ここ最近の傾向としては、男たちは世の中に優しさとか母性を求めていたのかな、という気もしますね――アルバムとしては2008年の『Nice Middle』以来になりますが、『コラボレーキョン』はゼロ年代に小泉さんが実にさまざまなコラボレーションをしてきたことがよく分かる内容になりましたね。
小泉今日子(以下、同) 「この10年は、オリジナル・アルバムは
『厚木I.C.』と
『Nice Middle』しかリリースしていないんですけど、実はけっこういろんなアーティストの方のレコーディングにお呼ばれしていたんですよね。CDになっていなかった曲も含めると、気がついたら、アルバムにまとめられるくらいの数があったんです」
――フィーチャリング参加した曲、映画主題歌、テレビ番組とのコラボなど小泉さんの幅広い活動を網羅していますね。
「映画『ホノカアボーイ』は私は出演していないんですが、原作者(吉田玲雄)と友だちで、私もエピソードに出てきたりするので人ごととは思えず、主題歌<虹が消えるまで>を歌わせてもらったんです。『グーグーだって猫である』では台本にあったエンディングの歌は誰が歌うんだろうと楽しみにしていたら、音楽監督の細野(晴臣)さんが“キョンキョンがいいんじゃない”って。細野さんとのデュエットはイメージとしてはゲンスブールとシャルロットみたいな気持ちで歌ったんですけどね。秘かに評判になっていたNHK教育のおやすみソングの3曲もようやくCD化されたのもよかった。音楽の方はお休みっぽく思われていたようでも、機会があればちょこちょこ歌っているんですよ」
――コラボレーションの流れは、03〜04年の「恋サクラビト」(浜崎貴司/
『発情』)や「風越し」(Nathalie Wise/『film,silence』)あたりから始まっていますね。
「浜ちゃんとは
FLYING KIDSがデビューした時から一緒にCMに出演したり、90年代には<ラブバラ(LOVE-BALLAD)>もあったし、同い年だし、共通の友だちも多いし……何かとご縁が多い。<恋サクラビト>は、浜ちゃんの力強いヴォーカルに対して私の歌は“すいません!”という感じなんだけど(笑)、大人の純情が滲み出ているところはデュエットの効果かも。あと、付き合いが長いといえば、TOKYO No.1 SOUL SETもそう。今回、大好きだった
Nathalie Wiseの<風越し>がアルバムに入れられたのもうれしかった。
高野(寛)さんのヴォーカルと
BIKKEのリーディングがすごく素敵だし、一緒に渋谷のプラネタリウムでライヴをした時の感激は忘れられない」
――TOKYO No.1 SOUL SETとは「今日の約束」と、彼らの人気ナンバー「Innocent Love」のカヴァーのリミックスが収録されているし、SOUL SETのニュー・アルバム『全て光』でも「聞かせてよ愛の言葉を」を歌っていますよね。
「アルバム(
『全て光』)ではシャンソンのスタンダードを歌わせてもらいました。ソウルセットは以前から好きだったんですけど、しばらく活動をお休みしていたじゃないですか。その後、アルバム
『No.1』を聴いたら見事な復活を遂げていてうれしくなって。中でも<Innocent Love>がすごく印象に残って、もしかしたら、この曲は女性ヴァージョンがあってもいいかも? と思ったんです。元々、
(渡辺)俊美くんパートの歌詞が女言葉だったし、
川辺(ヒロシ)くんも“キョンキョンがカヴァーしたらよくない?”と言ってくれていたみたいで、女性が歌うと哀しみのニュアンスが変わるところもよくて。<今日の約束>は私のお母さんプレイとBIKKEの幼児プレイが絶妙と言われているんだけど(笑)、コラボレーションとしては異色の面白さがあるんじゃないかと」
――映画『毎日かあさん』を予見したとも言われていますが、小泉さんとBIKKEの母子モノは予想外でした。小泉さんがお母さんの立場で歌うことにまったく違和感がないのも新鮮で。
