『CDジャーナル』本誌7月号表紙を飾る、
氷川きよしの写真を目にした時のこの人の反応が、なにしろごきげん。「なりたいですよね。氷川さんみたいな存在に。演歌というジャンルを飛び越えて、幅広い聴き手の方たちから愛されているでしょう。歌のスタイルこそ違いますけど、僕もそういう境地を目指していきたいなと」。聞けば、ヴィジュアル系バンド“
彩冷える-ayabie-”の看板ヴォーカリストとして国内外で人気を博していた頃から、「日本語が好きで、歌謡曲が好き」。そんな“和”のマインドは、変わらず持ち続けてきたのだそう。実際、最新シングル「
秘すれば花」に収録されたどの曲も、五十音をいつくしむような、ていねいな発音発声が耳を惹く。“日本の歌”が好きだったら、食わずぎらいしては損ですよ、おのおのがた。
――今回のシングルはもとより、バンド時代の作品を聴いても、滑舌がすごくきれい。正直驚きました。
葵-168-(以下、同)「うれしいです。“彩冷える-ayabie-”時代から、言葉のひとつひとつが聴き取れるように、口の開け方から意識して、レコーディングに臨んでいたものですから。歌をどう表現するかは、人によってさまざまだと思うんですけど、僕の場合、聴き手の立場であっても、選ぶのは言葉がきちんと“聞こえてくる”人たち。なにを言っているのかわからないのは、歌として魅力がないと思ってきたので」
――そういう姿勢って、いわゆるヴィジュアル系の歌唱法とは、相いれないものですよね。
「なので、バンド時代はそれなりに葛藤がありました(笑)。もちろん、メンバー5人、それぞれ違う考え方がある。そのぶつかり合いあってこそのバンドという自覚もあったんですよ。ただ、僕が作詞して歌っていたので、作曲したメンバーと、符割りの面でお互いの主張が相いれない場合も、ないではなかった。今はソロでやっているので、自分がやりたいように表現すると、おのずと滑舌に気をつかうようになってきますよね」
――歌い手・葵がどうやって育まれてきたのか、興味が湧くんですが。
「亡くなった父が、歌舞伎役者をやっていたことがあるんです。一時期ですけど。かと言って、僕自身なにか芸事を習わされたわけではないんですが、自然にそういう話を耳にすることが多かったし、思い返してみれば、実家では歌謡曲がよく流れていた」
――じゃあ、音楽を志したのは……。
「それがだいぶ遅くて、20代になってからなんですよ。高校時代は、スポーツ進学校でサッカーをやってました(笑)。あいにく体を壊してしまったせいで、大学進学する代わりにロサンゼルスに留学して、鉄板料理を勉強したりしたんですけど」
――なかなかヴィジュアル系にたどり着かない(笑)。
「アメリカ式の鉄板料理って、パフォーマンスの要素が大きい。割ったタマゴの殻をハットの上に乗せたりとか(笑)。そこで多少ステージ意識が芽生えたのかな。でも、それ以上に“日本語意識”が高まったことのほうが、今考えると大きかったですね。英語ってオープンだけど、日本語が持つ柔らかさや、深みのようなものが感じられないんですよ。少なくとも、僕にとってはそうでした。
帰国してバンドを始めてから、ライヴを観に来てくれた父にアドバイスされたことがあるんです。“ヴォーカルに大事なのは、言葉とリズム感だ”って(笑)。当時はなに言ってるのかさっぱりだったけど、振り返ってみると、すごく核心を衝いた言葉だったなあと」
――最新シングル曲の「秘すれば花」は、そんな葵さんの作品としても、“和”と“歌謡曲”の感覚に、より深く踏み込んだ曲ですよね。
「故・
井上大輔さんの事務所の方とご縁ができて、井上さんが残した未発表曲のデモ・テープを、聴かせていただく機会に恵まれたんです。昭和歌謡史に残る大作曲家の作品ですから、どの曲もインパクトがあったんですが、中でも〈秘すれば花〉は衝撃的だった。どこを取ってもサビに聞こえて、かえって違和感を覚えたくらい。女性目線で歌うというコンセプトも、メロディが持つ強さに引き出される形で、自然に生まれてきました」
――葵さんが書いた歌詞もインパクトがあります。“わたしの心の奥は あなたには 地獄よ”とか。
「“地獄”なんて言葉、実生活では言ったことも言われたこともない(笑)。昭和の歌謡曲って、人と人とのかかわりを深くえぐるようなところがありますよね。僕は平成の歌い手ですけど、あえて踏み込んだ表現で歌ってみようと思った。女性目線に立って歌うのがとにかく難しくて、昼ドラのDVDを観てみたり、メンタル・トレーニングにはけっこう苦労したんですけど」
――“かごめかごめ”という、わらべ唄の一節が引用されているのも印象的です。
「今の日本って、人間関係をなるべくあたりさわりなくしていよう。相手に一歩踏み込もうとしたら、嫌われてしまうかもしれないから。そういう、見えない自己規制が強い気がするんです。僕自身も含めてですけど。“うしろの正面だ〜れ”と言われて、それでも自分を隠すのか、さらけ出していくのか。“かごめかごめ”を引用することで、女性の捉えがたいこわさと同時に、そうした含みも持たせたかったんですよね」
取材・文/真保みゆき(2013年7月)