ジョン・レノンと
オノ・ヨーコの大規模な展覧会〈DOUBLE FANTASY - John & Yoko〉の東京展が2021年1月11日(月)まで、東京・ソニーミュージック六本木ミュージアムで開催中です。この会場内の写真が公開されました。
展覧会は、ジョンとヨーコそれぞれの生まれから出会いまでをイントロに、ミュージシャン・アーティスト / 活動家 / 恋人・夫婦としての2人の足取りを、展示物と発言 / 解説で時系列に追っていくもの。直筆の歌詞 / イラスト、手紙、洋服、楽器、美術作品、初版本など、貴重な展示物がめじろ押しです。
ソングライターとしてのターニングポイントだったとジョンがみずから語る、
ビートルズ時代の「イン・マイ・ライフ」の歌詞は、箱(?)かなにかの一部だったと思しきボール紙に勢いのある筆致で書かれている。1番の歌詞は青のインクのペンで、2番の歌詞は黒のインクのペンで。言葉を変えたところがあり、ダイヤ型の落書きや歌詞とは上下逆のメモも残されている。レコーディングのとき、ジョンはこのボール紙を見ながら歌ったのだろうか。いくつも展示されている直筆の歌詞のなかでも、とくに驚いたのは「ウーマン」。歌詞が書かれた紙の上部、通常は曲名があるところには「Wo/man」とある。なんだ?この“/”。さんざん聴いて体に染みついている曲が、突然新たな顔を見せる。
おなじみの写真で腕を組んだジョンが着ている「NEW YORK CITY」のシャツは、もともとTシャツだったものの袖を切ったのか、最初からノースリーブだったのか、これまで写真を見るたびに気になっていたが、そんな積年の疑問がようやく解けた。それにしても、ジョンってこんなに肩幅がせまかったのか。また、会場の解説には書いていないもののいくつか並んでいる手紙のなかにフィル・スペクターからのものがあったり、ベッド・インで弾いたギターに描かれたイラストやホール周辺の傷にジョンの手の動きを感じたり、見どころはつきない。ふだん音楽を通して接し、神格化されたジョンの人としての存在をなまなましく身近に感じることができた。
昨年のリヴァプール展では展示されず、今回の東京展で初公開となった日本語練習スケッチブックは、このまま本にしてほしいと思うほど興味深く、ジョンがイラストとローマ字で日本語を勉強した跡を見ることができる。そのなかの一枚、曜日を書いた紙には、ローマ字、漢字と、その漢字の元となったイメージ(「火」なら焚火のイラスト)が描かれていた。端正な筆致にジョンの柔らかな繊細さがうかがえる。今年生誕80年を迎えたジョン・レノン。生きていたら、日本語でどんな歌を歌ったんだろうと思わずにはいられなかった。
ジョンとヨーコが出会ったギャラリーの再現、天井を虫眼鏡で見ると「YES」の文字が
見つめあうジョンの眼鏡とヨーコのサングラス
1969年、結婚のために赴いたジブラルタルで着た服
苦労の末、1976年に獲得したグリーンカード
Photo by Shintaro Yamanaka(Qsyum!)