作曲家・
久石譲の愛娘、
麻衣。数々の映画主題歌や
DAISHI DANCEのアルバム『the ジブリ set』などで透明感のある歌声を披露していた彼女が、デビュー・アルバム
『麻衣』を完成させた。ちなみに1984年公開の映画『風の谷のナウシカ』の劇中歌で“♪ランラン・ランララ・ランランラン……”のフレーズを歌っていたのが、当時4歳の彼女。無垢な色はそのままに、プロのシンガーとしてスタンスを確立した麻衣の世界を味わってほしい。
――音楽を始めたきっかけを教えてください。
麻衣(以下、同)「ピアノを2歳頃から始めて、幼稚園の年長くらいからNHKの合唱団に通うようになりました。ピアノは苦手だったけど、歌うことはずっと好きでしたね。合唱団で歌ってきた童謡や合唱曲が私の音楽のルーツです」
――小さな頃からプロになろうと思ってました?
「音楽はつねに身近にあったので漠然とは思ってたんですけど、音楽の世界は厳しいので、それを知り抜いている父と母にはなかなか言い出しにくかったんです。だからプロになるって切り出すまで、ちょっと時間がかかりましたね」
――プロになると言ったときのご両親の反応は?
「“自分でどうぞ”(笑)。甘くない世界だとずっと言われてましたから」
――厳しい! そこから自分なりのシンガー像をゼロから作り上げなきゃいけなかったんですね。
「そうなんです。だからこの
『麻衣』というアルバムができるまで、けっこう長い時間がかかりました。まず周囲にはどんなフィールドで活躍したいのか聞かれたけど、音楽がカテゴライズされていること自体が不思議で、歌は歌でしょと思っていたし。自分なりにやりたいことをやるって言えるようになったのもつい最近なので、そういう意味で二十歳の頃には絶対作れなかったアルバムになったと思います」
――アルバムをスウェーデンでレコーディングしたのは?
「海外の作曲家と共作をしたいと思っていて、スタッフのすすめで3年前にスウェーデンにデモ作りに行ったんです。そうしたらすごく相性がよくて、そのままアルバムを作ることにしました。スウェーデンの人が作るメロディって、どこか懐かしくて、日本人と通じるものを感じるんですよね」
――確かに、スウェーデンのこどもの歌って日本の童謡っぽいと思うことがあります。
「そうそう。
ABBAを生んだ国でもありますし、日本人の心にパシッと合うんでしょうね。ただ今回はスウェーデンの作家とコラボレーションしたからスウェーデンっぽい作風になったかというと、全然そんなことはなくて、すごく私らしいアルバムになったと思ってるんです。その特色は作ってるうちに自然と出てきたもので、私が日本人としてどう育ってきたのか、何を聴いてきたのかがすごく反映されてる。そういう自分の音楽を見つけられたことがすごくよかったなと思っています」
――ご自分の声はどのように受け止めていますか。
「小さいころからみんなでおしゃべりしてるのに“麻衣ちゃん、うるさい”ってよく言われたので、目立つ声なんだなとは思ってましたけど(笑)。なんかまっすぐな感じがして、自分っぽいなあと思いますね。ただ話していても歌っていても、聴いた人が“あ、麻衣ちゃん”ってすぐに気づいてくれる。それは強みかなと思っています」
――声はその人の個性が出る、原始的な楽器ですもんね。
「そうですね。あと一番繊細な楽器だなと思います。うちの母は“きっと
スーザン・ボイルは生まれたときから歌が上手なのよ”って言ってましたけど(笑)、他の楽器と違って歌だけは、生まれ持ったものがダイレクトに反映されるし、感覚に大きく左右される。とはいえ、自分のクセを知って研究と練習を重ねると歌声が安定していくことも事実なんです。だから今回のレコーディングで、やっぱり音楽は練習あるのみ、90%の努力をいかに濃くしていくかが大事だなって思いました」
――今後挑戦してみたいことは?
「いろいろあります! コーラスのアレンジが得意なので、自分の声だけで構成したアルバムを作ってみたい。あとハウス・ミュージックにも挑戦したいし、ピアノの弾き語りライヴもしたい。以前弾き語りライヴをしていたときは、難しいことをやろうとしすぎて嫌になっちゃったんですけど、今はそんな難しいことしなきゃいいんだと思えるので(笑)。そういう意味では固定概念で凝り固まった20代を経て、少しずつ柔らかくなってきてるのかなと思います」
――そういう気分のときに何かを始めるのって、すごく楽しいですよね。
「そうそう。とくに私と同じ30歳前後の女性は、転職したり結婚したりで、いろいろ悩む時期だと思うんです。私も今ここから新たなことを始めるので、このアルバムを聴いて、こんな人もいるんだって思ってもらえたらうれしいですね」
取材・文/廿楽玲子(2010年11月)