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『Song for My Mother〜思慕』等ジャズ作品で文化庁芸術祭に三度目参加 レーベル代表インタビュー

2022/11/22 12:49掲載
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 ラッツパックレコードは、1981年に棚橋牧人が東京で設立した会社です。日本国内外のインディーズレーベルから発売される音楽ソフト全般の流通・卸売業を主な業務として、40年以上の永きに亘り今も続いています。

 2009年、富樫雅彦の遺作バラード集『My Wonderful Life』発表を皮切りに、社内に一つのレーベルが発足。Ratspack Eyesです。会社の主な業務である卸売業とは別の、もう一つの主軸として、自社から良質な音楽を発信すべく立ち上げたそれはマイペースにリリースを続け、各方面から一定の評価を得ます。しかしながら、制作からプロモーション、販売まで全て自社で賄っており、まだまだ広く一般に知れ渡っていないのが現状です。

 2022年発表の『Song for My Mother〜思慕』が、同年の文化庁芸術祭参加作品として取り上げられました。伝統芸能やクラシック音楽中心のノミネートが多い中、ジャズ / ポピュラー音楽の参加は非常に珍しいですが、その中に違和感なくおさまるのは、作品またはレーベルカラーに「伝統芸能」や「日本」というキーワードが見え隠れするからではないでしょうか。Ratspack Eyesとは何なのか。代表の棚橋に改めて話を聞き、一つ一つの作品をふりかえることで、作品を通してレーベルが発信するテーマを浮き彫りにしたいと思います。

 最初に、令和4年度(第77回)文化庁芸術祭の参加作品として承認された最新作『Song for my mother〜思慕』について伺うところから、話を始めることにします。

[レーベル代表 棚橋 インタビュー]
[『Song For My Mother〜思慕』(RPES-4867)増尾好秋、佐藤允彦、山下洋輔、豊住芳三郎、稲垣次郎、坂田明、大野俊三
――「母に捧ぐ」というテーマがまず有り、オリジナル曲、スタンダード曲、即興演奏、と様々ですが、実際に録り終わった後の様子は各者どんな様子でしたか?
棚橋(以下T): ベテランの優れたミュージシャンの方々とスタジオの中で話し、合間にお母様とのエピソードを伺い、サウンドもさることながら、母親に対する思慕の深さと濃密な親子関係をしみじみと感じ入りました。親子の強いつながりと情感が、いかに大きくその人間性に影響をあたえるのかということに感銘しました。

――帯に「男が最後に想うことは、母の面影」とありますが、自分の後に残す子孫や次の世代では無くて、自分を生んだ母を最後に想う、と考えられたのは、どのような背景があるのでしょうか?
T: これは確か、文学者の言葉だったと思います。昔の男はそうだったと思います。親子の情、家族意識が薄くなった現代では、どうなるのかわかりません。

――ご自身にとって「お母さん」とは、どのような存在でしょうか?
T: 父親は私が小学6年生の時に亡くなったので、父親の役割も持ち、古くからの武家の血統をもつ気丈な母でしたので、強さと慈しみを合わせ持って、大事に育てられました。娘時代は文学少女であり、映画は良く観ていたようです。人間そして人生について、子供に対してよく話してくれた母でした。多くの事を与えてくれました。

――音楽に興味を持ったきっかけについて教えてください。
T: 最初に買ったシングル・レコードは、リッキー・ネルソン「トラヴェリンマン」と「ハロー・メリー・ルー」のカップリングです。小学5年生だったと思います。当時、リッキー・ネルソン(後にリック・ネルソン)は、NHK日曜昼の「陽気なネルソン」というTVドラマに出演していて、ネルソン・ファミリーのホームドラマでした。彼の家族は両親、兄と共に芸能一家として人気があり、毎回リッキーの歌が紹介され(サイドのギターマンがジェームス・バートン)毎週楽しみにしていました。
最初のLPレコードは、エルヴィス・プレスリーの「ラヴィング・ユー」です。今でもその中の「ロンサム・カウボーイ」やオリジナルはファッツ・ドミノの「ブルーベリー・ヒル」は何回聴いても好きな曲です。


