ゆらゆら帝国の解散から約1年半。中心人物、
坂本慎太郎のソロ・アルバム
『幻とのつきあい方』がいよいよリリースされる。サラッとしてるのに深く濃い音楽性、聴き手によってどうとでも捉えられるような多面性──と、唯一無二の坂本ワールドが展開されているこのアルバムは、すでに2011年度の最重要作のひとつという呼び声も高い。自身のレーベル“zelone records”を設立し活動のスタンスを定めた坂本慎太郎本人に、本作にまつわる様々なエピソードや想いを語ってもらった。
「狙ったことはなんにもないです。“こんなことやったら恥ずかしいかな?”とか“昔のファンはどう思うかな?”とか」
――ゆらゆら帝国解散はもう1年以上前のことですよね。
「去年(2010年)の3月31日に発表したんですけど、2月とかには決めてましたね」
――解散前後は何をしてましたか?
「最初はなんにもやってなくて。あ、テトリスをずっとやってました(苦笑)」
――うわ! それはかなりダメな感じですね(笑)。じゃあその先のビジョンも……。
「ないですね、やる気もまったくなかったし。むしろ“ぜんぜん知らない世界に行きたい願望”みたいなのが出てきて」
――そういえばバンド時代に、アルバムを完成させた直後はいつも抜け殻になるって言ってましたよね。
「そう、それの本気のやつが来たっていう感じです。もう全部やめて、どこか知らない国で第二の人生を歩みたい、とすら思ってましたからね(苦笑)」
――もう音楽を作らなくてもいいやと。
「そう。いままで20年くらいずっと“バンド”っていうのがベースにあったじゃないですか。週に2回練習ってのが決まってて、ライヴも半年先とかもう決まってるんですよね。バンドがなくなると、その染み込んでたベースもなくなっちゃって。自分ではどうしようもないものに巻き込まれて違う人生を送りたい──そういうものに対する憧れが芽生えて。成り行きでこの街でこの仕事してる、みたいな(笑)。そういうのって自分の意思では難しいじゃないですか、歳とってくると」
――まあ、そうですね(笑)。とはいえ、こうして作品ができあがりました。そのための最初のアクションはなんでしたか?
「まず、単純に叩きたいなと思って、コンガの練習を始めて」
――へー! コンガですか!
「好きな曲にはだいたいコンガ入ってるなと思って。打ち込みになる前の時代のディスコとか。70年代の歌謡曲のバックバンドにもだいたいコンガがいる。
T.レックスもそうだし、
カーティス・メイフィールドもそうだし。あるとき、中古でMTR売ってたから、ヒマだし宅録でもやるかと思って買ってきてやってたんだけど、あまり面白味を感じられなくて。そのときにベースを買って。すごくよくなりそうな、ギターで軽く作った曲があったんだけど、そこにベース弾いて入れてみたらちょっと見えた気がして」
――それまでベースの経験は?
「いや全然ないです。持ったこともない」
――じゃあベースを手にしたのは偶然ですか?
「人とやるのも面倒くさいし、そういう気力もない、じゃあぜんぶ自分で楽器を演奏したやつにしようかな、みたいな感じだったと思います」
――その“ベースを入れたら見えてきた曲”ってどれですか?
「7インチで出した<幽霊の気分で>ですね。最初にできた曲なんですけど」
――なるほど! この曲もそうですが、サラッと聴けるんですけど、どこか生々しいアルバムだと感じました。
「自分ではもう分からなくて。ずっと部屋に閉じこもって朝から晩までやってたんです。完全に閉ざされた世界でやってるんで、ものすごく凝縮されてるはずなんですけど……自分では客観的に見れなくて」
――ソロ・アルバムですから、ゆらゆら帝国のときとは違って、メンバーや現場のテンションが上がるビジョンは必要ないわけですよね。
「まあ、そうですね。バンドのときは石原さん(ゆらゆら帝国作品のプロデューサー、石原洋)のような客観的に見てる人がいましたよね。今回はそういうのもなくて、完全に自分の欲求に忠実に作ったんで。もちろん、世の中の流行りとか関係なくやったんで、自分で納得できるものができたんですけど」
――坂本さんの中にあるものだけで作り上げた感は確かにありますね。そのせいか、ものすごくサラッと聴けるのに歌や歌詞がズシっとくる瞬間も多々あってちょっとびっくりしました。
「最初は“軽いリズムでさらっと聴ける、いい曲ばかり入ってるやつ”を作ろうと思ってたんですけど、10曲完パケして曲順通りに並べて初めて通して聴いたら、聴いた後の感じがなぜかすごくヘヴィだった。これはおかしい、これが自分で全部やるとこういうことなのかな?と思って。隅々まで全部自分の想いでやりきって、最後に“いろんな自分”が襲いかかってくる──みたいなお腹いっぱい感があったんです。スキがなくて。ちょっとやりすぎちゃった感が(笑)。これちょっと違うなと思って、曲順変えたり音を抜いたりして、最終的にはいいところに持って行けたんですけど」
――作ってみたら重かった、というのは興味深いですね。
「だから、完全に軽いものって作れないんだなと思ったんですよね」
――その、完成一歩手前のものをどう修正したんですか?
