2年ぶりに6枚目のアルバムとなる
『BLACK RAIN』をリリースする
般若。タイトルはすでに決定されていたものだそうだが、それでも、半数の曲は東日本大震災後に制作されたということもあり、作品には震災の陰と、それに対する般若の思いが色濃く反映されている。“稀代のリリシスト”般若の視点から切り取られた“今”は果たしてどういったものなのか、作品を通して感じてもらいたい。
――今作にも収録されましたが、震災直後には「何も出来ねえけど」をネットで発表され、ご自身のレーベル「昭和レコード」としてもチャリティを行なわれましたね。
「<何も出来ねえけど>を、作る、作らないは本当に考えたし、このアルバムに入れるのもちょっと悩みましたね。リリースとかを考えて作った曲じゃないから」
――言わざる、作らざるを得なかったというか。
「それはあった。もちろん賛否両論あったし、辛辣な意見もあれば、“ありがとう”って意見も、俺がありがとうって言いたくなる意見もあった。作ってすぐYouTubeにアップして、あまりにも反響が多くて結構あとになって配信って形で出した曲だけど、評判になったっていうのもあったから、ここまできたらちゃんと歌詞カードもつけて、盤にして責任取らないとなって」
――作品を作ることにも、自分のメンタルの部分でも、やはり影響はありましたか?
「変わらざるを得なかったよね。みんなもそうだと思うし、変わらないって思ってる奴もどっかしら影響を受けてると思う」
――今作に『BLACK RAIN』と名付けられた理由は?
「タイトルは去年のうちにできてたんですよ。意味は“染まらない”っていうのが絶対的な一つの理由としてあって、その気持ちでつけたタイトルだし、そのテーマで作ってたから、これを変えたらブレるなって。今回は“染まらない”ってことと“伝える”って俺の二大要素が強く前に出た作品かな」
『BLACK RAIN』
――「世界はお前が大ッ嫌い」は、タイトルは過激ですが、逆説的に肯定のメッセージになってますね。孤独かもしれないけど、自律、自立するべきというメッセージを今作では強く感じました。
「そう取ってもらえると嬉しいですね。常々孤独は感じてるし、孤独じゃないと作品なんて作れないと思うんですよね、特に俺の場合は」
――今回のリリックは物語性よりも散文的で抽象性が強いですね。断片や瞬間を切り取ったり、見えた風景をそのまま表現したり、視点が急に切り替わったり。その意味ではスゴくスピーディーな印象を受けました。
「自然にそうなったんだよね。具体的に何がどうって指さないのは、大きいかもしれない。最終的なジャッジはみんなに任せて、俺の描いた絵にみんながどういう風に色をつけてくれるのかっていう」
――そういった部分は前作から強くなっていったと思うんですが、般若さんの作風としてはストーリーテラーとしての面白さというのも大きな要素としてあったと思うんですね。
「うん、もちろん。でもそれを捨てたっていうんじゃなくて、今回の内容を表現するにはストーリーテリングは必要なかったって判断なんだよね。それよりも“今”を切り取るには散文的な表現が必要なのかなって。でも、そんなに難しいことは言ってないし、分かる部分は多いと思うんだよね」
――加えて、それは当然のことなんだけど、リリックを目で追うだけだと“?”という部分も、ラップという表現を通すことで理解ができる構成になっていますね。当然なんだけど、やはりラップならではの凄みを感じました。
「だからこそラップだと思うんだよね。言いたいことだけ言えればいいのか、伝えたいことだけ伝えられればいいのかっていうんじゃなくて、ちゃんと“ラップ・スキル”を通して表現したい。俺の場合はそれによって自然に自分の言葉が出てくる部分が強いから」
――今回は“今”を切り取りながらも、普遍性が高い内容になってますね。
「俺のラップが理解されるのが今なのか1年後なのか10年後なのか、はたまた理解されないまま終わっていくのか。でも、どの段階であっても、どこかで通じ合えた時が、表現者として一番嬉しいと思うんですよね。一瞬でいいから、共有できた瞬間っていうのはそれは何にも代え難い。それはライヴでもヘッドフォンでもスピーカーでも、そうなってくれれば良いなって」
――「お前のせい」や「カバディ」は、非常に曖昧であったり、明確ではないんだけど、それによって日本人的な情緒感だったり、言葉の余白や裏側の部分で分からせるといった構成ですね。
「“好きだ”“愛してる”って言っててもいいとは思うけど、そんな曲ばっかりなのはちょっと……って思っちゃうんだよね。俺はそれは違うなって思うからこういう曲を作ってみて。“間”って言うのが俺はやっぱり重要だと思うから」
――そういった部分も含めて、般若の歌詞であってもエゴではなくて、もっと広い歌詞になってますよね。誰が聴いても自分のものとすることができるというか。
「俺が見た景色だけど、誰にでも見える絵を描けなきゃいけないなって。聴いたことで目に浮かぶっていうか」
――フロウも曲ごとにアプローチがかなり違いますね。
「俺自体が歌いたいように歌ってる部分が強いかな。そんなにノートに向かって難しい顔して作ってるというより、頭の中で作ってる感じ」
――心の中のリズム感に忠実というか。
「うん。ここ2年ぐらいジムにしっかり通ってるんだけど、今までよりフィジカルに曲に向かえてるような気がする。客観的に聴いても、すべての曲のラップが“違うな”って自分でも感じたかな。ラップは無限の可能性があるし、まだまだできるなって。一周400メートルのトラックがあるとしたら、今の日本語ラップはスキル的にも状況的にも300ぐらいまで来てると思うんすよね。でも、その残り100でまだ変化できることがあるんじゃないかなって思うし、その残りこそが本当に重要なんじゃないかなって。今思ってるのはそんなとこかな。俺の作品に関しても、また作って壊しての繰り返しになるけど、7枚目の構想は見えてる。昭和レコードのツアーも福島からはじまってるんだけど、これから秋ぐらいまでいろんな場所を廻りつつ、俺のツアーも平行して動こうかなと。気が向いたら一度は来てほしいな。いろんな人がCD出せるようになった今、ステージに上がって“ライヴができるか、できないか”っていうのは(ラッパーの)一つの評価軸だと思うし、そこが俺は重要だと思ってるから」
取材・文/高木晋一郎(2011年6月)