「そうですね。これはBIKKEじゃないとヤバイ感じになってしまうと思うんですよ。BIKKEのパートが、例えば伊武雅刀さんみたいな声の人だったら……どんなにイヤラシイ感じになるのか、ちょっと聴いてみたかったりもするけど(笑)。あと、自分で書いて歌おうとは思わないけど、お母さんを演じきる自信はあったんですよ。そういえばレコーディングのとき、BIKKEは半ズボンに白いシャツで役作りして来ました(笑)。子供とお母さんの場面が浮かぶいい曲ですね」
――ご自身のアルバムでも今までさまざまなソングライター/プロデューサーと組んでいますが、「虹が消えるまで」の作曲・プロデュースを手がけた
斉藤和義さんは初顔合わせですね。
「歌詞を書いた映画プロデューサーの高崎(卓馬)さんは『厚木I.C.』が好きだったらしく、
永積(崇)さんや曽我部(恵一)さんもよかったと思うんだけど、一度お願いしているから、斉藤和義さんはどうかなぁと訊いてもらったんです。そうしたら、斉藤さんはとにかく歌詞を書くのが苦痛らしく、“歌詞があるなら曲は書きまーす”って軽くOKしてくれて(笑)。斉藤さんの“好き”と言い過ぎない歌詞が私は好きなんですけどね。言いすぎない、言葉を選ぶことってすごく大事で、やっぱり、表現者としてはそういう人に惹かれますね」
――音楽もあまり音を詰め込みすぎない余白を感じさせるサウンドの方が小泉さんのヴォーカルの個性を引き出しているような気がします。
「その方が私も好きだし、自分の中で女優業を土台に置いてシフトを変えて以降、ゼロ年代はずっとそうなのかも。年齢もあるのかもしれないけど、それだけでもないような」
――ASA-CHANG&巡礼の「背中」はアルバムの中でも異彩を放つ傑作ですね。
「これは画期的な曲ですよね。私はASA-CHANGの詞をツルッと歌っただけで、後でエディトするからとは聞いていたけど、こんなに面白くて不思議な曲になるとは。ASA-CHANGの本(
『筆ペン日記』)を読んだら、ああいう独特の世界になるのが分かるような気もしましたけど(笑)。彼は私の声の暗い部分がこの曲には合うと思ったみたいで、さすがに付き合いの古い友人だけあって鋭いんですよ。ヘア&メイク時代〜
スカパラ〜巡礼とASA-CHANGの変遷はずっと見てきているけど、あの強烈な個性は変わらないかな。アルバムにこういう前衛的な曲が入ったことで全体が締まったし、後に続く<Innocent Love>のFPMのリミックスとの流れもいいんですよね」
――かと思えば、久保田利伸さんの「Moondust」では色っぽいポエトリー・リーディングを聴かせたり。
「久保田さんのようなR&Bは私の歌のジャンルにはないから、ちょっと意外かもしれないけど、リーディングならできるかなと。久保田さんには昔は曲を提供してもらったり、私も久保田さんのPVにイイ女のフリして出演したこともあるんですよ(笑)」
――それにしても、ASA-CHANG&巡礼と久保田利伸さんの曲が共存できるのは、小泉さんのアルバム以外には考えられないのでは?
「そうですよね(笑)。その振れ幅を面白がってもらえれば」
――リーディングで参加して、圧倒的な存在感を醸すことができる人もそうはいないですよ。
「30代からナレーションの仕事もいろいろやってきて、自分をあまり前には出さず、なおかつ印象に残るようにするにはどうすればいいか、自分なりに探ってきたんですが、そんな経験が活きたのかもしれませんね。感動モノのナレーションとか、読んでいるうちに泣きたくなったり、声に出して読むことっていちばん感情移入しやすいんです。歌や演技とはまた違うやり甲斐がある」
――小泉さんの声やヴォーカルに求める要素に違いはあっても、同時に共通した匂いも感じます。
「基本、ちょっと脱力系なのかな? 癒しというよりヘタウマ調(笑)? あんまりありそうでない声なのかもしれませんね。映画の主題歌や他のアーティストの方のオファーもまず歌詞や曲があって、これ誰に歌ってもらおうかと考えた時、“あっ、小泉さんはどうかな?”という感じだと思うんですよ。ここ最近の傾向としては、男たちは世の中に優しさとか母性を求めていたのかな、という気もしますね」
“みんなどうしてる?”って時々は言いたくなるんですよね。“久しぶり! 私も元気でやってるよ!”って――映画や芝居など俳優としての活動で培われた演技力が歌に及ぼしたところがありますか?
