折坂悠太や、
森は生きている等のサポートでも知られるマリンバ、ビブラフォン奏者でシンガー・ソングライターの
影山朋子が、2作目のソロ・アルバム『
Tampopo*2○2●』を11月15日にリリースしています。
前作、2019年発売の1stアルバム『
光の速度、影の時間』がバンドサウンドだったのに対し、2ndアルバムの本作はマリンバと歌というシンプルな弾き語りを軸に制作。影山が長年取り組んできた世界的にも珍しいマリンバの弾き語りソロ作品として満を期してのリリースとなります。
全体的にアコースティックでフォーキーな空気感の中で、ゲストミュージシャンとして迎えたシタール&ギターの田井中圭(湯船映像としてMV制作も)、クラリネットの
渡邊一毅(
山本拓夫木管6重奏団Haloclineや
くるりのレコーデイング等にも参加)の演奏が彩りを与えています。
コロナ禍において旅や自然からインスパイアされ生まれた楽曲たちは、この先の未来の世界へ向けて前向きな感覚に溢れており、エンジニア中村公輔(折坂悠太や
さとうもか等も手がける)による5オクターブ・マリンバの重低音の響きを存分に活かしたサウンドは、自然の中でのグランピングやリトリートなどメディテイションやリラクゼーションの場にも馴染みます。
マリンバの包み込むような暖かな音色と絵本の世界のような瑞々しい楽曲、柔らかく語りかけるような歌声は、音楽ファンはもちろんのこと、小さなお子さんからシニアまであらゆる世代、層に心地よく響いていくでしょう。
リリースに際し、音楽ディレクター / 評論家の柴崎祐二によるライナーノーツを公開(CDブックレットにも収録)しています。
[コメント]“Tampopo*2○2●”は、沢山の方々に助けてもらい、支えられながら完成しました。このアルバムを聴いてくださる皆様にも、感謝の気持ちをお伝えしたいです。このアルバムは、私が生きてきた中でいつも感じてきた、自身の内側と外側や、人と自然など命の陰陽のリズム、そういったものが3.11やコロナ禍などの大きな出来事を通して、時により強く感じながら、徐々に音に成っていきました。みなさんの中の、種、根っこ、茎、葉、花、そして羽(綿毛)の尊さを想います。――影山朋子[柴崎祐二 ライナーノーツ・一部抜粋]楽器の音と、声、そして世界の再調和――マリンバの響きに乗せて飛びゆく 『Tampopo*2○2●』。
影山朋子と初めて会ったのは、私が制作ディレクターを担当していたバンド、「森は生きている」のライブ現場だったと思う。
確か2013年から2014年にかけて、バンドがセカンド・アルバムに向けて様々な音楽を吸収し、ステージでも果敢な試みを続けていた時期のこと。彼女の弾くヴィブラフォンが加わったことで、バンドのアンサンブルは飛躍的に色彩を増し、立体的なものになった。
スケールの大きな演奏で、各楽曲に繊細な音色とハーモニーを付け加えてくれたのはもちろん、長尺曲ではライブの見せ場ともいえる闊達なインプロヴィゼーションを披露し、サポートメンバーという役割を超えてバンドの音楽になくてはならない存在となってくれた。
もちろん、レコーディングの現場でも大きな役割を果たしてくれた。森は生きているのセカンド・アルバム『グッド・ナイト』(2014年)における彼女の演奏は、それなしではアルバムが成り立ち得ないほどに重要な要素として、素晴らしい響きを担った。
(-中略-)
マリンバの音色に身を浸すと、他の楽器にはない得も言われぬ心地よさを覚える。私が感じているこの心地よさは、いったいどこからやってくるものなのだろうか。
サステインはたしか短いかもしれないが、同時に、ハッとするほど豊かな倍音を伴ってもいる。ピアノやバイオリンのように、打弦/擦弦を通じて胴を鳴らすのではなく、木の素材そのものを打撃することで、木を鳴らし、空気を揺らす。そのプロセスは、いうまでもなく直接的に身体と連結したものだ。このシンプリシティを通じて、私達はそこに「音を奏でる」という行為の根源性へと誘われる。打つことと、奏でることが同時的/同義的に機能し、その機能が直接的に身体へとフィードバックされていくこと。もしかすると、奏者と楽器に結ばれるそうした関係の豊かさを、音に浴する私達もまた、直感的に感じ取っているのではないか。
マリンバと歌声の響きに身を浸す行為というのは、そうやって私達自身を、「音」や「環境」、「モノ」へと再接続させてくれる体験なのかもしれない。
本作『Tampopo*2○2●』を聴くと、随所でそういう体験をすることになる。紡がれるメロディー、コーラス、吐き出される歌声とマリンバの響きは、このアルバムが存在するよりずっと前から、ごく自然な様子で結びつきながら、大気の中を漂っていたかのように再生される。その上、さり気なく付き添う追加楽器たちも、そういう印象を決して乱しはしない。風のように私達の頬を撫でていくそれらの音は、このアルバムに漂う悠久の感覚に品よく彩を添える。
本作の音楽は、悠久の昔からこのメロディーがあり、この響きがあり、この歌があり、彼女の身体が存在していたかのように、あまりにも自然にそこにある(あった)ふうだ。こうした感覚は、影山が歌う言葉の随所へも溶け込んでいる。自らの回りに存在する自然に驚き、ときに慄き、親しみ、感じること。彼女の言葉は、その喜びに満ち溢れている。以前、影山は私に、新たな住処となった新居を取り囲む環境の中で、自然の美しさ/尊さと再び出会い直した体験について教えてくれたのだった。そのときに得た感動をどうにかして音楽へと昇華させたいという彼女の願いは、ここで見事達成されている。おそらく、ふと目と耳を開いてみれば、私達の誰もが彼女と同じような体験をできるはずなのだ。
このアルバムは、たしかにシンプルで、パーソナルなものなのかもしれない。しかし、決して「孤独」なものではなく、むしろ、思い切り開放的で悠大だ。私達が知らず知らずのうちに通り過ぎている身体と世界の再調和へと誘ってくれるという意味で、全ての人たちに開かれた音楽であるともいえるはずだ。タンポポの種が風に乗ってどこへでも飛び上がっていくように、この音楽があらゆる人の耳へと運ばれるよう、願いたい。