――1996年秋の『おいしい関係』からサウンドトラックを手掛けていますが、数々の経験を積まれた今、ドラマの仕事で重視するのはどんな点ですか? (吉俣良/以下同) 「ドラマの音楽には5つの柱――あたたかい・せつない・うれしい・サスペンス・なにげない――があり、作品ごとにそれぞれのレベルを設定します。ホームドラマで子どもの帰宅が遅いときも、『救命病棟24時』で患者が瀕死のときもサスペンスですが、その度合いが違い、さじ加減はプロットによって変わるのです。“なにげない”というのは朝の通勤シーンなどで、どんなドラマにも5つの柱は必ず要るんです。サウンドトラックの仕事を始めて3年ぐらい経ったところに気づきました」
――2008年のNHK大河ドラマ『篤姫』の舞台は吉俣さんの出身地でもある鹿児島でした。音楽に鹿児島らしさを出そうと考えましたか?
「大河を担当することが決まって友人の
三代目魚武濱田成夫――彼は『篤姫』の曲のタイトルをつけてくれました――と飲んでいるときに、“鹿児島の空の色とか雲の形とか忘れてるでしょ? ちょっと帰ったほうがいいんじゃないですか?”と言われて、“いいな、その考え”と、3週間、帰郷したんです。東京に戻ったら締め切りまでの1ヵ月間ですべての曲を作ろうと決めて、毎日、遊び倒しました(笑)。その後、地元テレビ局の取材で来た鹿児島の方にメイン・テーマを何気なく聴かせたら、“桜島ですねぇ”って言うんです。帰った甲斐があったと思いました。メイン・テーマの出だしは、僕の中で桜島の爆発音なんですよ」
――『篤姫』は高視聴率を記録し、“篤姫現象”を起こすほどでした。そこには映像と一体となり、ストーリーを盛り上げる音楽の力も大きかったと思います。
「ものすごく気合い入っていましたよ(笑)。僕はアカデミックな音楽理論を学んでいないし、もしこれでうまくいかなかったら僕みたいな音楽家が今後大河で起用されることはないと思っていました。台本も今までの大河っぽくなかったし、篤姫のことを鹿児島の人もほとんど知らなかったので、放送が始まる前はスタッフと“(視聴率が)10切ったら打ち切りとかあるのかな?”と話していたくらいです。でも現場はいつも明るかったですね。出演者・スタッフ一同が“よし、これでいこう!”と本気で思ったから訴えるものになったのだと思います」
――『救命病棟24時』は今回の第4期において初めて音楽を担当しました。
「それまでのシリーズを観ておくように言われたんですけど、あえて最初の10分ぐらいでやめておきました。観てしまうと音楽のイメージがついてしまうので。映画の『冷静と情熱のあいだ』あたりから“せつないメロディの吉俣良”と言って頂くようになって、『Dr.コトー診療所』でその太鼓判を押されたわけですが、その前はロックやカントリーをやったり、ビッグバンドを使ったりと、いろんなことをいっぱいやっていたんです。『救命病棟24時』ではそちらに回帰している部分もあります。ドラマではロック、ファンク、ラテンなど、いろいろな要素を求められるのですが、クラシック以外は全部リアルにバンドでやってきましたからね」
――サントラを離れて、ソロ作品を作りたいという希望はありますか?
「今のところはありません。最近、コンサートにはまったりもしているんですけど、僕が演奏すると目の前で泣く人がいるんです。僕はドラマのために仕事で音楽を作ったはずなのに、音楽が一人歩きを始めるんですね。人に訴えかけるという、音楽家として満足できることをしているんだなと実感します。この立ち位置は崩したくないですね。将来的には、自分でプロットを考え、架空のサントラも作ってみたいと思っています」
取材・文/浅羽 晃(2009年8月)