――レーベルの母体となるRatspack Records立ち上げのきっかけを教えてください。
T: 昭和56(1981)年、私が31歳の時の創業ですので、レコードが高価でなかなか若者が簡単に買うことが出来なかった時代でした。それなので一枚一枚大切にし、丁寧に聴いていましたが。その時代、アメリカのレコード業界にはクローズ・アウト、カット・アウト盤と呼ばれたアウトレットのマーケットがあり、それを販売することで、若者もより気軽に購入できれば、多くの音楽を楽しめ、音楽好きの若者が喜ぶだろうと考え、会社を始めました。その後は世界中からレコードを輸入し、販売する会社となりました。

――レーベルRatspack Eyesを立ち上げのきっかけを教えてください。
T: 2009年、会社を始めて28年目となり、私も丁度還暦を迎えた時期で、独自性をもつ、良い作品を制作したいと強い想いをもち、学生時代からすごいミュージシャンだと思っていた富樫雅彦のバラード集を制作しました。彼はアバンギャルド、フリージャズのパーカッショニストとして有名でしたが、作曲したものは、そのイメージとは異なる美しいバラードが沢山あり、その中の曲を盟友である佐藤允彦さんを中心とし、渡辺貞夫さん、日野皓正さん、峰厚介さん、そして別トラックで山下洋輔さんに参加いただき、レコーディングしたのが始まりです。皆さん「トガシ」ということで、快く参加して頂きました。

[『My Wonderful Life〜富樫雅彦バラードコレクション』オリジナル(RPES-4856):佐藤允彦、渡辺貞夫、日野皓正、峰厚介、山下洋輔]
――富樫雅彦さんとの出会いはいつ、どこで、どんな風でしたか?
T: 私が若い頃、ジャズ・ドラマーを志し、その当時新宿にあった「パール・ドラム」の店長や、豊住芳三郎さんに、富樫さんが自宅でレッスンしていると聞いて、目黒区大岡山の自宅、その後武蔵小山のご自宅に伺い、レッスンして頂いたのが始まりです。

――富樫さんが晩年に書き遺した曲の存在をどのように知りましたか?
T: 富樫さんが作曲されていた事は知っていましたが、EWEでリリースした佐藤允彦さんのアルバムで聴き、素晴らしいと感じました。

――選曲はどなたがなさいましたか?
T: 私がアイデアを出し、佐藤允彦さんからアドバイスを受けながらだったと思います。

――レコーディングメンバーはどのように決められたのですか?
T: 富樫さんと同時代を過ごし、そして活躍なさった優れたミュージシャンの方々なら、彼の曲を理解し、特別の思いがこもったレコーディングになると考えました。

――富樫さんの「ドラム」について、その印象を自由にお聞かせください。
T: 目の前で見る富樫さんのドラミングは、手首がやわらかく、抑揚のきいた美しいドラミングだと思いました。特にシンバルワーク。シンバルの生き生きした澄んだ音は今でも印象に残っています。

――「EX」ジャケットに写っている富樫さんの写真を撮ったときは、いつ、どこで、どんな場面でしたか?
T: 1998年12月11日アクトシティ浜松大ホールで行われた「浜松MUSIC ACT Togashi Meets His Friends」のリハーサルの時の写真で、私が撮りました。

[『想い出のワルツ〜tribute to 三人娘 我が心のひばり、チエミ』(RPES-4857/8)雪村いづみwith前田憲男とウィンドブレイカーズ]
――雪村いづみさんを最初に知ったきっかけは? また、実際にお会いしたのはいつ、どこで、どんな風でしたか?
T: 勿論日本の芸能界の大スターですから、子供の頃から存じ上げていましたが、六本木にあった「スィート・ベイジル」での前田憲男&ウィンドブレイカーズのコンサートで、ゲストにいづみさんが出演され、日本人でこんな凄い歌手が存在しているんだと驚愕し、この方のアルバムを是非作らなければと思ってしまいました。

――前田憲男さんに依頼された経緯を教えてください。
T: 色んなことを親切に教えてくださっていた、テナーサックス稲垣次郎さんに紹介いただき、いづみさんならば前田憲男さんがふさわしいだろうという事でスタートしました。

