浜田麻里 デビュー30周年記念盤『INCLINATIONIII』INTERVIEW

浜田麻里   2013/08/08掲載
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 先頃放映された生番組『FNSうたの夏まつり2013』での圧倒的歌唱と優美なたたずまいが、さまざまな世代の音楽ファンの間で話題となった浜田麻里。過去、10年を経るごとにその時代を総括した『INCLINATION』という作品をリリースしてきた彼女だが、この8月7日には、同シリーズの第3作が登場している。つまり、メタル界のアイドルとして音楽シーンに登場したあの頃から、すでに30年が経過しているということだ。そんな彼女がこだわり続けてきたものについて聞くのと同時に、今回は、今だからこそ許されるはずの質問もいくつかぶつけてみた。
――まずは何よりも、デビュー30周年おめでとうございます。
 「ありがとうございます。振り返ってみると早くもあったんですけど……そこそこ頑張ってきたなという気持ちもありますし、やっぱり嬉しいものですね。特に私の場合、いわゆるロールモデル的な人がいなかったので、いつも自分で行く先を決めて暗中模索というか試行錯誤というか(笑)。そういう感じでやり続けてこられたのは誇らしい部分でもあります。それでも時代時代で応援してくださる方たちがかならずそこにいてくださって、だからこそ常に“次も頑張ろう”と思いながらやってこられたというのもありますし」
――作りたいものが常にあったからこそ、という部分もあるはずですよね?
 「それはあると思います。常に新しいものを作りたいというのもありますし、永遠に自分に満足することがないというか。それでもやっぱり忙しさにかまけて、日々の仕事をこなすだけで精いっぱいで、創作という部分での時間がなかなか取りづらかった頃に、俗に言うバーンアウト症候群的な状態になってしまったこともあったんです。ただ、止めようという気持ちは皆無でした。自分には歌うことが天職なんだろうと思えてしまうぐらい、子供の頃から歌うことしか考えてこなかったので。だからこそ続けてこられたんだと思うんです」
――歌うことが天職。そんなふうに自覚し始めたのはいつ頃のことだったんですか?
 「本当に子どもの頃からですね。アマチュア・バンドで歌い始めた頃、それはむしろ趣味に近かったんですよ。でもスタジオ・シンガーとしての部分で、自分はプロだと思っていて。そういう自覚が15歳ぐらいのときからありましたね。TVやラジオから自分の歌うCMソングとかが流れてくるのが当たり前のような感覚だったので、これが自分の仕事になっていくんだろうなと思っていました。もちろん将来的にロック・シンガーになるのかどうかとか、そういった未来までは見えていませんでしたけど」
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――つまり、30周年どころではない歴史がある。そして今回リリースを迎えたのが『INCLINATIONIII』。ディケイドごとにこうして総括するのが恒例になっていますが、ここ10年というのは麻里さんの歴史のなかでどんな時期だったと考えていますか?
 「このひとつ前の『INCLINATIONII』の時代というのが、ライヴ活動を休止していた時期にあたるんですね。で、この『III』の時代に入ってから、またライヴを精力的にやるようになって。そういう意味では、ライヴで歌う自分というのが軸にありつつ創作活動を重ねてきた時代、という言い方ができるんじゃないかと思います」
――近年では方向性としてヘヴィさ、ダークさが強まってきていますよね? それもやはりライヴ活動再開と無関係ではないはずだと思うんですが。
 「それもあるでしょうね。ただ、何がそうなった要因かというと、やっぱり社会背景だとか……。あとはシンガーとしての自分の積み重ねのなかで、自然にそう導かれたような部分というのもあったと思います」
――たとえば最新オリジナル作にあたる『Legenda』の完成当時には、現代社会の閉塞感とか、震災後の空気感といったものからの影響も少なからずあったと認めていましたよね? しかし今になってみて興味深いのは、ここに収められた、もっと以前に作られた楽曲群についてもメッセージ性の部分で共通性が見いだせるところで。
 「そこを軸にして選曲したというわけではないんです。ただ、基本的に私の書き方が変わっていないんで、そこで結果的に一貫性のようなものが出ることになったんでしょうね。ライヴでやってみて自分のなかに好感触の残っている曲、単純に代表曲だと思えるものをセレクトしていったら、自然にこういった内容になったんです」
――そのなかに新曲が2曲と、「Ilinx」の再録ヴァージョンが加えられています。この曲を録り直そうと考えたのはどういった理由からだったんでしょうか?
