ザ・コレクターズは今年結成25年。実に四半世紀にわたり、ロックに対して真っ向から勝負し続けている。自分たちのことを“時代遅れの恐竜”とうそぶき、“どんなことにも無駄などない”と歌ってきた加藤ひさしたちは、言ってみれば時代の急速な変化の中で、常にもがいて抵抗する“対岸の挑戦者”的であったとも言えるだろう。だが、今も見ている先は変わらない。向けられた矛先も同じだ。ニュー・アルバム
『地球の歩き方』は、震災以降の空気を孕んだ、そんなコレクターズ流“これがロックだ”。モッズ=60年代スタイルのビート・バンドという定着形骸化されたイメージに反旗を翻すべく(?)、意識的にゴージャスで大仰、ダイナミックなアレンジと音質で仕上げられた新作は、言わばダサさと紙一重ではあるだろう。だが、そこには彼らの哲学も秘められている。ロックとは華やかであるべきだ、と。50代を迎えた加藤ひさしに“人生寄り道のススメ”の極意を訊いた。
――ジャケットのアートワークは66年の
ビートルズ来日時のパロディなんですね。
加藤ひさし(以下同)「そう。飛行機のタラップから降りてくる時のね。実はJALのハッピも用意したの。でも、(古市)コータローが試着した時点でボツ(笑)。まるでドリフだよ。アイツが着てもダメなんだから、誰が着てもお笑いになっちゃうって!(笑)」
――ブックレットの中も飛行機がモチーフになった写真が多いし、何よりアルバム・タイトルが『地球の歩き方』。旅が一つのモチーフになっていることが伝わってきますが、具体的にはどういうアングルから捉えていると言えますか?
「最初から何となくイメージしていたものはあって。<地球の歩き方>ってタイトルの曲を作りたいとは考えていたんだ。で、その<地球〜>の1番、<GROOVE GLOBE><サマー☆ビーチ☆パラソル><マナーモード>のそれぞれ全曲はレコーディングに入る前から歌詞が出来ていて。そういう意味では、今回のアルバムの方向はかなり前からあったとは思う。例えばね、ウィキリークスの事件があったりして、“ああ、やっぱり21世紀なんだなあ”って実感がずっとあったんだよね。20世紀の王様だったアメリカの弱さが露呈されたりして。20世紀的な価値観じゃ生きていけないってことに気づかされたりしてね。おまけに、3月11日の震災で否応なしに価値観が変わったし、この日本でも政治的に隠されていたことがどんどん出てきてさ。でも、一方で、やっぱり本質っていうか、本当に必要なこととかは自分の足とか目とかを使わないと得られないって思うんだよ。今じゃインターネットとかで簡単に何でも買えるけど、やっぱり自分の足で探して買ったレコードの方が愛着があるでしょ? ライヴの在り方だってそうだよ。ライヴDVDがブルーレイになっても、ちゃんと足を運んで観たライヴが最高っていうのと同じでね」
――面倒でも自分の体で実感してこそだと。
「そう。結局過程も大事なんだと思うんだよ。無駄こそが必要ってこと。恋も無駄が必要、人生も無駄が必要。遠回りが必要。そこからしか本質は見つけられないってことだよ。これは昔からいろんな曲でコレクターズが歌ってきたことだけど、それは批判じゃなくて模範を示したいってことなのね。今回のアルバムの歌詞はまさにそこにあると思う。それと震災以降の感覚とね。<英雄と怪物>の歌詞なんかはやっぱり今回の震災で人々を救助した自衛隊や消防と、放射能をバラまく原発をモチーフにしているし。音作りの面でもさ、今はプロトゥールズがあるから便利に作業できるし、どんな音でも簡単に出せちゃうんだけど、正直言って、ここ10年ほどは納得のいく音質を出すことにすごく神経を注いできたの。99年の『BEAT SYMPHONIC』まではアナログ・テープで録音した時に近い好きな音色が録れていたんだけど、ハードディスク・レコーディングになって以降は特にね。でも、プロデューサーの
(吉田)仁さんは俺の考えるそういう音の感覚を理解してくれた上で、ビックリするような音作りを見せてくれるんだよ。毎回トラックダウンで魔法を見せてくれるからね。何でここでドラムがこういうパターンになってるの?みたいに驚かされるの。そこが自分でも嬉しいところなんだよね」
――ええ、今回のアルバムもそうですが、コレクターズの作品はだからと言って決してアナログ風のくすんだ湿り気のある音だけにはフォーカスしていないですよね。アレンジも含めて、むしろ、きらびやかでゴージャスなタッチになっている。それこそ
ザ・フーの中期〜後期がそうだったように。
「そこなんだよ、感覚の問題。今の若いバンドでも60年代、70年代っぽいことやってる連中いるよね。でも、俺にはオールド・ウェイヴにしか聞こえないの。自分が考えていた日本語のロックンロールのカッコいい形じゃないところにまた戻っていってる感じがするっていうかさ。昭和のロック植民地時代に戻ってる。それが悔しくて淋しくて仕方ない。それが一つのバネ、機動力になっているのも間違いないところで、実際、50代になった俺たちがもっとカッコいいロックを見せてやる、という思いはあるよね。少なくとも自分なりに抵抗しているのは確か。例えば、今回のアルバムの<GROOVE GLOBE>を録音する時、俺は
マイ・ケミカル・ロマンスの新譜をスタジオに持っていって仁さんやメンバーに聴かせたんだ。あのギターのスピード感、あれはカッコイイって。こんなギターの音を出すにはどうしたらいい?って。すると仁さんは“無理”って一言(笑)。世代の違いだからって。でも、本能的にああいうキラキラした感じが一番カッコイイっていう感覚だったんだ。とにかく、今はちょっと前の
ポール・ウェラーとか
オーシャン・カラー・シーンみたいな渋くて味のある、年寄り臭いブルースな感じがダメで(笑)。歳とったら抹茶と羊羹食べなきゃ、みたいなさ(笑)。でも、マイケミみたいなバンドってガキなんだけど、アメリカン・ロック特有の下世話さとか大仰さがあるでしょ? そういうのがロックには必要だと思うんだよね。その本音が音に出てるんだと思うよ。もちろん、ウェラーみたいな年の重ね方が自然でクールだと思うよ。でも、それは俺のスタイルじゃない」
――ロックは華やかなものであってほしいと。
「それはある。俺が聴き始めた頃には
クイーンがいて
デヴィッド・ボウイが活躍しててって感じでスターがいっぱいいたからね。白いTシャツにジーンズなんてのはロックじゃなかったんだよ。だから、ここ最近、どんどんステージ衣装も派手になっているんだよね(笑)。正直言ってさ、年をとることが怖いんだよ。あと10年で還暦だからね、あと何年歌えるだろうね? アルバム何枚出せるだろう?とか考えるとね。自分の終わり、コレクターズの終わりがおぼろげに見えているのかな。だから、生きてるうちになるべくデカい花火を打ち上げておきたい。自分がロックと感じるものを形にして残しておきたい。これくらい緊張感のある状態でいた方がいいものが作れるって実感があるよ。もちろん、人生には無駄が必要だから、これからも寄り道はあるだろうけどね」
取材・文/岡村詩野(2011年8月)