もともと、
菊地成孔がオーガナイズしたイベントでボサ・ノヴァ・デュオの
naomi & goroに声をかけ、共演したのがこのnaomi & goro & 菊地成孔が誕生したいきさつだ。スタッフが盛り上がって「作品を!」ということになったようだが、まさかこの制作過程で大震災をはさみ、菊地氏もgoro氏も心理的に曲が書けない経験をするとは、誰も夢にも思わなかっただろう。
プリファブ・スプラウトのカヴァーで幕を開け、naomiさんの柔らかな「おやすみなさい」の言葉で幕を閉じるこのボサ・ノヴァ作品
『calendula』は、「Aquarela do Brasil」では冒頭の歌のパートを菊地氏のサックスが担当したりと、このコラボならではの妙味が味わえる。同時に、とてもクールで素敵な音世界を知るこの大人たちが、期せずして少しだけさらけだした温もりと慈愛も、さりげなく含まれている。互いにゆったりと信頼し合うこの顔ぶれだったからこそ、それが可能だったのか。あの時と空間を封じ込めた本作の味わい深さは、とにかくとても貴重なものであることは間違いない。
――最終曲の「いちばん小さな讃美歌」、菊地さんがこういう曲を書かれるのは意外でした。これはどう出てきた曲なんですか?
菊地成孔「このアルバムは、震災をまたいでるんですよね。いよいよ録ろうか、という時に震災があって。場合によっては中止や延期がある可能性の中で、作っていったんです。録りながら余震がきて中断とか、放射能がやってくるのかしら、とか。エコなアルバムなのに、どんどん環境が汚染されていくなか制作されていく。ある種のアンビバレンツで。で、全然、曲を作る気にならなくなってきて。それはちょっとした、一時的な不全でしたね。今はそんなことないんですが、その時は、いま曲を作って、ましてや歌詞をつけて、人に訴えかけるって何なのと」
――カレンジュラは、アロマやハーブの世界では癒しの花ですよね。goroさんがこれをタイトル曲の名前につけられた理由は?
菊地「goroさんが最初に、花の名前をアルバムのタイトルにするって」
goro「アルバムのタイトルを、まず決めたんです」
菊地「で、僕もアロマとか嫌いじゃないんで、いくつか花の名前の案を出して、みんなで総選挙で決めたの。で、goroさんの曲が一番最後になったから、そのまま、それをタイトル曲にということで〈カレンジュラ〉っていう曲名になったんですよ」
goro「そうですね」
――そうだったんですね。一方で今回の菊地さんの選曲の基準は“80年代のチャラい曲”だったそうですが、それはどうしてだったんですか?
菊地「ボサ・ノヴァで意外なカヴァーって、もう出尽くしているんですよね。ヘヴィメタもグラムも
ビートルズも、ありとあらゆる曲が出尽くしている。ボサ・ノヴァとジャズは、カレーみたいに何でもやれちゃうじゃないですか。誰もやっていないだけで、
バッハとか
モーツァルトもできるだろうし。だから、あまり奇をてらうより、naomiさんとgoroさんとやれば、クオリティの高いものがチーンと出てくるだろうから、自分がボサ・ノヴァで聴いてみたいのは何かな、ということでエイティーズだったんです。エイティーズの音楽って、もっともエコロジーから遠いですよね。詩の吟詠の感じも、まったく南米ではないですし」
――そういう菊地さんの提案を聞き、goroさんはいかがでしたか?
goro「まあ、ほぼ同世代なので“ああ、いい曲だよねー”って(笑)。僕も間口は広いので……ほぼ何でも大丈夫ですよ、僕。民謡をやろう、と持ってこられても大丈夫。演歌でもたぶん、大丈夫」
――もし第2弾で民謡をやろう、ということになったらnaomiさん、どうでしょう?
naomi「そうですね、たぶん、普通に歌っていると思いますね)」
取材・文/妹沢奈美(2011年6月)