坂本慎太郎、2013年最初のリリースは、シングル
「まともがわからない」。なんと、テレビ東京系で1月11日(金)から放映開始される深夜ドラマ『まほろ駅前番外地』(
瑛太&
松田龍平主演、
大根仁監督)のエンディング・テーマで、劇中で使用されるサウンドトラックもすべて坂本が担当するという。しかも、時代の中で揺らぐ人間たちの気分を直感的に言い当てる言葉選びの鋭さは変わらずに、メロディやアレンジはポップでメロウでソウルフルであることをますますおそれなくなっている。地上波の連続ドラマでこの曲があの歌声で流れると想像するだけでぞくぞくさせられるのだ。その新曲のエピソードを中心に、坂本慎太郎の初ソロ・アルバム
『幻とのつきあい方』発売からの1年と今見えている景色を探ってみた。
――今回の取材は、シングル「まともがわからない」についてのものなんですが、その話を聞く前に、初のソロ・アルバム『幻とのつきあい方』以降、この1年の話から振り返っておきたいと思うんです。あのファーストのリリース時に僕も
「CDジャーナル」本誌で取材させていただいて、他にもいろいろなところでインタビューを目にしたんですが、坂本さん自身がまだ作品の手応えに半信半疑というか、みんな本当に褒めてくれているんだろうかというようなニュアンスの受け答えが結構あったのが印象的なんですよ。
「自分ではすごくいいのが出来たと思ってたんですけどね。部屋でひとりでこもって試行錯誤しながら作ってるときに“果たしてこれが受けるんだろうか?”と思いつつ、結局、自分の欲求に邁進して作った感じだったので、人にはわかりにくいかもという印象が同時にあったんですよ。特に外国では受けないだろうと思ってましたね」
幻とのつきあい方
――え? でも、ニューヨークのCDショップでもあるOTHER MUSICのレーベルから海外盤が発売されましたよね。『How To Live With A Phantom』の英題も秀逸でした。
「そうなんですよ。あれはびっくりしました。意外と伝わってるんだなと思いました」
――あのアルバムが出たあとかな。知り合いから「もっとああいうサウンドのレコードってない?」って聞かれたことがあって。彼が、自分が求めてるサウンドを“インナー・ファンク”って表現してて、おもしろいなと思ったんです。スペーシーで派手なファンクとは逆の、
シュギー・オーティスとか70年代初期の
スライ&ザ・ファミリー・ストーンみたいな、内にこもったモコモコ感の強いファンクのイメージだったんですけど。
「その言い方はすごくいいですね。僕、20歳くらいの頃、スライの
『フレッシュ』がすごく好きだったんですよ。他にもああいう感じのもっとないかなと思ってレコード屋さんでいろいろブラック・ミュージックを試聴してみても、やっぱりあんまりなくて。
ファンカデリックとかを薦められるんだけど、やっぱり全然違う。むしろ
CANとかのほうが近い感じがしてました」
――確かにCANのほうが質感が近いですね。
「最近になって発掘物で、そういう“インナー・ファンク”っぽいマイナーなレコードが出てきてるじゃないですか」
――リズム・ボックスを使ったマイナーなソウルだけ集めたコンピレーションも出ましたよね。
――あの『パーソナル・スペース』はシカゴのNumero Group系列のレーベルから出たんですよね。ああいう音がこの時代に発掘されて注目を浴びるタイミングと、坂本さんのアルバムはじつはサウンド的にシンクロしていたんだなと思ってました。
「ああ、そうですね。Numero Groupの作品を僕は割とよく買っていて、他にもすごく好みの再発が多いんですよ。こないだそのレーベルの人が僕のアルバムを気に入ってるというのを伝え聞いて、すごくうれしかったですよ」
DUMP / NYC Tonight
――2012年6月に発売になった
ヨ・ラ・テンゴのベーシスト、ジェームス・マクニューのソロ・プロジェクトであるDUMPの12インチ「NYC Tonight」(ハードコア・パンク・ロッカー、
G.G.アリンのカヴァー)で、今年坂本さんが担当したリミックスも、すごくメロウな“インナー・ファンク”だと言えると思います。
「最初、DUMPの新曲だってジェームスがファイルで送ってくれて、気に入って聴いてたんですよ。そしたら、しばらくしてPRESS POPという会社の人から、“ジェームスのあの曲を12インチにして出したいので、B面でリミックスやってもらえませんか”って依頼がきて。それでやったんです」
――あのB面の坂本さんのリミックスは素晴らしかったですよ。
「あれは自分でも気に入ってます」
――DUMPのヴァージョンは部屋の中にいて窓からニューヨークの夜を見てる感じなんですけど、坂本さんのリミックスは物思いをしつつもちょっと街に出ている感じがあって。
「結構ベタなことをしてるんですよ。雑踏の音を入れて、サックスが入るというのは思い切りベタですよね(笑)。でも、そういうのをやってみたくなる曲でした」
――ベタというか、ポップというか、そういうものに対する躊躇は、それこそ
ゆらゆら帝国の後期あたりから、どんどんなくなってきてるように僕には思えます。
