現代クラシック・ピアノ界の若き異才として注目を集めるピアニストの
反田恭平が、1月11日(金)愛知・名古屋公演を皮切りに、全国6ヵ所の大ホールを縦断するツアーを進行中。すべてが完売となった本ツアーのうち、1月18日(金)に東京・初台 東京オペラシティ コンサートホールで行なわれたツアー3公演目となる東京公演の模様を、音楽評論家の鈴木淳史がドキュメントしたレポートが日本コロムビアの
オフィシャル・サイトにて公開されています。
公演は、全編ショパンの作品で構成されたプログラム。2,000人近くの観客を前に、ファツィオリのピアノで挑戦的かつ個性的な解釈を聴かせました。
反田は、『
ラフマニノフ: ピアノ協奏曲第3番 / ピアノ・ソナタ第2番』(COCQ-85458 3,000円 + 税)を2月20日(水)にリリース予定。モスクワでのレコーディング・シーンをとらえたMVのロング・バージョンが公開されています。1月26日(土)からは、CDショップの一部店舗にて、本作の先行試聴がスタートします。
[反田恭平ピアノ・リサイタル 全国ツアー2018〜2019 Winter 東京公演
2019年1月18日(金)東京オペラシティ ライヴ・レポート]
開演時刻ぴったり、いつもながらにハンカチ片手に飄々、ひょこひょこと舞台に出てきて、最初に鳴らした夜想曲の和音がちょっぴり重々しい。いや、確かに重量感こそあるものの、妙に抜けがいいというか、カラリと晴れわたった響きに即座に転じる。
2階席からは明瞭に見えなかったのだけれど、ピアノの側面には「Fazioli」と書いてあるような気がしていたのが、曲が進むにつれて確信へと変わった。となれば、反田恭平がこのイタリア製のピアノを奏でるのをこの耳で聴くのは初めて。
今夜は面白いことが起こりそうだ。
この「夜想曲第13番」は、挑戦的な解釈だった。自らの内面と格闘するかのように、強弱の幅やテンポを大きく揺らす。プログラム冒頭に置かれがちな、しめやかな夜想曲のイメージとは異なり、出会い頭にバチーンと頬をはたかれたような心地。ソリタ、ボンバイエー!
続く「夜想曲第14番」でクールダウンしたあとに弾かれた「幻想曲ヘ短調」も、なかなか個性的だった。ゆっくりと奏でられる序奏部は、これから何かが起きるであろう予感を秘めた平穏さを保って奏でられる。まるでシューベルトの後期ソナタみたいに。
アジタートの切迫した旋律が出るや、音楽は急に軟体動物化、身悶えするような弾力性が宿った。皮相さを匂わせる行進曲を経て、レントではシューベルト的な諦念も再び顔を覗かす。
主題といえそうな旋律が次々に登場、表現の振れ幅だって大きい作品ではあるけれど、反田は感情のウネリでもって一つの流れを作り出すことはあえてしない。内声部を浮き出し、せっせとバランスを整える。コントラストを鮮明に打ち出す。コラージュ的といってしまっていいのか、マーラーの交響曲がかつてそうだったように、その音楽は先鋭的な光さえ帯びてくる。
前半のプログラムを締めくくるのは、「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」。異なる性格をもつ2つの音楽をちょっと強引に繋げた感のある不思議な作品だ(両者を繋ぐ唐突なファンファーレがそんなふうに思わせる原因だと思う)。
アンダンテ・スピアナートは、左手にゆるゆるとルバートをかけ、浮遊感を漂わせて弾く。曲後半のポロネーズは、音符が込み入った難曲だ。反田は、この曲のもつサロン的な性格をさほど顧みることなく、エチュードのような精悍さで奏でる。さすがに、最後のほうは一本調子にはなってしまったけれども。
ショパン作品の演奏は、もはや伝統芸術ともいえる。たとえば、サロン音楽としての洒脱さに、身体にダイレクトに訴えかけてくるエロティシズムをみっちり絡ませつつ、ロマン派ピアニズムの粋を極めるといったように。なかには、ドロドロと内面の底を掬うような暗黒系ショパンを奏でる人もいたけれど。
反田恭平の弾くショパンは、そうした伝統とは少し距離をおく。どちらかといえば、ショパンが憧れていたバッハゆずりの音楽設計に光を充てることに関心を向ける。埋もれがちな内声部を掘り起こし、有機的な繋がりを見出す。
そんなストイックなスタイルに、反田持ち前の奔放さが掛け合わされる。そうして、出てくる音楽からは、この作曲家の多面性がナマの姿で鳴り響く。ショパンの試行錯誤までが明らかになる。そして、今回のリサイタルのプログラムは、ピアノの詩人のトライアルな側面がよく出ている作品が選ばれたのではないか。
後半は、まず「マズルカ」作品56から第1曲から第3曲までを続けて演奏。ショパンのマズルカとしては、舞曲という枠のなかで色々なことを試しているような、マニエリスティックな傾向の強い後期の作品といっていい。
第1曲の出だしは、パラパラと葉が散っていくように、ずいぶんと柔らか。それが徐々にカタチを作っていく面白さ。いずれの曲も、リズムや転調の妙といった、曲の仕組みを丹念に浮き上がらせる。
プログラム最後は、「ソナタ第3番」だった。ショパンのソナタのなかでは、もっとも古典的、伝統的な形式を持ちながらも、ショパンならではの優美で華麗な旋律が寸分なく詰め込まれている。
冒頭楽章の主題の描き分けは見事だし、スケルツォ楽章はやはり挑戦的なまでに高速。なんといっても、今回選んだピアノの特性がもっとも発揮された曲だったのではないか。印象的なフレーズが次々に現れ、響きとして慌ただしい作品になりがちだが、ファツィオリのふわっとした軽やかさが「詰め込み感」を中和、そればかりか即興風の彩りまで感じさせて。
アンコールは2曲。「24の前奏曲」の終曲である第24番ニ短調(この曲のコーダは、ソナタ第3番冒頭と重なり合う)をエッジを効かせて弾き、「ラルゴ変ホ長調」を今度はしめやか、端正に響かせた。
反田がファツィオリを弾くのは、今回の全国ツアー初日の名古屋公演に続いて2度目だという。今晩の印象は、この独得なピアノの音色を弾き手自身が楽しんでいるようだった。もちろん、弾き慣れぬ楽器を相手に悪戦苦闘しているように聴こえるところもあったけれど、そうしたことさえ面白がっているような風なのも反田流。
終演後、サイン会に並ぶ大行列を見て、改めて思った。こんなマニアックなピアニストが、なんでこんなに幅広い人気を得ているんでしょうねえ。善き哉、善き哉。
文 / 鈴木淳史