カーネーションという看板を背負って20数年、孤独の旅路をひたすら歩み続けてきた
直枝政広。バンドのドキュメンタリー映画『カーネーション/ROCK LOVE』に合わせて、初めての書籍『宇宙の柳、たましいの下着』も刊行される。どちらも直枝の人生とロックとの密着ぶりが垣間見えて興味深いが、例えば映画。そこにはボロボロになりながらもロックと格闘するメンバー3人の姿が、赤裸々に映し出されている。
「監督(
牧野耕一)には“見たまま撮ってくれ”って、カメラに向かい合った感じですね。彼なりの人生や映像経験をそこにブツけてくれたらいい。そこから何か新しいものを見つけてもらえるんじゃないかって。“ROCK LOVE”(2006年に行なわれたビッグバンド編成でのライヴ。映画にも登場)なんかでもそうだけど、参加してもらうアーティストを選んだ段階でアレンジメントは完成してるんです。後はみなさん、フィーリングでやってくださいと」
つまり映画は、監督とバンドとのセッションともいえるわけだ。例えば名古屋の小さなライヴ・ハウスで、荒々しい演奏を繰り広げるバンドの間を走り抜けるカメラの臨場感が、それを端的に伝えている。
「お客さんはステージ上で大きなカメラ担いだ監督見て“何だコイツ!?”って思ってただろうね(笑)。でも、映画では3人だけの演奏シーンが一番良かった。バンドのギリギリの状態がちゃんと音に現れてた。バンドというものを背負った以上、あそこまで行っちゃうと、これは大事にしなきゃなって思いましたね」
映画でもうひとつ印象的なシーンがある。夕暮れの森に佇む直枝の姿。異世界からやってきた預言者みたいに、飴色の光のなかで男の影が妖しく揺れている。
「あの森はソロ・アルバムを作ってた頃に見つけたんだけど、行く度に“なんかヤバいな”って空気を感じてて。たぶんあそこは何らかの結界。撮影の時も手を合わせてたしね。おれは妙に身の回りにある境界を意識してるところがあって、今回、本を書いてる時にも、目に見えている部分と見えてない部分にこそ何かがあると、じっと目を凝らした。自分が惹かれてやまないのはそういう純度の高い場所の記憶や直感なんじゃないかって気がしてた」
問題はその本、『宇宙の柳、たましいの下着』だ。“直枝政広が選んだディスク・ガイド”という体裁をとりながらも、そこには直枝の記憶や思いこみがパラノイアックに詰め込まれている。しかも、書き下ろし原稿とインタビューがミックスされて、語り口も自由奔放。
「交錯してるんです。でも、それで全然いい。文章のカットアップ。映画もモノローグから他者の視線に切り替わったりするでしょ? 無関係なようでリズムとしてアリというか。最初に取材してもらって、それを起こした原稿を読んで、まだ語り切れてない部分があると気づいた。そこで頭から書き直したり、またインタビューをやったりして、自分ひとりでリミックス作業を進めていったんです」
その結果生まれたのが、直枝の脳内コラージュというか、ジャケでたとえると
フランク・ザッパ 『バーント・ウィーニー・サンドウィッチ』みたいな本だ。そんなケッタイな本を補完すべくCDも付けられているのだが、そこには3曲の新録とライヴ音源1曲を収録。ミュージシャンとして、音のケジメもキチンと付けられている。
「(新録は)文章を書いた時の気持ち、あと文章に出てくる風景とか、その魔窟感とかを意識しながら歌ってみたんです。いつものチューニングとは違う、魔界のチューニングで」
映画に書籍、政風会のアルバムと、初モノ続きでキャリアの節目感が漂う今年。直枝はまたひとつ境界を越えた。
取材・文/村尾 泰郎(2007年11月)