寺尾紗穂の新作
『青い夜のさよなら』は、ただの新作ではない。新作は電子音をとりいれたものになることを彼女は前々からアナウンスしていた。
キセル、
CRYSTAL、大森琢磨、
Kenmochi Hidefumi、
DARTHREIDER、
イルリメ、橋本和昌、
七尾旅人。この人ならと彼女が決めた8人(組)のゲストに彼女の歌とピアノを渡し、彼らが思うように色づけをしてもらった。生音と電子音という対立しあうものではなく、あくまで人と人。まるで文通みたいなやりとりから生まれた新しい寺尾紗穂。その電子音は、現実の都会に生きる人々の揺れる気持ちを、同じように揺れながら照らすビルのネオンやグラフィティのようでもあり、ひんやりとしていながら、とてもぬくもりのあるものだった。
――今回のアルバムに電子音が大きく取り入れられるきっかけになったのは、もともと「夕まぐれ」(4thアルバム『愛の秘密』)を電子音を入れてミックスしてみたのが最初だと聞いています。
「前作の
『残照』に、自分だけでやるかたちとしてはやりきってしまったなという感じがあって、次に作るとしたら今までのやり方ではなく、広げてやりたいなと思っていたんです。そう思っていたときに、不思議なきっかけがあったんですね。私が今住んでいる部屋の、前の住人が大森琢磨さんという方で。その大森さん宛に、彼は引っ越ししてもういないのにまだ郵便物が来ていたんです。しばらくしたら音楽関係の会社から郵便物が送られてきたりして。"あれ? 音楽やってる人なのかな?"と思ったんですね。そのときウェブで検索をしたら、クラブ系のシーンでやっている人だということは分かったんです。その後、Facebookを通じて探し出して連絡をとってみたんです。それで、お会いしたときに、せっかくだからお互いの音源を好感したんです。そしたら、私があげた
『愛の秘密』から<夕まぐれ>を気に入ってくれて、リミックスしてくれたんです」
――そのときの「夕まぐれ」は、どういう感じだったんですか?
「私のピアノ弾き語りに電子音をかぶせたものでしたね。でも、それがすごくよかったんですよ! 22世紀のセンチメンタルみたいな、そんな世界に引っ張ってくれて。ちょっとすごいなと思ったんです」
――大森さんとアルバム一枚作ってみようとは思わなかったんですか?
「やっぱりこういうことをするのは初めてなので、どうせなら、どういう人とどういうものが作れるのか広く知りたかったんです。ちょっと実験的な意味も今回のアルバムにはあります」
――今回のゲストの顔ぶれには、Crystal、イルリメ、七尾旅人といった、今までは接点のあまりなかったような人たちもいますよね。
「CRYSTALさんは直接お会いしたことはなかったんですが、私のライヴにはよく来てくださっていたみたいで。CRYSTALさんが『残照』を聴いた感想をイルリメさんに伝えてくれて、それを聴いたイルリメさんも『残照』を聴いてくれて、Twitterでそのことを書いてくれてたよと人伝に聞いていたんです」
――意外にも七尾旅人さんとは今回が初めての接点なんですよね。
「七尾さんのアルバム『ひきがたり・ものがたりVol.1 蜂雀』は素晴らしいなと思って聴いていたんです。すごく器用なイメージがあって、いろんなことが出来る人だということはわかっていたんですけど、あれを聴いてこういう感性の人だったら任せられるなと思ったんです。それで、七尾さんにメッセージを送ったら、ちょうど『残照』を聴いて気になっていたところだったとお返事がきて。ご自分のレコーディングもすごく忙しい時期だったんですけど、私が送った音源を気に入ってくれて参加してくれたんです」
――DARTHREIDERを迎えた「私は知らない」は、原子力発電所で働く労働者の問題に触れた曲です。これはちゃんと書いておくべきと思うんですが、あの曲は3・11の前からすでに演奏していた曲なんですよね。
「そうなんです。2010年のことなんですが、原発で働くと被曝するって話を聞いたけど本当なのかなと疑問に思ったんです。それで調べてたら、原発で働いていた方が残された手記があって、被曝症状で苦しんでいることとか、原発内の労働がどんなものであるかに書いてあって、最後まで読むと、その人がもう亡くなっているということも分かる。そのことに衝撃を受けて、いろいろ原発関連の本を読み始めたんですが、その1冊目が樋口健二さんというカメラマンの方の『闇に消される原発被曝者』という本だったんです。こんな重要な本が30年前に発売されていたというのに、この社会は何をやってたんだろうと。そういう思いを抱いて、この事実を自分の周りの人たちに伝えたり、ライヴのMCで喋ったりしました。事故が起きたからじゃなくて、原発は日常に動いてる時点で被曝者を生んでいるということにすごく衝撃を受けたんです。それだけで<私は知らない>が出来たわけではないんですけどね。近しい人が亡くなったときの無力感とか、そういうものもあの曲には反映されています。<私は知らない>は、一番最初に新宿タワーレコードのインストア・ライヴでやったんです」
――僕もあのときいましたよ。明るくてにぎやかなフロアーで、あの曲が歌われた瞬間の衝撃は忘れられないですね。
「今回はDARTHREIDERさんにラップを新たにつけてもらって。それがすごく良かったと思ってるんです。曲を作ったときは原発の事故が起きる前だし、そういう意味をこめていたわけではないんです。でも、結果的に3・11をはさんで、DARTHREIDERさんに入ってもらったことで、曲自体に広がりが出た。それが一番良かったかなと思ってます」
――アレンジ面でもサンプリングがあったり、寺尾さんの歌とラップが重なりあったり、かなり大胆だと思うんです。あの部分は、原発の事故前と事故後を重ね合う言葉のレイヤーでもあるけど、賛否両論あるポイントだとも思うんです。僕も最初は戸惑いました。でも、何度もきいてるうちに、これは今すぐに良い悪いの判断をくだすべき音楽ではなく、ずっとこの曲をきいて考えていくことを要求する音楽なんだと思うようになったんです。そして、この重厚さと対照的に、ちょっとユーモラスな展開すらある「はねたハネタ」。もともとDARTHREIDERのリリックに寺尾さんが自由に曲をつけてライヴで歌っていた曲ですが、こちらはイルリメのリミックスになっています。
「イルリメさんのリミックスはすごく好きなんです。"ラジオドラマ風にやります"というメールが来て。でもきいてみたら音楽的にもすごく広げてくださってる。あと、この曲では、つくば市の千年一日珈琲焙煎所で今年の3月に私がライヴをやったときに絵の展示をしていらした古山菜摘さんに<はねたハネタ>のPVを作ってもらっているんです」
――どんなPVなんですか? あの曲のDARTHREIDERさんが交通事故を起こしちゃうストーリーに沿ったもの?