「途中の曲順がちょっと違うのと、ちょっとコーラス入れすぎちゃった感じがあったんで、部分的にコーラス抜いたり。あとはフェイドアウトを作ったりとか。ちょっとしたことなんだけど、ぜんぜん印象が変わってすごく聴きやすくなりましたね」
――その細部ってちょっとのさじ加減で違うものですか?
「ぜんぜん違いますね。今回は、その完成の質感がちょっとしたことで消えちゃうような繊細で微妙なやつだったから、ヴォーカルにリヴァーヴをかけすぎただけでもそれがなくなったりして、かなり神経使いました」
――楽器演奏はどういうテンションで臨んだんですか?
「なんにもややこしいこと考えずに、普通にいい感じで。狙ったことはなんにもないです。“こんなことやったら恥ずかしいかな?”とか“昔のファンはどう思うかな?”とか“1曲ぐらいファズ入れとこうかな?”とか。そういうことは一切なく(笑)」
「それ、別の取材でも言われましたよ。そこは意識して作ったわけじゃないんですけどね。音色だと思うんですよ。『McCartney II』はドラムもベースもすごくミュートされてて、音の質感がキラキラした感じっていうよりはミチッていう感じですよね。確かにそういう密室感はやりたかったんですけどね」
――そんなマッカートニーは
ウイングスを結成してたわけですけど、そういうビジョンはないですか?
「“ヨメさんとバンドやる”みたいな?(一同笑)……ないですね!」
「コンガを入れたいっていうのがまずあったんですよね。最初からコンガがかなり重要な位置を占めてて。でも、さじ加減でちょっと聴いたときに印象がぜんぜん変わるじゃないですか、コンガって。本気のラテンみたいな突き抜けた明るい感じの人に来られても困るし、そうかといってオーガニックな感じのスピリチュアルなのも困っちゃうなあと思ったときに、菅沼君を思い出して。久しぶりに連絡したらやってくれるって言ってくれて。ドラムもすごく良くて、今回のアルバムの感じとすごくしっくりきて」
――リズムのニュアンスもそうなんですが、この作品にとってのもう一つのキモは女性コーラスですよね。
「それは最初から決めてました。シンバルも使わないぜんぜん響きのないドラムと、ミュートしたベースと、コンガと歌だけで成立してて、アクセントでコーラスが入る──っていう完成イメージだったんです。ギターとキーボードとかはなくてもいい、最初は入れないでそれだけでいこうと思ったんだけど、何度も聴ける感じにはならなくて」
――コーラスのクレジットを見ると、
ママギタァのジュンさん、
フリーボの吉田奈邦子さん、あとFuko Nakamuraさんというのは……。
「中村さん(エンジニアの中村宗一郎)の娘さんです」
「そう。あの時は9歳だったんですけどいまは高校三年生」
――へー! 感慨深いですね。作品のビジョンはゆらゆら帝国の延長線にあるものでしたか?
「そこは切り離して考えてましたけど。制作してるときは“バンドのことは遠い過去”みたいな。それとは別に明確に目指すところはありましたよ。それは歌詞とかも含めて、ぜんぶ質感とか感触だから」
「俺の中ではこれ、すごくおしゃれなアルバムだと思うんですけど。金の匂いも広告の匂いもしない」
――こういう感触の日本語のポップスって、なかなかない気がしますね。個人的に大好物です。
「こういうのが聴きたいんですよ、俺は。なんとかに似てるとか、どういう位置にあるとか、どうでもいいんです」
――坂本さんは本当に軸がぶれてませんね。聴きたい音楽を全力で作る、という点で。
「俺の中ではこれ、すごくおしゃれなアルバムだと思うんですけど。金の匂いも広告の匂いもしない」
――確かに代理店臭は皆無ですね(笑)。
――音じゃなくてジャケみたいな音楽(笑)。
――ははははは(笑)。
「だから、そういうのがおもしろいなあと思って。ぜんぜんいいんですよ、思いもよらないことを言われても。なるほどなあと」
――そういうのがおもしろくて音楽やってる部分もあります?
