バリー・ホワイト 2003/07/15掲載(Last Update:08/03/31 17:57)
すでにご存知の方が多いと思いますが、あらためてここに記します。
バリー・ホワイトが亡くなりました。高血圧が引き起こした腎臓疾患治療のため、ロサンゼルスの病院に入院していましたが、7月4日(米国の独立記念日ですね)に同病院で亡くなりました。
7月7日(七夕ですね)にはダウンタウンにほど近いライマート公園に大勢の黒人ファンや友人が集結し、バリー・ホワイトの歌をバックにダンスや合唱に興じ、故人の追悼を行ったそうです。貧困の中から生まれた天才ホワイトの作品に脈打つ“愛”の大きさを知るエピソードですね。
すでにインターネットなどで報じられたニュースですが、なんで今日筆をとったかと言いますとね、どの報道機関でもバリー・ホワイトについて『70年代のディスコブームで、ロマンチックなラブソングを歌って人気を集めた・・・』とか、『セクシーな低音ボーカルで有名な・・・』とか、果ては『人気テレビドラマ「アリー・myラブ」で、お茶の間の人気者だった・・・』程度しか語られていないので、私としては、それではあまりに寂しいと思ったわけですよ。16ビートを用いたソウルミュージックの最高峰に値する人だと思いますのでね。
シンガーとしてのキャラクターの存在感もたしかに魅力の1つですが、さらに評価してしかるべき所は、彼のスタジオワークですよ。どうもスタジオ音楽家としての認識が、日本ではしっかりとなされてない気がするのです。
ラブ・アンリミテッド・オーケストラの、あの信じられない音楽的完成度は、スタジオ音楽家としてのバリーの才能を物語るものです。エド・グリーン、
ウィルトン・フェルダー、
デヴィッド・T.ウォーカーなど鉄壁のリズムセクションを配した模倣不可能な完璧な演奏と、華麗なオーケストレイション・・・。ラブ・アンリミテッド・オーケストラの音盤は、スタジオで作られるポピュラー音楽の1つの到達点と言っても良いのでは無いでしょうか?
享年58歳と聞いて「そんなに若かったの?」と思った人いませんか? あの貫禄たるや70年代に活躍してた頃でさえ、かなり年配だと思っていましたが、実は当時かなり若かった事になります。しかし、バリー・ホワイトがデヴューしたのは何と11歳! ラブ・アンリミテッド・オーケストラで成功を手にするまで、様々な苦労があったようです。ご冥福をお祈りします。