「そうなんです。それを塗り絵や切り絵を使ったアニメーションにして。千年一日珈琲焙煎所で“塗り絵をやってくれる人募集!”ってスタッフを呼びかけたり、結構アナログな感じで制作しているので、どんな感じになるのか楽しみなんです。彼女は今まではアニメーションとか作ったことがない人なんですよ」
――え! そうなんですか? 今までもそういうやり方をしてきましたという人ではなく?
「今回、“アニメとか作ったことはないですけど、すごくやりたいです”という熱意ある申し出をいただいて。私も、千年一日珈琲焙煎所でのライヴのときの彼女の展示していた作品が、3・11の後の南相馬や、あのとき以降に彼女が考えて描いたものだったので、そういう意志のある若い人に任せてどういうものが出来るのか、楽しみにしてます」
――「私は知らない」と「はねたハネタ」は、曲のテイストは対照的なんですが、実は歌詞の面では同じようなところもありますよね。社会的な弱者へのまなざしというか。そしてこのアルバム自体にも、現実の都市を生きる人たちへの思いが色濃く出ていると思うんです。だからなのかな。ここでの電子音というのが、音としては自然のものではない作り物の音なんですけど、このアルバムでは現実の世界の音という感じがしたんですよ。普通に街のなかを歩いていれば聴こえてくる音。
「ああ、それはあるかもしれません。山の中から引っ張りだしてもらった感じ(笑)」
――そう。で、その街というのは、ビルの壁にはグラフィティが描いてあり、窓がところどころ割れていたり、帰宅途中の人たちがため息をついていたり、そういう現実の街なんです。
「大森さんのアレンジした<追想>が送られてきたときに思ったんですよ、“ああ、都会に連れてきてもらった”って(笑)。<夕まぐれ>はもうちょっと抑え気味だったんです。私としては次もそれくらいのイメージでお願いしたつもりだったんですけど、帰ってきた返事で“今回は思いきりやりたい”と書いてあって。ただ、聴き直してみると、一番おもしろいかもとは思いましたね」
――寺尾さんの社会的な関心とか、書いている文章とかを見ていると、もっといろいろと音楽にも広がっていける可能性があると思ってるんですよ。建築家の坂口恭平さんや、新作のアルバム・ジャケットも担当している写真家の石川直樹さんとの交流もそうだし。それを「寺尾紗穂の音楽はこういうもの」という考え方が作り手も聞き手も縛ってしまうのが一番つまらないじゃないですか。だって、大森琢磨さんは
ロマンポルシェ。のトラックも手掛けている人でしょ? 普通だったら寺尾さんとロマンポルシェ。の組み合わせが一番ありえないじゃないですか!
「そうですね(笑)。今回私がやったことは、普通は電子音ではあんまりやらないかたちなのかとも思うんです。ピアノつきの歌の活き活きした部分と電子音を合わせる。だから音としてはリズムが一定じゃないから、トラックを作る人にもいちいち直してもらってるんですよ。そういう不自然さも部分的にはあるんですけど、そこをどう聴いてもらえるかなというのは気になってます」
――でもそれはゲストのみなさんにもチャレンジだったんじゃないですか?
「ああ、そうですね。<富士山>とか長い曲だし大変だったでしょうね(笑)」
――その甲斐あって「富士山」はめちゃくちゃに素晴らしいですけどね。最後に、『残照』と『青い夜のさよなら』の間には、やっぱり3・11があって。そのことの影響はどう受け止めていますか?
「やっぱり<私は知らない>の話になるのかなと思うんですけど、3・11以降にあの曲をやることにためらいを覚えている時期もあったんです。だけど、そこで切れてる問題じゃなくて、その前からあったことなんだよと、ずっと伝え続けていかないといけない。そういう断絶があったからこそ、その前のことに思いを巡らせようととずっと言っていくためにこの歌は歌い続けていかないといけないと思ってます」
取材・文/松永良平(2012年5月)