「そういう躊躇は前からないつもりだったんですよ。自分の中ではポップなものが好きというのはずっと昔からあります。でも、昔だったら、ギャグにしようというわけじゃないけど、“あえてこういうことをしました”という言い訳を用意したでしょうね。
『空洞です』の頃にサックスを導入したときは、自分にとって一番の禁じ手を使ったようなニュアンスで説明してたと思うんです。今はもうそういう感じはまったくなくて、心の底から、いいと思ってやってるんですよ」
――その「NYC Tonight」を経て、いよいよ待望の新しいシングル「まともがわからない」なんですが、これが素晴らしくメロウでソウルフルで。ピアノのイントロにしても、ベタと言えばベタじゃないですか。でも、あれが正解だと思える。坂本さん、ここまでやっても全然大丈夫じゃん、って思いました。
「ドラマのエンディング曲になるという前提でしたからね。セリフに被りながら流れてくるんだから、ベタにピアノから始まって一番盛り上がってきたところでバーンって歌が始まって、エンドロールが流れる、みたいなのをやりたくて(笑)。だから、そういう感じのアレンジにしたんです」
――いっぽう、歌詞は『幻とのつきあい方』での、震災によって世の中のあやうさが全部あらわになった感じの世界観からさらに一年が経って、あやういはずなのに現実と実感が切り離されてふわふわしてしまっている感じを言い当ててる気がするんです。まっすぐ歩いてるつもりでも、なんかふらついている、そのよりどころがわからないというか。
「このフレーズは曲を作るときにパッと出てきたんです。これに関してはドラマの内容に引っ張られたというよりは、自分の今の感じをわかりやすくストレートに言った感じで。結果的にそれがドラマの内容ともリンクして、うまくはまりました」
――その“今の感じ”というのを、もうすこし言葉にするとどうなります?
「いや、もともとエンディング・テーマをやると決まったときは、ドラマ用に曲を作って誰か別の人に歌ってほしいなと思ってたんですよ。でも、結局自分で歌うことになった。自分で歌うとなると、やっぱり難しいんですよね。自分が歌う言葉は“ドラマのために完全に作詞家として作りました”というわけにはいかない感じがある。そこで自分は何を歌うのかを消去法で考えていって、“まあ、これだったら歌えるかな”という感じで、あの歌詞になったんです。それに、この曲は4月くらいにはもうできてたんですよ。レコーディングは5月には終わってたし。DUMPのレコーディングも2011年の12月にはもうできてたんです」
――そうなんですか。そんなに早くにできていた曲とは思いませんでした。
「依頼自体は今年(2012年)の1月にもういただいてたんで。ドラマの放送にあわせて出さなくちゃいけなくて、ここまで待ったんです。でも、作ったときは何となくこんな言葉がでてきて、こういう曲になったんですけど、ちょうどリリースの発表をした時期に、石原慎太郎都知事が辞職して新党を立ち上げるとかいうニュースがあったり、解散総選挙とかの騒ぎになったんですよね。だから〈まともがわからない〉というタイトルが、なんとなくキャッチーな感じはしました(笑)。全然狙っていないんだけど、今の時代にはまった感じにはなりましたね」
――このシングルは、次に作るものへの中継点という意識ですか?
「というよりは、『幻とのつきあい方』からの流れの終わりという感じですね。あそこでつかんだレコーディングのパターンがあって、その流れでDUMPをやり、今回のシングルもやったんです。具体的にいうと、ベースを弾きはじめて、自分の作った曲でベースを弾いてアレンジするというおもしろさに目覚めて、しばらくやってきたんですけど、ちょっとそのやり方に慣れてきてしまってるというか。これはここでひと区切りにして、次はまた何かちょっと違うことをやりたいなと思ってます。果たしてできるかはわからないんですが」
――でも、今回のシングルには新しい面もありますよね。シングルのカップリングの「悲しみのない世界」では、さっきもおっしゃってた誰か別の人に歌わせる試みの延長線上というか、Fuko Nakamuraさんとのデュエットになっていて。
「あの曲は完全にドラマの劇中歌として作ったんです。ドラマの中でこれがインストとして使われたり、女性ヴォーカルだけのヴァージョンが流れたりするんですけど、シングルのカップリングにするというんでデュエットにしたんですよね。最初はエンディング用にこの曲を作ったんですよ。エンディングっぽいというか、ちょっとさびしげな感じで。これでいいんじゃないかなと思ったんだけど、脚本を読んだら、もうちょっと元気に終わる感じだったんで〈まともがわからない〉になったんです(笑)」
――依頼を引き受けたのは、ドラマのディレクションが大根仁監督だったというのも大きいですか。
「そうですね。これが全然知らない人で、もっと業界ばりばりの匂いをさせてる人だったら、たぶん、ぴゅーっと逃げたと思います(笑)。大根さんからは劇中音楽も含めて完全に好きにやっていいという話だったので」
――シングルの初回限定版には、その劇中音楽を収録したボーナス・ディスクも付くそうですね。
