沖縄本島と八重山諸島の中間に位置する宮古島。この島を拠点に、マイペースな活動を続けている4人組ジャム・ファンク・バンドが
BLACK WAXだ。近年宮古の神唄・古謡にアプローチし続けているプロデューサー、
久保田麻琴が参加した1stアルバム
『Naak Nee』(2011年)が広く話題を集めた彼らだが、今回の新作
『Bang-A-Muli』もその久保田がプロデュースを担当。
ソニー・ロリンズの「St.Thomas」や
ジョン・コルトレーンのレパートリーでもあった「Afro Blue」、
ハービー・ハンコックの「Chameleon」といったジャズ・スタンダードに加え、
アントニオ・カルロス・ジョビンの「Wave」をスカ・アレンジでカヴァーしたり、宮古の子守唄「バンガムリ」をメロウにリメイクしたりと、ユニークな内容となった。イスラエルの奇才、ミックスモンスター(ジ・アップルズ)が3曲でダブミックスを手がけことでも注目を集めている本作について、メンバー4人にインタビュー。彼らの所属レーベルであるMyahk Records主宰者であり、宮古音楽シーンの生き字引である下地“P-Boo”学にも一部参加していただいた。
――結成となるといつになるんですか?
Mikio Okuhira(g、三線、ds) 「今のメンバーになってからはまだ半年ぐらいです。BLACK WAXという名前でやり始めたのは4、5年前。最初は自分ひとりで打ち込みでやってて、当時はもっとダブっぽかったんです」
Tetsuya 88 Ogino(b、B-hp) 「ひとりでドラムとベース、ギターをやって、サックスとクラリネットも吹いてましたからね(笑)。そこから共感する人が集まってきて、だんだん今の形になってきたんです」
――MikioさんとMarinoさん、AyanoさんはいわゆるUターン組ですよね。内地で活動されたあと、宮古に対する見方とか思いが変わった部分はありますか。
Mikio 「宮古を出るまで、地元は酒飲みのイメージしかなかったんですけど、内地から戻ってみて、おもしろい音楽を教えてくれる人がたくさんいたことに気付きましたね。あと、オーストラリアにいたことがあって、そのときに1年ぶりぐらいに宮古の民謡を聴いたんですね。そうしたら感動してしまって。(宮古に)住んでるときは何とも思ってなかったんですけど」
Ayano Ikemura(key) 「私は中学を卒業してから15年ほど関西にいたんですけど、(宮古に)帰ってから半年ぐらいしか経ってなくて。なので、いま宮古のことを思い出し中です(笑)」
――15年間、関西にいて、宮古に戻った理由はなんだったんですか。
Ayano 「いや、もう……“BLACK WAXをやりたい”という思いだけで帰ってきました。地元でやっていきたいと気持ちもありましたし」
Marino(sax) 「私は2年前ぐらいに戻ってきて。その前は姉(Ayano)と一緒に仕事をしていて。3.11以降、仕事がなくなっちゃって、絶望して宮古に戻ったんですね。どうしようかと思ってたんですけど、てっちゃん(Tetsuya)は高校が一緒なので、宮古に戻ったタイミングで“おもしろい人がいるから合わせるよ。とりあえず楽器持ってきて”って言われて。それがMikioさんで……宮古を離れていたときは“何もない宮古になんか二度と帰るか!”と思ってたんですけど、今のメンバーや久保田さんなどいろんな人たちと出会えて、“ここでやれることもあるんじゃないか”と思えるようになったんです」
――Tetsuyaさんは大阪生まれなんですよね?
Tetsuya 「そうです。宮古に移ったのは19歳のとき。大阪で音楽をやってたんですけど、いろいろよく分かんなくなっちゃって(笑)、リセットするために沖縄に行こうと。それで最初に行ったのが宮古で、ちょうど大きな台風が来たときだったんですね。すごく大変な状態だったんですけど、宮古の人は“とりあえず、星も奇麗だし酒でも飲むか”なんて言ってるんですよ(笑)。ありえないじゃないですか! ものすごくショックで、それまでの価値観がガラッと変わっちゃったんです。そのときは大阪の定時制高校に通ってたんですけど、宮古の学校に編入して、それからずっと宮古です」
――じゃあ、そのときMarinoさんと同じ学校になったわけですね。
Tetsuya 「そうです。吹奏楽部で一緒になったんですけど、すごく怖くて(笑)」
Marino 「私にしてもてっちゃんとの出会いは衝撃的で。“ワケが分からん関西人が来た!”って(笑)。部室で急にブルースハープを吹き出すし、ひとりで“ワオ!”とか叫んでるし(笑)。“こいつとは友達にならないと!”って思いましたね。てっちゃんには音楽のことをいろいろ教えてもらったんです、本当に」
――ところで、宮古にはBLACK WAXみたいにジャズやファンクをベースにしたバンドは他にいるんですか?
Mikio 「いないですねえ……バンドをやる人は増えてきてますけど」
――どんなバンドが多いんですか。
Marino 「やっぱりロカビリーとサイコビリーですね」
――そこもお聞きしたかったんですけど、昔から宮古はロカビリーが盛んですよね。なぜ宮古にロカビリーが根付いたんでしょう?