――レコーディング当日の印象深いエピソードがありましたら、一つ教えてください。
T: 世田谷のクレッセント・スタジオ(当時)でレコーディングしたのですが、最初の曲「想い出のサンフランシスコ」のサウンドを聴いた時、制作者でありながらヴォーカルもバンドのサウンドもあまりにゴージャスで、自らがうっとりしてしまいました。レコーディング風景の撮影を淺井愼平さんにお願いしました。

――いづみさんの「歌」の力は、どのようなものだと思われますか?
T: 昭和34(1959)年にNBCテレビに出演、その後アメリカ本土を丸一年ツアーし、ロサンゼルス、ラスベガス等、アメリカの一流のショウビジネスの中で通用した人ならではのレベルの高さ、インターナショナルな方だと感じました。前田さんも仰っていましたが「ザ・エンターテイナー」という存在です。

[『帰り来ぬ青春〜Yesterday When I Was Young』(RPES-4859)マーサ三宅 with マーサ・シンガーズ]
――マーサ三宅さんを最初に知ったきっかけは?また、実際にお会いしたのはいつ、どこで、どんな風でしたか?
T: 最初にお会いしたのは、当時のスウィング・ジャーナル社のパーティーだったと思います。その後、声をかけて頂いたり、御自宅に伺ったり、大変暖かい気持ちで交遊いただいています。

――「サンライズ・サンセット」レコーディング時の印象深いエピソードがあれば教えてください。
T: マーサさんは数多くの御弟子さん達をお持ちで、しかも皆さんからとても尊敬され、愛されている方ですので、マーサさんの以前レコーディングされた「サンライズ・サンセット」のヴォーカル部分だけ取り出して、高弟である24人のシンガーに六本木のスタジオにお集まりいただき、大コーラスのトラックにしました。特別な愛情たっぷりのレコーディングでした。

――マーサさんのヴォーカルスクールのように、Jazzを後世に伝えるということについて、どのように思いますか?自由にお聞かせください。
T: 元々日本人のジャズは、西洋のジャズの表層をひたすら模倣し続けているように見えますが、その中で形成された独自の味わいがありますので、それを表現できればと考えています。高倉健さんの言葉のように「国を背負って物を言う」という気持ちもあります。模倣しているだけのものには「音楽の生命」がないと思います。

[『NEWYORK GROOVE』(RPES-4860)中村照夫]
――中村照夫さんを最初に知ったきっかけは? また、実際にお会いしたのはいつ、どこで、どんな風でしたか?
T: 当時六本木にありましたWAVEの方の紹介でお会いしたのが最初です。その後ニューヨークの御自宅に伺い、スタンリー・タレンタインと「ジャズクラブ」の楽屋で話して頂いたりしました。

――タイトルにもなっている「NEWYORK」について、実際に訪れたことはありますか?
ありましたらその印象を教えてください。
T: その後、大学生(当時)の娘と一緒にハーレムの照夫さんの御自宅に伺い、奥様(優しい方でした)と4人でジャマイカ料理を共に楽しんだこともありました。

――照夫さんの「ベース」について、その印象を自由にお聞かせください。
T: 照夫さんのキャッシュボックスのチャートに入った「マンハッタン・スペシャル」は当時、日本人がアメリカの高位チャートに入ったという事で、とても驚いた記憶があります。あのベース・ワークが照夫さんだと思います。

[『Too Young』雪村いづみ with 美空ひばり、江利チエミ]
――数多の歌手が歌っている曲ですが、はじめて聴いた「Too Young」は誰が歌ったものでしたか?
T: 私はやはりナット・キング・コールです。

――時代を超えた三人娘の共演、というアイデアはどこから生まれたのでしょうか?
T: いづみさんが御自身のコンサートで歌われているということだったので、作詞家の山川啓介さんの許諾を得てレコーディングしました。

