2024年は、昭和を駆け抜けた大スター、
石原裕次郎の生誕90年のアニバーサリー・イヤーとなります。あわせて、石原裕次郎が1956(昭和31)年「
狂った果実」「想い出」でレコード・デビューして以来、生涯最後となった「
わが人生に悔いなし」(1987年)まで唯一所属していたレコード会社、テイチクエンタテインメントも創立90周年を迎えます。
また、石原裕次郎が生まれたのが1934(昭和9)年12月28日。その2日前の12月26日には、読売ジャイアンツが創設されました。
[コラム 佐藤利明(娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー)] 2024年は昭和を駆け抜けた大スター、石原裕次郎の生誕90年のアニバーサリー・イヤーである。同時に裕次郎が1956(昭和31)年「狂った果実」「想い出」でレコードデビューして以来、生涯最後となった「わが人生に悔いなし」(1987年)まで唯一所属していたレコード会社、テイチクエンタテインメントも創立90周年を迎える。
日本国内における老舗レコードメーカーのテイチクは、裕次郎が誕生する1934(昭和9)年の2月11日に創立。戦前はディック・ミネ、戦後は国民的歌手・三波春夫、平成にブレイクした漫談家・綾小路きみまろ、そして、川中美幸、天童よしみ、石川さゆり、BEGINらが所属している。
そのテイチク・サウンドを牽引してきたのが昭和30年代から60年代にかけて国民的スターとして活躍した石原裕次郎である。「裕ちゃん」の愛称で、誰からも親しまれ、日活ではアクション映画の黎明期を支え、石原プロモーション製作のテレビドラマ「大都会」「西部警察」シリーズではアクション・ドラマの黄金期を築いた。
石原裕次郎が生まれたのが1934(昭和9)年12月28日。その二日前の12月26日には、読売ジャイアンツが創設された。つまり裕次郎と読売巨人軍は同じ年に誕生したのである。
戦後、読売巨人軍の最大のスターといえば、1958(昭和33)年に入団した長嶋茂雄。野球ファンの裕次郎は、立教大学で当時の六大学野球新記録となった8本塁打を記録した長嶋茂雄に注目をしていた。1936(昭和11)年生まれの長嶋は、裕次郎より一学年下だった。そのこともあって長嶋の入団前、報知新聞の対談企画で二人は顔を合わせて以来、生涯の友となった。
長嶋が鳴物入りで入団した頃、裕次郎は『嵐を呼ぶ男』(1957年)のビッグヒットをきっかけに、空前のブームを巻き起こす。昭和30年代、庶民の憧れは「石原裕次郎」であり「長嶋茂雄」だった。
テイチク・裕次郎・読売ジャイアンツ。2024年に、90周年という節目を迎えた三者を結ぶのが、石原裕次郎が前年に新人王を獲得した巨人軍のミスターこと長嶋茂雄のために1959(昭和34)年9月にリリースした「男の友情 背番号3」(作詞・大高ひさを / 作曲・上原賢六)である。長嶋の活躍を賞賛し、応援する文字通りの友情ソングである。裕次郎が親しげに長嶋を「シゲ」と呼ぶ歌声に、当時のファンは二人の友情を感じ、声援を送ったことだろう。
昨年秋よりテイチクエンタテインメントでは、石原裕次郎がテイチクに残した500曲以上のレコーディング楽曲を定額で聴けるサブスクサービス「石原裕次郎公式ファンサイト・裕次郎倶楽部」を立ち上げた。この「男の友情 背番号3」をはじめ、「わが人生に悔いなし」「北の旅人」「夜霧よ今夜も有難う」などの大ヒット曲はもちろん、数々のデュエット曲、名曲カヴァーやレアな楽曲まで、石原裕次郎が残した歌声のほとんどをいつでも、どこでも味わうことができる。
このファンサイト「裕次郎倶楽部」では、筆者がコンシェルジェ・ナビゲーターを務めており、「石原裕次郎アワー」など動画番組も随時更新中。音楽だけでなく、知られざるエピソードなど、石原裕次郎のすべてを楽しむことができるので、是非入会してみてはいかがだろうか。