「私の場合、むしろ表現の場が演技の方にもあるから、歌に演技力を入れなくても済んでいるところはあるかもしれない。音楽一本だと、曲によっていろいろな表現を試してみたくなるかもしれないけど、舞台で演じていたりすると、強い声出したりもするし、それこそ人間のいろんな感情を表さなければならないから。歌はこの10年くらいは鼻歌調を成り立たせたいと思ったりするんですよ」
――2003年から現在までコラボした14曲がアルバムにまとめられると、新たな小泉今日子像が浮かび上がってきますね。
「こうして並べてみると、今回は自分で歌詞を書いた曲がないので、相手は自分をこういう風に感じたり、イメージしたりしてくれるんだなと思いますね。『Nice Middle』の時に<小泉今日子はブギウギブギ>で
リリー・フランキーさんに私の酔いどれ伝説を書いていただきましたが(笑)、あれは私のリクエストだったにせよ、人が私をどう捉えているかが分かるのは面白いですね」
――女優業に重きを置いたこの10年で、音楽や音楽活動の位置づけに変化があったと思うのですが?
「一時は本当に億劫になっていたんです。90年代の終わりから『厚木I.C.』を出す前くらいまでかな。もう私ができることはやり尽くしたんじゃないかと感じていた時期があって。その頃、
宮沢和史さんに“いや、今だから歌える歌は絶対あるから”と言われて、“今歌える歌”という視点でしばらく続けてみよう、それを探してみよう、と現在に至る感じなんです。だから、人から誘われたときは、なるべくフットワークを軽くして。その結果がこのアルバムなんです。実際アルバムに本腰を入れる時間が取れないこともあったし、いろんな人の歌を歌ってみて“今歌える歌”を探したかった」
――という意味では、『コラボレーキョン』は新しい章の始まりでもあるのかもしれませんね。
「そうですね。『厚木I.C.』で出直して、『Nice Middle』で同世代にエールをおくり……。昔の40代ってお母さんかオールド・ミス(笑)のイメージしかなかったけど、今はみんな若くて元気じゃないですか? 日本の男子って若い女子が好きだけど、最近は大人の女性に対する見方が少しずつ成熟してきているんじゃないかと思うこともあり、そういう意味でも私が歌える歌ってあるのかなと。あと、ずっと私の歌を聴いてくれてきた人たちに対するご恩返しというか、アルバムを出して、“みんなどうしてる?”って時々は言いたくなるんですよね。“久しぶり! 私も元気でやってるよ!”って」
取材・文/佐野郷子(DO THE MONKEY) (2011年2月)
【column】
シンプルな“うた”にフォーカスしたゼロ年代のキョンキョン『厚木I.C.』(2003年)
『Nice Middle』(2008年)
『コラボレーキョン』に収録された楽曲は2003年から2010年にかけて編まれたものですが、それ以前のコラボレーション作品とは明らかに色合いや温度感が異なるものになっています。89年の
『KOIZUMI IN THE HOUSE』を筆頭に、
藤原ヒロシ&
屋敷豪太プロデュースの
『No.17』(90年)、渋谷系アーティスト勢揃いのKoizumix Production名義
『Banbinater』(92年)、
4HEROのリミックスによるシングル・カット曲も話題になった
『Inner Beauty』(99年)などなど、それ以前の多くはリアルタイムのクラブ・シーン=遊び人文化と密接に絡んだもので、スウィンギング・ロンドンならぬスウィンギング・キョンキョンの終焉……とでも言いましょうか、37歳のときに発表したアルバム
『厚木I.C.』(03年)では、
宮沢和史、
永積タカシ、
曽我部恵一、
高野寛らを迎えて穏やかで和やかなコラボレーションを披露。絶えず最先端モードを身につけてシーンをにぎわせてきたキョンキョンが、シンプルに“うた”にフォーカスした作品を作り上げたのでした。
TOKYO No.1 SOUL SETや
大橋トリオらを迎え、自作詞のシェアも増えた2008年のアルバム
『Nice Middle』もまたしかり。トレンドを着こなすというよりも、生身の自分が今、素直に心地よく表現できるものや信念を持って伝えられるものを歌にし、それをエンターテイメントとして届けることが大事──すなわちイノセントな作品作りが、ここ数年のキョンキョンのテーマだったと言えるでしょう。
文/久保田泰平