「サントラはやったことがなかったんでいろいろ発見があっておもしろかったですね。最初はインストだから無限に作れるなと思ったんですが、何を以てよしとすればいいのかよくわからない面もあって。なので、とりあえずインストで聴いてもおもしろそうなものを作ってたんですけど、いざ映像ができてきてはめてみると、やっぱり音の情報量が多過ぎて邪魔しちゃってたり、もっと簡単なやつのほうが映像にははまるんだなというのがわかったり。あと、サントラって完全に何かのために奉仕するという作業じゃないですか。それが今の自分の気分にぴったりきて、楽しかったです(笑)」
――奉仕する作業が気持ち良い、という発言は興味深いです。
「それって、
salyu x salyuのアルバム
『s(o)un(d)beams』(2011年)で歌詞を書いたときに初めて思ったことなんですよ。音楽に限らず、コンビニとか居酒屋とかで一所懸命働いてる店員さんとかでも、それぞれの持ち場でそれぞれの人がきっちり仕事してるのが、すごくすがすがしいなと思って(笑)。自分に置き換えれば、自分のアルバムを作って完成したというのと、自分の得意な部分だけで他人の作品に参加して作るのとでは、できた喜びはそんなに変わらないなというか、これはこれで達成感があるなという感覚なんです。DUMPのリミックスにしても、こうすればジェームスが喜ぶんじゃないかなと思ったり。もちろん自分がいいと思うことをやってるんですけど、曲があって、それがもっとよくなるには自分がどうやればいいのかを考えるのは、すごく楽しいですね」
――しかも、その楽しみが坂本さん自身にとってすごく新鮮なものであるというのも大きいですね。
「そういうのばっかりやってるとだんだん物足りなくなってくるのかもしれないですけど、今は結構楽しいですね」
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坂本慎太郎「君はそう決めた」 |
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ママギタァ「Eat You Up / Bunny」 |
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坂本慎太郎「死者より」 |
――「君はそう決めた」や、
ママギタァの「Eat You Up / Bunny」での坂本さんの手描きアニメのPVを見たときにも、その曲に対しての奉仕というか、ものすごいサービス精神を感じました。
「こういうの作ったら絶対おもしろいぞというイメージがあって、それに向かって淡々と作業してる時間が好きなんです。実現するにはコツコツやんなくちゃいけないんですけど、そこがあんまり苦にならないんです」
――あらためてお聞きしますが、『幻とのつきあい方』から始まった坂本慎太郎のソロ活動の最初のピリオドは、ここでまずひと区切りというお話でしたけど、まだこの次は考えられない感じですか?
「次に作るものについて、アイデアのちっちゃいかけらみたいなのは自分の中にできかけているんですけど、かたちになるにはまだほど遠くて。もっと妄想を熟成させる必要があります」
――まだ言わないほうがいいですよね。
「全然説明できないですから(笑)」
――少なくとも、もう何かのかけらが生まれてるんだなというのが僕にはうれしいです。それに、ひと区切りと言っても、「まともがわからない」という曲には、終わりと始まりの両方が感じられる気がします。ちょうど新年の1月からドラマが始まるということもあるし。
「普通にテレビのドラマで流れるのが楽しみなんですけどね。どうなるのかな」
――すごくエンディングにばっちりはまってることは間違いないんじゃないですか?
「いや本当にすごくはまってるんですよ(笑)。できあがった映像を見たんですけど、ちょっと恥ずかしいくらいはまってました」
――変な質問ですけど、ゆらゆら帝国の頃にこういう依頼がきたら、受けてました?
「いや、やってないでしょうね。すでにある曲をそのまま使ってくれるというのは全然いいと思うんですけど、バンドで書き下ろしでというパターンはやってないと思います」
――今の活動のスタンスや心境になっていることも大きいんですね。
「そうですね。バンドのときだと、ドラマの主題歌とかカッコ悪いと思ってたでしょうね。ちょっとロックじゃない、みたいな(笑)」
――早くオンエアを見たいです。みんな楽しみにしてると思いますよ。坂本さんの歌声が地上波のドラマのエンディングで流れるということ自体が、音楽ファンにとっても新しい体験というか、知らない人でもテレビドラマの中から犯されてしまうというか。
「でも、仕事に徹して、ドラマの世界を盛り上げようとしてやってるんで(笑)。すごく溶け込んでいるとは思います」
――最後の質問ですが、『幻とのつきあい方』には、3・11以降の世界との関わり方みたいなものが作品の背景にあったと思うんです。次に作る作品にも、今この時代や社会からの影響みたいなものはあると思いますか?
「あると思いますね。ですけど、何かが起きてそれに対してアクションを起こすとかじゃなくて、日々の生活をしていて感じるもやもやしたものから僕は何かを作ってるんだと思うんです。だから、たぶん、リリースするまでには時間はかかると思うんですけど、そんなに時代とずれたりはしないだろうと。まあ、それは自分が思ってるだけなんですけど」
取材・文/松永良平(2012年12月)