Mikio 「自分が思うのは……リズムが民謡と似てるからじゃないですかね。どっちもシャッフルで、ブギウギみたいなノリがある。P-Booさん、どうですか?」
下地“P-Boo”学(Myahk Records) 「80年代、宮古には本当に情報が入ってこなかったんですけど、東京に行った先輩が“こういうのが流行ってるよ”って教えてくれたり、あとはラジオや『ミュージックマガジン』みたいな雑誌を通じてオールディーズの情報が入ってきたんですよ。宮古にはもともと人と同じもの聴いたりやったりするのを嫌がる気質があるので、“あいつがこれを聴いてるなら俺はこれを聴く”みたいに追いつき・追い越せみたいなところはありました。それで最初にオールディーズが入ってきてからロカビリーに行くヤツがいて、ヒルビリーに行くヤツがいて、ブルースやドゥワップに行くヤツがいて。そのなかでパンクとロカビリーが残ったんですね」
――なるほど。
P-Boo 「さっきMikioが言ったみたいに、宮古の民謡は沖縄や石垣と違って、縦ノリなんですよ。それがロカビリーと合ったんでしょうね。沖縄や石垣はもっと柔らかいんです。僕も13年前に(宮古に)戻ってきて、まだ全然ロカビリーが流行っててビックリしたんですよ(笑)。宮古の中学生はまずロカビリーから音楽を聴き出すんです」
――基本なわけですね。
P-Boo 「そうそう。そこからヒルビリーに行く人もいれば、ブルースに行く人もいる。そうした流れの中からたまに異質な連中が出てくることがあるんですけど、それが彼ら(BLACK WAX)なんです」
Tetsuya 「宮古ではベースといえばウッドベースですからね」
Marino 「学校でもクラスにひとりはウッドベースを持ってる男の子がいますからね。女の子もセーラー服にラバーソウルだし(笑)」
Tetsuya 「中学生がやたらツイストが上手かったり(笑)。
――そういう環境はBLACK WAXの音楽性にも影響を与えてる?
Marino 「あると思いますよ。やっぱりオールディーズを共通して聴いてきてますからね」
Tetsuya 「オールディーズでも“宮古スタンダード”があるんですよ。彼ら3人はそれを普通に知ってるんです」
――今回のニュー・アルバム『Bang-A-Muli』についてなんですが、Mikioさんの自宅の離れのスタジオでレコーディングしたそうですね。
Mikio 「そうですね。馬小屋というか納屋みたいなところで、練習も常にそこでやってて。だから、普段と同じ環境でレコーディングできたので良かったですね。機材も久保田さんに協力していただいて」
――久保田さんとはどういうやりとりをしながら作っていったんですか。
Mikio 「音に関しては久保田さんから“こうやってほしい”みたいな指示はほとんどなかったんですよ。録ったものに関してアドバイスをもらったことはありましたけど、すごく自由にやらせてもらいました」
Tetsuya 「バンドのいい部分を拾ってもらった感じですね」
――みなさんにとって久保田さんってどんな存在ですか。
Tetsuya 「プロフェッサーですね(笑)」
Ayano 「音を通していろんなことを教えてもらってますね。音の柔らかさとかアナログ感の出し方とか。今まで意識したことなかったんですけど」
――それと、イスラエルのミックスモンスターが3曲でダブミックスをやってますね。
Mikio 「ヤバイですよね(笑)」
――彼がやってるジ・アップルズはBLACK WAXと近い部分があると思うんですけど、いかがですか。
Marino 「あまり意識したことがなかったんですけど、共通点があるのかなとは思いますね。テープで録ってる部分であるとか。質感が近いというか」
――今回はカヴァーが6曲セレクトされてますね。どうやってカヴァー曲は選んでいくんですか。
Mikio 「それぞれがやりたい曲を挙げてみて、とりあえずやってみるんです。で、うまくいかないと自然に誰も口にしなくなる(笑)」
Marino 「アルバムを制作することが決まってから、手当たり次第にジャズのスタンダードをやってみたんです。それで生き残ったのがここに入ってるんですよ。ジャズの教則本をバーッと捲っていって、“じゃ、これ”みたいに選んで(笑)」
――アントニオ・カルロス・ジョビンの「Wave」はスカにアレンジされてますね。
Marino 「これは1作目に参加していたギターのジュンさんが持ってきた曲で」
Mikio 「最初は普通にボサノヴァでやってたんですけど、あまり面白くなくて(笑)。それで遊んでいくうちにスカになりました」
Tetsuya 「みんなが好き勝手にやっていくうちに徐々に固まっていくんです」
――タイトル曲である「Bang-A-Muli」はいかがですか。これは宮古の子守唄ですよね。
Mikio 「話をしながら、誰からともなくやろうという話になったんです」
Tetsuya 「宮古にはものすごい数の唄があるんですけど、そういう曲もやっていきたいと思っていて、最初はみんなが知ってるものをやろうと。宮古の人だったらこの唄は誰でも知ってるんですよ」
――宮古の曲は他にもやってるんですか?
Mikio 「昨日のライヴでは久保田さんと〈クイチャー〉をやりましたね」
Tetsuya 「昨日いきなり歌わされたんですよ(笑)。ヴォーカル・デビュー。ものすごいストレスで……神経性胃炎になるかと思いました(笑)」
Marino 「それにしてはものすごい派手な動きをしてましたけど(笑)」
――今後の活動に関してはどんなイメージを持っていますか。
Mikio 「海外でやってみたいですね……」
Tetsuya 「僕は昔からペルーでやってみたいんですよ。あとはアナログを作りたいんですよねえ」
――いいですね! 「Wave」の7インチ、欲しいなあ。
Tetsuya 「それ、欲しいです!(笑)」
取材・文 / 大石 始(2013年6月)