「結局、身近な人がなんて言うかな?っていうのだけが原動力ですよね。ますます最近そうなってるっていうかね」
――通常だとこのあとライヴ・ツアーがあって然るべきだと思うんですが、このアルバムの曲がライヴで演奏される予感がまったくしません。
「みんなそう言うんですよね。なんでかな?と思って……まあ実際にやらないですけど(笑)。そんな宣言してないのに、なんでみんながみんなそう言うのかな?ってのも知りたいんですよ」
――なんですかね、とにかくこの後にライヴ・ツアーがあるとは思えない。
「バンド編成で普通に演奏してるし、別に再現不可能なアレンジしてるってわけでもないじゃないですか。なのに、なんでそう思うのかな?」
――逆に、これが演奏されるっていうビジョンが見えないんですよね、なぜか。
「だからね、それも不思議なんですよね。“ライヴやってくださいよ”とか“楽しみにしてます”って言ってくる人、ひとりもいないんですよ(笑)。“ライヴの予定は?”って聞かれて“なんにも考えてないんですよ”って言ったら“ですよねえ!”って(笑)」
――そんなアルバムなんですよ、きっと。100枚しかプレスされなくてほとんど身内にしか配られなかったアルバムが何十年か後にひょっこり誰かの手に渡って“なんじゃこりゃ!?”と再発されてヒット、その当人はまだ存命だけど特にライヴも望まれない、みたいな。
「確かにジャケットはね、そういう感じを、ちょっと(笑)。ジャケの色合いと写真の薄さ加減が発掘音源の感じなんですよね」
――ばっちりです(笑)。
「狙ったというよりは、そういうのが合うなと思ったから。たぶん音の佇まいとかがそういう感じなんですかね」
――時代性もないというか、これ何年のアルバムよ?っていう。
「それ石原さんにも言われました。石原さんには他にもすごいこと言われて。“死の匂い”って言われたときに“すごい楽しげじゃないですか?”って言ったら、“いや、死人が、自分がとっくに死んでるのを気づかずに楽しそうにやってる音楽だ”って言われて(笑)。“それ、めちゃめちゃかっこいいじゃないですか!”って言ったら“うーん……”って言ってましたけど(苦笑)」
――いや、それは的確な意見な気が(笑)。
「でも本当にそう聴こえるなら、相当かっこいいですよね」
――本当に! しかし、この作品は聴く人によっていろんな印象を与えそうな気がします。
「うん、どうなんですかね。聞きたいですね、いろんな層の感想はね。この作品、普通っぽいですかね?」
――普通……ではないです。いや、普通なんだけど。
「そこも分かんないんだよね。俺は普通っぽいと思ったんだけど、それは僕ら世代がいう漠然とした普通であって、いまの普通って分からないでしょ?」
――なんとなくですが、いまの普通ってかなりハイパーな気が。
「この響きを止めた感じのやつってあんまりない気がするんですよね。リズムもちょっと乗れる感じでいるんだけどちゃんと歌詞があって、だけどダンスしようぜみたいな軽い歌詞でもなければ重い歌詞でもなく」
――個人的に古い歌謡曲を掘ってきたんですけど、たぶん、この作品のような音楽を探してたのかもしれないなと思うんですよ。
「日本語がちゃんと乗ってて……ってやつですよね」
――やっぱりこういう日本語のポップスが聴きたいんですよ。
「しかも今、聴きたいでしょ?」
――そうなんですよ!
「俺もそう思ったの」
――初回限定版にはインスト版がつきますよね。
「そう。インストがまたね、いいんですよ。すごく丁度いい。ヴォーカル入るとちょっと重いけど、コーラスだけになるとすごくいいんです」
――レゲエの発想に近いですよね。そういえば前から思ってたんですが、レゲエは聴かないですか?
「聴かないですね」
――すごく通じるところがあると思うんですけどね、坂本さんの音楽とある種のレゲエは。
「ある種のレゲエは、まあ、ちょろっと聴きますけど。あんまりそっちに行かないようにしてる」
――UKレゲエとは特に共通性を感じるけどなあ。
「いや、前も言ったかもしれないけど、イギリスの不良が好きそうな音楽ってあんまり好きじゃなくて」
――ああ、言ってましたね(笑)。
「レゲエとかスカとかモッズとか。だからノーザン・ソウルもちょっと苦手」
――自分がそうなんですが、不思議なもので、そういう音楽を好む層はゆらゆら帝国や坂本さんの音楽を好きなこと多いですよ。
「こっちはぜんぜん、ウェルカムですよ」
――そもそもこの作品のベーシックである“ドラムス、ベース、コンガ”という編成ってまさしくそういうルード・ミュージックと共通してますし……ってあれ? その編成だけでライヴやってみたらどうです?
「うん、それもかっこいいですけどね」
――それならライヴの想像がつきます。観たい!
「それに女性コーラスね」
――あ、それならビジョン見えます! それでライヴやりましょうよ!
取材・文/フミヤマウチ(2011年10月)