 「あの曲に関しては、リリースして少し経ってから、もうちょっとテンポ・アップするとより良くなるかなという感触があったので、すぐに再録が決まりました。もう1曲ぐらいリメイクするつもりだったんですけど、他の曲についてはそれぞれ当時から頑張り過ぎていて(笑)、もはや完成されてるかなと思って。改めて録り直したくなるような曲が他にはなかったんです」

――そして作品の冒頭に収められた新曲の「Historia」は、ライヴの幕開けにも相応しいイントロダクションに導かれて始まる曲。
 「やっぱり近年の曲では、ライヴのことがどこか意識にあります。最近、よく作曲で一緒にお仕事をしているギタリストの岸井(将)君が、私のライヴを何本か観たうえで“こういう曲を是非ライヴで”と思ったようで、そんなところから彼のアイディアが出てきたんです。ただ、歌詞的には、実はかなりアイロニックなところもあって。直接的な書き方ではないのでわかりにくいかもしれないですけど、かなり風刺的な内容でもあるんです」
――ええ。圧倒的なヴォーカル・パフォーマンス自体にまず耳を奪われてしまって、その風刺性にはあとから気付かされるようなところが実際あります。この歌詞、かなり強烈ですよね。具体的な内容については触れずにおきますけど、“個性のない製造物”たちのことが歌われていたりする。
 「はい(笑)。他の誰かとは違った自分でありたいという思いがあるのと同様に、他人が書けないようなことを書きたいというのがあるんですよね。ただ、刺々しく暗く終わってしまうのではなく、やっぱり何か救いというか、そういった部分が最終的にメッセージとして残ればいいなと思いながら書いているんですけど。なかなか口では言えないことを歌詞にしているという部分もありますし、ちょっとおこがましいですけど、こういったことに気付いて欲しいなという気持ちもどこかにあると思います」
――もうひとつの新曲、「Mirage」は質感的にもかなり対照的な曲。
 「ええ。ホントに昔からのお付き合いの大槻(啓之)さんの作曲なので、意思疎通というのは初めからできていますし、アレンジとかそういう面でもラクでしたね。ちょっと新しい感じの曲でありつつも、エッジの立った感じにしたかった。そこでアメリカのミュージシャンをリズム隊に起用してみたり。ここで歌っているのは、普通の愛情とかではなく心の深層にある狂気というか、愛憎のなかの狂気みたいな……」
――情念を感じさせるものになっていますね。精神性とか哲学とか、そういった匂いのする歌詞の割合というのが近年はとても高くなっていますよね?
 「90年代ぐらいから詞を書く部分というのが自分のなかですごく強くなってきて。それ以前はあくまでヴォーカリストという部分が前面に出ていましたけど。同時にやっぱり人間としても大人になってきて、いろんな経験もしてきたなかで、精神分析とか哲学的なものにもすごく興味を惹かれた時期というのがあったんですね。その種の本をたくさん読んでみたりとか。そのへんで蓄積されてきたものが歌詞のモチーフになっていたりすることも多いんじゃないかと思いますね。ちょうどライヴ活動をしてなかった『II』の時期にあたる頃のことです。ライヴ活動をやらなくなったことで確保できるようになった時間で、いろいろ溜められたものというのがあって。歌詞を書く自分としてもそうですし、音楽制作者としてのノウハウもたくさんその時期に得られたので。だから『III』の時期からは、それをうまく使えるようになったという部分があると思います」
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――そう考えると『I』『II』『III』というそれぞれの時代に、違った意味合いがあった。『I』は、さきほどの言葉を借りれば試行錯誤というか。自分が本当にやりたいことを見つけるための10年でもあったのではないですか?
