影響が色濃く感じられる。いずれもパンク+ヤンキーを早くから体現した偉大なる先達たちだ。
狂撃の正式名称“JAPAN KAMIKAZE ROAD RUNNER 狂撃 THE SPEED MUSIC SPECIAL”は、“ツッパリ”をキーワードに歌謡界を席巻したロックンロール・バンド、
横浜銀蝿の正式名称“THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL”へのオマージュ。スタイルこそ違えど、せつなさやコミカルさを感じさせる歌詞など共通点は多い。意外なところでは、十代ならではの鋭い感受性に満ちた
尾崎豊の初期アルバム三部作
『十七歳の地図』 『回帰線』 『壊れた扉から』もメンバーのフェイバリットだそうだ。
また、当時の空気を伝えるサブ・テキストとしては、
石井聰亙監督の
『狂い咲きサンダーロード』(80年)と
井筒和幸監督の
『ガキ帝国』(81年)も必見。全国の爆走少年に捧げられた『狂い咲き〜』は、
山田辰夫演じる魔墓呂死・特攻隊長ジンの“やってやろうじゃねえよ!”ぶりに、ただただ圧倒。
『ガキ帝国』は大阪を舞台に、少年院帰りのリュウ(
島田紳助が若い!)らミナミの不良たちのケンカに明け暮れる日々を過激に描いた青春グラフィティ。いずれも昭和ならではの凄まじいまでのエネルギーに満ちた傑作である。
最後に狂撃メンバーへ精神的な影響を与えた作品をふたつ紹介。まずは81〜83年に週刊少年ジャンプに連載された
宮下あきらの漫画『激!!極虎一家』。これを読めば、べーシスト・なめんなよーかいのハチマキに書かれた「なめんなよ」の意味がよくわかるので、未読の狂撃ファンにはぜひとも一読をお勧めしたい。もうひとつは
矢沢永吉のロック・ドキュメント
『RUN&RUN』(80年)。メインは79年9月の名古屋球場コンサート映像だが、合間で矢沢が自らの哲学を語るシーンは胸を熱くさせられること間違いなし。狂撃が自分たちの歌詞に込めたメッセージの原点ともいえるだろう。
文/秦野邦彦