――ソロ・アルバムは、デスキャブの近作よりも素朴なサウンドになっていますね。
「今回はとにかく、各曲をできるだけストレートに捉えたかった。僕の意見では、最近プロダクション技術が均一化されてきてる気がするね。どんどん個性がなくなってきていて、たとえばインディ・ロックだと、何にでもリヴァーブがかかっていたり、全部コンピュータで音がいじられていたり、とにかくその時のトレンドに左右されがちだ。もちろんそれがいい場合だってあるし、技術として人が使いたいなら使えるものもある。ただ、僕はむしろそういうのから離れたかった」
――あなたは本作について「僕の人生の小さなフォトブックみたいなもの」と形容しています。収録曲に登場する、リリーやダンカンといった人たちは、具体的に顔が思い浮かべられるような実在の人物なのでしょうか?
「これはずっとそうなんだけど、曲の登場人物は、その曲の中でこそリアルなんだよ。その名前で書かれた人物が現実において存在してるかどうかは重要じゃない。ソングライターとして、僕は曲というメディアで人生を捉えて形にしてる。だからレディ・アデレードっていう女性が実在するかどうかより、その曲において存在することの方に価値があるんだ。モデルがいるのか、それとも僕が作り出したキャラクターなのかはほとんどどうでもいいんだよ。だって、彼女はその3分の曲の間ではリアルな存在なんだからね」
――なるほど。「ティアドロップ・ウィンドウズ」では、スミス・タワーという建築物が主人公になっていますね。
「シアトルにあるスミス・タワーは1914年に建てられて、30年代までは西海岸で一番高い建造物だった。ニューヨーク以外では唯一の高層建築で、建物としても本当に美しいんだよ。堂々としてて威厳があって、スペース・ニードルができるまでは、シアトルのスカイラインにおける宝石的な存在だったんだ。今は、映画でシアトルが出てくる時は絶対にスペース・ニードルが映されるから、みんなシアトルと言えばスペース・ニードルと思ってるけど、僕は、個人的にずっと愛してきたスミス・タワーについて曲が書きたかった。見過ごされてしまった素晴らしいものについてね。この曲が、スミス・タワーがもうちょっと見直されるきっかけになればいいんだけど」
――「ブロークン・ヨーク・イン・ウェスタン・スカイ」は古い曲だそうですが、2人で同乗していた車から自分だけ飛び降りて取り残されるような別れの気持ちは、曲を書いた当時のあなたが実際に体験したものなのですか?
「あれは取り残されるというより、2人で乗ってる車から衝動的に自分が飛び降りてしまう気持ちなんだ。怖くて、そこにいたたまれなくなって、相手の気持ちや後先も考えることなく、とにかく逃げ出してしまう……それがどういうことかも考えずにね。ある意味ものすごく臆病で、情けない行動なんだけど、恋愛においてそういう心情になる瞬間は誰にでもあると思う。僕が好きな映画
『ファイブ・イージー・ピーセス』(70年)のラスト・シーンでは、ガソリン・スタンドで、
カレン・ブラックが車で待っているのに、
ジャック・ニコルソンはたまたまそこに停まってたトラックの運転手と話して、そのトラックに飛び乗り、彼女を置き去りにしたまま何も持たずに行ってしまう。この曲にあるのは、あれと同じ恐怖感、子供っぽい衝動で、すべてを放り出して逃げ出してしまうフィーリングだ。思い当たる人には思い当たるんじゃないかな」
――わかりました。さて、本作のリリースにともなってソロ・ツアーも行なわれますが、単身での来日公演の可能性はありませんか?
「もちろん、日本にも行きたいよ! うまくスケジュールが合うといいな。日本でプレイするのはいつだって楽しいからね」
取材・文/鈴木喜之(2012年10月)