 「デビュー直後とかはやっぱりすごくいろんな闘いがありましたけど(笑)、その時期を抜けてからは、ほぼ自分の好きなようにやらせてもらえてましたね。もちろん外から来るタイアップとかそういったお話については、自分本来の考えの少し外側にあるようなものもありましたけど、取り込める範囲内でした。だから、やりたくないことをやったというのは……ごく初期以外にはないです(笑)。たとえば“ポップになった”と言われた時期というのも、ポップになろうとか売れ線で行こうとか、そういった気持ちはまったくなかったですし。やっぱり周りにいろんなことを求められるようになって、それに応えていくうちに自然に幅が広がってきたというか。でもいちばん大きかったのは、日本で日本のミュージシャンたちとアルバムを6枚作ってきたあとで、7枚目からはアメリカに制作現場を移して、まわりはみんなアメリカ人という環境で作るようになったこと。それが音楽性を変化させた最大の要因だったと思っています」
――そもそもアメリカで制作をするようになったのは、自分が聴いてきた音楽に近付きたいといった動機からでもあったんでしょうか?
 「いや、それよりも単純にクオリティの向上を目指したかった。もっとそれに繋がる場というのがあるんじゃないかというのが大きかったです。日本でハード・ロックの世界のいろいろな方々と一緒にやらせていただいて、世界である程度やれるところまでのレヴェルには到達できたんじゃないかというのもあったんですよね。そこでより向上していくために、何か新しいものに触れたいというのがありました。やっぱり若かったですから(笑)。日本でも松本(孝弘)君をはじめ本当に素晴らしいメンバーたちと作ってきて、べつにそこに不満があったというわけではないんです。だけど自分のなかにある自分でも知らないような部分というのをプロデュースしてくれる人というのが、どこかにいるんじゃないかというのがあって……。そこでアメリカ人のプロデューサーという存在に憧れみたいなものを抱いていた部分もあったのかもしれませんね」
――浜田麻里というアーティストを知らない人たちが何を引き出してくれるか。そういった興味や好奇心があったわけですね? そこでマイク・クリンクとの出会いなどもあった。
 「ええ。結果として彼らから何が引き出されたのかというのを口で言うことは難しいんですけど、そういう環境に身を置くことで気持ちが柔らかくなって広がっていったというのはあると思います。正直に言うと、自分が求めていたプロデューサー像というのをアメリカで見出すことはできなかったんです。ただ、すごく勉強にはなりました」
――気持ちが柔らかくなった、というのはどういう意味でしょうか?
 「別の言い方をすれば、視野が広がったというか。やっぱりそれまでは“自分はヴォーカリストとしてこうあらねばならないんじゃないか?”とか、そういった意識が強かったんです。だから正直、初めの6枚の時代に持っていた、悪い意味での頑なさみたいなものが、アメリカに行ってかなり柔らかくなったと思います。あとは自分を俯瞰して見られるようになったところも大きいと思いますね」
――せっかくの機会ですから改めてお聞きしますけど、さきほどの発言からすると、初期はやっぱり不本意なこともやらざるを得なかったところがあったんですか?
 「というか、本当に些細なことなんです。今さら言うのも恥ずかしいような(笑)」
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――たとえばデビュー当時は、「麻里ちゃんはヘビーメタル」という糸井重里さんによるキャッチ・コピーとともに、アイドル的なイメージでありながら激しいロックを歌うというギャップが強調された登場の仕方でしたよね。それについてはどうでしたか?
