“新世代の
キャロル・キング”といったオーソドックスな風情でありながらそこかしこに強い個性を感じさせるシンガー・ソングライター、
NIKIIE。“色恋に溺れがちじゃね?”な昨今のヒット曲群にあって、彼女の歌と曲は、どこか凛々しく、力強いものを感じさせてくれる。そんな彼女の魅力が詰め込まれた1stアルバム
『*(NOTES)』のリリースを機に、これまでの人生における、音楽との関わり方を語ってもらった。バックグラウンド・ストーリーとして、アルバムの世界観を広げるお手伝いができればこれ幸い。
――プロフィールによると、かなり幼い頃に自分からピアノを弾きたいとおっしゃったとか。
NIKIIE(以下同) 「3歳ですね、初めてピアノを弾きたいと言ったのは。お母さんと一緒にお兄ちゃんを保育園に迎えに行った時に、先生が帰りの会でアップライトピアノを弾いてて。まだピアノを知らなくて、“こんな綺麗な音が出るこの黒い箱はなんなんだ!?”ってすごい衝撃を受けて“ピアノが習いたい!”ってお願いして。その頃は経済的に余裕もないし、小さい子の言うことだからそのうちあきらめるだろうって両親は思ってたらしいんです。でもお願いし続けてるうちに1年経って、4歳のときにたまたまピアノ教室が近所にできて、それで通わせてもらえるようになったんです」
――3歳児が同じ思いを持ち続けるって、ちょっとスゴいですね。初めてピアノの前に座ったときの気持ちは覚えてます?
「もう、高揚感しかなかったです! すごく幸せだったんですけど、すぐ両手で弾けるものだと思い込んでいたので……自由に弾いたら不協和音しか出なくて、そこですごくショックを受けました。でもそのショックがあったから、丁寧に片手ずつ練習を始めたって感じです」
――どういう感じでピアノを修得していったんですか?
「最初はバイエルとかで、そのうちポップスの曲──
カーペンターズとか
ビートルズとか──も弾かせてもらうようになって。私は、その日あったイヤなことがそのままピアノの音に出てたみたいで、それを先生が聴いて感じとってくれて“今はこういう曲を弾くといいんじゃない?”って選んでくれてました。そんな感じの教室だったんですね。技術より音楽との触れ合いがメイン、みたいな。先生自身も音大ですごく悩んできた方だったんですよ。だから音楽の楽しさがまず先で、クラシックやりたい子にはクラシック、みたいにそれぞれの子にあった音楽を選んでくれる先生でした」
――へー、最初からすごくいい師に出会えたんですね。歌を志すようになったのは?
「歌手になりたいってのは思ったのは
SPEEDがきっかけだったんです。小学校低学年くらいの時に、ピアノ教室のラジオから<STEADY>が流れて、“なんだこれは!?”って、ピアノに出会ったときくらいの衝撃を受けて。“ごはんの時はテレビを消す”みたいにあまりテレビがついてない家だったんで、歌を歌う仕事があるって知らなかったんです。調べたらSPEEDっていう私と同じ小学生くらいの子達で、歌を歌う仕事をしている……“私も歌手になりたい!”って思って、そう学校で言っていました。家でも意を決して“私、歌手になる!”って言ったら、反対されましたけどね(苦笑)」
――まあ親は反対しますよね(笑)。曲を初めて作ったのはいつでした?
「作詞作曲をしてみたいっていう気持ちが湧いたのは小学校5年生のころで、きっかけもなく、ただただ“作りたい!”っていう気持ちが先行して。その時はコードとかわからなかったから、自分で歌詞を書いてからメロディーをつけるやり方だったんですけど……1曲もできあがらないまま挫折して。私には無理っ!て思ったんですよ」
――それでも音楽をやめようとは思わなかった?
