昨年1月にアルバム
『ふりぃ』でデビューを果たし、エッジの効いたサウンドと10代女子の飾らない心情を綴った歌詞で着実な支持を集めてきた
阿部真央。2ndアルバム
『ポっぷ』は、その天性の才能がいよいよ開花したような一枚だ。キュートなガーリー・ヴォイスから凄みのあるハスキーな歌声まで、さまざまなヴォーカル・スタイルを持つ彼女。それが幅広い曲調とともに、カラフルで深みのあるアルバムの世界を生み出している。デビュー後の今も抱えているという悩みや葛藤とともに、「自分を表現したい」「共感してほしい」という彼女のアーティストとしての率直な思いを語ってもらった。
――タイトルが『ポっぷ』というわりには、曲にはかなりリアルな心情がさらけ出されていますよね。出来上がった作品にはどんな印象がありますか?
阿部真央(以下、同)「今回は、音の作り方、ジャケットの見せ方、いろんなところに意見やアイディアを出したんです。“私が作りました”と自信を持って言えるアルバムにしたかったので、それはかなえられたかなと思います」
――音作りの幅も広がりましたよね。「モンロー」のようなエレポップの曲もあるし。そのへんは自分のイメージが形にできたという感じ?
「まさにそうですね。頭の中で鳴ってる音楽を前よりも明確に表現できたかなと思って。そういう意味で広がりを実現できたかなと思いますね」
――阿部真央さんの歌って、曲によって声もがらっと変わるんですよね。「もうひとつのMY BABY」と「loving DARING」でも、一瞬同じ人に思えないくらい。
「そうですね。よく言われます。ただ、声のキャラクター自身はちゃんと私の中にいる人格ではあるんですよ」
――ということは、曲を書くことで、自分にいろんな面があるというのを自覚した感じはありました?
「ありましたね。でもみんなそういうものだと思っていて。誰にでも怒りと悲しみと喜びがあって。それを割と極端に表現しているんだなということには、曲を書き始めて気付きましたけれど」
――阿部真央さんが曲を書くときには、自分の内面をさらけ出すように曲を書かれているわけですよね。
「あたしが曲を書く理由は、自分の経験とか言葉、自分の唄に共感してほしいからなんです。フィクションだと、私が入り込んで歌えないんで、共感してもらえないんですよね。だから実体験になる。ただリアルがやりたくて実体験を歌っているというより、共感してほしいというのが根底にあるんです。自分を表現したいし、それを見てほしいというのがあるんです」
――コミュニケーション欲求は強いと思います?
「強いですね」
――デビューして、それが実を結んだと思った瞬間はありました?
「いまだにないかも。高校のときにデビューを目指していたときは、デビューが目標だったんですけれど。でもだんだんゴールがもっと先になって。今の目標は、音楽だけではなくて、自分をどうやって表現していくか、表現し続ける方法を探すこと。もっと自由に生きていいのかもなあと思い始めたので」
――デビューから一年経ちましたけれど、自分にとってはどういう一年でした?
「苦しかった印象が強いですね。全部が初めての経験じゃないですか。そういう中で、自分がまだまだだということも実感したし。葛藤もあったし。悩んだ印象が強い一年でした」
――その葛藤の要因はどういうところだったんでしょう?
「デビュー作で世の中に送り出した曲は、あたしが高校時代に作ったものばっかりで。このストックがなくなったときに、果たしてみんなはあたしを受け入れてくれるかなという不安もあって。あと、単純に忙しくて曲がどんどん書けなくなって不安になったのもあったし。〈ふりぃ〉自体、あたしのなかでは特殊な曲だったので。これが阿部真央です!って世の中に出てしまったことの気負いもありましたし」
――そうなると、無邪気にデビューを目指して音楽をやっていた頃から、音楽への向き合い方は変わってきますよね。
「変わってきますね。でもその無邪気さは忘れなくてもいいと思う。去年はいろんな情報に振り回されたり、阿部真央はこうだから!という看板を背負った感じで、力んじゃって曲ができなかったんですよ。でも、2009年の終わりにできた〈いつの日も〉という曲を世に出せて、私は思ったことをちゃんと書いていけばいいんだなって思えました」
――きっと、日々自分が感じた感情の核の部分を探るのが、曲を作ったり歌を歌うことと結び付いていくわけですよね。
「そうですね。それが尽きていくものかと思っていたんですよ。でも全然そんなことはなかった。あたしの中の“切なさ感知センサー”は今もちゃんと稼働しているから。よかったかなと思います。どんどん溢れてくるんだなって思う。それに気付けるか、気付けないかの問題で。心は日々ストレスや幸せを感じているから。そこにどうやって気付くかだと思います。自分から溢れるものに気付けないと、人間として枯渇していく気もするし。今まで以上に自分と向き合っていかなきゃいけないなと思います」
取材・文/柴那典(2009年1月)