 「そこに不本意さはなかったです。自分でやりたくて始めたことだし、そういうイメージでのデビューも嫌ではなかった。ただ、それを実践しようとしたときに“麻里ちゃんはヘビーメタル”という言葉になるんだな、という驚きはありましたけど(笑)。実際、事務所にスカウトされてレコード会社が決まった頃というのも、ハードな曲を歌っていながら普通の学生のルックスをしていて、そのギャップがまわりの皆さんには驚きだったみたいなんです。それがああいった売り方に繋がっただけのことなので、自分としてはどこにも偽りはなかったし。ただ、ハード・ロックやヘヴィ・メタルが好きではあっても、それがどういうものなのかをしっかり語れるような詳しいファンではなかったので、そこで縛られ過ぎるのは重荷にもなりましたね。自分としては洋楽的なニュアンスのあるハードなものを歌っていきたいと思っていただけで、特定のジャンルにこだわっていたわけではないので。とにかく新鮮で溌剌たるヴォーカリスト像を私の中に見い出していただきたくて、がむしゃらでしたね。だから私の意に反して男性誌のグラビアなどのお仕事を積極的に進めようとしたスタッフとはお別れすることになりました(笑)」
――実際、本当にジャンルにこだわるような活動を望んでいたら『I』の時代だけで活動が終わっていたかもしれない。しかも『II』の時代の活動形態にこだわり過ぎていたら、現在に到達するのは不可能だったように思います。
 「自分でもそう思います。もちろん他にもいくつかやり方はあったはずだと思いますけども、自分の選んできたやり方も、たぶん正解のひとつだったんだろうなと思います」
――さて、この11月には30周年にちなんでのアニヴァーサリー・ツアーが控えていますけども、これはどんなものになるんでしょうか?
 「具体的にはこれから考えるところなんですけど、やっぱりどこか集大成的なものにするべきなんだろうな、と。でも、なかなかむずかしいんですよね、あまりにも曲が多過ぎて(笑)。懐かしめの曲もやるつもりではいますけど、あくまで未来の私が見え隠れするようなものにしたいというのもありますし」
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――来年4月には早くも東京国際フォーラムでの記念公演が決まっていますし、併せて楽しみにしていたいと思います。ところで、今現在、ファンに求められている活動形態というのはどんなものだと考えていますか? たとえばこれまでTV出演についてはやや拒絶的なところもありましたよね? 「一度出てしまうと常にそれを求められるようになる」というような発言も耳にした記憶があります。
 「ええ。実際ずっとそういう考え方だったんです。ただ、今はちょっと方向を模索しているところがあって。90年代の半ばくらいからTVには一切出てこなかったですし、そういうやり方を頑なに守ってきたんですけども、今回は30周年ということもありますし、この時期だけはもう少し柔らかめに考えてもいいのかな、と。スタッフと話し合ってそう決めました。だから20年ぶりにTVに出ます(冒頭に記したように7月31日に放映された『FNSうたの夏まつり2013』に出演 / この取材はそれ以前に行なわれたもの)。どうしてもTVとなると昔のヒット曲を求められるところもありますし、そこにまったく葛藤がないと言ったら嘘になるんですけどね。でも、たまには自分が想像できないような未来というか、そういうものにトライしてもいいかな、と。そういう時期というのが過去にも何度かあったなと気付かされて。きっと自分は今、そういう時期にあるんじゃないかなと思うんです。1年後にはまた考え方が違ってると思うんですけどね(笑)」
――確かにTVで求められるのは昔のヒット曲かもしれませんが、それが視聴者の「今はどんな活動をしてるんだろう?」という興味に繋がれば何も悪いことはないと思いますよ。
 「そう言っていただけて良かったです(笑)。基本はアルバムとライヴ、もうそれだけでいいと思っているんです。ただ、先駆してきたという自覚のある人間としては、そこで新たなシンガー像というか、そういったものを最終的に遺していければいいなという気持ちもある。そういった意味でも、自分を俯瞰して見られるようになったのはすごく大事なことだなと感じているんです」
取材・文 / 増田勇一(2013年7月)
撮影 / SUSIE http://www.susie-photobook.com/

【浜田麻里 ツアー情報】
30th Anniversary Mari Hamada Live Tour
11月1日(金)広島クラブクアトロ
11月3日(日)ZEPP FUKUOKA
11月8日(金)ZEPP NAMBA
11月10日(日)ZEPP NAGOYA
11月16日(土)ZEPP TOKYO
11月24日(日)ZEPP SAPPORO


30th Anniversary Mari Hamada Live Tour Special
2014年4月27日(日)東京国際フォーラムホールA
※チケット一般発売:12月8日(日)10:00〜各プレイガイドにて

MARI FAMILY Official Site
http://www.mari-family.com/


徳間ジャパン / レーベル・サイト
http://www.tkma.co.jp/j_pop/hamada/
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