「ピアノはまたぜんぜん別だったんです。でも歌手になりたいって気持ちはどこかにあって。で、中学校1年生のときに引きこもっちゃったんです。自分の存在意義ってなんだろう?って考え込んでしまって。そうやってるうちにいろんな思いがたまっていって……」
――なるほど。“歌を作って歌う人”が必ず通る“想いを溜め込む期”が中学生で訪れてしまったんですね。
「高校1年生のときの友達で、自分で作詞作曲してバンドで歌ってライヴハウスに出てる子がいて、正直すごく悔しかったんです。私もあの時、ちゃんと曲を作っていれば、今ごろ歌えてたんじゃないかな?って。中学生のときに抱えてた想いを曲にできないかな?と思って曲をもう一度作りはじめたんです。でも誰かに聴かせる勇気がなくて家で弾くくらいでしたけど」
――はじめて自分の曲を人前で披露したのはいつ頃ですか?
「高校1年生の冬に、オーストラリアに2週間のホームステイをしたんです。その時に老人ホームでの課外授業があって、広間の奥のほうにアップライトピアノがぽつんと置いてあったので、“ピアノを弾いてもいいですか?”って聞いて、 “今なら弾けそうな気がする……”って思って、おそるおそる自分の曲を弾いたんです。そうしたら、いつの間にかおじいちゃん、おばあちゃんたちが集まってくれて“誰の曲なの?”って」
――予想外にくいついてきたんですね。
「そう。恥ずかしくなってやめようとしたら“ずっと弾いてて”って言ってくれるし。それがすごくうれしくて。“私の曲を誰かに聴いてもらっていいんだ!”っていう勇気をもらって、帰国してからその曲に歌詞を書いて、音楽室に友達を呼んで聴いてもらいました。それがピアノと歌がひとつになった瞬間でした」
――ピアノの先生もそうですけど、すごくいい場だったんですね。そうしてバンドなどで活動した高校時代を経て音楽をやるためだけに故郷の茨城から東京に引っ越したわけですよね。でもそういうギリギリなところで道が開けてきたんでしょうね。
「デビューするきっかけになった
<春夏秋冬>っていう曲も、もう音楽やめようって思った時にできた曲で。でも、“私は一生懸命やったって言えるかな?”って家に帰って泣きながら考えて。もう1回がむしゃらに音楽と向き合ってみて、自分の心の中で音楽に対して変化がなければあきらめて故郷に帰ろうと思ったんです。役者を目指してる友だちにそれを打ち明けたときに、その子も同じように限界を感じてるって泣きながら話をしてくれて、それを見たときに、この子はぜったい諦めたくないんだなって感じたんです。それは自分も同じだなと思って、家に帰って一気に書き上げた曲が<春夏秋冬>で。<春夏秋冬>を書いたら、もう1回音楽を続けたいっていう希望が湧きました。それを歌おうと思ってライヴをしたときに今のレーベルの方が観にきていて、そこから今に繋がったんです」
――ホント「春夏秋冬」はNIKIIEさんにとってただの1曲ではないんですね。
「そうです。ゼロのところから生まれて、一緒に歩いてきた曲です」
――NIKIIEさんの曲は一聴してオーソドックスなのに、NIKIIEさんにしか歌えない曲だっていう個性を強く感じます。
「自分がリアルに感じていることしか書いていないからかな。歌の中に収めるには、乗せられる言葉はあまりにも少ないので、その後ろにある感情はホントに小さい単語で濃縮されて表現されないといけないというか。だから言葉に込められた想いを声で表現したりするんですよ。すごくポジティヴなのに泣き声、とか──私の声、私の歌詞、私のメロディー、この三角形はすごく大事だなって思います」
――たまに“べらんめい調”っていうか、江戸っ子のオヤジが孫をかわいがってるみたいになることありますよね。かわいくてかわいくて仕方がないって想いが「馬鹿野郎!こんちくしょー!」みたいな真逆の言葉になるっていう(笑)。
「あー、あるかも(笑)」
――あと大変失礼かもしれませんがこのアルバム、まったく異性としての“男”の匂いがしない!
「そうですね。匂いをさせてもよかったのかもしれないけど(笑)。恋愛って、自分がちゃんとしてないと流されちゃうものだと思うんですよ。だから恋愛はまず自分を築いてからするもの、っていう意識が私の中にはあるので、1枚目のアルバムは、私はこういう生き方でこういう感じ方をしてます、というものを発信したいなと思って。でも、それなりに、この曲たちの影にはね、そういう……(笑)」
取材・文/フミ・ヤマウチ(2011年6月)