オランダ出身の
ウーター・ヘメル。ジャズをベースにしたポップな音楽で日本でも人気が高い。2007年のデビュー以来、プロデューサーの
ベニー・シングスと組んでいたが、3枚目となる新作
『ローエングリン』で初めて自身でプロデュース。さらにデッカとワールドワイドの契約を交わしたことで、初めて全世界でアルバムがリリースされることになった。音楽的にもすべてが生演奏と、さまざまな変化がある。そんな意欲作について聞いた。
――新作にはさまざまな変化が見られますよね。まずはデッカとの契約。 ウーター・ヘメル(以下同)「2009年にデッカのスタッフがオランダでのライヴを観に来てくれて、それで契約することになったんだ。メジャーのいい点は全世界で発売してもらえること。国ごとにレーベルを探すことは容易いことではないから。でも、オランダでは今まで通りにDOXと契約している。それがデッカとの契約条件だった」
――さらに初めてベニー・シングスがアルバムに関わっていない。これはどうして?
「ベニーから“そろそろ自分でアルバムを作る時期がやってきたのでは?”と提案されたのが最初だった。僕らは一緒に仕事をしてきて本当に楽しかった。ベニーの提案に最初こそ戸惑いを覚えたけれど、でも、自分でもひとり歩きすべき時期がやってきたと思えたので、セルフ・プロデュースすることにしたんだ」
――実際に自分でプロデュースしてみていかがでしたか?
「不安はあった。スタジオでは常に選択を迫られるから。ここではどの楽器を使うのか、とかね。曲作りをしている時もベニーの意見が聞きたいと思うことはあった。でも、気分は高揚したし、スタジオでバンドが演奏した1stテイクを聴いた時に“これはいける!!”という確信が持てたので、それからは自分がプロデュースする作品に誇りを持って邁進することができた」
――変化で言えば、もうひとつ。ピアニストがティエリー・カステルに変わりましたね。
「彼のピアノはストーリーテリングで、繊細だけれど、表情豊かでいいですね。前任者の
ピーター(・デ・グラーフ)の脱退は、少なからずショックだったけれど、ティエリーとの出会いに救われた。彼はジャズの教育を受けているけれど、
ショパンや
エディット・ピアフなども好きで、ミニマリストでもあり、繊細な感情表現ができるピアニスト。加えて曲も書けるので、実際に〈ローエングリン〉と〈リトル・ボーイ・ロスト〉の2曲を共作している。新しいメンバーの加入は、バンドに新鮮なエネルギーをもたらしてくれるから、さまざま面でいい効果があったと思う」
――すべてが生演奏。それは最初から意図したことですか。
「ライヴ感覚をアルバムにもっと持ち込みたいとは思っていた。でも、それは結果そうなっただけで、僕の場合はとにかく曲作りを一番大切にしている。サウンドは後からついてくるもの。今回は、フランスにある両親の農場に向かい、敷地内にあるバンにこもって曲作りをしたんだ」
――ディキシーランド・ジャズ風の「タッチ・ザ・スターズ」から始まり、ケルティック風とか、サントラ風とか、すごく楽曲が多彩。これらすべてがそのバンで生まれたの?
「そうなんだ。ピアノを持ち込み、歌詞とメロディができると、曲のタイトルを壁に貼り、その紙にトロンボーンとか、ルシンダ・ベル(back Vocal)のヴォーカルとか、浮かんできたアイディアを書き込み、作り上げていったんだ」
――前2作以上にバンドで作った作品という感じがします。それはすべてが生演奏ということもあると思いますが、レコーディングではどんな工夫があったのでしょうか。
「過去2作では僕とベニーで完成させたデモ音源をバンドに聴かせて、こんな風に演奏して欲しいと指示していた。でも、今回は最初から“ここはどんな風に演奏したらいいと思うか”とバンドに意見を求めながら進めた。そこが大きな違いだと思う」
――最後にアルバム・タイトルの『ローエングリン』について教えてください。
「もともとは僕が12歳まで過ごした街の通りの名前なんだ。“境界線はもうすぐ、瞬きすれば僕は消えてしまう〜”なんて歌詞を書いた後にネットで“ローエングリン(LOHENGRIN)”を検索していると、ワーグナーのオペラに同じタイトルの作品があり、しかも物語が僕の歌詞と重なる部分があった。偶然の一致であると同時に、僕の中で消えていくことは終わりではなく、新たな出発というイメージが強かったので、今回のアルバムにふさわしいタイトルだと思ったんだ。『ローエングリン』は、僕にとって新たな章の幕開けとなった作品だと思う」
取材・文/服部のり子(2011年11月)