――作家が書いて歌手が歌う、いわゆる「歌謡曲」が、日本人に与えた影響とはどのようなものだと思われますか? その印象を自由にお聞かせください。
T: 現代はよく、英語として通用するかどうかも分からない外国語を使っていますが、翻訳すれば意味はあるとは思いますが(時には意味すらはっきりしないものもありますが)、その言葉には命がないと思います。日本人の心を表現するには、生きている、生命力のある自分達の言葉で歌ってこそ、その感性、想いが聴いて下さる人たちに伝わるのだと思います。ナントカぶっている歌には力がありません。言語こそアイデンティティーだと思います。

[『THE BLIND SWORDSMAN〜侠』(RPES-4863)勝新太郎、佐藤允彦、井上堯之、東京キューバンボーイズ、福居典美、御諏訪太鼓

――「勝新太郎」をひとことで言い表すとすると、何でしょうか?
T: 素晴らしい才能をもった、特別の役者だと思います。時代劇のスターであり、長唄を上手にこなしながら、ジャズ・スタンダードも器用に歌い、伝統的なものから前衛的な作品も作る。恐るべき多様な才能をもった、正に天才だと思っています。TVシリーズ「座頭市」「警視K」では、相当実験的なことにチャレンジしています。ひとことでは言えませんでした。

――タイトルにもなっている「侠」とは、どのようなものと思われますか?
T: 「友を選ばば書を読みて、六分の侠気、四分の熱」他の人に“この人なら”と思わせるような雰囲気、器量、魅力、愛嬌、人望」「義理堅く、人情に厚く、筋を通し、礼儀正しい」。

――タイトル曲「THE BLIND SWORDSMAN」を制作される際に、作曲家の佐藤允彦さん、アレンジを手掛けた見砂和照さんに、事前に注文をされたことは何かありましたか?(このような雰囲気で、など)
T: 聴いて下さる方が、ワクワクして楽しめるような曲になるようにとお願いしました。

――諏訪太鼓や津軽三味線など日本の伝統芸能と、JazzやRock等の西洋音楽には共通点があると思いますか? ある場合、それは一体何であると思われますか?
T: 永井荷風「音楽としての価値生命の如何は、全く民族的であるという一語に尽きて居る」小林秀雄(西洋文化の素晴らしさに対して)「それは『わかる』けれど『私』ではないということだ。」小澤征爾「『音楽に国境はない』ではすまないと思うんです」「…なにも西洋の真似なんかすることはない。西洋人になんかなれっこないんですから」三島由紀夫「外国の文化に触発されて鍛えられた精神が、再び日本の伝統に回帰する、全く新しい眼で古いものを見直すことができる」これらの言葉それぞれに深く感じ入っています。

[『風姿〜忘れがたき男たち』(RPES-4866)山下洋輔、秋田慎治]
――Eyesの作品群には所謂ベテランの演奏家達が名を連ねてきましたが、その中では若い世代となる秋田慎治さんを今作で起用したきっかけとはどのようなものでしょうか?
T: 次の時代の日本ジャズへの期待と、彼が優れたミュージシャンであるということです。

――佐藤勝さんの譜面を発掘した時の、印象深いエピソードがありましたら、一つお教えください。
T: 東宝ミュージックの前社長の岩瀬さんのお力を借りて、東宝映画の倉庫にありました佐藤勝さんの楽譜を特別にお借りすることが出来ました。

――ジャケットに写る3人の俳優たちの顔に表れた、サブタイトルにもある「忘れがたき」ものとは一体何であったと思われますか?
T: 日本の男の「美・気骨・威厳」「義理堅く、人情に厚く、筋を通し、礼儀正しい」かつての日本の男のプライド、他の人に“この人なら”と思わせるような「雰囲気、器量、魅力、愛嬌、人望」です。

 最新作『Song for My Mother〜思慕』の話をきっかけに、レーベル立ち上げから各作品のエピソードまで、一つずつ振り返りながら語ってもらいました。日本と西洋の文化について話す際、しばしば「西洋の模倣」について語られますが、Ratspack Eyesが標榜するそれは決して内向きではなく、広く世界に向いた日本人の表現であるという点において、非常に意識的だということがインタビューを通じて改めて浮き彫りになりました。芸術祭参加をきっかけに、一人でも多くのリスナーに届いてほしいところです。

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